Diary 2008. 8
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8月2日 (土)  ヨーロッパの夢

91年だか92年、初めてトルコにやって来て、未だイズミルにいた頃じゃなかったかと思います。表題に興味を覚えて、「ヨーロッパの夢」という本を書店で買い求めました。やっと辞書を引けば新聞が読めるようになったばかりで、これが始めて購入したトルコ語の本だったかもしれません。結局、前書きぐらいしか読まなかったけれど、いくつかの印象に残る記述を今でも覚えています。

著者はベルギーで教育を受けたトルコ人女性ジャーナリストであり、特派員としてブリュッセルに滞在していた時期もあったようです。ベルギー人の記者たちとブリュッセルからチーズ作りの村へ取材に出掛け、その村の女子高生に「どちらにお住まいですか?」と尋ねられたので、「ブリュッセル」と答えたら、「よくもまあブリュッセルなどで暮らせますね。あそこには猿が沢山いるじゃないですか。あの毛むくじゃらのトルコ人ですよ」と言われて驚いたなんていう思い出が紹介されていました。

この本には、そんな扱いに驚き悲しむ著者が、EU加盟を果たしてヨーロッパと一つになったトルコを夢見る気持ちが綴られていたのでしょう。しかし、冒頭の部分に、「私は幼い頃から受けてきた教育の所為で、トルコの国歌を聴きながら国旗掲揚の場面を見ていると、アタテュルクの顔が思い浮かんで感極まってしまう。こんな私は変だろうか?」というような話が出て来て、『そりゃ、充分に変だよ』と思ってしまい、辞書と格闘しながら読み進めてみようという気持ちが失せてしまいました。

こうして、当初はトルコのEU加盟についても冷ややかな目で見ていたのに、その内、トルコへの思い入れが強まって来ると、いつの間にか私も“ヨーロッパと一つになったトルコ”を夢見るようになっていたのです。

私は1960年生まれで、日本の高度経済成長の恩恵をたっぷり受けてしまったから、トルコの友人たちがその恩恵に浴さずとも良いなんてことは決して考えられません。そして、それは、やはり近代的な民主主義によって達成されると思っていました。

92年にイスタンブールで出会った韓国の人たちが、「トルコって民主主義の国じゃないよね。あのオザルという大統領もどうせ軍人だろう」と話しているのを聞いた時は、『自分たちの大統領は未だに軍人なのに何てことを言うのか? オザル氏は文民だよ』と思わずムッとしたものです。そもそも、いくら当時の韓国軍に比べれば少々鍛錬不足に思えるトルコの軍隊とはいえ、オザル氏ほどに肥え太った軍人なんているわけありません。

その後、日本で出版されたトルコ語の学習書によって、このオザル氏が大統領に就任した時の演説の一部を読む機会があったけれど、ここにもトルコの将来像として「EUの中で確固たる地位を築いたトルコ」といった表現が見られました。今はっきり覚えていませんが、この演説は「・・・この力強い国の、偉大なる国家の、そして、この心熱き国民の大統領になることは私にとって最大の栄誉である。トルコ人と言える者はなんと幸せなことか!」と締めくくられていたと記憶しています。トルコがどれほど強大な国であるかについては疑問が残るとしても、“心熱き国民”は正しくその通りでしょう。

この心熱き国民がEUの中で確固たる地位を築く将来は私の夢となり、口さがない日本の友人たちから「トルコがEUに入れるわけないじゃん」と言われる度に、「トルコはもともとヨーロッパの国なんです」と主張して止みませんでした。だから、2002年に発足した現政権が、保守的と思われていたにも拘わらず「EUへ前進しよう、外資へ門戸を開放しよう」と宣言した時は胸の高ぶりを覚えたほどです。

ところが、この「EUへの前進」は、2005年にEUへの加盟交渉権を獲得した時がピークで、その後は“夢よ何処へ・・・”という状態になってしまうし、「外資への門戸開放」も限度を超えた大開放により、「国そのものが売り払われてしまうのではないか?」という危惧の声が年々高まって来ました。もっとも、私には経済の事情など良く解りませんが、最近の好景気は「やはりバブルっぽい」と実感しています。トルコはグローバリズムの波に飲み込まれてしまうのでしょうか?

この期に及んで、「トルコはヨーロッパの国なんです」と意地を張るのはもう止めたほうが良いかもしれません。まあ、言い訳させてもらえれば、トルコにはEU加盟国としての充分な潜在力があるのに、どうやらEU側はトルコを受け入れたくないようです。それにも拘わらず、「ああでもない、こうでもない」と要求ばかり突きつけてくるのは堪りません。最近は、EU加盟を望んでいた識者の中からも、「そんな要求に応じてはならない」という主張が目立つようになりました。

何とも卑俗な例で申し訳ないけれど、「収入が増えれば結婚してあげる」と囁く高慢な女の為に、せっせと働いて条件を満たしたところ、今度は「髭を剃って、もっとお洒落にしてくれなければ駄目」と言い出し、ハイハイとそれにも応じたら、どんどん要求がエスカレート、仕舞に「私、男は嫌いだから去勢して」と頼まれ、「それじゃあ、何の為に結婚するのか?」という話。まあ、これは冗談ですが、この辺で心を落ち着けてから、冷静に“ヨーロッパの夢”を追うべきであるかもしれません。


8月3日 (日)  シャルキュテリ

街角で食料品などを売っている個人商店は、バッカルとか、ビュフェとか、シャルキュテリとか呼ばれていて、以前はその違いが良く解っていませんでした。

バッカルは食料品の他に洗剤等の日用雑貨も売り、私は時々“雑貨屋”などと訳していたけれど、トルコ語〜日本語の辞書を見たら“乾物屋”となっています。日本の乾物屋さんとは少しイメージが異なるかもしれませんが・・・。

ビュフェは、日本で言う“ビュッフェ”と同じ語源のフランス語に由来し、店の規模がぐっと小さくて、売っているのは菓子や缶詰などに限られているようです。

最後のシャルキュテリですが、これは惣菜も売っている食料品店のことかと思っていたら、辞書には「仏語からの借用(charculterie):ソーセージやサラミなどを売る店」と記されていました。2ヶ月ほど前に、以下のブログを拝見していたところ、「・・・シャルキュルトリ(豚肉加工品)」という言葉が出て来て驚き、直ぐにトルコ語の辞書を引いて見たのです。

http://www.oyatsu-shinpo.com/

そういえば、シャルキュテリという看板を掲げている店は、“スジュク”というトルコ独特のサラミ風ソーセージや“パストゥルマ”というハムのような肉加工品を目立つところにぶら下げていたりします。もちろん、トルコの場合、これに豚肉は使われていないだろうけれど、語源が“豚肉加工品”であったとは意外でした。フランスでは、ハムとかソーセージの類いは殆ど豚肉で作られているのでしょう。そもそも、ハムやソーセージは豚肉で作ったほうが美味しいように思えます。トルコの肉加工品でお勧めなのは、パストゥルマぐらいで、後はスジュクを始めとして、どうもいまいちピンと来ません。

牛や羊の挽肉で作られたスジュクは、焼くと独特な匂いがして、トルコ人の中にもこれを嫌がる人がいます。イズミルの学生寮の経営者もその一人で、寮のキッチンではスジュクの調理が禁じられていました。

ある日、私はそれを知らずにスジュクを買って来てしまい、寮生たちが止めるのも聞かずにスジュクを焼き始めたところ、いくらも経たない内に経営者のメフメットさんが血相を変えてキッチンに乗り込んで来たけれど、コンロの前でフライパンを手にした私を見たら、思わず気勢を削がれてしまったようで、「き、君はそんなものを食べることが出来るのか?」と呆気に取られたように訊き、私が「美味しいですよ」と微笑んでも、これには納得できなかったらしく、「まさか、マコトに作ってくれと頼んだ者はいないだろうな?」とキッチンにいた面々を一睨みしたものの、皆と一緒に私もこれを否定すると、首を傾げながら出て行ってしまったのです。寮生たちは、いつも厳しく注意されていたから、してやったりと大喜びでした。

牛肉製の生ハムといった感じのパストゥルマにも独特な風味はありますが、焼いてオムレツなどに入れても良いし、ワインのアテに生のまま味わえば、これが実に美味で堪りません。また、日本でも良く知られているパストラミは、元来、やはり豚肉を禁忌としているユダヤ人が牛肉で作ったハムであると言うから、このパストゥルマと何処かで繋がっているのではないでしょうか?


写真はカドゥキョイにあるシャルキュテリ。店頭にパストゥルマがぶら下がっています。店内には、上から吊り下げられたスジュクを始め、チーズや缶詰、惣菜などの様々な食品が並べられていました。

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8月7日 (木)  スルタンベイリ

イスタンブールはアジア側の東端に位置するスルタンベイリ区。世俗主義者の間からは、イスラム化傾向の顕著な地域として良くその名があがり、「女性がスカーフを被らずに、ノースリーブ等の肌の露出が多い服装で街を出歩くこともままならない」なんていう話も聞いたので、『どんな所だろう?』と思い、昨日の昼、ふらっと出かけてみました。

区の中心部では、幹線道路の両側に商店が立ち並んで賑わいを見せ、途中、道路が300mほど地下に入った上の部分は区民が集う広場になっています。しかし、広場の辺りは買い物や散策に出歩く人々でごった返していたものの、幹線道路から一つ裏通りに入ると閑散とした雰囲気になり、その先には緑に覆われた丘が迫っていて、市街地はそれほど広くないようです。

人々の様子を見ていると、確かにスカーフを被った女性がかなり多いように感じました。成人女性の8割ぐらいは被っていたかもしれません。なんだかアナトリア東部の小さな地方都市に迷い込んでしまったような錯覚にとらわれます。イスタンブールの中心部タクシムの繁華街であれば、スカーフを被っている女性は2割にも満たないでしょう。

しかし中には、ノースリーブの軽装で颯爽と歩く女性の姿も見られ、そういった女性と腕を組んでいるスカーフ姿の女性もいます。これはイスタンブールの何処にでも見られる光景です。

広場の真中には、真新しいアタテュルクの大きな銅像もありました。銅像の下にはアタテュルクの言葉が記されていて、「主権は制限も条件も無しに国民のものである!」。これは現AKP政権が盛んに引用している言葉です。「我々は選挙によって民意を得ている」と言いたいのでしょう。

それから、両側の商店を注意深く見ていたところ、果たしてアルコールを置いている飲食店はおろか、酒類を売っている商店さえ全く見当たりません。もっとも、昼間からビールを飲もうという魂胆もなかったので、大人しく普通の小さなファーストフード店に入って軽く腹ごしらえしながら、経営者と思しきスカーフ姿の女性と暫く雑談したけれど、この女性に「この辺でビールの飲める店はありますか?」なんて訊いたら失礼にもほどがあるでしょう。ただ、ラマダンに日中営業するかどうかは尋ねてみました。通常通りに営業するそうです。

このファーストフード店を後にして、賑わいの途絶える外れまで来ると、道沿いのビルに「CHP(共和人民党)」と大きな看板が掲げられています。ここならアルコールの件でも何でも尋ねることが出来るに違いありません。しめしめと思いながら、裏通りに面した入口から4階の党事務所へ上がってみました。

事務所には女性二人(もちろんスカーフは被っていません)と男性が3人いて、快く迎え入れてくれたばかりでなく、お茶まで用意してくれた為、結局、ここで1時間近く和やかに雑談。

「街にはスカーフを被っていない女性の姿が余り見られませんね」と訊いたら、「いやあ、これでも最近は少し良くなったよ」と言われました。10年、15年前、丈の短いスカートを着た女性が街を歩こうものなら、周りの男たちからもの凄い目で見られたそうです。

話がアルコールの件に至ると、「それを訊こうと思ってここへ来たのは大正解だね」と笑い、「酒類を売っている店なら、この前の裏通り、直ぐの所に一軒あるし、他にも裏通りを探せば何軒かあります。でも、酒が飲める所となると、区内には全くありません。隣のサルガーズィ区まで行かないとね」と説明してくれました。

共和国は85年に亘って政教分離を推し進め、人々を宗教的な束縛から解き放ち、自立した国民を創り出そうとしたのだろうけれど、それが地方の隅々まで行き渡る前に、地方のほうがイスタンブールへ越して来てしまったということでしょうか。世俗主義者の人々が言う、危機に晒されている“政教分離”が“宗教的な束縛からの独立”という意味であるならば、その危機はイスタンブールなどに限られた話であって、全国規模で見るならば、“政教分離”は危機どころか未だ達成されていなかったのかもしれません。



8月8日 (金)  政教分離

日本の識者の中には、「イスラム教は、シャリーアと言われるイスラム法によって社会を支配する“政教一致”の宗教だから、政教分離も民主主義も不可能である」といった説を論じる方も少なくないようです。トルコは曲りなりにも民主主義を実現させた政教分離の国であり、私はこういった論調を納得しがたいように感じてきました。

しかし、トルコでも、政教分離を守るのは、そんなに容易いことではないかもしれません。国がイスラム法を適用していなくても、教義そのものに信徒の生活を律してしまう要素があるからです。教えに文字通り従おうとするなら、心の中で信じて祈るだけではなく、スカーフを被るとか断食をするといったように、社会生活の中で世間に示さなければならない行為が他の宗教に比べて多く、一層大きな社会性を持ってしまう宗教であるかもしれません。

また、スカーフの問題などで国民投票が行なわれた場合、神の御意志に従って、礼拝を実践し、スカーフを被り、豚肉は食べず、酒も飲まない敬虔な女性たちが投じた票には、民意だけではなく多少なりとも神意が反映されるのではないでしょうか? 

イスタンブールやイズミルのような都会では、例えば、私が親しく付き合っているトルコ人の多くは飲酒も躊躇わないような人たちであり、一部、文字通り教義に従う敬虔な信者がいたとしても、彼らが社会の中で知らず知らずに他の人たちを圧迫してしまうことはないだろうけれど、地方では状況がかなり異なっているかもしれません。

こういった困難にも拘わらず政教分離を実現させる為、トルコでは宗務庁が宗教を管理するという方法が取られています。

宗務庁の長官は、非常に見識の高いイスラム学者であり導師であると共に、政教分離を守る官庁の長でもあるわけです。

大学におけるスカーフ着用を解禁する為の法改正が話題になった時、見解を求められた宗務庁の長官は、私の記憶に誤りがなければ、次のように語っていました。「イスラムの教義によれば、女性はスカーフを被るよう命じられている。しかし、これはあくまでも宗教的な見解であり、国の法律や政府の政策に影響を及ぼすものではない」。

トルコの各モスクを管理する導師は、原則的に宗務庁から任命される決まりになっていて、政教分離を弁えながら礼拝等を執り行うことになっているようだけれど、数多あるモスクの中には、その見識を疑いたくなるような導師もいて、8年ほど前、ある地方の小さなモスクを管理する導師から、以下のような話を聞かされました。

「この前、ドイツ人の40歳を過ぎた男がトルコ人の花嫁を娶ってイスラムに改宗し、ちゃんと割礼を済ませたんだよ。40歳を過ぎているのに、割礼の為に恥を忍んでパンツを脱ぐ。勇気がなければ出来ないね。君は出来るかい?」。

そう話しながら、私を嫌らしい目付きで見て、パンツを脱ぐ動作まで示したのは、なんとも呆れるより他にありませんでした。

また、近年は、宗務庁の任命によるという原則も崩れてしまい、会衆が任命された導師を認めず、特定の教団に属する導師に管理が任されている事例も多くなったそうです。

さて、これもちょっと曖昧な記憶ですが、宗務庁では今の長官になってから、金曜礼拝に各モスクで導師が行なう説教の内容を管理するようになったと記憶しています。

その時の記事を読んで私が覚えている限りでは、長官が就任前、お忍びで街角のモスクに入り、会衆と共に金曜礼拝の説教を聞いていたところ、導師は「子供が〜を食べるとウンチはこんな色になり・・・」といった愚にもつかない説教を続けた為、呆れ果てた長官は静かにモスクから出た後、説教の内容は管理しなければならないと決意し、「西欧のキリスト教の聖職者たちは、宗教はもちろん、他の学問についても高い見識を持ち合わせていて、我々とは比較にならない。EU加盟を果たすためには、この面でも西欧に追いつかなければならないだろう」と明らかにしたそうです。

以前、「政教分離と言いながら、未だに宗務庁がイスラム教の活動を管理している矛盾もある」と記したけれど、実際は、矛盾どころか、宗務庁こそが政教分離の要であり、守護者と言えるのかもしれません。しかし、導師らの見識を高めていかなければ、宗務庁そのものが政教分離を逸脱してしまう危険性はないのでしょうか?


8月9日 (土)  トルコの軍隊

クズルック村の工場にいた頃、同僚のトルコ人青年が「日本には軍隊がないそうだね?」と訊くので、「いや、防衛目的と言いながら紛れもない軍隊があるよ」と答えたところ、「強いのか?」と重ねて問われた為、「さあ、少なくともトルコよりは強いだろう」と言い返してやったら、周りでこの問答を聞いていた“愛国的”な青年たちにワーッと取り囲まれてしまいました。

まあ、自衛隊の実力がどのくらいなのか良く解りませんが、装備などの面ではトルコ軍を圧倒しているのではないでしょうか? それに、65年前とはいえ、日本は悲惨な国家総力戦を戦っているから、おそらく自衛隊にも総力戦等のノウハウは受け継がれているような気がするけれど、トルコはオスマン帝国の時代より、およそ総力戦と言えるほどの戦争は経験していません。

もちろん、愛国的な青年たちを前にこんな話が出来るはずもなく、あの時は前言を撤回してさっさと逃げました。平和な日本でぬくぬくと暮らしてきた私と違い、彼らは皆、18ヶ月に及ぶ兵役を務めて来ている為、国軍を貶めるような発言は絶対に許せないのでしょう。

トルコでは、全ての男子が兵役に就かなければなりませんが、大学を卒業した者は、期間を半分ほどに短縮するか、さもなければ同じ期間を予備下士官として務めることができます。しかし、私を取り囲んだ同僚たちは皆高卒だったから、全員が18ヶ月間をしっかり務め上げたに違いありません。その同僚の一人は、後日、兵役中に接した“大卒のクソ小生意気な予備下士官”が如何に愚図で役に立ちそうもないか、面白おかしく話してくれたものです。

これが、88年に滞在していた韓国の場合、兵役は24ヶ月(近々18ヶ月に短縮されるそうです)と長いうえ、高卒も大卒も同じ条件で厳しい訓練を受けているようでした。ある高卒の韓国人青年は、「厳しくても楽しかった。あの時だけは大卒の奴らと対等に扱われたからだ」と軍隊生活を懐かしみ、出来ればもう一度兵役に就きたいと話していました。

韓国でも、大学生は卒業後に少尉として2年4ヶ月の任官が可能だけれど、これには大学2年までに厳しい体力審査も含まれる難関の試験をパスしなければならないそうです。この為か、私は韓国で愚図そうな士官というのを見たことがありません。皆、完璧な体育会系でした。

これに比べれば、トルコの軍隊は何だか優しい印象を与えるものの、その実、政教分離主義体制の守護者として君臨しながら国政にも影響を及ぼし、高級将校などはまるで特権階級のように思えるほどです。

戦争に明け暮れていた戦前の旧日本軍が特権階級化してしまったのはともかく、まともに戦争などしたこともないトルコの軍隊がここまで偉そうにしているのは如何なものかと、私も長い間納得しがたいものを感じていました。トルコの民主主義、EU加盟を妨げているのは正しくこれじゃないかと思っていたのです。トルコでもリベラル派のジャーナリストたちは、この点で軍を非難する記事を書き連ね、このホームページでもそういった記事をいくつか紹介しています。

しかし、この10年ぐらいの間に、トルコで最も際立った変化を見せたのは、モダンになった一部の宗教勢力とソフトになった軍であるかもしれません。余り変わらなかったのは、イスラム原理主義者とその対極にあるアタテュルク原理主義者といったところでしょうか。

前回お伝えしたように、政教分離がそれほど容易いものではないトルコで、政教分離から逸脱してしまう可能性が最も低い国家機関は、やはり軍に他ならないと思います。軍という閉ざされた世界の中で徹底的に政教分離教育を行なっているからでしょう。他の組織ではなかなかそこまで徹底できないはずです。見識の高い軍のエリート層は、政教分離を熟知しているばかりか、民主主義についても、私のような無学の輩は言うに及ばず、そこいらのトルコの議員などよりも遥かに深く理解しているに違いありません。

もちろん、閉ざされた巨大な組織のことだから、それなりの腐敗もあるだろうし、トルコのジャーナリストがこれに目を光らせて批判するのは当然の責務でしょう。しかし、例えば、私たちがトルコを理解しようとした場合、これまで私が依拠してきたような一方的で曇った視点から見ていたのでは本質を見誤ってしまうのではないかと恐れます。

私がここで至らぬ話を繰り返しても仕方がないけれど、最近、日本の報道を見ていても“トルコの民主化を阻む軍部”といった論調が目立つようになったので、反省も込めてこんな話を試みてみました。

トルコにおける軍の位置と役割は、戦前の旧日本軍とはもちろん全く異なるし、“漢江の奇跡”を主導した後に民主化への道を切り開いた韓国国軍とも余り似ていないのではないでしょうか。やはり政教分離主義体制の守護者であるように思います。



8月12日 (火)  北京オリンピック

いよいよ北京オリンピックが始まっていますが、トルコではいまひとつ盛り上がっていません。トルコの選手も活躍しているのに、サッカーのようには熱くならないようです。お隣のアテネで開催された時も余り話題にならなかったから、遠い中国では尚更でしょうか? 「オリンピックなんてどうでもよい」という雰囲気さえ感じられます。

私もオリンピックで余り熱くなったりする性質ではないけれど、やはり日本選手陣の活躍は気になるから、ネットニュースのチェックは欠かしていません。特に、「ママでも金」は是非にと願っていたので、谷選手の不運にはがっくりしました。夢を果たせなかった谷選手には申し訳ないけれど、「オリンピックなんて銅でも良いのだあ!」とつまらないギャグで、がっくりした気持ちを慰めています。

しかし、北島康介選手は願った通りの結果で万々歳です。日本に帰って北島印のメンチカツが食べたくなりました。食べれば、こんな私にも少しは“喝”が入るでしょうか?

開催地の北京は、子供の頃から訪れることを夢見た都市で、「近いから夢ではないかもしれない」と思っていたけれど、そのずっと先のイスタンブールで暮らすようになってしまい、北京の夢はいつになったら実現するのか解らなくなってしまいました。最近は、イスタンブールの街を出歩いても、物価の高さに悲鳴を上げながら愚痴をこぼすばかり、何だか全ての夢が夢で終ってしまいそうです。情けない。“喝”を入れなければ・・・。

小学生ぐらいの頃、NHKの「中国語講座」で冒頭に流れる“白毛女”のテーマが好きで、これを聴いてから講師の先生が現れ中国語で挨拶して「中国語講座の時間です(中国語会話だったかもしれません。この辺もあやふや)」と言うところまで良くボンヤリ観ていた記憶があります。どういうわけか、あの頃は、その“白毛女”であるとか、ケテルビーの“ペルシャの市場”といったエキゾチックな音楽が大好きでした。今は殆ど聴かないのに何だか不思議な感じです。

後年、中国人の友人にこの思い出を語りながら、講師の先生を真似して「ニーマーハオ、中国語講座の時間です」とやったら、友人はびっくりした顔して、「えっ?」と首を傾げてから、「ニーメンハオじゃなかったの?」と訝しげな表情。私が「そうだったかもしれない。マーだったか、マンだったかと迷ったけれど、メンだったのですね。私にはマンと聴こえたような記憶があります」と答えたところ、友人は笑みを浮かべて、「それなら良かった。ニーマーハオじゃ凄く変な意味になってしまうよ。“貴方のお母さん元気?”みたいな」と教えてくれました。

私はその時、「確かに、“貴方のお母さんは元気ですか? 中国語講座の時間です”だったら凄く変だよなあ」なんて思っていましたが、この“ニーマーハオ”は悪質なスラングで絶対に使ってはならないような言葉なんだそうです。友人はそこまで教えてくれなかったけれど、私がそれを口にした時は随分驚いたことでしょう。

私は今まで、中国へ行って見たいと思いながら、何度か中国語の学習を試みたものの、全て最初の発音の説明で挫けました。中国語は何であんなに微妙な音が多いのでしょう? 私の場合、子供の頃に聴いた「ニーメンハオ」も耳に残らなかったくらいだから、元来、難しい発音は受け付けない性質なのかもしれません。しかし、これまたネガティブな姿勢で情けなくなりますね。やっぱり“喝”が足りていないようです。北島印のメンチカツを食べなければいけません。



8月13日 (水)  人間らしい言葉?

中国語の学習書を開くと、発音を説明するページに、人間の頭部を左右に割って横から内部を覗いたような図解が載っていて、「この発音の時、舌はこの位置でこんな形にして・・・」などと記されていたりするけれど、自分の舌がどうなっているのか気にしながら声を出すのは、容易なことじゃないでしょう。私にそんな芸当は無理ですが、英語の解説書などを見ても同様の図解が現れて、目の前を真っ暗にさせてくれます。

91年の夏、トルコへやって来て、やっと3ヵ月ほど過ぎた頃に出会ったインテリ風なトルコ人のおじさんは、私がトルコ語を学ぶ為にやって来たことを知ると、こう励ましてくれました。「それは良い。トルコ語は、口だけ使えば話せる人間らしい言葉だからね。誰でも話せるようになる。しっかり勉強して下さい」。

私が納得行かないような表情でいると、「例えば」と言って、綺麗な発音で英語のフレーズを口にしてから、「このように、英語は口だけじゃなくて、舌もたくさん使わなければなりません」、それからフランス語らしい単語をいくつか並べ、「ほら、フランス語は鼻も使うでしょ。アラビア語は喉まで使いますからね、堪ったものじゃありません。でも、トルコ語なら大丈夫、口だけで楽に発音できます。人間らしい言葉じゃないですか?」と説明してくれたので、「日本語もそうですよ」と申し上げたら、「それは素晴らしい。すると我々は人間らしい言葉を話す友人同士ということですね」と愉快そうに笑っていました。

トルコ語は日本語に比べれば、母音と子音の数が多いけれど、やはり英語や中国語よりは遥かに発音が楽な言語じゃないかと思います。イズミルのトルコ語教室で一緒に学んでいたオランダ人の若い女性は、「トルコ語を話すと頭が疲れるけれど、口は疲れない。オランダ語は私の母語だから、頭は疲れないものの、口が疲れてしまう」と言い、「オランダ語を母語としない者がいくら勉強しても、決して正しい発音にはならない」と断言していました。

母語の話者でも口が疲れてしまうなんて、いったいどんな言語なのでしょう。江戸時代の先人たちは、テープレコーダーもない時代にどうやって学んだのか、全く頭が下がる思いです。


8月16日 (土)  美味しいハンバーガー

先月、カドゥキョイの街を友人と歩いていたら、「あそこのハンバーガー美味しいから、いつか食べてみなよ」と店を示しながら勧めます。チラッと見たところ、店の前に“ウスラマ・ブルゲル(濡らしハンバーガー)”と記されたハンバーガーの写真が飾ってあったから、この手のハンバーガーの専門店なのかと思い、先週、近くまで来て小腹が減った時にちょっと寄ってみました。

いつ頃からなのか、タクシム辺りで軒を並べているトルコ式ファースト・フード店に“ウスラック・ブルゲル(濡れハンバーガー)”というメニューが登場、これは小ぶりのハンバーガーが加湿器のような所に並べられ、そのハンバーガーは周りにもケチャップが塗られて湿ったようになっている代物で、余り美味しそうには見えない為、ちょっと敬遠していたけれど、カドゥキョイのものはチラッと見た写真も美味しそうだったし、友人も勧めていたから、ものは試しと寄って見ることにしたのです。

店の前まで来ると、そこはハンバーガー屋というより、普通のレストランで、店の前に飾ってあるハンバーガーの写真を良く見たら、“新メニュー”となっていました。“濡れハンバーガー”ブームに乗じて、このレストランでも新しいメニューに加えたのかもしれません。小腹も減っていたし、せっかく寄ったので、そのまま店に入り、「ハンバーガーだけでも良いの?」と訊いたら、店員さんは愛想良く、「どうぞ、どうぞ」とテーブル席を勧め、調理場にハンバーガーのオーダーを通してくれました。

オープンになっている調理場を見たところ、おじさんが全く生の状態のハンバーグを焼き始めます。たまたま作り置きを切らしていたのか、オーダーが入ってから作るようにしているのか、その辺は良く解らなかったけれど、メニューを良く見たら、アイランという飲み物がついて4YTL(380円ぐらい)と結構良い値段なので、味のほうを期待しながらゆっくり待つことにしました。

さて、5分ほど待って出て来たハンバーガーですが、“濡らし”の言葉通り、台になっているパンはかなりしっとりしていて、上に被さっているパンにもトマト・ソースが塗られているけれど、上のパンはソースを塗った後で軽く焼いてあるようで、表面はパリッとしています。一口がぶりとやってみたところ、味は期待を遥かに上回り、『こんなに美味いハンバーガー、いつ食べたろう?』と思えるほどで、アイラン付き4YTLは安いくらいだと納得させられました。

この店は結構有名な老舗らしく、以下のようなサイトもあります。
http://www.adapazariislamakofte.com/index.php


写真左がその絶品ハンバーガーです。真中は、極く一般的な“濡れハンバーガー”で、こちらも思ったよりは、まあまあでした。右の写真は、アイヴァルック・トーストという、これまた最近流行りのファースト・フード。本場のアイヴァルックでは、エジプト豆の酵母を使った特産のパンで作ることになっているらしいけれど、イスタンブールに数多とあるトースト屋で同様のこだわりが守られているのか定かではありません。ケチャップとマヨネーズがたっぷりで典型的なジャンクフードでしょう。まあ、私は、この手の一風変わったサンドイッチであれば、やはりサバ・サンドが最高傑作であるように思います。

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8月23日 (土)  エルバン選手の活躍

【81】エルバンの成功について思うこと【サバー紙】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00081.html

この記事でも取り上げられていたトルコのエルバン選手、今回の北京オリンピックでは、既に1万mで銀メダルを獲得し、昨日は5千mの決勝に出場。私は普段、全くと言って良いほどテレビは観ませんが、昨日は友人のところへ寄った時に、ちょうどテレビの中継が始まったので、思わず身を乗り出すように観戦してしまいました。

この5千m決勝には、1万mでエルバン選手を抑えて優勝したエチオピアのディババ選手が出場していて、優勝が有力視されていたうえ、アテネの金メダリストで同じくエチオピアのメセレト・デファー選手の姿もあり、エルバン選手にとっては難しいレースになりそうでした。

レースは終わりから二周目辺りになると、徐々にこの3人を中心とした先頭集団が形作られ、最後の一周になって鐘が打ち鳴らされるや、申し合わせたように3人ともスパートをかけて飛び出し、息を飲むようなデットヒートを繰り広げます。トルコ人のアナウンサーは、「二人のエチオピア選手に囲まれて、先頭を行く我らがエルバン!」というように叫んでいたけれど、元を正せば全員がエチオピアの出身であるわけです。

スプリントに定評があると言われるディババ選手はさすがに強く、半周を回った辺りからグイグイ引き離しに掛かります。暫く三番手を走っていたエルバン選手は、最後のコーナーを回るところでデファー選手を捉えると、直線に入りながら猛然とスパートをかけ、私は思わず『行けー!』と手に汗握ってしまったけれど、ディババ選手のスパートも凄まじく、差は縮まらずにそのままゴールイン。アナウンサーも直ぐに「トルコのエルバンが二つ目の銀」と称えていましたが、実際、レースの内容と言い、その成果は素晴らしいものじゃなかったでしょうか。

以下のブログには、1万m決勝の模様が記されていますが、陸上競技に詳しい方がお書きになっているようで読み応えがあります。私は拝読しながら感動してしまいました。

静かな生活−北京オリンピック女子10000m〜エルバン・アベイレゲッセ選手(2位、トルコ)
http://blogs.yahoo.co.jp/kilptroops/15123291.html

さて、このオリンピックで、トルコはエルバン選手が二つの銀メダルを獲得した他、男子レスリングの選手が金メダルを手にする活躍を見せたりしたものの、このレスリング選手もエルバン選手と同様に元来のトルコ国民ではなく、ロシアのコーカサス地方出身で3年前にトルコ国籍を取得したと言います。

15歳の時にトルコ人となったエルバン選手が、レース後、笑顔でトルコ語のインタビューに答える姿は充分にトルコ人らしかったけれど、かのレスリング選手は通訳を介してインタビューに答えていたそうです。

また、卓球で日本の福原愛選手と対戦したメレッキ・フーなるトルコ人選手も、昨年、中国からトルコに帰化した選手だと言うから、いったいトルコのオリンピック代表選手とは何なのだろうと首を傾げたくなってしまうでしょう。

しかし、トルコにはオスマン帝国の時代からデヴシルメといって異教徒の子弟を帝国の軍人や官僚として育成する制度があり、国民の間でも血統に対する意識が我々日本人とは比較にならないほど希薄である為、こういった外国出身の選手もそれほど拘りなく受け入れてしまうのかもしれません。トルコの人々は、他所からの移民を余り抵抗なく受け入れるばかりでなく、自分たちも抵抗なくドイツやアメリカへ移民してしまいます。遊牧民の伝統が成せる業でしょうか。


8月30日 (土)  ビールが最高に旨い季節

イスタンブールは日中相変わらず暑いものの、朝晩にはすーっと涼しくなるようになりました。ビールが最高に旨い季節はそろそろ終わりかもしれません。

それに、来週からは愈々ラマダンの断食も始まります。以前、同じイスタンブールでもジハンギルやオルタキョイに住んでいた時は、ラマダンが始まったからといって格別何も気にしていなかったけれど、今住んでいる街には保守的な人たちが多いし、以下の記事が伝えているように、アンカラでは酒類販売店が公安官に襲われるという信じ難い事件もあったから、『さて、この街のラマダンはどんなものだろう?』と否が応でも気になってしまいます。

【197】酒は悪事の母である【ラディカル紙】【2008.08.23】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00197.html

私がこの辺で夜遅くにビールを買い求めるのは、200mぐらい先にある小さな店か、さもなければバス停から歩いてくる途中にある食料品店で、いずれも夜中の1時ぐらいまで営業していて非常に便利です。

バス停の方の店は、家族による経営らしく、時々、愛想の良い綺麗でモダンな娘さんが店番しているものの、私が彼女に用件を伝えていると、必ず奥から恐い顔したおばさんが出て来て、私を一睨みしてからビールを持って来てくれたりします。おばさんはいつも田舎風に髪の毛が見えてしまう形でスカーフを被り、勘定を受け取りながら「ありがとう」と言う時でさえ、にこりともしません。

娘さんの美しさを見ると、このおばさんから出て来たとはとても考えられない為、おばさんは娘さんの母親じゃなくて姑であるような気がします。まあ、あのおばさんなら無法な公安官からも店と家族を守り抜くのではないでしょうか。

一方、近所の小さな店は、小柄なおじさんがいつも一人で店番していて、このおじさんは12時過ぎれば大概ほろ酔い加減になっています。それで、ビールだけじゃなくてポテトチップとか余計なものを買ったりすると、値段が思い出せないのか、商品を手に取って眺めながら「うーん」と唸ったりして勘定もままなりません。これでは公安官に襲われたら、ひとたまりもないでしょう。

昨晩、この店へ12時過ぎに寄ったところ、おじさんは案の定出来上がっています。ビールを買い求めて、「ラマダンになっても変わりないよね?」と訊いたら、くだらないことを訊くなという面持ちで、へっと笑いながら「当たり前だよ」と頼もしげに答えてくれました。

【119】私は如何にして酒豪となったか?【ラディカル紙】【2005.03.13】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00119.html


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