Diary 2009. 6
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6月11日 (木)  アルトゥヴィンの夜

先週から今週にかけて、中部アナトリアのアンカラ、コンヤ、そして黒海地方のトラブゾン、リゼ、アルトゥヴィンの各県を急ぎ足で回って来ました。ゆっくり観光している暇はなかったものの、リゼとアルトゥヴィンを訪れたのは今回が初めてだったので、久しぶりに旅の気分が味わえたように思います。

わけても、険しい渓谷を見下ろす斜面に忽然と姿を現したアルトゥヴィンの街には、思わず旅情をかきたてられました。アルトゥヴィン県は、黒海地方の東端に位置し、グルジアとの国境に接しています。以前から、その辺りは海岸線まで山々が迫り、鬱蒼とした森に覆われた山岳地域であると聞いていたけれど、県庁所在地のアルトゥヴィン市もこんな険しい山の中にあるとは思っていませんでした。この街にはおよそ平地というものが見当たりません。案内してくれたメフメットさんは、「この街じゃ交通事故は一度しか起こせませんよ」と笑っていました。事故を起こした車は谷底へ真っ逆さまなんだそうです。

メフメットさんは42歳、アルトゥヴィンから遠く離れたエーゲ海地方アイドゥン県の出身ですが、仕事の関係と奥さんの郷里がアルトゥヴィンだった縁もあって、1年ほど前に家族でこの街へ越して来たと言います。奥さんとはブルサ県の大学の農学部で共に学んだ仲であり、以来、ずっとその専門分野で一緒にやって来たというから、何とも羨ましい鴛鴦夫婦と言えるのではないでしょうか。

アルトゥヴィンへ着いたその日、宿舎まで送り届けてくれたメフメットさんは、「夕食は是非ご一緒しましょう。8時に迎えに来ますよ」と言って帰って行ったけれど、再び車で迎えに来てくれた時は、8歳になるという長男を連れていて、途中で奥さんと高校生の娘さんも合流、『さて、どんな店に行くのかな?』と思っていたら、これが何と生バンドの演奏もある居酒屋のような店でした。

黒海地方は全般的に宗教色が強く、トラブゾンやリゼではアルコールのある飲食店を探すのに苦労しましたが、例外的に左派の共和人民党(CHP)が県政を担っているアルトゥヴィンでは少し状況が異なっているようです。アルトゥヴィンは山々に覆われて、これといった産業もないので、昔から人々は大都市に出て仕事を得るよりないと考えて教育熱心になった為、周囲の各県に比して教育水準が非常に高いという話も聞きました。まあ、教育水準が高い人たちは酒が好きということではないと思いますが・・・。

しかし、教養のあるメフメットさん御夫婦はやはりお酒が大好きでした。私は喉が渇いていたから、先ずはビールでも飲もうかと思っていたけれど、御夫婦に「まあ、せっかくだからラク酒にしましょう」と言われ、3人でラク酒を飲むことになりました。ビールなどは子供の飲むものだと思われてしまうようです。

さすがに、高校生16歳の娘さんと8歳の長男は、コーラで乾杯していましたが、大いに飲んで話が盛り上がってきたら、娘さんは自分でビールを注文して当たり前に飲み始めたのです。私は同じ年頃にへべれけになるまで飲んでいたから、他人のことは言えないけれど、一応、御夫婦の顔色を窺って、ちょっと驚いて見せたところ、メフメットさんは「ビールぐらい何ともありませんよ」と言い、奥さんも「うちでは新年祝いにビール一杯ぐらいなら、随分前から飲ませていますよ。まあ、息子にはいくらなんでも早すぎですが、今年の新年に用意したビールが一本足りなくなっていたので、“どうしたんだろう?”と思ったら、あの子が飲んでしまったんですね」と話しながらカラカラと笑っていました。

とはいえ、高校生の時にへべれけになるまで飲んで学業を疎かにした私と違い、節度を心得ている娘さんは、学校の成績も極めて優秀であり、特に、語学力に優れているので、英語の他にもう一つ何か変わった言語に取り組みたいと考えているのだそうです。それで、私が自分の勝手な好みで、「ロシア語なんてどう? ロシア文学を原文で読めて、ロシア民謡が歌えたら素晴らしいよ」と勧めたところ、奥さんは「カーリン♪ カカリン♪・・・」なんて口ずさみ、「良いかもね」と喜んでいたものの、当の娘さんは何だか渋い顔をしています。「ロシア、嫌いなの?」と訊いたら、メフメットさんが私のことを突っついて、「いやね、この娘は共産主義者だから、ロシアは裏切り者だと言うんだよね。変でしょ?」と明かしてくれました。

これには、『今どき、こんな高校生が未だいるのか?』と驚いたけれど、まだまだこのぐらいで驚いてはいけませんでした。娘さん、私に向かって、「コリアの事情は解りますか? コリアの言語は北と南でかなり違っていますか? 私は北コリアに行って暮らしたい・・・」などと言い出したのです。まあ、良い大人がこんなこと言えば狂人扱いされてしまうから、高校生の時にこういう夢はたっぷり見て置いたほうが良いのかもしれないけれど、いったい北コリアの話題など何処で仕入れているのでしょう? 親米国の日本については、私に遠慮してはっきり言わなかったものの、余り好んではいないようでした。

北コリアと言えば、94年に金日成が亡くなった時、当時、トルコで相当危険視されていた左派クルド系の新聞に、“偉大な共産主義者の英雄”の死を悼む記事が出ていて驚いたことがあります。あの頃、日本では既にかなり偏った左翼ですら北朝鮮の体制を賛美してはいなかったと思うのですが、遠く離れたトルコでは、情報の伝わり方が違っていたのでしょうか? 

金日成の死については、トルコの一般紙でも、当時の駐ソウル・トルコ共和国大使だったカヤ・トペリ(Kaya Toperi)氏が次のように発言していたのを読んで、思わず首を捻ってしまいました。「北コリアで人民が指導者の死を大袈裟に嘆き悲しんでいるのを見て驚く人もいるだろうが、我々がアタテュルクを慕うように彼らもその指導者を慕っているだけである」。アタテュルクと金日成が同列に扱われているようで、私にはとても奇妙に感じられたのですが・・・。(このカヤ・トペリ氏は、オザル大統領が亡くなった時の大統領府報道官でした。)

アルトゥヴィンの夜、ただでさえ危なそうな高校生の娘さんを前にして、もちろん、こういう危なっかしい話はしませんでしたが、他にも色々な話題が御夫婦や娘さんとの間を行ったり来たりして、実に愉快な時間を過ごすことができました。でも、さすがに、8歳の長男坊は退屈だったでしょう。

居酒屋を出ると、私たちは店先に駐車してあった車へ乗り込み、私と一緒にかなり飲んでいたはずのメフメットさんが平然とハンドルを握り、ギアを入れて発進しようとしたら、カックンとエンスト、メフメットさんは「ここで仕事しているとジープも運転しなければならないし、毎日、違う車を運転するから、時々こんなことになるんだよね」と笑って済ませていたけれど、私は『えーっ、この街じゃ交通事故は一度しか起こせないんですよね?』と内心冷や冷やしていました。まあ、多くの場合、トルコの人たちは体質的に我々日本人よりは遥かに酒が強いから、思ったほど心配ではないのかもしれませんが・・・。


6月27日 (土)  ボスポラス海峡船上パーティー

先日の水曜日、ヨーロッパ側のタクシムへ出たついでに、いつもお世話になっている韓国人キムさんのところへ寄って雑談していると、キムさんの携帯が鳴り、「ああメルハバ、アリさん・・・」とキムさんはトルコ語で話し始めました。「・・・アリさん、いよいよ来週は韓国へ行くんですね。ところで、申し訳ないけれど、その新聞記者協会のボスポラス海峡船上パーティーには出席できないと思います。これから出掛けなければならないところがあるんですよ。・・・・」。

電話を切ったキムさんに、「アリさんて、アリ・エルさんのことですか?」と尋ねたところ、「えっ、なんで知っているの?」と驚いてから、「ああ、そういえばアリさんを紹介してくれたのは貴方でしたよね」と合点がいったようです。

昨年の7月、アナトリア通信のチーフ・カメラマンだった友人のアリ・クルチさんが、「ジャーナリストの友人が韓国について調べているので相談に乗って欲しい」と言いながら引き合わしてくれたのがアリ・エルさんであり、その時、私はアリ・エルさんに、長らくイスタンブール韓国人会の会長を務めていたキムさんを紹介しました。

現在、記者協会発行の新聞に記事を書いているアリ・エルさんは、元ジュムフリエト紙の記者で、当然のことながら左派的な傾向があり、韓国について調べようと思ったのは、朴政権の時代に推し進められたセマウル(新しい村)運動に関心があったからだそうです。「セマウル運動は非常に社会主義的な運動だったところが興味深い」とアリ・エルさんは話していました。

その日、キムさんと雑談しながら、アリ・エルさんの研究テーマから始まって「他国の発展から学ぶ」という話題に至ったら、ビジネスの世界で生きているキムさんは、「韓国人が日本から学ばなければならない点は、まだまだ沢山ありますが、日本の人たちが韓国から学べることなど全くないでしょう。我々は時々、日本の人たちが半年かけるような仕事を1ヵ月で終わらせてしまったりするものの、日本人が我々のやり方を知らないわけじゃありません。リスクを恐れてやらないだけです。・・・」と日韓のビジネス・スタイルを比較した後、「そういえば、今回、私が少し働きかけたら、韓国の機関がアリさんを招待することになったけれど、こういうのも日本の場合、手続きにもっと時間が掛かったでしょうね。我々の場合、アリさんの研究テーマが有益なものだと判断すれば、あとは早いんですよ。ハハハハ」と高らかに笑っていました。

私はキムさんのところを後にしてから、アリ・エルさんに連絡しようと思って手帳を捲ってみたけれど、電話番号は見つかりませんでした。もう長いこと連絡していなかったように思います。それで、友人のアリ・クルチさんに電話したところ、「なんだもうイスタンブールに戻っていたのか。それなら直ぐに会おう」と言い出し、結局、“新聞記者協会のボスポラス海峡船上パーティー”まで御一緒させてもらいました。

アリさんは、これまでにも機会ある毎に記者協会のこういった集まりに私を誘い、周囲の人々へ「日本のジャーナリストです」なんて紹介したりします。私が恥ずかしがっていたりすると、「君はホームページに色々書いているんだろ。妙に遠慮したりしないで、“ジャーナリストです”って言ってれば良いんだよ」なんて発破をかけてくれるものの、アリさん自身は日本語が解るわけじゃないから、ホームページに何が書かれているのか知る由もないのです。

“ボスポラス海峡船上パーティー”では、アリ・エルさんとも久しぶりに語り合ったけれど、彼が韓国の近代史を実に詳しく調べ上げていることに驚かされました。アリ・エルさん、韓国の次は、日本の近代化についても是非調べてみたいと意欲的でした。