Diary 2008. 4
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4月5日 (土)  ベートーヴェンのロマンス

私がクラシック音楽を聴くといっても、それは、難しい部分が解らないから、耳馴染んだ通俗曲を飽きもせずに繰り返し聴いているだけのことです。いつも、パソコンに取り込んである曲をヘッドホンで聴いているけれど、演奏家の名前などをちゃんと記録して置かなかった為、下手をすると曲名も良く解っていなかったりします。

最近、頻繁に聴いているのは、モーツァルトのヴェスペレという教会音楽の中の2曲で、パソコンの画面には“Beatus vir”“Magnificat”と表示されるものの、これが正しい曲名なのか良く解っていません。それから、ベートーヴェンのミサ曲ハ長調の2曲目“グロリア”。その内に飽きるだろうけれど、今のところ3日に一度ぐらいは聴いているような気がします。

昔、東池袋のボロアパートに住んでいた頃は、1年ぐらいの間、殆ど毎晩のようにベートーヴェンのピアノ協奏曲4番の第1楽章を聴いていました。特に理由はなかったと思います。馬鹿の一つ覚えってヤツじゃないでしょうか。

シベリウスのバイオリン協奏曲というのも飽きることなく聴いていたけれど、当時は韓国から戻ってきたばかりの頃で、シベリウスは韓国で何度か聴かされて好きになりました。フィンランディヤなどが、“祖国の独立”をテーマにしている所為か、韓国にはシベリウスのファンが多かったようです。私はこのバイオリン協奏曲を聴きながら、トルコへ行こうかフィンランドへ行こうか迷ってしまったほどで、当時、トルコの物価がもっと高かったら、フィンランドに決めていたかもしれません。とはいえ、あの曲も2年ぐらいすると飽きてしまったし、曲だけのイメージで行ったら、多分、あまり長続きしなかったでしょう。トルコの物価が安くて良かったと思います。

毎晩聴くようなことはなかったものの、高校生の時分からずっと好きで、今も良く聴いているのが、ベートーヴェンのロマンス1番2番。なんとも“おセンチ”な曲だから、これが好きだというだけで気恥ずかしくなってしまいますが、酒を飲んで酔いのまわった頃に1番の方を聴いたりすると、思わず涙ぐんだりして、我ながら“馬鹿じゃなかろうか?”と呆れるばかりです。

でも、涙ぐむなんて言えば、「甘いロマンティックな曲なのに・・・」と思われるでしょう。確かに、あれは恋人のことを思ったりしながら甘い気分に浸る曲であるかもしれません。しかし、私にとっては、ずっと“有りもしない恋”を夢見る悲しい曲でした。それが、この歳になると、いよいよ先が見えてしまっているから、かつての“夢幻に終った恋”に思いを馳せれば、涙腺もだらしなく緩みっぱなしになってしまいます。

ヘッセの“車輪の下”を読んだ時、「ハンス・ギーベンラートの流した涙は清く美しかったに違いない」なんて言いながら粋がっていたけれど、この酔っ払った中年男の流す涙ほど醜くて汚らしいものは他にないでしょうね。けれども、あの“おセンチ”な感動には捨てがたい味わいがあるから、「恋人がいる人たちには味わえない感動だろうなあ」などと勝手なことを思ってほくそ笑んでいるのです。



4月6日 (日)  コンスタンティノポリ総主教庁

先月、正教会のコンスタンティノポリ総主教庁の辺りをちょっと歩いて来ました。イスタンブールの旧市街、金角湾に面したフェネルという所にあります。

コンスタンティノポリ総主教と言えば、全世界の正教会で名誉上の最高の地位にあるというから、総主教庁が所在するアヤ・ヨルギ教会(聖ゲオルギオス大聖堂)も、さぞかし立派な教会だろうと思いきや、規模はそれほど大きなものじゃありません。ビザンチンの時代に総主教が所在していた巨大なアヤ・ソフィアはもちろんのこと、新市街のタクシム広場付近にある正教教会のほうがよっぽど立派なくらいです。

アヤ・ヨルギ教会の近くの高台には、トルコ国民の正教徒の子弟が通う民族学校があり、特徴のある大きな建物は遠くからでも一際目を引く為、少なからぬイスタンブール市民が、こちらこそ総主教庁であると勘違いしていて、私も最初はそう信じていました。

イスタンブールに住んでいる正教徒は、シリアとの国境に接するハタイ県から移住してきたアラブ系の正教徒を含めても高々5千人ほどであると言われ、総主教庁の周囲にはアラブ系の正教徒たちが僅かばかり暮らしているだけのようです。

アラブ系正教徒の中には、イスタンブールへ移住した後、授業がギリシャ語によって行なわれる正教徒の民族学校で学んだ人たちも多く、彼らは母語であるアラビア語とトルコ語だけではなく、ギリシャ語も話します。

ルームと呼ばれるトルコのギリシャ系住民である旧居の大家さん家族の場合、昨年亡くなったマリアさんもそうでしたが、娘のスザンナさんは、こういったアラブ系の正教徒をあくまでも同胞と見なして、親しい友人づきあいを続けているけれど、ギリシャ本国では、ギリシャ人正教徒の為に設立された民族学校へアラブ系住民の子弟が多く受け入れられていることを快く思っていない人たちもいるそうです。

写真は、左が高台にある正教徒の学校、真中は総主教庁アヤ・ヨルギ教会の外観、右はその内部の祭壇です。

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4月7日 (月)  総主教庁のお陰で商売繁盛

昨日の“便り”でお伝えした“コンスタンティノポリ総主教庁”を後にして、少し坂を下った所の角にある土産物屋の店先を見ると、ギリシャ文字で記された看板が置かれていました。

この散策で御一緒させて頂いた日本の方は、ギリシャ語が少しお解りになるので、「これは何と書いてあるんでしょうねえ?」というようなことを話していたら、店番していた何だか垢抜けない雰囲気の青年がしゃしゃり出て来て、ギリシャ語の発音とその意味を得意そうに説明するのですが、青年はどちらかと言うと、アラブとかクルドに多そうな濃い顔で、あまりギリシャ人らしく見えません。

まあ、ギリシャ人にこういった顔が全くないということではないものの、その垢抜けない野暮ったさは、少なくともイスタンブールのギリシャ人であるルームの人々には見られないように思えました。

私はこの青年にちょっと胡散臭いものを感じながら、「君はギリシャ語が解るのか?」と訊いたところ、彼は両親がハタイ県出身のアラブ系正教徒であり、正教徒の民族学校を卒業しているから、ギリシャ語にも堪能なんだそうです。胡散臭いなんて思ったのは申しわけなかったけれど、青年は少し人見知りする性質なのか、最初はえらくぶっきらぼうな態度でした。写真を撮る為にもう一度出直した時には、ニコニコしながら握手を求めてきて、イスタンブールにある他の教会などについても説明してくれました。

土産物屋には、イコンのレプリカといった正教会にまつわる品々から、水タバコのセットなど如何にもトルコらしい土産物まで色々並べられていましたが、中でも異彩を放っていたのが、トルコでテスピと言われている数珠のようなもの。トルコのテスピは、普通、珠が33個ついていて、99あるというアッラーの称号を念じながら珠をずらして行き、3巡したらまた最初から念じて行きます。

本来、イスラム教徒が使うものではないかと思うけれど、ギリシャでも多くの男性が手にしているのを見たことがあったから、『あれはいったいどういう意味なのか?』と常々疑問に感じていました。青年の話によれば、ギリシャの“テスピ”は、珠が17個でイスラム教とは何の関係もないそうです。しかし、青年も“なぜ17個なのか”は知らないようでした。

私たちが青年と話していると、店の経営者らしき30代半ばの男も出て来て、こちらはギリシャ人としてもおかしくない風貌でしたが、やはり垢抜けない様子と目付きの厳しいところに剣呑な雰囲気があり、これまた少なくともルームではないように感じました。ギリシャ語が解るのか訊いたら、「少し」と答えたものの、急にギリシャ語で話し出したりして、店で使う簡単な会話ぐらいなら出来るようです。

ひょっとして、黒海地方のトラブゾン辺りにあるという“ギリシャ語を話す村”の出身ではないかと思い、故郷を尋ねてみたところ、「シールト」という答え。それなら、クルドかアラブでしょう。クルド語で「チュワニバシィ(こんにちわ)」と挨拶してやったら喜んでいました。まさかとは思いながらも、一応「正教徒じゃないでしょう?」と確認したら、「敬虔なムスリム」なんだそうです。

土産物屋は、コンスタンティノポリ総主教庁を訪れるギリシャ人観光客らが引きも切らずやって来る為、結構繁盛しているらしく、小売だけに留まらず、卸売りやギリシャへの輸出まで手掛けていると言います。

しかし、ここでギリシャ人相手に土産物を売れば巧く行くだろうということぐらい、誰にでも想像がつくのではないかと思うけれど、こうして果敢にチャレンジするのは、大概が南東部出身のクルド人等であるような気がしてなりません。

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4月8日 (火)  ブルガリア正教会の教会

コンスタンティノポリ総主教庁から歩いて5分ぐらいのところにアヤ・ステファンというブルガリア正教会の教会があります。これは鉄材を組み合わせて造られた“鉄製”の教会であり、1896年に完成しました。辺りは金角湾に面した湿地帯で地盤が弱かったことから、この工法がとられたそうです。

イスタンブールに残っているブルガリア人の正教徒は、既に500人を割っている為、特別な祝祭等に限ってミサが営まれるという状況で、私が訪れた時も、教会にいたのは管理人の中年男性だけでした。この管理人さんは、ハタイ県出身のスリヤーニ(シリア正教徒)であるものの、トルコ語の他に、母語としてスリヤーニ語ではなくてアラビア語を話し、ブルガリア語も解らないと言います。

先日、旧居のスザンナさんのところへ寄ったら、以下の06年5月29日の“便り”で紹介したことのあるデスピナーさん(名前やっと解りました)が遊びに来ていたので、ハタイ県出身の彼女に上記の話を伝えたら、彼女は総主教庁の近くに住んでいて、アヤ・ステファンの管理人さんも隣近所で良く知っているそうです。世の中狭いものだと思いました。

2006年5月の“トルコ便り”
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2006&m=5

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4月9日 (水)  イスタンブール映画祭

4月5日〜20日まで開催されているイスタンブール映画祭で、北野武監督の「監督・ばんざい」を観てきました。映画は、ここ数年ほとんど観ていないし、元来それほど関心があるわけじゃないけれど、ビートたけしは何といっても“我らがヒーロー”だから、やはりこの機会に観ておかなければと思ったのです。

観た感想は、正直申し上げて、何が何だかさっぱり解りませんでした。私が映画というものを良く解っていないからでしょうか。爆笑するようなシーンはいくつかあったものの、あの乗りであれば、随分前に観た同監督の「みんな〜やっているか」の方が、私にとっては、よっぽど面白かったかもしれません。でも、当時、あれをゲラゲラ笑いながら観ていたら、友人たちから「何処がそんなに面白いのか?」と怪訝な顔をされてしまいました。笑いの壺というのは、人によって大分違いがあるようです。

今回の「監督・ばんざい」も、外国の人たちが観た場合、日本語や日本の風俗、芸能事情などが相当解っていなければ楽しめそうもないシーンが多く、実際、笑えるシーンでも笑っている人は少なかったように思います。しかし、右隣に座った青年と左隣の若い女性はちょっと例外で、江守徹がご飯にマヨネーズをかけながら「やっぱり日本人は温かいご飯にマヨネーズだよな」と言う場面に、直ぐ反応して笑っていたから、『もしや?』と思い、後ほど日本語を知っているのかどうか尋ねてみるつもりだったけれど、二人とも上映が終ると未だクレジットが流れている間にさっさと席を立ってしまい、結局、訊き損ねました。でも、若い女性の方は、私の前を横切る時に「すみません」と声を掛けていったような気がします。それなのに、この私は耳が悪いものだから、「あれ? 今の日本語だったよな?」と先ずは確信が持てなかったうえ、反射神経の鈍さでまごまごしていて、声を掛ける機会を失ってしまったのです。

まあ、映画に限らず芸術といったものは良く解りません。5年前、ソウルを訪れた時、市内でたまたま“オノ・ヨーコ展”というのが開かれていたので、ちょっと立ち寄ってみたことがあります。アートでも特に前衛となれば、最初から全く解る気がしないので、その手の展覧会は興味を持ったことさえなかったのに、いつだったか、オノ・ヨーコの“ただの私”というエッセイを読んで、「なかなかユーモアがあって面白い人だな」と気になっていた為、どういう作品なのか一度見てみたくなりました。

しかし、やはりそれは私の理解の範囲を超えていたようです。その時、展示されている品々の何処にエスプリがあるのか見当もつかないまま、どんどん難しい顔になりながら一つ一つ観て行く内に、ふと、『ひょっとしたら、展示会場の何処かにカメラが仕掛けてあり、カメラの向こうには、オノ・ヨーコさん本人がいて、自作品の前で悩み苦しむ私たちのことを見ながら楽しむ、というエスプリじゃないだろうか』なんて妙なことを考えたりしたけれど、今日の映画にもそんな伏線を想像してみたら結構面白いかもしれません。


4月11日 (金)  野茂投手、1000日ぶりにメジャー登板

“時に感じて 花にも涙を濺ぎ、別れを恨んで 鳥にも心を驚かす”という詩は、つらい時世に何を見ても悲しくなり、何を聴いても心穏やかでいられない心境を詠んだものと教わったけれど、『それだけ何にでも感動していたってことじゃないのかなあ』と思ったりもします。何かに感動したり、感傷的な気分に浸ることで心を紛らわしていたのではないでしょうか。

私も最近こう行き詰った生活をしていると、神経が過敏になってしまうものなのか、ちょっとしたことに落込んで感傷的な気分に浸ってしまうこともあれば、良いニュースを聞いて大いに感動して勇気付けられることもあるから、人間は何処かで巧くバランスが取れているのかもしれません。

今日は、この感動的なニュースに心から嬉しくなりました。「野茂投手、1000日ぶりにメジャー登板」。

野茂投手に会ったことはないし、別に大ファンというわけでもないけれど、以下のような思い出もあって、何だかとても親しみを感じているのです。

95年〜96年にかけて長距離トラックの運転手をしていた時、一度だけ新日鉄堺へ積荷を運んだことがあります。積荷を降ろして門の所まで戻ると、門の脇に小さな食堂を見つけたので、ちょっと腹ごしらえして行こうと思ってトラックを停め、その食堂へ寄ってみました。

食堂にはカウンター席と四人がけのテーブルが二つか三つしかなかったのではないかと記憶しています。お客さんは一人もいませんでした。そこで、適当に四人がけテーブルの一席へ腰を下ろすと、お茶を持ってきてくれたおばさんが、嬉しそうに「あんた知っているかい?」と話し始めたのです。「その席にはねえ、いつも野茂さんが座っていたんだよ。でも、野茂さんの足はこんなに太かったから、あんたみたいにそうやってテーブルの中へ足を入れることが出来なくて、足をこう横に出して座っていたものさ」。

おばさんは、初めての客であれば何処へ座ろうと同じようにこの話を披露していたのかもしれません。当時、野茂投手は既にメジャー・リーグで活躍していて、新日鉄堺に在籍していたのは、その5〜6年も前のことだから、いったいおばさんは、何人ぐらいの客に同じ話をして来たのでしょう? なんとなく、野茂投手の人柄が分かるような気がしました。

それから、96年に野茂投手がノーヒット・ノーランを達成した時も、私はこのニュースを東京から大阪へ向かうトラックの中で聞いています。静岡の辺りを通過しているところでした。ニュースを聞いたら何だか急に元気が出て来て、いつもは長く感じるその先の道中がとても楽に感じられたものです。



4月12日 (土)  再び庶民的な商店街へ

今日、先月24日の“便り”で話題にしたウムラニエのジーパン屋さんを再び訪れ、10YTL(約1000円)のジーパンをもう一本買って来ました。

今日は、パンクっぽいオネーサンが他の客を見ていて、私のところへはスカーフをきっちり被った敬虔そうなオネーサンが来たけれど、このオネーサンも愛想が良くて丁寧な応対でした。でも、ジーパンの裾を合わせてくれた時に、鏡を見ながら「ちょっと長いようだけれど・・・」と言ったら、「いや、このぐらいの長さが適当です」ときっぱりした口調。パンクのオネーサンは、そう言ったら「じゃ、これぐらいでは?」と直ぐに少し上げてくれたのに、今回、そのきっぱりした口調には妥協を許さない強い響きが感じられました。

まあ、これは無茶苦茶に偏見と先入観が入った見方かもしれませんが、トュルバンと呼ばれるきっちりとしたスカーフ姿の若い女性たちは、総じて自己主張が強いように思えます。そもそも頭のスカーフ自体が強く自己を主張するものであるかもしれません。もちろん、パンクっぽいのも自己主張には違いないのですが・・・。

会計している時に、経営者らしき男性が「他にお求めになるものはありませんか?」と尋ねたので、「また今度にしますよ」と答えたところ、スカーフのオネーサンは「このお客さん、以前もお求めになっているんですよ」とすかさず言い添えてくれました。自分で担当したわけじゃなくても、この辺りで外国人のお客は珍しいから、なかなか忘れないのでしょう。

裾合わせは、ここでオネーサンが位置を合わせて目印の針を挿してくれるものの、実際に詰めるのは近所にある指定の裁縫屋まで行かなければなりません。その裁縫屋さんは、小さな作業場にミシンを一つ置いて営業していますが、イスタンブールにはこういった店が至る所にあります。イスタンブールの主婦たちは、あまり裁縫仕事などしないのでしょうか?

裁縫屋さんもこれが二度目だから、未だ30前ぐらいの青年店主は私のことを良く覚えていて、先ずはお茶を勧めてくれました。

それから作業に取り掛かると、そこへ物乞いのお婆さんが入って来たので、青年は作業を中断し、幾ばくかの金を渡して追い返した後、私の方を振り返り、「日本にああいうのはいないでしょう?」と不安そうな表情で訊きます。トルコの人たちは外国人にそういうところを見られるのが恥ずかしくて堪らないようです。

「日本では誰も施しをしないから物乞いが成立しないだけで、ああいう人は何処にでもいますよ」と言ってあげたら、ホッとしたような笑顔を見せていました。実際、日本では物乞いが成立しないから、浮浪者の人たちは残飯を漁るよりないのだろうけれど、青年があれを見たら随分驚くに違いありません。

トルコでは、物乞いが確かな収入を得られる“職業”としてまかり通っているため、残飯を漁らなければならない人など何処にもいないのです。これには施しを勧めるイスラムの教えも影響を与えているでしょう。バイラムと呼ばれるイスラムの祝祭期間には、物乞いが目立って増えるように感じます。青年は、「あの人たちの多くが、馬鹿にならない収入を得ていることは知っていますが、心の弱い所へ訴えて来るから、ついお金を渡してしまうんですよ」と残念そうに話していました。

しかし、残飯を漁る浮浪者に憐憫を感じるどころか、集団で暴行してしまう若者たちが存在する社会よりも、“ついお金を渡してしまう”社会の方が遥かに健全と言えるかもしれません。