Diary 2008. 6
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6月1日 (日)  職人気質

2007年6月の“トルコ便り”
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2007&m=6

ちょうど1年前の6月の“便り”に、「目標は大西洋」と題して、イスタンブールとイズミルの靴メーカーにおける見聞を記したけれど、先月、このイズミルの婦人靴メーカーを再訪する機会に恵まれました。

今回は、経営に携わっている次女と三女に、もう少し詳しい話を伺うことが出来たので、またここに記してみたいと思います。

叩き上げの職人風に見えたお父さんは、やはり小学校しか出ていないそうですが、「父は独学で本を読みながら歴史などについても勉強しました。私は大学を卒業しているけれど、歴史の知識は父に敵いません」と次女は言います。彼女たちは大学で経営学を学んだものの、三女はお父さんについて靴のデザインも勉強し、今では主にデザインを担当しているそうです。「イスタンブールの大きな靴メーカーでは大学のデザイン科を卒業した人がデザインを描いていますが、彼らは靴の製造工程を知らないから、修正しなければ使えないデザインだったりします」。

日本の服飾業界でも、最近はパターンの作れないデザイナーがいるという話を聞いたことがあるけれど、トルコの場合、大学を出てしまった人たちは、往々にして現場へ入りたがらない為、より深刻な問題になっているかもしれません。現場でこそ磨かれる感性や職人仕事を軽んじる傾向も見られます。

これも先月見聞した出来事ですが、トルコの会社へ昔納めた機械を点検しに来た日本の技術者が、あるパーツの良否を指の感触で確かめ、「このぐらいにザラつきが無ければ良し」としたところ、トルコ側は“ザラつき加減”を測る精密な計測器による測定値を要求し、これを日本の技術者が「その必要は無し。人間の指というのは実に微妙な凹凸まで感知することができる」と退けたら、トルコ側は「貴方の指と私たちの指は違う」と言い張ってなかなか収まりがつきませんでした。トルコのエンジニアたちは、「指の感触で・・・」なんて言うと、前近代的な職人芸であると思ってしまうのでしょう。

しかし、この靴メーカーの姉妹は、お父さんの仕事を間近に見てきたから、現場の大切さを充分認識しているに違いありません。


先月は、イスタンブールで他の靴メーカーも訪れました。こちらは紳士靴を中心に日本の市場でもかなりの実績を持つメーカーであり、60歳ぐらいの社長さんは、もともと上流の家庭に生まれ、大学を卒業してから兄弟で革製品の会社を設立し、その後、靴メーカーとして独立して現在に至ったようです。その紳士的な振る舞いに優しい人柄が滲み出ているような方で、現場の職人さんたちとも和気藹々としている雰囲気が感じられます。

この方には30半ばぐらいの息子さんがいて、実に素晴らしい青年でした。もちろん彼も大学教育を受けた上で経営に参画しているようだけれど、家業となった靴作りに心底惚れこんで取り組んでいる姿勢がひしひしと伝わって来るのです。

なにしろデザインから靴作りの元になる木型の製作までを自らやってのけてしまいます。多分、一つの靴を自分一人で作り上げてしまうことが出来るのではないでしょうか。新しいデザイン、新しい技術、全てを貪欲に吸収してそこから何か生み出そうとする熱意に驚かされました。彼のことを“叩き上げの職人”と言うわけにも行かず、いったい何と表現したら良いものやら戸惑ってしまいます。



6月3日 (火)  ビュレント・エジェビット氏

昨日の昼、家の前の道路を通行止めにして、大きな音を立てながら掘り返していたので、『何の工事だろう?』と作業をしている人に尋ねたら、インターネット用の新しい回線を敷設する工事なんだそうです。今私たちの利用しているインターネットは時々接続が切れてしまったりするけれど、新しい回線が出来ると接続が良くなるのでしょうか? しかし、それでネットの料金が上がったら堪りません。

私は日本の工事現場で働いたこともあったから、暫くの間、興味深く工事の様子を眺めていましたが、日本の現場に比べて、何となくのんびりしているような気もします。まあ、それは工事の進捗状況にもよるでしょうか。

もう大分前のことですが、イスタンブールで教養のあるトルコの方を訪ねたところ、アパートの前は折りしも道路工事の真っ最中で、4階の御宅まで工事の音が鳴り響いていました。その方は社会主義的な傾向があり、常々、貧富格差の是正などを訴えていたけれど、工事の音は耐え難いらしく、窓から下の様子を覗きながら散々文句を並べるので、思わず「先生、私は日本でああいう仕事をしていたこともあるんですよ」と申し上げたら、気まずそうな顔して何も仰いませんでした。

作業している人たちは、なにも音を立てたくて工事しているわけじゃないし、騒音を一番近くで感じているのは彼ら自身でしょう。『どうも左派のインテリは思想と実際が一貫していないよなあ』などと生意気なことを考えてしまいます。

日本にもいるだろうけれど、コミュニストを自称しながら、あっと驚くほど贅沢な暮らしをしているインテリがトルコには少なくありません。ある自称コミュニストの友人などは冗談に、「僕らはコミュニストでも資本家のように暮らしている。君は資本主義を説きながら、実際の生活は正しくコミュニストだよ」なんて言ってました。

しかし、一昨年亡くなったビュレント・エジェビット氏は正真正銘の社会民主主義者だったように思います。1974年から2002年までの間に、トルコ共和国の首相を5期に亘って務めながら、蓄財とは全く縁のない清貧を貫き、理想を追い求めたまま燃え尽きてしまった人物です。ところが、皮肉なことに、このエジェビット氏ほどトルコの大衆から受けなかった政治家は余りいないかもしれません。

2005年に、イスタンブールで工事現場の通訳を務めていた時は、現場の作業員たちから、以下の例をはじめとして、エジェビット氏を揶揄する小話を幾度となく聞かされました。ある日、現場の食堂に入って行くと、7〜8人の作業員が談笑していて、その内の一人が「マコト、お前はビュレント・エジェビットを知っているよな」と言いながら、自分の携帯電話を差し出して聞くように命じるので、それを耳に当てたところ、紛れも無いエジェビット氏の声が聴こえて来たのです。

『あれっ?』と思って、携帯を耳から外し、「これエジェビットじゃない?」と確かめたら、「そうだよ。エジェビットの声って解るだろ? これは録音されたものをネットのサイトから引っ張って来たんだけど、まあ最初から聞いてみなよ」と携帯をセットし直します。

録音されたエジェビット氏の声は、次のように語り出しました。「私たちはロンドンで小さなアパートを借りて質素な生活を始めたのです・・・」。しかし、途中から「・・・ロンドンには売春街もありまして・・・」などという話になったから、『えっ? エジェビット氏がこんなこと言うかなあ?』と首を傾げながら、尚もその先を聴けば、「・・・妻のラフシャンも売春婦みたいなものですから・・・」と愈々可笑しな話になり、さすがに『これはフェイクだな』と気付いて周りを見渡したら、皆、くすくす笑っているところでした。その内容はともかくとして、エジェビット氏の声色は驚くほど巧みに模倣されており、なかなか手の込んだ創作だったように思います。

まあ、彼ら現場作業員の多くは、手に職を持って現場から現場へ渡り歩く素浪人風だったから、安定を求めて組合活動などに精を出している人たちとは少々感覚が違っていたかもしれません。日本でも、四半世紀前に私がダンプの運転手をやっていた頃の同輩や先輩の中には、私と同様にフリーター崩れの惚けた奴もいたけれど、自主独立の気概に溢れた一匹狼も少なくなかったのです。

例えば、ヤマさんという当時40歳ぐらいだった先輩は青森県の出身、中学校を卒業すると集団就職の列車に乗せられて東京の工場へ送り込まれたものの、数日の内にそこを飛び出し、牛乳配達などをしながら自立したそうです。「俺は親や先公が勝手に進路を決めてしまったことに我慢がならなかった。あのまま工場に残っていれば今頃もっと安定した生活を送っているかもしれないが、それでも俺は後悔しない。俺は自分の行く道を自分で決めてきたからだ」。

というヤマさんは、北島三郎の大ファンで田中角栄元首相を支持していました。北島御殿や目白邸は、裸一貫から立ち上がろうとした人たちに夢を与える存在だったでしょう。清貧なんていうのは呪うべき対象だったかもしれません。

何百万円もする鯉を飼って見せびらかすのもどうかと思うけれど、エジェビット氏の清貧ぶりも少し行き過ぎだったような気がします。しかも、晩年は周囲に贅沢な左派インテリがうようよしていたから、その清貧も説得力に欠けていました。




6月4日 (水)  結婚の為の三高条件?

いつも朝は7時半に起きるつもりでいるのに、最近は7時前に目が覚めてしまうことが多く、『また血圧が高くなっているんじゃないか』と心配です。寝るのは1時ぐらいだから、そんなに睡眠が足りていないわけでもないけれど、昔は朝目覚ましを掛けなければ、いつまでも寝ているような体質だったので、『高血圧? 歳の所為?』といろいろ考えてしまいます。

しかし、就寝が1時頃になっていたのは、同居していたトルコ人兄弟が12時過ぎないと寝てくれなかった為で、兄弟は先月よそへ越してしまったから、もう少し早く寝るようにすれば良いかもしれません。このアパートは、2部屋1サロン(客間)となっていて、各部屋を日本人の友人と兄弟が使用し、私はサロンの一画を二段ベッドで仕切り、そこを占拠して来ました。サロンは共用の場になっているので、一応12時過ぎるまでは文句を言わないことにしていたのです。 

今月から、もう一人日本人の友人が同居するけれど、部屋を移動するのは面倒なんで、私がそのままサロンに居座ることにします。彼は10時前に寝て6時前に起きるというから、私もそれに合わせて生活改善を図ってみましょう。『高血圧? 歳の所為?』などと心配する前に、せいぜい体を鍛えて健康維持に努めなければなりません。

歳は今月で48になります。血圧が高くなり出したのは40を越えてからで、初めて高血圧を指摘された時は結構驚いたものです。それでも、『そういう年齢になったのか』と焦りを感じながら、冗談で「いよいよ結婚の為に三高条件が揃ったな」と嘯いて見せました。この場合、三高はもちろん“高学歴・高収入・高身長”ではありません。“高卒・高齢・高血圧”です。

まあ、高卒の方は、もともと備わっていた条件だけれど、学歴偏重の甚だしいトルコでは“高齢・高血圧”以上に人を驚かせる要素であるかもしれません。親しげに近づいて来たトルコ人に「学歴は?」と問われて、「高卒です」と答えると、一瞬驚いた表情を見せ、急にそわそわし始めたりすることが本当にあります。「日本にいた時はダンプの運転手をやっていました」と追い討ちをかけようものなら、顔を強張らせて奇妙な態度を取ったりする人もいて、そういった反応が面白いから、時には意図して仕掛けたりしました。

98年、イスタンブールに事務所を構えていた韓国人キムさんのところで世話になった時は、キムさんから「取引先のトルコ人や韓国人に、“日本では運転手やっていました”なんていう話は絶対にしないでね」と釘を刺されたものです。「私は君のことを充分に理解しているけれど、トルコや韓国は未だそういう話を受け入れられるようになっていません」とキムさんはやんわり理解を求めていました。


6月5日 (木)  姦通と売春は大罪?

昨晩10時半頃、タクシムから我が家に帰る為、コズヤタウ行きのバスに乗った時のことです。

後ろの方の席は殆ど埋まっているようだったので、一番前の空いた席に腰を下ろしたものの、お年寄りが乗ってきて席を立たなければならなくなった場合、その辺りでは乗客の出入りが多くて楽に立っていられないだろうと考えた末、座って行くのを諦め、席を設けていない中間のエリアの窓際に移動しました。そこなら、混んできても窓の方を向いて楽に立っていられるからです。

最初に座った席の通路を挟んだ向こう側には、近頃流行っているらしい鶏のトサカみたいな髪型の粋がった兄貴が二人座っていたけれど、彼らは動く気配を見せません。

しかし、車内が相当混みあって来て、タクシムから四つ目ぐらいの停留所じゃなかったかと思いますが、双方とも太っていて歩くのも大儀そうな老夫婦が乗り込んできたのです。

その老亭主は、悠然と座っている兄貴たちを前に躊躇うこともなく、「青年よ、女房を座らせてくれんか」と鷹揚に命じ、兄貴たちが二人とも殊勝な態度で席を立ってしまうと、「まあ、君たちもここに座ったからには、こうなっても仕方のないことだよなあ、ハハハハ」と笑いながら席に着き、兄貴たちも恥ずかしそうに笑っていました。

その時になって、老夫婦の後ろの四人がけの席に目をやったところ、窓側で向かい合っている男女が熱心に英語で話し込んでいます。

男の方は20代半ばで金髪碧眼、私の耳だから確かとは言えないものの、英語はネイティブのように思えました。

女性の方は後姿しか見えない上、しっかりスカーフを被っているから、年恰好さえ判別がつきません。

勝手な想像を廻らせるならば、女性を見つめる青年の目の輝きからして、きっと若く美しい女性ではなかったでしょうか。この女性は多分トルコ人だったと思いますが、よどみのない流暢な英語で、時々笑い声なども交えながら、30分ぐらいして私がバスを降りるまで、延々と話し続けていました。

http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2008&m=1
“1月21日 (月) アレヴィー派の断食”

上記の“便り”に、「女性の頭を剃髪したり、スカーフで覆ったりするのも『女性の“性”を汚らわしいとする発想』から来ているように思えてならないけれど、一途に信じてスカーフを被っている敬虔な女性に、いったい何を申し上げたら良いのでしょう」なんてことを書いてしまったけれど、この流暢に英語を話す敬虔な女性なら、これに何と答えるでしょう?

逆に、そんな知性に溢れる女性から日本の現状を問われたりしたら、私は直ぐ言葉に詰まってしまうかもしれません。

日本はトルコに比べれば、性に対して遥かに大らかであり、女性の“性”も尊重されているように思えるけれど、男女の性が平等に扱われていると言い切れるでしょうか。

例えば、売春禁止法はあるのに、買春の方はお咎めなしというのも理不尽な話です。本当に売春を取り締まりたかったら、買春を禁じて、犯した者を逮捕すれば、男たちは震え上がって誰もソープランドなどには行かなくなります。

まあ、私も今だからこんなことが言えるけれど、以前からこれが実施されていたら、少なくとも前科10犯ぐらいになって、青春時代の殆どを塀の中で過ごしていたでしょう。

しかし、売春を職業としている女性がどう扱われているのかという点について言えば、トルコと日本では大きな違いがあるはずです。

トルコには公娼が存在しているものの、彼女たちが人間として扱われているとはとても考えられません。

「売春は日本でも余り良い職業と思われていないが、手っ取り早く金が稼げる仕事ぐらいに考えている人もいるだろう」とトルコの人たちに説明したところで、それがどういうことなのか簡単には解ってもらえないような気もします。

http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080527_230902.html
“日本語で読む中東メディア”より

トルコでは上記の記事にあるように、宗務庁が「コーランで姦通と売春は大罪とされている」と発表したものだから、こういった問題についてまた激しい争論が巻き起こってしまいました。

もちろん、宗務庁は宗教的な見解を発表したに過ぎず、それがトルコの法律で禁じられているわけではないから、犯した人は“あの世”で裁かれるだけです。とはいえ、これでは甚だ女性に厳しいように思えるけれど、教養のある敬虔な女性たちは、『男に自制させるのは難しいから、私たちの方が気をつけなければ』と考えているのかもしれません。

それほど敬虔ではないトルコ人の多くも、貞操を非常に重く見ていて、これは長い歴史の中で培われてきた認識だろうから、そう簡単に変わることはないでしょう。

しかし、宗教的な意見が幾重にも分かれ、敬虔な信者もいれば不信心な者もいるトルコの社会が培ってきた伝統の中には、貞操に示される厳しさばかりでなく、バスの中で老人に席を譲るような優しさも息づいているのだと思います。



6月7日 (土)  オーガニック病?

「ギョズレメ(トルコ風クレープ?)の美味しい屋台があるからフェリキョイの市場へいらっしゃい」と友人が誘うので出かけてみたところ、そこは新聞などでも度々紹介されているオーガニック農作物の市場でした。

この友人は、以前から、オーガニックじゃない野菜を食べたら病気になるかの如く執拗に拘っているため、「そんなに心配すると却って病気になるよ」とからかって言い合いになったこともあります。それで今日も顔を合わせるなり、「なんだ病気の人が集まる市場だったのか」と挨拶代わりに冗談を飛ばしてやりました。

日本の余りにも形や大きさが揃った野菜や果物を見ていると、さすがに不自然な感じがして心配にもなるけれど、トルコの場合、普通にスーパーなどで売られている野菜や果物も酷く不揃いだったりするから、それほど気にしなくても良いように思えます。

いつだったか、東京のデパ地下にトルコの方を案内したら、全く形も大きさも変わらないイチゴがずらりと並べられているのを見て、「これはいくらなんでもイミテーションでしょう」と言うので、私もすっかりそう思ってしまい、「確かにそのようです」と一つ摘んでみれば、これが紛うかたなく本物のイチゴだったから驚いてしまいました。

さて、今日、そのオーガニック市場を一巡りすると、全ての商品がかなり割高であり、『これでは正しく金欠病になってしまうぞ』と妙なところで納得。それから屋台の前に座ってギョズレメを頂こうとしたら、幼児を連れた品の良いトルコ人夫婦と相席になり、雑談に花を咲かせたけれど、彼らは日本に興味を示すばかりでなく、日本の文化や歴史についてもかなり良く知っていました。御主人は最近“海辺のカフカ”の英訳を一読したそうで、未だ読んでいないと言う私に、「読み始めたら一気に最後まで読んでしまう傑作です。是非読んで下さい」と勧めたほどです。

私は市場を後にしてから、ここへ誘ってくれた友人に、「オーガニック病に罹る人には素敵な方が多いようだね」と、またつまらない冗談を言いながら感謝しました。

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6月9日 (月)  共産主義を導入すれば良かった?

オーガニック市場では素晴らしい方たちと話す機会を得て、さすがに私も「日本でダンプの運転手やってました・・・」なんて話に水を差すような愚かな真似はしなかったけれど、この方たちも私の学歴を問いませんでした。トルコでは初対面から相手の学歴等を問う人が少なくないものの、こちらが思わずその出会いを喜びたくなるような方たちは、やはりそういった問いを控えるようです。

ここ数日、トルコの各紙では、ギュル大統領が訪日されていることもあって、日本関連の報道が多く、“何故、日本の近代化はトルコより早かったのか?”という旧来のテーマが繰り返されていた為、オーガニック市場でもこれが話題になり、私はいつか読んだ本の受け売りで、「かつて日本は中華文明圏の周辺部にいて、そこから西欧文明圏の周辺部へ移動しただけだから比較的楽だったのではないか」などと申し上げました。

さらに、「しかし中国は文明の主宰者だったからそう簡単には行かず、毛沢東はその文明を根こそぎ吹き飛ばす為に共産主義を導入しなければならなかった」と、これは多分、司馬遼太郎の本に書いてあった話で、それから「トルコも同様に文明の主宰者だった」と続けたところ、じっと私の聞き苦しいトルコ語に耳を傾けていた御夫婦の奥さんは、「トルコも中国みたいに共産主義を導入すれば良かったのにね」とニッコリ微笑んだのです。

私が「アタテュルクはそれを望まなかったのではありませんか?」と応じたら、それより先に話を進めようとはしなかったけれど、彼女はそんな風に思いたくなるほど現状のイスラム的な傾向に不安を抱いていたのかもしれません。

しかし、当の中国では“文化大革命”の苦悩を経た後、最近になって孔子が復権しつつあると言われています。

88年に韓国へ留学していた頃、韓国の放送局が中国と台湾の協力を得て編集した“儒教は西洋の悪い風を防げるか”と題する討論番組で、「社会の道徳と秩序を守っているのは儒教である」とする台湾の学生に対し、中国の学生は「社会に犯罪があれば警察と司法が公正に解決しなければならない。町の長老に相談して解決されるだろうか?」といった反論を試みていました。

私はこれを聞いて、『台湾の警察や司法の方が遥かに公正ではないのか?』と何だか腑に落ちないように感じたものです。孔子の復権は、警察と司法だけでは解決に至らなかったからでしょうか?

トルコの場合、根こそぎ吹き飛ばすという極端な変革は行なわなかったので、復権するも何もイスラムの伝統が政教分離の下に途切れることはありませんでした。今、不安を呼んでいるのは、トルコのイスラムへ、政教分離から逸脱した新たな伝統がもたらされてしまう可能性に対する危惧ではないかと思います。




6月11日 (水)  自由恋愛のすすめ

先日、前にも何度か顔を合わせ、いろいろ話を聞いてみたかったトルコ人男性に偶然会ったので、良い機会だと思って長々話し込んでしまいました。

男性は教養のある40代の妻子持ち。宗教は信じないと言い、イスラム的な傾向やスカーフの女性を痛烈に批判している左派ですが、硬直したコミュニストではなくて、自由な進歩主義者といった雰囲気だから、色恋についても冗談を交えて気楽に話せます。この日も彼は冗談めかして私の恋愛事情を問い質そうとしました。

「君はトルコ人の女と遊んでみたりしないのか?」

「いや、私は不器用に出来ているからそんなこと想像もつかないし、もうこの歳ですから、無理して頑張ってみようとも思いません。こう見えても結構真面目に考えているんですよ」

「真面目? 相手も君に気があって、君も望んだなら、なにもそう固く考えることはないと思うよ。僕なんかは女性と知り合って波長が合えば、直ぐ次の段階へ進むけどなあ。相手もそう望んでお互い楽しむだけだから、別に悪いことじゃないでしょ?」

「でもまあ、相手に対して真摯な気持ちがなくて、一時的な欲望だけで進んでしまうのはどうかと思いますが・・・」

「大人の男と女が了解し合ってのことだよ。一時的な欲望であっても構わないじゃない。君はえらく保守的な考えを持っているね」

「しかし、あなたの場合、奥さんがいらっしゃるんですよね?」

「結婚したからには女房だけにしろって言うのかい? そりゃ無理だよ。君も随分固苦しいことを言うねえ」

「奥さんに何と説明するんですか?」

「そういう余計なことは言っちゃあいけないんですよ。気がつかれないようにしないとね」

「それでは、奥さんもそうやって他の男性と遊んで良いということですか?」

私がこの最後の問いを発すると、彼の顔から笑みが消え、一瞬“ピクッ”と緊張が走り、「それは駄目だ。許されることではない」と声を震わせたのです。

「トルコでは決して許されない。これはトルコの文化だからね。パンパンと射殺してお終いだよ」

「でも貴方は、男女の平等を盛んに説いていたじゃないですか。スカーフにも反対していましたね」

「男女の平等とは別次元の問題だ。トルコでは、パンパンでお終い! それ以外にない!」

「誰を殺すんですか?」

「二人ともだよ!」

「相手の男も武器を持っていたら?」

「そっ、それは・・・。見つけ次第、そこで始末するんだ。武器なんて持てないだろ?」

「それでは余りにも卑怯じゃありませんか? 昔、ロシアじゃ決闘したって話ですよ。どちらがその女に相応しいかってね。それで落命してしまう哀れな亭主もいたそうです」

「なんて馬鹿げた話だ。女房を寝取られたうえに殺されてしまうなんて・・・」

まあ、日本にもいろいろな男がいるだろうけれど、少なくとも“大人の男と女が了解し合って”などと自由な恋愛を標榜する人であれば、最後の問いに対し、それまでの流れから「俺が知らないだけで宜しくやっているんじゃないの? どうだって良いよ」ぐらいのことは言いそうじゃないでしょうか? あれほど打って変わった態度に出る人はいないような気がします。

という話も交えながら、「そういう身勝手な自由恋愛の主張より、イスラム主義者の主張はよっぽど整合性が取れているのではありませんか?」と尚も暫くねちねち問い詰めたところ、彼は徐々に冷静さを取り戻し、「つい興奮して可笑しなことを言ってしまった。君の言う通りだよ。かなり矛盾しているね」としょげ返りながらも、「中央アジアにいたトルコ人も、もともとアナトリアに住んでいた人たちもそれほど貞操に拘っていたわけではない。これはイスラムと共にもたらされた文化だ。イスラムの所為で我々はつまらないことに興奮するようになってしまった」と進歩主義者の面目を保とうとしていました。

こういう身勝手な男たちから弄ばれないように自分を戒める敬虔な女性たちの信仰心も何となく理解できるように思えます。一方で、男の身勝手な“自由”であっても、こうして恋愛を楽しむ男女が増えれば、女性たちの自我も芽生え、“女房の浮気は許さない”という男の我儘は切り崩されてしまうかもしれません。実際、今のイスタンブールで育った新しい世代には、一応イスラムを信仰しながら、平等に自由恋愛を楽しんでいる若者たちもいるのではないでしょうか。



6月12日 (木)  トルコ・コーヒー

コーヒーハウスは、オスマン帝国の時代、17世紀にイスタンブールで開業したのが発祥と伝えられているくらいで、トルコにはコーヒーを嗜んできた長い歴史があります。その伝統的なコーヒーは、豆を粉末状に挽いて煮出し、濾さないまま粉がカップの底に沈殿してから飲む“トルコ・コーヒー”と言われるものでした。

チャイと呼ばれるトルコ風紅茶の歴史は意外に浅く、飲用が全国に広まったのは共和国になってからだそうです。それが今では、いつでも何処でも「チャイ、チャイ」とばかりに紅茶が幅を利かせるようになってしまい、コーヒー、特に伝統的な“トルコ・コーヒー”は主流から外れてしまいました。

ところが、19世紀にオスマン帝国から分離独立したギリシャでは、オスマン帝国においてコーヒー文化を共有しながら、チャイの文化は分かち合うことがなかった所為か、未だに紅茶より圧倒的にコーヒーが多いようです。“トルコ・コーヒー”もギリシャでは“ギリシャ・コーヒー”となって、トルコよりも遥かにたくさん飲まれているのではないでしょうか。

もちろん、今でも“トルコ・コーヒー”はトルコの食生活に欠かせない名脇役であり、イスタンブールにはコーヒー豆を焙煎して販売する店が所々にあるけれど、その場でコーヒーが飲める喫茶コーナーを設けている店は、どういうわけか見掛けたことがなく、豆を売る店とコーヒーを飲む店は別になっているようでした。

その為、焙煎している店の前を通り掛って、あの堪らなくそそられる香りに思わずコーヒーが飲みたくなったとしても、直ぐそこで一杯のコーヒーを所望するわけにはいかなかったのです。

それが昨日、カドゥキョイの街を歩いていて、漂ってきたコーヒーの香りに引き寄せられるように焙煎している店の前まで来ると、路上に設けられたテーブル席で“トルコ・コーヒー”を楽しんでいる人たちの姿が目に留まり、何とも言えず嬉しくなってしまいました。

この店は1923年創業という老舗だそうですが、こうして喫茶コーナーのサービスを始めたのは4年前からで、「こうした試みは他店にないかもしれません」と言います。早速、“トルコ・コーヒー”を味わってみたところ、これがまた実に美味いというか、それまでの“トルコ・コーヒー”に対する概念を覆してしまうような究極の一杯でした。この辺りは良く来る所だから、私は自分が4年もの間この店を発見できなかったことが恨めしくてなりません。


Fazil Bey'in Turk Kahvesi
http://www.fazilbey.com/default.aspx

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6月13日 (金)  どうぞ貴方が説明して下さい

いつだったか、敬虔なムスリムが多く集まるファティフ区のチャルシャンバという街へ出掛けた時のことです。茶を飲みに入ったカフェで、敬虔な3人のムスリムに囲まれ、望みもしないのにたくさんイスラム教の話を聞かされてしまいました。

一人は、鍔のない白い帽子を被り、ダブダブのズボンにサンダルというタリバン・スタイルで、モジャモジャと顎鬚を蓄えているものだから、なんとなく老けて見えるけれど、実際は30歳ぐらいだったかもしれません。紳士的な物腰で英語もかなり話せるようでした。多分、その辺りを本拠地にしている教団のメンバーだったのでしょう。

少し後れてカフェに入って来て、このタリバン風の青年から丁重に迎えられた40歳ぐらいの男性は、小ざっぱりとした身なりで髭をきれいに剃り、教養を感じさせる紳士的な雰囲気があって海外の事情に通じ、一度日本を訪れたこともあるそうです。こちらは、別のモダンな教団の関係者ではないかと推察しました。

もう一人は、本人が明らかにした40代前半という年齢が俄かには信じられないくらい年老いて見える朴訥としたおじさんで、おそらく最低限度の教育しか受けていないのではないかと思います。望みもしないイスラム教の話をたくさん聞かせてくれたのはこのおじさんでした。

「イスラムについて御存知ですか? イスラムは素晴らしい宗教なんです」と語り出したこのおじさん、外国人の異教徒に至高の宗教イスラムを説明するのは初めての経験だったでしょう。喜び勇んで語り始めたものの、直ぐに不安そうな表情を浮かべ、隣に控えているお歴々の顔色を窺いながら、「私が説明しても良いんでしょうか?」と尋ねました。

お歴々はにっこりと微笑み、「ええ、どうぞ、どうぞ貴方が説明して下さい」と促していましたが、もともと初対面の日本人にくどくど宗教の話などするつもりはなく、喜々としているおじさんに満足してもらえればそれで良かったのかもしれません。

おじさんは、万物を創造された偉大な神について説明する際、「子供を作る為には精子が必要ですよね。この精子を作ったのは神です」と先ずは精子の話から始め、その後も、よっぽど精子が好きなのか、何度となくこの話を繰り返しました。

まあ、おじさんには何人かお子さんがいて、嬉しそうに家族の話もしていたから、未だかつて精子を有効に使った験しがない私のような馬鹿タレと違い、精子の有難味を良く御存知なんでしょうけれど、余りしつこく繰り返されると、何だか如何わしい話でも聞かされているんじゃないかと思ってしまいます。

おじさんも、自分の説明に不安を感じたらしく、途中で「このまま続けても良いでしょうか?」とお歴々の顔色を窺い、また「どうぞ、どうぞ」と促されていました。

お歴々は内心うんざりしていたかもしれませんが、最後までおじさんの話を遮ったりしなかったのです。私はそこに何ともいえない優しさを感じました。

日本と比べると、一般的に、トルコではどんな人たちも恐れず自分の意見を表明しているような気がします。世間の圧迫を感じないからでしょうか。

もちろん、厳しいビジネスの世界では見られないけれど、まだまだ民衆の生活には、少々ピントのずれた意見も聞いてくれる優しさが充満していて、“仲間”とみなされた場合、多少のミスは見逃してくれるようなところがあります。

クズルック村の工場で通訳をしていた頃、工場の仲間たちは『こいつに恥をかかしちゃ可哀想だ』とでも思うのか、私が『今の訳で通じたろうか?』と疑問に感じても、皆、解ったような顔して何も言わないのです。あれには困りました。

しかし、この優しさは、身内への甘さとも言えるから、これが競争社会の発展を妨げた要因の一つであるかもしれません。




6月16日 (月)  貞操への執着? 嫉妬?

先日、「自由恋愛のすすめ」と題した“便り”に書いた話、私も“進歩主義者”である彼があんな反応を見せるとは思っていなかったから、かなり驚いてしまったのですが、ああいった貞操への執着は、いったいどういうものなんでしょうか? 

日本でも、ある種の性行為、例えば近親相姦のような行為には相当な忌避感があって、『そんなことをする奴は人間じゃない。犬畜生だ』といった認識が当たり前じゃないかと思うけれど、彼にとっては、女性の婚外交渉もそういった“犬畜生”の行為であったかもしれません。

しかし、そうなると、彼が了解の下に“遊んだ”女性たちも殆ど犬畜生だったということになってしまうものの、トルコの農村部へ行けば、ロバや羊との“獣姦”はそれほど珍しくないそうだから、“犬畜生”との行為にも忌避感はなかったのでしょう。という、つまらない冗談はともかくとして、それぞれの文化によって何が忌避されるのかは大分違ってくるのではないかと思われます。

私の両親は従兄妹同士だけれど、韓国ならこれは“近親相姦”の範疇に入ってしまうし、トルコでもかなり嫌がられるでしょう。アラブ圏ではごく普通に見られるそうですが・・・。

トルコの男たちが妻の不貞を許さないのは、単なる嫉妬によるものじゃなくて、それが人間の行為であるとは思えないからではないでしょうか? 当然、娘の貞操も命掛けで守ろうとします。娘さんたちも多くの場合、貞操を失ったら“人間ではなくなってしまう”と考えているかもしれません。(都市部の新世代にはそうでもない娘さんたちが結構いるようですが・・・)

もちろん、そこには嫉妬もあるでしょう。“トルコの男たちはもの凄く嫉妬深い”という話も度々耳にしました。

しかし、そう思えるのは、トルコの男たちが嫉妬の感情を全く躊躇わずに表してしまう為ではないでしょうか? 我々日本の男たちだって充分に嫉妬深いものの、それを露わにしたらみっともないと感じているから、表に出さないだけであるような気がします。

同様に、“トルコの人たちは心が温かい”なんて言われているけれど、日本人も心の温かさでは劣るはずがありません。ただ、それを大袈裟に表現しないだけです。

トルコにおける“親族間の心温かい交流”も良く聞く話ですが、あれだって金銭の面で拗れたりすれば、凄まじい骨肉の争いに発展します。傍から見ていて『おいおいそこまでやるのか? かつての親密さはいったい何だったのだ?』と呆れてしまうほどです。

まあ、社会の中で、優しさや心温かさを示すことが常識的に求められていて、それが無理なく実践されているのは羨ましく思えるけれど・・・。

【155】氾濫するセックス【ミリエト紙】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00155.html


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