Diary 2009. 5
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5月27日 (水)  豚インフルエンザ

今月は地方へ出かけていたり、風邪で寝込んだりして、気がついたら今日になるまで全く“便り”を更新していませんでした。この風邪、先ずは急に高い熱が出て始まったから、おそらくインフルエンザだったと思いますが、私自身、およそ流行に敏感な性質とは言い難いので、多分、巷で騒がれている“新型”とかではなかったでしょう。

この“新型”、トルコでは“豚インフルエンザ”と言われていますが、今のところ2人の感染者が発見されただけで、それほど騒ぎにもなっていません。

トルコは国民の殆どがイスラム教徒であり、豚肉は一般的な食材ではないけれど、トルコ国内でも僅かながら養豚が行なわれ、一部の大手スーパーでは、“注意! 豚肉”の大きな表示と共に、ベーコン等の豚肉加工品も販売されていました。しかし、一昨日、そういった大手スーパーを覘いて見たところ、何処にも豚肉加工品は見当たりません。おそらく店のほうで販売を自粛しているのでしょう。それでも、下記のようなギリシャ正教徒が営んでいる“豚肉専門店”では、営業そのものを自粛するわけには行かないから、平常通り営業を続けています。

Yeni Ideal
http://www.idealsalam.com/

この店で、豚の燻製を少しだけ買い求めながら、それとなく経営者の方に話を伺うと、「いや別に何の圧迫も受けていませんよ。猪の肉も入荷していますが、どうですか?」なんて勧められたけれど、良く見たら、以前は入口の所に掲げられていた“豚肉の部位説明図”が片付けられていました。まあ、口には出さなくても、結構、周囲に気を使っているのでしょう。

しかし、やはり国民の多くがイスラム教徒であるエジプトでは、少数派のコプト教徒が飼育する豚35万頭を全て処分する決定が下され、大きな問題となっているようです。

エジプト「インフル対策」豚処分に反発 コプト教徒と警官隊衝突
http://news.biglobe.ne.jp/international/179/san_090505_1790591736.html

この記事を読んで、思わず身震いがしたけれど、トルコのイスラム教徒がこういった過激な反応を示すとは、とても考えられません。エジプトとトルコでは、宗教に対する態度が相当異なっているように思えます。

いつだったか、トルコではかなりイスラム的とされているザマン紙を読んでいて、その宗教解釈に少々驚かされました。ちょっと正確には覚えていませんが、宗教の質問コーナーで、「市販されている一部の薬品や化粧品に、豚から得られた物質も使われている可能性があると聞いていますが問題はないでしょうか?」という読者の問いに対し、イスラムの導師は、「豚から得られた物質が使われているという確証があるのなら、その薬品や化粧品を使用するのは止めるべきでしょう。しかし、一部に使われている可能性があるかもしれないと言うのであれば、貴方が購入した製品に使われている確証はないのだから、使用しても問題はありません」というような回答を示していたのです。

また、こんな話をすると、敬虔なイスラム教徒の方はムッとされるかもしれませんが、10年ほど前、敬虔なトルコの友人と以下のような会話を交わしたことがあります。

「イスラム教徒がラマダン月の断食を実践する場合、日没まで飲食をしてはいけないのですね?」
「そうです。日没まで飲食をしてはいけません」
「それでは、北欧の白夜の国に住んでいるイスラム教徒はどうしたら良いのですか? 白夜の季節、日は沈まないはずですが・・」
「それは、北緯〜度の日没時間に合わせて行なえば良いのです」(別に驚きもせず、平然と北緯〜度の部分の数字も明らかにしました)
「しかし、そんな話は聖典に記されていないでしょう? 日没しないのに飲食したら拙いんじゃありませんか?」
「でもね、食べないでいたら死んでしまいますよ。死んでしまってどうするんですか? 宗教は、人間がより良い生活を送る為のものなんです」

この“宗教は人間がより良い生活を送る為のもの”という言い方ですが、トルコでは様々な状況で頻繁に使われ、宗教に対する柔軟な解釈の根拠になっているように感じられます。この解釈に基づけば、自爆テロなどナンセンスの極みと言えるでしょう。

先月の上旬、アフガニスタン出身のウズベク人が経営する食堂で、やはり10年前にアフガニスタンから移民して来たという初老のウズベク人男性ズィヤーさんと相席になり、その如何にも敬虔なムスリム教養人といった雰囲気のズィヤーさんと、食事の後、お茶を飲みながら暫く話しました。ズィヤーさんは近くにあるモスクで祈りを捧げてから食堂を訪れたようです。

「10年前、私はタリバンの迫害を受け、アフガニスタンを去らなければなりませんでした」とズィヤーさんは言います。それまではカブールの大学でペルシャ文学を教えていたそうです。「タリバンはイスラムじゃありません」と断じていましたが、トルコの基準からすれば、ズィヤーさんも少し信心深い部類に入るのではないでしょうか。

それから、「トルコも様々な民族的要素が複雑に混淆しているのに、何とか纏まっているのはどうしてだろう?」という話になり、私が「トルコ人は中間の道を見つけるのが巧いのではありませんか?」と申し上げたところ、ズィヤーさんはニッコリ微笑んで「宗教でもそうだね。トルコ人の宗教は決してラディカルなものにならない、ちょうど巧い具合に落ち着くんです」と話していました。