Diary 2009. 4
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4月12日 (日)  メソポタミア文化センター

先月行なわれた統一地方選挙、政権与党のAKPが得票率を落としたことも話題になったけれど、南東部のクルド人地域で、クルド系政党のDTPが見せた大躍進は、それ以上に注目を集めたかもしれません。DTPは、この地域の中心的な存在と言えるディアルバクル県において、65%という記録的な得票率で現職のバイデミル氏を再び知事の座につけました。

AKPの支持者であるディアルバクル県出身の友人がこれについて何と言うのか気になるものの、以来、未だ会って話す機会に恵まれていません。

一方で大躍進したDTP支持者の意見が聞きたいのであれば、イスティックラル通りにある“メソポタミア文化センター”のカフェへ行ってお茶を飲むだけでも、そこに集まってくるDTPの支持者たちから色々な話が聞けるでしょう。しかし、数年前、何度かここに出かけて彼らの話を聞いた時は、その主張に賛同の意を表さずにいると、すーっと引かれてしまい、そこから先には話が進まなかったので、何となく興醒めに感じて、暫く足が遠のいていたのです。

ところが、昨日、他の用事があってイスティックラル通りへ行き、用事を済ませて戻る途中、トイレに行きたくなって、周囲を見渡したところ、ちょうどそこが“メソポタミア文化センター”の真ん前だったので、これも何かの縁と思い、久しぶりにカフェの戸をくぐり、トイレを借りて、その近くの席に座ったら、早速、私と同年輩のインテリ風な男性に声をかけられ、延々3時間近く話し込んでしまいました。

私たちが話し始めると、周りに色んな人が集まってきたけれど、最後まで長々と付き合ってくれたのは、最初に声を掛けてきたビトゥリス県出身と、少し後になってやってきた、やはり同年輩と思しきムッシュ県出身の男性でした。

“ビトゥリス氏”は、「・・・何故、クルド人が独立した国家を持ってはならないと初めから決め付けるのか? 我々にも独立国家を希求する当然の権利があります」といった、かなりラディカルな主張も織り交ぜて話しますが、私が少々トルコ政府寄りの意見を述べても、すーっと引くこともなければ、興奮して自分の主張を繰り返すこともなく、時々、全く関係のない話に脱線しながら、楽しそうに付き合ってくれました。

“ムッシュ氏”は、ビトゥリス氏に比べれば遥かに穏健な思想を持っていたようだけれど、「・・・ある民族が抑圧を受けて、合法的には何一つ民族的な意見を主張することが出来なくなれば、後はラディカルな手段に訴えるよりないでしょう?」と私に問いかけながら、「これまでの不幸な武力衝突がなければ、現時点に辿りつくことはなかっただろうから、武力行使に出た人々を“テロリスト”といって片付けるわけにはいきません」と語っていました。

「私たちはトルコ人のように後からアナトリアへやってきたわけではない。有史以来、現在の居住地域で暮らしてきたのです」という彼らの意見に対して、「トルコ人と言われている人々だって、中には中央アジアから来た人たちがいるかもしれないけれど、その殆どは昔からアナトリアで暮らしてきた民族の子孫なのではありませんか?」と尋ねたところ、ビトゥリス氏は「その通りです。確かにトルコ人というのは様々な民族の寄せ集まりでしょう。しかし、彼らはモザイク状に散らばっていて、例えばラズ人が何処かで一つの独立国を創ることができますか? でも、私たちは特定の地域でかなりまとまった人口を有しているんですよ」と答えて、クルド人は決してこの国のマイノリティーではないと明らかにしていました。

さらに、ビトゥリス氏は、「トルコ人というのは、人工的に造られた民族なんです。その創造を主導した人々の中には、様々に異なる民族的な出自を持つ人たちがいました」と続けたので、「クルド人もいましたよね?」と訊いたら、「そうです。いましたね」と笑い、「しかし、この新しい民族の創造は余り巧く行かなかったんじゃありませんか」と言うのです。

それで、私もついつい「貴方たちが嫌いなAKP支持者の中にも、そういう風に“新しい民族の創造は失敗した”と主張する人たちが沢山いますよ。“我々はトルコ人でもクルド人でもないムスリムである”と言ってます。これはどうですか?」なんて訊いてみたけれど、これには苦笑いするばかりでした。彼らは、もともと左派的な思想の持ち主だから、宗教に対する距離の置き方では、たちまち“トルコ人の左派”と意気投合してしまうのです。

しかし、「AKP政権がクルド問題の解決に向けて示した努力は認めますか?」という私の問いには、ビトゥリス氏も肯いていました。“独立国家を希求するのは当然の権利”と主張するけれど、本人は必ずしも独立などを望んでいるように見えません。『クルド人が独立を望むのは絶対悪であるかのように言うのは止めてくれ』と言いたいのではないかと思いました。

「私たちは民族的な主張の為に投獄されたり拷問を受けたりして来たんですよ。これも全く恨みに思うなというのは無理です。武力衝突でトルコ人にも死者は出たけれど、その何倍ものクルド人が殺されました・・・」と語っていたビトゥリス氏ですが、夜遅くなってカフェを出た時には、「今日は色んな話が出来て楽しかったよ。私たちは日本人である君がクルド人の味方になることを望んでいるわけじゃないからね」と言い、私が「トルコの人々の間でもこんな話が出来るようになると良いですね」と水を向けたら、「いや、もう話せるようになっていますよ」と微笑んでいました。

私も彼らに、「ここに集まるクルド人には、自分たちの主張が聞き入れられないと直ぐに引いてしまう人たちが多かったけれど、今日は楽しかったです」と感謝したら、穏健派のムッシュ氏は、「私も時々ここへ来て同じように感じているよ。ハハハハ」と声を立てて笑っていたけれど、彼は私にクルドの問題ばかりでなく、一人のトルコ国民として、トルコ全体の問題についても熱っぽく語っていたくらいだから、ラディカルな主張を繰り返す人たちには、やはり敬遠されていたのかもしれません。

それから3人で、イスティックラル通りをタクシム広場の近くまで歩いたところ、ビトゥリス氏は「この通りを歩くと気分が良くなるよ。僕は不愉快な気分になったりすると、ここまで来てイスティックラル通りを歩いたりするんだ」なんて嬉しそうに話していました。


4月18日 (土)  李白はウイグル人だった

数年前、東京を訪れたトルコの企業経営者4名と地下鉄で表参道へ向かった時のことです。電車が外苑前駅を出発する際、一行の中では最も規模の大きな会社の若い経営者が、ローマ字で記された駅名を私に示しながら、「あれが駅の名前なの? 可笑しいねえ。クルド語の牛という言葉に良く似ているよ」と笑ったので、私も興味深く感じて、「貴方はクルド語が解るんですか?」と問い返したら、「僕らはマラテヤの出身ですからね。母語はクルド語なんですよ」という話になり、思わず好奇心に目を輝かせたところ、向かいに立っていた中年の経営者が険しい表情で、「こんな所でクルド語の話なんてするなよ」と言い放ち、辺りには一瞬緊張が走りました。

電車が表参道駅に着き、皆、そそくさとした様子で電車を降りて歩き始めると、マラテヤ出身の若い経営者は私の袖を引き、「あんな奴がいるからトルコはなかなか良くならない」と囁いたけれど、その後、夕食の席に付く頃には、蟠りも解け、企業経営者としては少し格下になる“反クルド語論者”の相談にも快く答えていました。「・・・まあ、そういう従業員は保証金でも与えて解雇したほうが良いですよ。法廷に持ち込まれたら、勝ち目はありません。裁判官なんていうのも所詮は給与所得で暮らす労働者だから、どうしても同じ労働者の肩を持ってしまうんだろうね。ハハハハ」。

しかし、この若い経営者も決してクルド人の民族運動を支持しているわけではなかったし、「貴方は何人ですか?」と問われれば、おそらく当たり前に「トルコ人ですよ」と答えたでしょう。また、“反クルド語論者”の経営者がエスニック的にはクルド人であったとしても全く不思議ではありません。民族意識を持たない、単にエスニック・ルーツがクルドである人まで含めれば、トルコ全土でクルド人はいったいどのくらい存在しているのでしょうか。

一定のエスニック・ルーツに基づいた民族ではない“トルコ人”の場合、その風貌は様々であり、どれが“トルコ人らしい顔”かと言われても困るけれど、クルド人に関しては、一般的に“クルド人らしい”と思われている顔があります。髭や眉毛の濃い如何にも中東的な面立ちです。そうは言っても、これが全てのクルド人に当てはまるわけではなく、真っ白い肌に青い目、ブロンズの髪を持つクルド人も珍しくありません。

3年ほど前、アディヤマン県出身の“クルド人”である友人が、イギリスへ行くことになり、以前、イギリスで暮らした経験がある黒海地方出身の“トルコ人”に色々尋ねたら、その黒海地方出身は、アディヤマン県出身の顔をしげしげと見ながら、「俺はお前が羨ましいよ。お前の顔で黙っていれば、西欧の人間と見分けがつかないだろう。でも、俺のこの顔じゃあ、まるで“中東から来ました”って顔に書いてあるようなものだから、色々嫌な目にもあったよ」と言って寂しそうに笑いました。

黒海地方出身のエスニック・ルーツが何だったのか良く解らないものの、彼のような中東顔の“トルコ人”はざらにいるし、真っ白い肌に青い目、ブロンズの髪を持つ“トルコ人”も少なくありません。逆に、テュルクメン人やウイグル人のような“原トルコ人”に近い風貌のトルコ人は探すのが大変でしょう。

前回の“便り”でお伝えしたクルド人の“ビトゥリス氏”は、「トルコ人なんて言わないで“アナトリア人”と言っておけば、私たちは皆アナトリア人なんですよ」とも話していました。これに対して、『それでは、単なる名称の問題だったのですか?』と訊いてみたくもなったけれど、“トルコ人”をエスニック・ルーツに基づく民族へ仕立て上げようとするトルコ民族主義者たちもその矛先を収めようとしないから、その対立は解消されるはずがありません。

いつだったか、トルコに住むウイグル人の友人が、「李白はウイグル人だった」なんて言い出したので、思わず呆れたような顔をしたら、彼は次のように説明してくれました。「これは、私たちウイグル人が主張しているわけじゃなくて、最近、中国の教科書にそう書いてあるらしい。中国人は恐ろしい人たちだよ。つまり“李白はウイグル人だったのに、中国の文化に偉大な足跡を残した。貴方たちもどうぞ中国の文化に足跡を残してください”という意味なんだ。トルコ人ではない人までトルコ人にしようとする矮小なこの国の連中とは比べ物にならないね」。