Diary 2009. 1
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1月1日 (木)  祝2009年

明けましておめでとうございます。

新年をヨーロッパ側のニシャンタシュという街で迎え、3時近くになって家へ辿り着き、今朝は9時まで寝ていました。ここ数日の間、イスタンブールは雨が降ったりやんだりで、新年を迎えた時も雨がチラついていたのに、今朝は雲一つ無い好天となり、まさに正月晴れといった感じです。

昨日の夜8時ぐらいに家を出て、ヨーロッパ側のタクシムへ向かうバスに乗ったら、バスは新年祝いに出掛ける若者たちで一杯でした。今年は、イスラエルの事態を重く見て、タクシム広場における恒例の新年カウントダウンは取り止めになったという話を聞いていたし、雨も降っていたから、人出はそれほどでもないだろうと思っていたけれど、満員バスに揺られてタクシムへ来てみると、広場の周辺は既に多くの人たちでごった返していました。

タクシム広場のカウントダウンは取り止めになったものの、隣接するシシリー区のニシャンタシュでは、カウントダウンが行なわれるというので、11時過ぎてからそちらの方へ移動したところ、ニシャンタシュの中心街は交通が遮断され、一角には舞台も設けられて大音量のロックが鳴り響き、周囲にはもう缶ビールを片手に盛り上がっている若者たちもいます。街路の上には“祝新年・区長ムスタファ・サルギュル”という横断幕が掲げられていました。

生ビールやホット・ワインを売る露店も出ていて、私も初めてホット・ワインを試して見たけれど、シナモンの香りがして、なかなか洒落た味でした。

カウントダウンが始まる頃には、通りのずっと向こうまで尽きることの無い大群衆となり、昨年末の“便り”で御紹介した“Memleketim(我が祖国)”が歌われたりした後で愈々カウントダウンが始まり、年が明けると同時に花火が打ち上げられ、辺りは興奮の坩堝と化し、人々は熱狂的に共和国の賛歌である“10周年行進曲”を歌い、新年の幕開けを祝したのです。

まあ、今年は世界的な経済危機もあって、多難な1年になるかもしれないけれど、この熱気で何とか乗り切ってもらいたいものだと思いました。

2009年の“メルハバ通信”も宜しくお願いします。


*10周年行進曲
10. Yil Marsi
http://jp.youtube.com/watch?v=4OybJlQYQMk

【209】人類初の共通の祝祭【ラディカル紙】【2009.01.02】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00209.html



1月4日 (日)  TRTでクルド語放送始まる。エルドアン首相のメッセージ

2009年が幕を明けたトルコで、最も大きなニュースは、やはり国営放送のTRTがクルド語による放送を開始したことではないでしょうか。

オープニングの放送においては、エルドアン首相のメッセージがクルド語の吹き替えによって伝えられ、最後のところでは、エルドアン首相がトルコ語で、「TRT6に幸あれ(テ・レ・テ・アルトゥ・ハユル・オルスン)」と言った後に、クルド語で「テ・レ・テ・シェシ・ビ・ヘイル・ベ」と同じ意味の言葉を繰り返しているところが聴かれます。

TRTがクルド語放送を開始したのもさることながら、トルコの首相が国営放送でクルド語によって国民へメッセージを伝えたというのも画期的な出来事であるに違いありません。

以下は、その場面が御覧になれる“YouTube”のクリップです。スタジオの女性司会者がクルド語で何か話してから、スタジオ奥の画面にエルドアン首相が映し出されます。

また、エルドアン首相のメッセージには、トルコ語の字幕も付いていたので、これを日本語に拙訳してみました。メッセージに込められた理想が実現するよう、私も心から祈ります。

Basbakan Recep Tayyip Erdogan TRT6'ya konustu
http://jp.youtube.com/watch?v=MsdvhRUY1Ww&feature=related


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親愛なる国民の皆さん、まず始めに、私はTRT6によるクルド語放送の開始を非常に重要な展開であると考えています。これは、私たちの共同と統一をさらに強化し、民主主義を深める一歩であります。

憲法で明らかにされているように、トルコ共和国は、民主主義、政教分離主義、そして福祉に基づく法治国家です。全ての国民が平等の権利、自由を有しています。民主主義の環は広く、この中には全ての人々が自分自身を表明する権利と可能性が含まれています。クルド語の放送はその最も素晴らしい例の一つです。TRTによるクルド語放送は、クルドをルーツとする国民の帰属意識をさらに高めるでしょう。

私たちの間で、エスニック・ルーツや生活スタイルはそれぞれに異なるかもしれません。しかし、忘れてはならないことがあります。私たちを一つに結び付けている強い共通の価値観があるのです。これの先頭にはトルコ共和国の国民であることが上げられるでしょう。私たちを一つに結び付けている絆は、人種であるとか血縁の絆よりも優れた丈夫な絆であると言えます。ですから、お互いの相違を恐れることはありません。共通の価値観はそれよりも多く、遥かに力強いものです。

分離主義や差別、疎外、狂信的な民族主義の危険に対し、国民の一人一人が各々をもっと知って理解するように努め、さらに親密になろうではありませんか。繁栄と自由の敵であるテロや暴力に対し、民主主義をさらに発展させましょう。

言葉は、コミュニケーションの手段であり重要なものですが、さらに重要なのは、それによって伝えられるメッセージです。TRT6のクルド語放送により、国民の為の共同、統一、友愛のメッセージが伝えられることを信じています。民主主義の自由な声として、人間の尊厳を高め、平和と安定を育み、差別や疎外ではなく、お互いを結びつけるものになるでしょう。

これは私たちの民主主義が発展し深まる為に役立つでしょう。国民の価値観に配慮した家族で楽しめるチャンネルとして、文化、芸術、音楽、娯楽の番組、映画やドキュメンタリー、ニュースや討論番組により、老若男女を問わずに全ての国民を対象にしていることは、非常に重要であると思います。

まずクルマンチ方言より始めて、その後、ザザ方言、ソラーニ方言でも放送を行なう予定です。そして、2009年には、TRTでアラビア語とペルシャ語による放送も始まります。TRTが、自国民のみならず、隣国でアラビア語やペルシャ語の放送を視聴する人々にも呼びかけるようになることは、トルコの地域における影響力と魅力を高めるでしょう。平和と安定の為に、私たちが進めている努力へ、積極的な外交は真摯な影響をもたらすでしょう。

最後に、多言語によるTRTの放送が、偉大な国家と自信に溢れた国民である私たちに、私たちの民主主義に、相応しいものであることを大きな喜びと共に祈ります。そして、今後、末永く続く放送事業においての成功を祈ります。この仕事に携わり、努力してきた全ての皆さんを祝福します。TRT6に幸あれ、“TRTシェシ・ビ・ヘイル・ベ”。
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1月5日 (月)  子羊の煮込み“ハシュラマ”

この6年ぐらいの間に、驚くほど物価が高くなったトルコで、私が最も身近に感じるのは、外食の値段の上がりようです。昨年のトルコ・リラ(TL)が強かった時期などは、日本よりも遥かに高いのではないかと感じていました。

昨年の後半から、トルコ・リラは弱くなり、異様な円高となっている為、最近は円に換算すればそれほどでもないけれど、やはり滅多に外食などできるものではありません。

それで、昼外出中に腹がへった時は、大概の場合、露店のサンドウィッチのようなもので済ませているものの、タクシムの近辺であれば、以下の“便り”で御紹介した安食堂へ足を延ばしたりしています。

2004年12月の“トルコ便り”− 安い・美味い・早い(12月16日)
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2004&m=12

この辺りは歓楽街になっていますが、周辺には一人暮らしの若者なども多く、イスタンブールでこれほど安い食堂が集まっている街区は他にないかもしれません。

トルコでは、人々が家族で暮らして、夕方は皆家に帰って食べるのが当たり前だから、庶民的な住宅街の近辺などへ行っても、却って安い食堂は見つからないのです。外食というのは、たまに家族が揃って楽しむ贅沢となっているのでしょう。

私も今年になってから、未だ一度も外食はしていません。昨年は、暮れの29日にタクシムへ出たので、例の安食堂で“ハシュラマ”という御馳走を頂き、それが外食の食い収めとなりました。

ハシュラマは、子羊の肉を塩味でぐつぐつと柔らかく煮込んだだけのシンプルな料理ですが、実に美味な、トルコらしい料理じゃないかと私は思っています。

ちょっと小奇麗なレストランへ行くと、このハシュラマに8TLぐらいの値段がついているけれど、安食堂ではこれが3.5TL、今のレートで250円ぐらいです。味は、8TLのところで食べても、それほど変わらないのではないでしょうか。トルコのレストラン、高いところは、トイレが綺麗になって、従業員の態度が良くなるけれど、料理の味が格段に変わることは、余りないような気がします。確かに、高くてそれなりに美味しいレストランもありますが・・・。

あの安食堂は、そもそもトイレが付いていません。従業員の態度もざっくばらんなものです。でも、一昨年だったか店を改装して随分小奇麗になりました。いつ行っても混んでいるから、結構儲かっているのでしょう。

昨年、未だ暖かかった頃に、そこで“トュルル”という野菜煮込みを食べていたら、前の席に割りと身なりの良い初老の男性が腰掛けてハシュラマを注文したけれど、このおじさん、直ぐに出て来たハシュラマを見るなり、「なんでこんな皿に盛ってくるんだよ。まったく、盛り付けの仕方も知らないんだから困ったもんだよなあ」と薄笑いを浮かべながら、ぶつぶつ文句を並べました。

おじさんは零落してしまった元金持ちだったのでしょうか? 値段を考えれば、どんな皿に盛られて来ようと文句は言えないと思います。私は文句を並べるおじさんを見ながら、『皿を食べるわけじゃあるまいし』と言いたくなってしまいました。しかし、おじさんも食べ始めてからは文句を言わなかったところを見ると、味には不満がなかったようです。


写真はその“ハシュラマ”ですが、高級店ではどんな皿に盛られて来るのか、ちょっと思い出せません。

20090105-1.jpg



1月7日 (水)  トルコのニューハーフ

【210】トルコのニューハーフ【ミリエト紙】【2009.01.06】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00210.html

という記事を訳してみました。ジャーナリストのファティフ・テュルクメンオウル氏が、イスタンブールで暮らしているニューハーフのエスメライさんにインタビューしています。

エスメライというのは女性の名前だけれど、トルコでニューハーフや性転換して女性となった元男性の中には、男の名前をそのまま使っている人も結構いるようです。この記事の中に“シャーバン”という人が出てきますが、これも歴とした男の名前だから、“シャーバン姉さん”という言い方は、なんとも奇妙で堪りません。

性転換して女性となった歌手のビュレント・エルソイもそうですね。ビュレントは男の名前なのに、何処でも“ビュレント・アブラ(ビュレント姉さん)”と呼ばれています。“太郎姉さん”といったところでしょうか。

しかし、トルコ語には、男女ともに使っている名前も少なくありません。オズギュルとかデニズという名前は、男性にも女性にも見られるように思います。

また、セイハン、デルヤといった名前は、一般的に女性の名前とされているようだけれど、男性の名前に全く用いられないわけではありません。

クズルック村の工場には、デルヤという優秀な男性のエンジニアがいました。彼は日本へも何度か派遣されていますが、いつだったか、渡航を前にして、航空券を手配する総務課のトルコ人女性に電話をかけると、横で聞いていても少々しつこく思えるくらい、「デルヤという名前の男であること強調しておかないと、代理店の連中は“Ms”でチケットを発行してしまうから気をつけるように・・・」と繰り返していたのに、届いたチケットを見たら、見事に“Ms”となっていました。「こん畜生!」と叫んで、総務課に向かってダッシュして行くデルヤ氏の後姿を、私も『頑張れー』と応援しながら見送ったものです。

トルコにおける男女の名前事情はこんな感じですが、トルコ語では、男女の言葉使いにそれほど違いはありません。もちろん、イントネーションは微妙に違うものの、明らかに女言葉と言えるものは余りないような気がします。“アイー”という感嘆詞ぐらいでしょうか、思い当たるのは。この“アイー”を男が使ったら、かなり妙に聴こえるはずです。

一度、靴屋さんの店内で、ニューハーフという程には女性っぽく見えない“オカマさん”といった感じの人が店員と話しているのを横で聞いたことがあったけれど、この人は野太い声で盛んに“アイー”を連発していました。

また、昨年の11月頃だったか、映画等にエキストラを配給している会社を訪れ、入口に近いソファに腰掛けて順番を待っていたところ、入口のドアが開いて、妙齢の女性が姿を現したから、しょうもない中年男のサガとして素早く視線を向け、『なかなか別嬪じゃないか』と思わず鼻の下を伸ばしたら、その別嬪さんがニコッと微笑んで会釈したので、こちらもニコッと微笑んで見せました。まあ、中年男がだらしなくニヤッとしたようにしか見えなかったかもしれませんが・・・。

それから、この“女性”は直ぐ向かいの部屋に入って行き、そこの人たちへ楽しそうに撮影の様子を話し始めたのですが、驚いたことに、それは野太い男の声でした。この人は、“アイー”を多用することもなく、ごく普通に話すものだから、視線をそらして話だけ聴いていると、当たり前に青年が話しているようにしか聴こえません。何だかとても不思議な感じがしました。


1月8日 (木)  才色兼備のトルコ女性

トルコでは学歴重視が芸能界にも及んでいるようです。コメディアンでさえ、芸術学部のコメディ科を卒業していたりするし、昨年末の“便り”で御紹介したクラッチという“アナトリア・ロック・ミュージシャン”も大学の音楽科を卒業しています。

Kirac - Ask Masali
http://jp.youtube.com/watch?v=raeg1vNfFek

しかし、こういった状況は欧米にも見られるそうで、日本が少し変わっているのかもしれません。

テレビの連続ドラマで時々拝見して、『美しい人だなあ』と見惚れていた女優さんが、いつだったか、新聞紙上でインタビューに答えていたので、興味津々に読んでみたところ、「私は大学の演劇科を卒業している」とか、「大学で学んだ知識を職業に活かせる数少ない人間の一人である」とか、「モデルじゃないから、身体をさらして注目を集めたくはない」なんてことが記されていて、何だかがっかりしてしまいました。まあ、トルコと日本では社会的な通念といったものが異なっているから、このぐらいで“がっかり”しては困るでしょうね。

しかし、以下のクリップで真中に座っている女性などは、ちょっと規格外であるような気もします。

http://jp.youtube.com/watch?v=8iO3e63H3n8

チャーラ・クバット、イスタンブール工科大学機械工学科卒業という才色兼備の女性ですが、こういったテレビ番組の司会ばかりでなく、女優からモデルまでこなし、ウインドサーフィンの選手としては、スラローム種目でヨーロッパ・チャンピオンの栄冠に輝いたというから、天は三物ぐらい与えてしまったかもしれません。

しかし、「大学で学んだ知識を職業に活かしている」わけじゃないし、女優としても専門的な教育は受けていないでしょう。おまけに、モデルとしては、かなり際どいビキニ姿まで披露して注目を集めています。しかも、祖父が内務大臣を務めた著名な政治家とあって、家柄も申し分ないようです。

ところで、上記のクリップですが、これは、美しい3人の女性がサッカーについて語るという番組のようだけれど、彼女たちの会話は所々寸断されて繋がっていないし、肝腎なサッカーの場面も全てカットされています。このクリップを“YouTube”に載せた人は、いったい何を見せようとしたのでしょう? なんて野暮なことを訊いてはいけませんね。

最後の場面で、チャーラ・クバットが「・・・3人の女に囲まれることになって、オファーを受けた時に恐いと思いませんでしたか?」と誰かに問い掛けると、「恐かったです」と答える男の声が聴こえるものの、カメラが声の主を捉える前にクリップはカットされている為、その男性ゲストが何者であるのか判然としていません。

多分、サッカーの選手じゃないかと思いますが、「恐かったです」なんて殊勝なことぬかして、羨ましいにも程があります。おそらく、クリップを作製した奴も『羨ましすぎるぞ、こらっ!』とばかり素早くそこでカットしたのでしょう。



1月12日 (月)  滞在許可の延長

今日、イスタンブールの警察署で1年延長された滞在許可証を受け取ってきました。今月の20日以降、ちょっと地方へ行かなければなりませんが、昨年は申請してから受け取るまでに一週間掛かったので、地方へ出る前に片付けて置こうと、少し早めに先週の金曜日に申請を済ませたところ、受取日は今日になっていたのです。

申請の手続きも昨年よりスムーズになっていて、金曜日は10時頃に着いたら既に待っている人がかなりいたのに、午前中で手続きは完了してしまいました。イスタンブールの警察署もなかなか頑張っているようです。

トルコは、現政権になって以来、イスラム化が進んだとか、特に警察の機構に特定の教団が力を及ぼし始めているとか、色々言われているけれど、全体的に見れば、社会の様々な分野で、こういった事務的な処理能力や技術力は確実にレベルアップしているのではないでしょうか。そもそもイスラム化と言われる現象も、教育水準の上昇に伴い、農村の信仰に篤い人々が都市の商工業界へ進出し始めたことが要因の一つになっているようです。

人々の民主主義に対する認識も間違いなく高まってきているでしょう。昨年8月9日の“便り”に、近年、トルコで最も際立った変化を見せたのは、モダンになった一部の宗教勢力とソフトになった軍であるかもしれないと書きましたが、この双方においても民主主義への意識は高まりを見せているに違いありません。トルコが他の中東諸国と同じような状況へ後退してしまうことはないと私は信じています。

もっと急進的な民主主義の発展を望むリベラル派の知識人たちは、軍が擁護しているアタテュルクの権威に宗教の権威、どちらも認めたくないようだけれど、それで社会の秩序は保てるものでしょうか。私には良く解りません。

リベラル派知識人の殆どは都市の富裕層出身ですが、前述のモダンな宗教勢力や軍には農村の出身者も多く、いずれもトルコの実状を良く把握しているように思えます。但し、宗教勢力の一部には、アタテュルクの権威を認めたがらない傾向も見られるから、その辺が政教分離を堅持する上で少し心配なところかもしれません。



1月13日 (火)  封書もカーゴで送るのが常識

最近、利用したことがないので、どうなっているか解りませんが、10年ぐらい前、トルコの郵便局へ小包を受け取りに行ったりすると、怠慢な職員の態度に思わずムッとさせられたものです。何の必要があるのか解らない窓口がいくつも設けられていて、一つの小包を受け取る為には、その間を行ったり来たりしなければなりません。

一度、最後の窓口で、「素晴らしいシステムをお持ちですね」と嫌味を言ったら、「何故?」と惚けられたので、「あちこち歩かされてダイエットの効果があるでしょう」とやり返したけれど、「それなら良いじゃないですか」とかわされ、何の効き目も窺えませんでした。

『こんな郵便局は即刻民営化すべきだろう』なんて思っていましたが、その後、電信の部門は実際に民営化されています。しかし、それは外国資本によるものだったから、かなり反発も見られました。国の電信事業が外資の手に握られてしまうのは余り気分の良いものではないかもしれません。また、電信事業だけが民営化されたのは、こちらは利益が出ていた為に買い手がついたのだそうです。これで良いのでしょうか?

郵便事業の方は、小包の一件ばかりでなく、郵便物の遅配や紛失も多い為、とうの昔から全く信用されておらず、業務に関わるものなら小さな封書一つ送る時も、皆、民間のカーゴ会社を使っています。

郵便局とカーゴと言えば、次のような話を思い出しました。94年の初夏、以前、イスタンブールの学生寮で3ヵ月ほど一緒だった青年から連絡があり、「シルケジ駅近くのディーラー会社に就職したんで遊びにきてくれ」と言われ、彼の新しい職場を訪ねた時のことです。さすがに、もう今では、職場へ勝手に友人を連れてくる脳天気な奴も民間の会社にはいないだろうけれど、当時は未だ職場と我が家の区別がついていない人たちが少なからずいました。

私がそのディーラーのオフィスへ行って彼を呼び出したところ、彼は躊躇う様子もなく私を中へ引き入れ、マネージャーである上司を紹介したけれど、上司は困ったような愛想笑いを浮かべただけでした。まあ、常識のある人だったのでしょう。

それから、彼が私相手に無駄話を始めると、上司は彼を呼びつけ、封書をいくつか渡して、得意先へ送ってくるように命じました。『少し外で話して来い』という意味だったのではないかと思いますが、もちろん彼がそれを悟った様子はありません。

私と連れ立って外へ出ると、真っ直ぐ郵便局へ向かったので、一応、「郵便局で良いの? カーゴで送るはずだよ」と念を押したけれど、彼は私の言うことなど意にも介さず、そのまま郵便局で封書を送ってオフィスへ戻ったら、上司は彼の差し出したレシートを目にするなり、「おい、郵便局から送ってどうするんだ。カーゴで送るに決まっているだろ」と声を荒らげたものの、私の顔を見てまた困ったような愛想笑い浮かべ、それ以上は何も言いませんでした。

さすがに拙いと思って、私が彼に暇を告げたところ、彼も上司に叱責されて意気消沈してしまったのか、素直に応じてくれました。私はその後暫くして日本へ帰国し、彼とはそれ以来会っていません。無事にあの会社で仕事を続けられたのか少し気になります。




1月14日 (水)  北の国からやって来た女性たち

昨日の“便り”で御紹介した青年とは、92年にイスタンブールの学生寮で3ヵ月ほど一緒になって以来、全く会う機会もなかったけれど、94年に黒海地方を旅して、トラブゾンの街中を歩いていたら、突然「マコト、マコト」と呼び止められ、驚いて振り向くと、あの青年が嬉しそうに近づいて来るところでした。彼は郷里であるトラブゾンに帰省中だったようです。

私たちはこの偶然の出会いに喜び、近くの店で祝杯を挙げてから、さらに缶ビールを手に黒海が見渡せる海岸へ出て、もう少し飲むことにしました。この時、何処で合流したのか、彼の親戚であるという男も海岸まで付いて来たのですが、この男は既に酔っ払っていて、海岸でビールを飲んだら、完全に出来上がってしまい、「日本の女とやりたい」とか「直ぐに日本の女を紹介してくれ」などとしつこく絡んだ挙句、宵闇の黒海へ向かって、「女とやりたい!」と絶叫する始末。その後、ホテルまで私を送ってくれた青年は、「あんな酔っ払いを連れて行くべきじゃなかった。申し訳ない」と何度も謝っていました。

しかし、酔っ払って「女とやりたい!」と絶叫する男の姿には、当時のトラブゾンに見られた特殊な事情も反映されていたように思います。崩壊したソビエトから黒海沿岸の陸路を伝ってトラブゾンへ流れ込んで来た女性たちは、最も手っ取り早く金になる“仕事”をやり始め、当時、トラブゾンでは何処のホテルへ行っても、そういった女性たちの姿が見られるようになっていました。

新聞の報道によれば、メッカへ巡礼に行った敬虔な老人まで彼女たちに入れ込んで資産を蕩尽してしまったり、農村では女の為に田畑を売却してしまう者もいて、農業が立ち行かなくなったりと大変な騒ぎになっていたようです。

こういった状況を見て、イスラムの立場から警笛を鳴らす人たちの気持ちも解らなくはないけれど、新聞の報道が事実ならば、メッカへ巡礼に行った敬虔な老人も思い止まることが出来なかったのだから、果たして宗教の力だけで解決できるものでしょうか?

最近は、旧ソ圏も東欧諸国も経済水準が上がって、トルコで春を売ろうという女性も余り見られなくなったようですが、90年代の初めは、イスタンブールにもこの手の女性たちが溢れていました。

93年頃、1ヵ月ほどヨーロッパ側旧市街のチャパという地区にある安ホテルに逗留していた時には、このホテルのロビーで毎日のようにロシアやウクライナから来た女性たちと顔を合わせたものです。といっても、彼女たちは私と同じように、この安ホテルに逗留しているだけで、“商売”は何処か別のところで営んでいるらしく、私のことも『なに、この貧乏日本人?』と全く相手にせず、顔を合わせれば挨拶はするものの、何か話しかけて来るようなことはありませんでした。

ところが、ある日、日本人の友人が市内の最高級ホテルにある日本料理店へ連れて行ってくれたので、有り難く鮨を御馳走になっていると、そこへあの安ホテルのロシア人女性が入って来たから、私もちょっと驚いたけれど、彼女の方は「あっ!」と驚愕の表情を浮かべていました。『この貧乏日本人、なんでこんな所にいるの?』と思ったのでしょう。


【155】氾濫するセックス【ミリエト紙】【2006.06.11】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00155.html



1月20日 (火)  予定が変わって・・・

今日あたりから地方へ出掛けるはずだったけれど、どうやら予定が10日間ほどずれ込んだようです。それならそうと前もって連絡してくれれば良いのに、トルコではその日になってみなければ解らないことが良くあります。

この数日、今日までに使い切れないだろうと野菜等を買い控えていた為、昨日は冷蔵庫に残っていたニンジンだけを油で炒めて食べました。こんな感じで他にもっと残念だったこともありますが、まあ、しょうがないと思って諦めましょう。

先週、以前手掛けた翻訳に改訂の機会が与えられたので、誤訳等の有無をチェックしていたら、これがかなり見つかって情けなくなりました。関係者の方々には大変申し訳ないことですが、次回への教訓にします。覆水盆に返らずで今更悔やんで見ても仕方がありません。

年が明けても、私の身辺は相変わらずパッとしないようです。このホームページも愈々6年目を迎えるものの、なかなか内容を進化させることが出来ずに苦しんでいます。トルコ語もそうですが、日本語もなかなか巧くなりません。しかし、当初、少なくとも5年ぐらい続けられればと思って始めたけれど、これは何とか達成できました。最初にホームページの立ち上げを勧めてくれたばかりか、以降、運営を全面的にバックアップしてくれた34年来の友人安達に感謝します。いつも彼とは「おい!」「なんだ?」といった調子でやり合っているから、こういう改まった言い方をするのも妙な雰囲気ですが・・・。ホームページに限らず、私がこうしてトルコで続けられたことを皆に感謝しなければなりません。ありがとうございます。




1月30日 (金)  ミニバスの運転手さん

先日、ヨーロッパ側のバルバロス大通りで昼の3時頃、ミニバスを止めて乗り込んだところ、入れ替わりに運転手さんの隣に座っていた中学生ぐらいの男の子が降りて行ったので、そこへ座らせてもらいました。ちょうど学校がひける時間だったのか、運転手さんの直ぐ後ろの席にも3人、降りて行った子の同級生と思われる少年たちが座っていて、運転手さんと何やら楽しそうに話し込んでいます。

40歳ぐらいの運転手さんは、こちらをちょっと振り向くと、「いや、今降りて行った子なんですがね。将来はトラックの運転手になりたいなんて話していたから、説教してやったんですよ」と言いながら、私の意見も求めるので、

「日本の場合、昔は運転手で稼いだ金を元手に起業したなんていう話もありましたが、トルコではどうなんでしょう?」と逆に訊き返したら、

「私は18年もこの仕事をやって来て、もううんざりしているんですよ。だから、この子たちに、今からトラックの運転手になろうなんて思っちゃいけないと言い聞かせています。運転手ならば、せめてメトロビュス(専用軌道を走る数両編成のバス)の運転手ぐらいにならないとね。あれは2年制の短大を出ないと資格がもらえないから、少しはましでしょう」と運転手さんは笑っていたけれど、これは私にも少々耳の痛い話です。

少年たちも運転手さんの話を素直に聞いていました。信号待ちの間、一人はわざわざ学校の成績表を取り出して見せ、運転手さんから、「化学も数学も1。酷いねえ、お前。1ばかりじゃないか。ちゃんと勉強しなさい。俺の倅だったら怒るよ」と呆れたように言われても、「おじさんの息子はいくつですか?」なんてませた調子で尋ね、いじけた様子もありません。

「14歳だよ。でも、もっと勉強しているね」
「僕は未だ13歳です」

この返答には、横で聞いていた私も『こりゃ駄目だ』とがっくりしてしまいました。

そのあと、少し先で少年たちは降りて行ったけれど、こんなところが、健全なトルコの社会の微笑ましい一面じゃないでしょうか。大人たちは、他人の子供でも良くないことがあれば注意するし、子供たちもそれを素直に聞くようです。




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