Diary 2008. 5
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5月14日 (水)  山を呼び寄せる男

1ヵ月ほどエーゲ海地方に出かけていて、昨日、イスタンブールへ戻ってきました。

エーゲ海地方はトルコでも宗教色が薄い地域ですが、ここで二人の若いトルコ人エンジニアと思いがけず宗教談義を楽しんできました。

宗教談義と言っても、私の知識では語り合える範囲も自ずと限られてしまうけれど、私自身の信仰や日本の宗教事情について訊かれたので、自分には全く信仰が無いことや多くの日本人がそれほど熱心に宗教を信仰していないことを説明している内、なんだか長い話になってしまったのです。

彼らは教養のある青年だから、安心して「私は無信仰です」なんて答えながら、一応は彼らの宗教傾向について探ってみたところ、二人とも酒は嗜むし礼拝は余りしないと言うものの、ラマダンの断食は実践しているようでした。

日本人が信仰に熱心でないことについては、夏目漱石の「行人」に出て来る“山を呼び寄せるモハメッド”や歎異抄の話を引用して、

「私たちの場合、解らないものは解らないと言えば済んでしまい、それ以上考えることは分限を越えてしまうように感じているんですよ」などと解ったような解らないような説明をしたら、青年の一人は、

「しかし、全てを創造した唯一の神について、解らないと言って考えずに済むものでしょうか? 例えば、生まれつき目が見えない人は、その運命を誰に問い質すのですか? それは神以外に有り得ないでしょう」と切り返してきたけれど、もう一人の青年が笑いながら、

「君はやっぱり“山を呼び寄せる男”だねえ。それは多分、マコトさんの分限を越えたところの話だよ」と茶々を入れたものだから、皆で大笑いしました。

しかし、最初に切り返してきた青年には軽い脳性小児麻痺の影響で少し吃音があり、動作にも多少不自由なところがあったから、『彼はずっとそのことを神に問い質して来たんだろうなあ』と思い、一緒に大笑いしてくれた彼の度量に感服したものです。

また、彼らに「神の存在が科学的に証明できるものでないことは認めますか?」と訊いたところ、「それは認めます。信仰と科学は別けて考えなければなりません」と応じたものの、イスラムでは信仰の根幹に“コーランは神の言葉”と信じることがある為、キリスト教に見られるような聖書批判は認められないと言います。

まあ、この辺が私たちにはどうにも納得の行かないところですが、少なくとも彼らは、「コーランを科学的な研究の対象にすることは出来ませんか?」という私の不遜な問いにも嫌な顔はしませんでした。


*掲示板に書き込んだ“山を呼び寄せるモハメッド”の話をここにも貼付けます。


−「行人」に出てくる話−

夏目漱石の「行人」に以下のような話が出てきます。我執に苦しむ主人公の一郎(兄さん)に対し、友人のH氏(私)が宗教的な信仰を勧める場面です。

****************** (以下引用)

私がまだ学校にいた時分、モハメッドについて伝えられた下のような物語を、何かの書物で読んだ事があります。モハメッドは向うに見える大きな山を、自分の足元へ呼び寄せて見せるというのだそうです。それを見たいものは何月何日を期してどこへ集まれというのだそうです。

期日になって幾多の群衆が彼の周囲を取巻いた時、モハメッドは約束通り大きな声を出して、向うの山にこっちへ来いと命令しました。ところが山は少しも動き出しません。モハメッドは澄ましたもので、また同じ号令をかけました。それでも山は依然としてじっとしていました。モハメッドはとうとう三度号令を繰返さなければならなくなりました。しかし三度云っても、動く気色の見えない山を眺めた時、彼は群衆に向って云いました。――「約束通り自分は山を呼び寄せた。しかし山の方では来たくないようである。山が来てくれない以上は、自分が行くよりほかに仕方があるまい」。彼はそう云って、すたすた山の方へ歩いて行ったそうです。
 
この話を読んだ当時の私はまだ若うございました。私はいい滑稽の材料を得たつもりで、それを方々へ持って廻りました。するとそのうちに一人の先輩がありました。みんなが笑うのに、その先輩だけは「ああ結構な話だ。宗教の本義はそこにある。それで尽している」と云いました。私は解らぬながらも、その言葉に耳を傾けました。私が小田原で兄さんに同じ話を繰返したのは、それから何年目になりますか、話は同じ話でも、もう滑稽のためではなかったのです。


「なぜ山の方へ歩いて行かない」
私が兄さんにこう云っても、兄さんは黙っています。私は兄さんに私の主意が徹しないのを恐れて、つけ足しました。
「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない」

******************* (引用終わり)

私は以上の話を何人もの敬虔なムスリムの友人に話して聞かせたけれど、この話の出典が何であるのか知っている人はいませんでした。「旧約聖書に出てきそうな話だ」と指摘する友人もいました。

また、これに続くくだりで、H氏は「私がどうかして兄さんを信仰の道に引き入れようと力めているように見えるかも知れませんが、実を云うと、私は耶蘇にもモハメッドにも縁のない、平凡なただの人間に過ぎないのです。宗教というものをそれほど必要とも思わないで、漫然と育った自然の野人なのです」と告白しています。

日本人の多くが宗教に関心の無いことを不思議がっていたムスリムの友人には、この話も聞かせてから、「そもそも私たちは、“山を呼び寄せよう”なんて大それたことは考えないから、山へ向かって歩いて行く必要もありません」などと言って煙に巻いたりしたものです。

しかし、宗教を信じていないというトルコ人に、こういう“漫然と育った自然の野人”は余りいないのではないでしょうか。その多くは、何らかのイデオロギーを宗教の代わりにしているか、さもなければ“山を呼び寄せようとするけれど、山へ向かって歩いて行こうとはしない人”であるような気がします。「山を呼び寄せる男、呼び寄せて来ないと怒る男、地団太を踏んで口惜しがる男、そうして山を悪く批判する事だけを考える男」が多いように思えてなりません。




5月15日 (木)  ペンキ屋のおじさん

前回と同様にエーゲ海地方へ出かけていた時のこと。壁の塗装に精を出しているペンキ屋さんから話しかけられて、暫く話し込みました。そのペンキ屋さん、40歳ぐらいでしょうか、自分はコミュニストであると言い、「日本にはコミュニストがいますか? 労働者の権利は守られていますか?」なんていうことを質問して来たので、『面白いおじさんだな』と思って、こちらからも色々訊いてみたのです。

「あなたは請負業者なんですか?」と訊いたら、
「とんでもない。私はただの労働者ですよ。社長がこんな風にして働きますか?」
「貴方が働いている会社には何人ぐらい従業員がいるんですか?」
「20人ぐらいですね。ペンキ塗装の他に左官の仕事も請け負っています」
「社長さんが貴方たちと一緒に塗装の仕事をすることはないのですか?」
「社長はエンジニアですよ。そんなことするわけないじゃありませんか」。

トルコでエンジニア(トルコ語はミュヘンディス)と言えば、少なくとも大学の工学部等を卒業している技師のことであり、現場で工具を手にして働くようなことはまずありません。工具を手に実際に機械の調整などを行なうのは大学を出ていない技師で、こちらは“テクニシャン”と呼ばれて、“ミュヘンディス”とは明確に区別されています。トルコで“エンジニア(ミュヘンディス)”というのは、なかなか名誉なことなのでしょう。ある靴メーカーの社長の名刺に肩書きが“建築エンジニア”と記されていて驚いたことがあります。

それからペンキ屋さんとの会話は以下のように続きました。彼が、「日本で私たちのようにペンキを塗ったりしている労働者の権利は守られていますか?」と訊くので、
「日本で20人ぐらいしか従業員のいない塗装業者だったら、間違いなく社長も一緒になってペンキ塗っているよ」
「労働者は組合に加入していますか?」
「さあ、そんな小さな会社じゃ組合はないだろうね」
「それでは労働者が搾取されているんですね?」
「搾取? 社長も一緒になって働いているんだよ。労働者もその内社長になれるかもしれないしね」
「でも、労働者の権利は守られていますか? 日本じゃ何年働くと定年退職して年金もらえるようになるんですか?」
「退職後の年金を気にするより、社長を目指して頑張るだろうね、日本の労働者は」。

その後は、何をどう説明しても結局解ってもらえませんでした。彼は“アタテュルクを敬愛し、ジュムフュリエト紙を愛読するコミュニスト”なんだそうですが、彼の考えているコミュニズムには、労働者として働き始めた人が最後まで労働者をやっていなければならない階級のようなものでもあるのでしょうか。良く解らないけれど、トルコの左派が手本としているヨーロッパの社会にはそういった傾向があるのかもしれません。


5月16日 (金)  続・ペンキ屋のおじさん

ペンキ屋のおじさん、コミュニストだなんて言うから、もともと宗教色の薄いエーゲ海地方の出身なのかと思ったけれど、出身地を訊くと、これがアナトリア東部のシヴァス県なんだそうです。

それで、もしやと思い、「貴方の信仰は?」と探りを入れてみたところ、やはり例の異端派と言われているアレヴィー派でした。もちろん現政権については批判的で、「彼らはアタテュルクが創った共和国を破壊しようとしている」と力説。

しかし、このおじさんの話を聞いていると、アタテュルクもコミュニストであったかのように思えてしまいます。「中国では、毛沢東がアタテュルクと同じような改革を行ない・・・」などと言い出したりするのです。

二人で話していると、おじさんの同僚も割り込んで来て、こちらはアナトリア最東部のカルス県出身というので、「クルド語解りますか?」と訊いたら、この人ばかりではなく、シヴァスのおじさんもクルド人であることが判明。早速、クルド語講座が始まり、二人して色々な言葉を教えてくれたものの、今になって記憶を辿ってみれば何一つ思い出すことができません。

彼らは、クルド語の講座が終ると、「自分たちは、民族を問われればクルド人と答えるだけで、ファナティックなクルド人ではない」と明らかにしていました。

それから、日本や韓国のことが話題になり、カルス出身の同僚は「韓国の人たちが犬を食べるというのは本当なの?」と好奇の表情を浮かべたのですが、シヴァスのおじさんは、「何食べたって良いじゃない。こいつはスンニー派だからうるさいんだよね」と横槍をいれます。

すると、カルス出身はニヤニヤ笑いながらシヴァスのおじさんを指差して、「こいつにウサギの肉が食えるかどうか訊いてみなよ。アレヴィー派じゃウサギの肉が禁止されているんだぜ。変な宗派だねえ」と反撃。

この話には私も驚いたけれど、シヴァスのおじさんも困った顔して、「確かにウサギの肉は禁じられています。でも、基本的にアレヴィーは自由な宗派なんですよ」と苦しい対応、カルス出身は、してやったりとばかり「何が自由な宗派だよ。ウサギも食えないで」と笑い転げていました。

トルコではクルドもアレヴィー派も、ややこしい政治問題になっていますが、中にはこうやって笑い飛ばしている人たちもいるのだから、そろそろ解決を期待して良いかもしれません。


5月19日 (月)  居眠り運転

今、イスタンブールは月曜日の昼近く、自宅にて、あまりに眠かったので、机の上に腕枕して眠りこけていました。いつものことですが、こうして腕枕にすると、直に手が痺れて来るから、長くても10分ぐらいしか眠れません。高校時代、授業中に辞書を枕にしたら、かなり長い時間安眠できたけれど、トルコの辞書は製本が悪いので、多分、枕としての使用には耐えられないでしょう。しかし、腕枕で10分寝ただけでも、目を覚ました時は、なんだか凄く長い時間寝ていたような気になります。

昔、長距離トラックで東名高速を往来していた頃、どうにも眠くて危険を感じた場合には、良く豊橋のバリアを越えたところの駐車スペースで一休みしたものです。その際、後ろの寝台を使うとと朝まで寝てしまうし、運転席のシートを倒しただけでも、かなり長い時間寝てしまうから、そのまま窓に頭をもたせ掛けて寝ることにしていました。この姿勢だと長くても20分ぐらいで目が覚めます。

さて、ある晩、大阪から東京へ向かって東名を走行中、岡崎を過ぎた辺りで凄まじい眠気を感じた為、『こりゃ一眠りした方が良いなあ』と思いつつ、「ハッ!」と気がついたら、前のトラックが目前に迫り、今にも衝突するかのようです。

『しまった! 居眠り運転だ!』と血の気が引くのを感じながら、必死にブレーキを踏みしめたものの、前のトラックとの車間距離は変わらず、依然として目前に迫ったまま、『うわーっ、ぶつかるー!』とハンドルを握り締め、半ば腰を浮かして、ブレーキに全体重を乗せました。

と、そこで気がついたのですが、自分のトラックも前のトラックも静かに停車していて、何処かで駐車中といった様子。我に返って、辺りを見渡してみたら、そこは豊橋のバリアを越えたところでした。でも、事実“半ば腰を浮かして”いたし、ひょっとすると、実際に「うわーっ!」とか悲鳴を上げていたかもしれません。

窓に頭をもたせ掛けていると、バリアから出た車が直ぐ横を走って行くのが視界に入る為、寝ぼけた頭は、自分のトラックが走っているように感じてしまったようです。


5月20日 (火)  何の御用でしょう?

先週の木曜日、近所のドライ・クリーニング取次店に初めてワイシャツを三枚お願いしたところ、受付にいた愛想の良い兄貴は、私の名を尋ねてそれを台帳に書き込み、「土曜日には上がっていると思います」と言うだけで、伝票も切りません。

まあ、こういうアバウトさはトルコじゃ当たり前のことだから、気にしないでお任せし、土曜日に取りに行くと、兄貴は私の顔を見るなり、「まだ来てないんですよ。夕方には来ると思いますが・・・」と恐縮そうな様子。私も急いでいたわけじゃないから、文句も言わずに店を後にし、今日、また出かけてみたところ、兄貴は私の顔を見ても何の反応も示さないばかりか、「何の御用でしょう?」などと間の抜けたことを訊きます。

私が呆れ返りながら、「ワイシャツを三枚取りに来たんだよ」と言っても、「はあ?」と要領を得ない表情のまま、後ろに掛かっているワイシャツの一群をかき分けたのですが、ちょうどそこに私のワイシャツが見えたので、「それだよ。その三枚だよ」と今度は少しきつい調子で言い放つと、兄貴は尚も「えーと、御名前は?」だなんて戯けたことを抜かします。

これに私は苛立ちを隠さずに名前を告げ、内心、『こいつどうしたんだ? 陽気が良くなって急にボケてしまったのか、それとも元来こういう奴なのか?』と考えていたら、そこへ奥の方から、もう一人兄貴が出て来て、愛想良く「メルハバ!」と挨拶するではありませんか。私は二人の兄貴の顔を見比べたまま唖然とするばかりでした。しかも、この二人、兄弟ではあっても双子ではないというから驚きます。世の中には良く似た兄弟がいるものです。 


5月31日 (土)  遠くへ行きたい

今月は地方へ出かけていた日が多くて、イスタンブールには12日間しかいなかった勘定になります。でも、出掛けたのは同じ地方ばかりで、あちこち旅していたわけではありません。

私は日本を遠く離れたトルコでブラブラしているため、旅の達人ではないかと勘違いされそうですが、実を言えばそれほど旅行が好きな性質ではないし、これまでに旅した地域もごく限られています。もちろん、せっかくトルコにいるのだから、見聞を広める為に隅々を回ってみたいとは思うけれど、昨今は長距離バスの運賃等も随分高くなり、暇があるだけでは、そう簡単に旅行などできなくなりました。

こうも物価が上がってしまう前に方々出掛けて置けば良かったでしょう。都合13年近くトルコにいながら、未だに有名な観光地であるパムッカレやアンタルヤさえ訪れていないのでは、少々情けなくなります。

91年、トルコ語を現地で学んでみようとやって来る前には、トルコを旅行したことが一度もなかったばかりか、海外へ出掛けたのはお隣の韓国だけで、こちらも語学留学でした。今もって、トルコと韓国以外に訪れた外国は、ギリシャと北キプロスを数えるのみ。これも何だか間の抜けた話です。

http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2004&m=4

この“便り”にも記したように、私は行く先々でいろんな人たちと話すことを楽しみにしているから、言葉の通じない所へあまり行く気にはなれません。短期旅行よりは長期滞在型です。

シベリウスの音楽を聴いていてフィンランドへ語学留学したくなったこともあります。トルコへの興味が募った背景には、“オスマンの軍楽隊”がありました。カチューシャやボルガの舟歌でロシアを夢みたことも・・・。しかし、どういうわけか、モーツァルトやベートーヴェンの音楽を聴きながら、格別ウィーンへ行きたくなったことはないのです。あれは既に“世界の音楽”になっているからでしょうか。モーツァルトの四重奏曲などを聴くと、何故だか京都の街並みが思い出されたりします。イスタンブールの街並みなら、ラフマニノフのピアノ協奏曲二番でしょう。三楽章のエキゾチックなところでボスポラス海峡を一渡りです。

経済的に余裕があれば、いろんなところに行ってみたくなるかもしれません。漢詩の世界を旅するとか言って、実は“中華食い倒れ紀行”なんていうのもやってみたいけれど、まあ叶わぬ夢でしょうね。