Diary 2008. 3
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3月3日 (月)  最後の一葉?

先月は、“最後の一葉”なんていう話を書いただけで、その後まったく更新しなかったものだから、『とうとう最後の一葉も落ちてしまったか』と思われてしまったかもしれません。実は中旬より2週間ほど地方へ出かけていました。

さて、先月の28日に、エミノニュから船でアジア側へ帰ろうとしていた時のことです。

春の到来を思わせるような陽気と心地よい船の揺れが眠りを誘い、思わずのんびりとした夢の中を彷徨っていたところ、何処からか「マコト、マコト」と呼ぶ声にボンヤリとしたまま目を覚まして前を見たら、アナトリア通信のチーフカメラマンだった友人のアリさんがプロ用の大きなカメラを肩から提げてにっこりと微笑んでいました。

こうして偶然に気心の知れた友人に会うと格別嬉しい気分になります。一日を得したような感じです。よっこらしょと立ち上がってアリさんの手を固く握り締めて挨拶したら、アリさんはニヤニヤ笑いながら「君は良く寝ていたよ」と言い、デジタルカメラで写した私の寝姿を見せてくれました。アリさんは、船の中で眠りこけている私を発見して近づき、「マコト、マコト」と呼びかけて起こす前に素早く一枚撮っていたのです。寝ている私にそっとカメラを構えるアリさんとそれを不思議そうに眺める他の乗客たちの姿を想像したら、何とも可笑しくて、さらに3日ぐらい得した気分になりました。

しかし、この情けない寝姿、“最後の一葉”は今にも落ちてしまいそうに見えます。

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3月7日 (金)  名誉を綺麗にする?

先月の“便り”で紹介した「ヤプラック・ドキュム(落葉)」という小説の主人公アリ・ルザ・ベイ、この人物は余り信心深くない世俗主義的な教養人として描かれているものの、事が女性の貞操に至ると、私如きには何とも理解し難い拘りを見せていました。

長男が勤務先の銀行で金を着服して逮捕された時にはそれほど動揺しなかったアリ・ルザ・ベイですが、次女のレイラが既婚の男性と不倫の関係に陥るや、絶望の淵へ追いやられ、精根尽き果ててしまいます。トルコの男たちにとって最も大切な“ナムス(名誉)”を傷つけられてしまったことがアリ・ルザ・ベイには我慢できなかったのです。しかし、私たちの感覚では不倫より何より、銀行で金を着服してしまうことの方がよっぽど大きな問題じゃないでしょうか。

この小説では、アリ・ルザ・ベイが最後に次女と和解しているけれど、今でもアナトリアの東部地方へ行けば、“ナムスヌ・テミズレメッキ(名誉を綺麗にする?)”と言って、“名誉”を汚した女性や相手の男を殺してしまったりすることがあるそうです。

【52】兄弟に撃たれた女性は見殺しにされたも同然だ【ラディカル紙】【2004.03.02】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00052.html

この記事が伝えている事件、無抵抗の女性を撃ち殺してしまうという卑劣極まりない犯行の一体何処が“名誉を綺麗にする”ことなんでしょうか? 逆に、これほど不名誉なことはなかなかないように思えます。一方、殺されてしまった女性は、「相手の男の妾になって村を出て行け」という部族の命令に逆らい、気丈にもその名誉を守ろうとしました。極めて保守的な東部の村々でも、既に女性たちの意識は高まって来ているわけで、これをほのかな希望であると見ることもできるでしょう。

もちろん、イスタンブールで私の周囲にいる男たちは、教養や信仰の有る無しに関わらず、一様にこういった事件を非難しています。ただ、80年前のアリ・ルザ・ベイが見せたような貞操への拘りは、現在の世俗主義者においても、それほど変わっていないかもしれません。貞操などというものは冗談のネタにしかならないほど性の文化が成熟した卑猥な東洋の国から来た私には、どうにも理解できないことがまだまだあるようです。


3月9日 (日)  韓国語を学んだトルコの青年

先月、地方へ出掛けた折に、韓国語の通訳をしているトルコ人の青年と知り合いました。青年は2005年にアンカラ大学の韓国語学科を卒業してから韓国へ留学し、延世大学語学堂の課程を修了してきたそうです。88年度の修了生である私は彼の先輩ということになるけれど、最近、私の韓国語も大分怪しげなものになってしまい、若く新鮮な頭脳にハングルの知識を叩き込んで来たばかりの青年にはとても敵いません。

その韓国語のレベルはかなりなものであるし、トルコには韓国語の研究者も未だ余りいないだろうから、学業を続けて教授を目指して見る気はないのかと青年に尋ねたところ、「先生からもそう勧められましたが、大学の給与ではとてもやっていけません」と言います。

青年の話では、大学の研究員としてスタートした場合、当初の給与は900YTL(約9万円)ほどであり、助教授になると1500YTL、教授になっても2500TTLぐらいにしかならないそうです。

教授の25万円はかなり少ないかもしれませんが、研究員でも9万円もらえるのなら、それほど悪い話じゃないと私は思いました。トルコの物価がここ数年の内に驚くほど急上昇したとは言え、私も未だ6〜7万円で何とか一月暮らしているし、彼が教授になる頃には教授の給与も上がっていることでしょう。

しかし、「結婚した場合、共稼ぎでもかなり難しい」という青年の主張にも頷かされました。結婚したら、私たちのように家賃を3人でシェアというわけにも行きません。青年はなかなかの二枚目だから、きっとロマンスがあるのでしょう。真面目な性質だから、そうなると結婚しなければならないと考えているのでしょう。この先、ロマンスもへったくれもない寂しい中年の独身男と一緒にされては困るかもしれません。

だからと言って、一攫千金や奢侈な生活は望んでいないようです。青年が韓国に留学していた頃、周囲には、“トルコの近代的なイスラム”として有名なフェトフッラー師の教団から財政支援を受けている留学生等がいて、彼も勧誘されたそうだけれど、“信仰心がないのに教団の支援を受けたら嘘になる”と考えて断ったと言います。「教団の支援を受けながら、ディスコに行っては飲んで遊んでいるような連中もいましたが、それは正しいことじゃありません」。拝金主義が蔓延り、全てが金でなぎ倒されてしまうのではないかと憂慮されている今のトルコで、この青年の心意気は見上げたものではないでしょうか。

青年が語ったところによれば、イズミルで生まれた彼のお父さんは、6歳にして孤児となってしまい、その後、イズミルで安く仕入れた土産物を近郊のリゾート地へ持って行って外国人観光客らに売りながら財を成し、貴金属商の店を持つに至ったそうです。その当時は、外国人観光客が訪れ始めたばかりの頃だから、少年の売る土産物は飛ぶように売れたのだとか。このサクセスストーリーには私も感動したけれど、『もしも、彼が大学教授になれば、親子二代の素晴らしい物語が完結するのになあ』と少し残念な気持ちにもなりました。


3月18日 (火)  エディルネ名物“牛レバー・フライ”

2006年5月30日の“便り”で御紹介したエディルネ名物“牛レバー・フライ”。

http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2006&m=5

この“牛レバー・フライ”をやっている店がイスタンブールにもありました。場所はベシックタシュからバルバロス大通りを上がって行った左側。私がこの店を発見したのは2ヶ月ぐらい前のことだけれど、その時すでに開店から1年は経っていたそうです。看板に“有名なエディルネのレバー・フライ”と銘打ってあります。

カリカリと香ばしく揚がっているからビールに合いそうですが、残念なことに酒類は置いていません。店の人が「日本人らしい人たちが良く前を通るのに入って来てくれないんだよね」とこぼすので、「ビールがあればね・・・」と言ってやったところ、「それは日本の人たちが来店するようになったら検討するから、ここに日本語で“牛レバー・フライ”と書いてくれよ」なんて、紙とボールペンを出されてしまいました。

酒類を置くためには別途に許可証を取らなければならず、負担も掛かる為、見込みだけでは投資できないということなんでしょう。仕方なく、「牛レバーのカラあげ。美味しいですよ!」と書いてあげたけれど、あの下手な字では「何だこりゃ?」と思われてしまうかもしれません。

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3月21日 (金)  イスタンブールで成功したマルディン出身のクルド人

一昨日、イスタンブール観光のメッカとなっているスルタンアフメット界隈を歩いていて、馴染みのレストランの前を通り掛ったら、何処かで会ったことのあるような若者に声を掛けられたので良く見ると、そこの経営者の息子でした。4年ぐらい前、父親の経営するレストランへ良く遊びに来ていた彼と度々会っていたけれど、当時、中学生だった少年が見違えるほど大きくなっていたので、一瞬誰だか解らなかったのです。

レストランの経営者アブドゥルラーマンさんは、南東部のマルディン出身のクルド人で、92年に私が始めてイスタンブールへやって来た頃は、今のレストランの近くで雑貨と食料品を売る小さな店を一人でやっていました。朝早くから夜遅くまで店を開けていたから、私も時々そこで買い物したけれど、その界隈の安宿に宿泊していた日本人バックパッカーたちは、「あの親爺、必ずボルぜ」と噂していたものです。

それが、98年に再びトルコへ舞い戻ってきた頃には、店を大きくして従業員も雇い、暫くするとレストランの経営にも乗り出し、今では外国人ツーリスト用のホテルから旅行代理店に至るまで手広く事業を展開しています。

それでも、なかなか初心を忘れないところがあって、レストランも朝早くから営業し、時には自ら朝食のサービスに努めたりしていました。しかし、周囲の人たちは、やっかみもあるのか、今もって余り良い噂はしていません。一度は、レストランの前で良からぬ男から因縁をつけられた上に、ピストルで撃たれたこともあったそうです。幸い、銃弾は彼の足に当たっただけで、翌日も足を引き摺りながら店に出て来たというから、やはり並の根性ではないのでしょう。

それに、根性ばかりでなく、愛想も人一倍良くて、そのレストランで食事したことなど滅多にない私が店の前を通っても、古くからの顔見知りであるというだけで、必ず話しかけてきてお茶を振る舞ってくれたりします。これなら商売の方も巧く行くに違いありません。

また、4年ほど前、中学生だった息子が、「インターネットをやりたいけれどパソコンがない」なんてボヤくので、軽い気持ちで「パソコンぐらい買ってもらいなよ」と言ったら、数日後、アブドゥルラーマンさんから、珍しく真剣な表情で「うちの倅を甘やかさないで下さい」と頼まれてしまいました。

「あの子は幼い頃に腎臓を患ったものだから、私の母が思い切り甘やかしてしまったんです。店に来れば、今度はお客さんたちが甘やかすから、もう店に来るなと言ってやりました。パソコンの件も、実は学校の成績が良くなったら買ってやると約束していたけれど、成績は下がっています。私はわざわざ学校まで行って先生から話を聞いているんですよ」と語るアブドゥルラーマンさんは、トルコの父親として、なかなか教育熱心な方であるかもしれません。

アブドゥルラーマンさんからは、クルド問題についても度々話を聞いたことがあります。

2002年の総選挙を前にして会った時には、クルド系の政党に票を投じると明らかにし、「時々店に来ている田舎風な服装をしたおばさんがいるでしょ。あれは私の母なんですよ。母は未だにトルコ語が殆ど話せないし、テレビを観たってこれも殆ど理解できません。クルド語を解放してくれという我々の主張はここにあります」と熱っぽく語っていたけれど、選挙後に会って話を聞いたら、「南東部ではクルド系の政党が勝利したと報道されているけれど、ディヤルバクルでも56%の得票に留まったのは、明らかな敗北です。多くの同胞が民族的な主張より経済的な安定を選択したということだろうね」と冷静に選挙の結果を分析していました。

それ以前のことですが、「遥かなるクルディスタン」というクルド問題を扱った映画がトルコで公開された時に、シナリオのあらすじを読んでみたところ、クルド人の家々に×印をつけるという話が出て来たので、まさか事実ではないだろうと思って彼に尋ねると、「そんなことあるわけないでしょ」と一笑に付した後、「その映画を未だ観ていないから何とも言えないが、ちょっと大袈裟に話を作り過ぎているようだね。しかし、90年代の中頃には、テロに関与しているんじゃないかと疑惑を持たれていたクルド人が突然死体となって発見されたり、恐ろしい事件が沢山あって、これは新聞でも報道されたけれど、有名な実業家とか高級官僚だったクルド人が殺された時しかニュースにならなかった。実際は名も無いクルド人がもっと殺されていたんだ。マフィアの仕業といっても何らかの形で政府の人間が関与していたと思う。疑惑を持たれただけで、証拠もないのに、裁判に掛けられることもなく葬られてしまったんだよ。あの頃、郷里から友人が私を訪ねて来て、彼が夜9時にスルタンアフメットの駅を降りて歩いていたら、警官から身分証明書の提示を求められ、マルディンの出身であるということだけで署に引っ張られてしまったこともある。私は署の連絡を受けて彼を引き取りに行き、そこで強く抗議した、“この国では普通の国民が夜の9時に街を出歩いちゃいけないのか”って。深夜の2時とかならともかく、夜の9時だよ。署長は私のことを良く知っているから、“君の知り合いとは思わなかった”と言って謝っていたけれどね」と数年前の状況を振り返っていました。

遥かなるクルディスタン
http://www.cinemaskhole.co.jp/haruka/journeykaisetsu.html

2004年頃、友人の日本料理店に警察署から「南東部出身のクルド人を雇用しないように」と通達があったという話を聞いた時も、アブドゥルラーマンさんに、それがどういうことなのか確かめてみました。

アブドゥルラーマンさんは、「私もクルド人でこのレストランを経営しているんですよ」と不思議そうに首を捻り、「例えば、私も同郷の人間がここで働きたいと言って来た時に、不審な点を感じたら、検察から潔白証明書を要求するかもしれない。でも、“同郷の人間は雇用するな”と言う警察官がいたら、その上司に抗議するね。そうすれば、その警察官の首が飛ぶはずです。トルコにはまだまだ改善されなければならないことが沢山あるけれど、外国の人たちが思っているほど悪い国じゃない。しかし、何処の国へ行っても、おかしなことをする警察官が全くいないことはないでしょ? いつだったか、夜の12時に店を閉めようとしていたら、店の前に止まったパトカーからそういうおかしな警察官が出て来て、“営業は12時までのはずだ。営業許可証を見せろ”なんて抜かすんだよ。だから、そいつがうちの営業許可証をチェックしている時に、私がメモ帳を取り出して、パトカーのナンバーを控えていたら、“何をしているんだ”と言うから、“貴方たちがうちのことを調べているから、私も貴方たちのことを調べて置かないとね”と言い返してやったら、黙って行ってしまったよ。まあ、何かやましいことを考えていたんだね」と説き明かしてくれたものです。彼はこれからのトルコに希望を持っているようで、「テロも収まって来たから、マルディンの辺りは、もう危険じゃない。今後、マルディンは素晴らしい観光地になると思う。できれば、マルディンで外国人ツーリストの為のホテルを経営してみたいね」とその夢を語っていたこともあります。

さて、一昨日久しぶりにあったアブドゥルラーマンさんの息子ですが、彼は今年で高校を卒業することになり、必ず大学へ進むそうです。将来、何をやりたいのか訊いたら、「うーん、多分、ここで観光の仕事をすることになるでしょう。でも、観光業には余り魅力を感じていないんですよね。僕はイスタンブールでホテルをやるくらいなら、アンタルヤのようなリゾート地で展開した方が良いと思いますね」と何だか歯切れの悪い口調で話していました。やっぱり、今の若い人たちは、マルディンよりもアンタルヤに魅力を感じてしまうのかもしれません。


3月22日 (土)  ある老舗菓子店での出来事

去る1月の末、金曜日の昼時に有名な老舗菓子店の近くを通りかかったので、「小腹が減ったから菓子でもつまんで行くか」と思いながら寄ってみたところ、入口のガラス戸に“金曜礼拝の為、×時×分まで営業を休止しております”という伝言板がかけられていて、店内の照明も落とされていました。

時計を見たら、営業再開まで10分ほど待たなければなりません。どうしたものか考えていると、パリッとしたスーツを着ている40歳ぐらい男がやって来て、同様に伝言板を見てから、「なんということだ!」と大きな声をあげ、周囲の人たちへ訴えるように「イスラムの連中が政権につくとこういうことになるのか? 信じられん。こんなことが許されて良いのか?」と一頻り文句を並べた後で、店の前に置かれたテーブルの席へどっかりと腰を下ろしました。

それからいくらも経たない内に、今度は品の良い身なりの老夫婦がやって来て、「おや? 閉まっているのかな?」と誰にともなく問い掛けると、スーツの男は「ええ、金曜礼拝なんだそうですよ。イスラム政権の影響でしょうかね? 困ったことになったもんです」と少し冷静になって投げやりな様子で答え、老夫婦は「まったくどうなってしまうのだろう?」と嘆息しながら顔を見合わせます。するとそこへ、先ほどから少し離れたところに立っていた30歳ぐらいの大人しそうな男が躊躇いがちに進み出て、「あのう、僕はこの界隈にもう15年ほどいますが、昔からこの店では、金曜礼拝の時に営業を休止していましたよ」と明らかにしたけれど、その服装などを見ると彼自身も信仰心がありそうな感じです。スーツの男が彼のことを見据えながら、「さあ、私もこの店には15年ぐらい前から来ているが、こんなことは見たことがなかったね」と言い返したら、「でも、本当にそうなんですよ」と困ったような顔をしていました。

スーツの男は、その後も店内の様子を窺いながら、「もう時間だろう? いつまで礼拝しているんだ? いい加減にしてもらいたいな」と文句を言い続けていたけれど、店員が出て来てガラス戸を開け、待っていた人たちを招き入れると、何も言わずに店内に入り、進物用と思われる大量の菓子を購入し、店員がサービスで差し出した菓子を美味しそうに頬張りながら、会計が済むまで店員と談笑したあげく、意気揚々と引き上げて行きました。

先日、またこの店に寄る機会があったので、店員にそれとなく“金曜礼拝の為の営業休止”の件を尋ねてみたところ、これは1949年の開業以来のことなんだそうです。

トルコでは、最近、イスラム傾向があるとされているAKP政権が、大学におけるスカーフの解禁などを積極的に推し進めているものだから、疑心暗鬼になっている人々は些細なことでも過敏に反応してしまうのかもしれません。



3月23日 (日)  マルチ商法とスカーフの女性たち

1960年頃にアメリカで創業し、90年代以降、急速に世界へ進出したマルチ商法の某企業は、日本でも色々と話題になっていますが、トルコへは1999年に上陸して着実に販路を拡大しているようです。

2007年6月のザマン紙の記事には、5千5百万ドルの売り上げが1億ドルを上回れば、トルコに生産拠点を置く計画があると明らかにされていました。

しかし、そのマルチ商法を批判する声も高まりを見せており、あるイスラム知識人は自身のウェブサイトへ2006年の11月に掲載した記事で、この企業を“金の教団”であると非難しながら、次のように記しています。「・・・スカーフを被った女性や顎鬚を蓄えた敬虔な男たちが、次々とこの教団に加入している。友人のことを、一つはドルのレンズ、もう一つはユーロのレンズが入った眼鏡で見て、“この友人からどのくらい取れるか”と言いながら・・・」。

実は、今日、なんでこういった記事をネットで検索してみたのかと言えば、残念ながら、この“金の教団”に一歩足を踏み入れてしまった友人がいるので、いろいろ注意を促してあげる為の資料が必要になったからです。

友人のことを誘ったのはトルコに住むアルメニア人だそうで、メンバーには「トルコ系ユダヤ人も多い」と言うから、「さもありなん」なんて思っていたけれど、先日、このマルチ商法会社から送られてきた会報を見せてもらったところ、成績優秀なメンバーが表彰されていて、そこにはスカーフを被った敬虔な女性の姿が目立っていたから、これは何だか意外な気がしました。

21組の夫婦と7名の女性からなる成績優秀者が写真付きで紹介されており、この計28名の女性のうち、なんと13名がスカーフを被っていたのです。会報の表紙を飾っている最高賞を獲得した夫婦の奥さんもスカーフ姿でした。

現在、トルコでは7割近くの女性がスカーフを被っていると言われていますが、その大半は農村部の女性たちであり、都市部の勤労女性だけに的を絞って見るならば、13/28は非常に高い数字ではないかと思います。

まあ、正直申し上げて、私はこの手のマルチ商法に元々かなりの偏見を懐いているし、スカーフの女性や宗教そのものに対しても全く偏見がないとは言えないから、あまり公平な見方ではないかもしれませんが、今のトルコに純粋な信仰を持ったムスリムは、いったいどれくらい存在しているのでしょう?



3月24日 (月)  庶民的な商店街でお買い物

ジーパンが綻びだらけになってしまい、さすがにもう寿命じゃないかと思ったから、ウムラニエという地区へ新しいジーパンと運動靴を買いに行きました。

庶民的な商店街であるウムラニエのチャルシュまで、そもそも歩いて20分ほどで行けるし、最近は区政が積極的に“物価の安いウムラニエ”をアピールしているそうなので、試しにここで買い物してみることにしたのです。

ジーパンは10YTL(約1000円)という手頃な値段のものを訳なく購入することができました。なかなか品揃えが豊富で綺麗な店です。店員のオネーサンはちょっとパンクっぽい格好をしていたけれど、愛想も良くて応対も丁寧でした。このジーパンが直ぐに破れなかったら、この店でもう一本買うことにします。

運動靴は、紐じゃなくてバンドで締めるものを探し、三軒目でやっとこれを見つけて値段を訊いたら、72YTLという答えに、まずは肝をつぶされました。2年前に日本で買ってきた同様の運動靴はせいぜい3千円ぐらいじゃなかったかと思います。靴の値段とか余り注意して見たことがなかったけれど、いつ頃からこんなに高くなったのでしょう? 正札にもちゃんと72YTLと記されていました。

店員が何か言ってるのを無視してこの店を後にし、数軒先の靴屋へ入ったら、ここにも似たようなものがあって、今度は50YTL。これもとうてい是認できる値段じゃないから、何も言わずに店を出て、次の角を折れて裏通りを少し行くと、店頭にやはり同じような運動靴を置いてある小さな店があり、そこでも試しに一応は値段を訊いて見たところ、これがなんと35YTL。最初の72YTLショックが効いていた所為か、やたらと安く感じてしまい、ほぼ即決でこれを買うことにしました。

この店は、人の良さそうな中年男が一人でやっていて、多分、この男が店主なのでしょう。彼にこれまでの経緯を話して、なんでこんなに値段が違うのか訊いたら、「それぞれ品質も違うってことですよ」と当たり前のように答えるので、「日本だったら、こんな商品に目と鼻の先でこれほど値段の相違があれば、誰も高い方の店には行かないと思うけどなあ」と言ってやったら、店内で靴を見ていたスカーフ姿の若い女性がこちらを振り向いて、「えーそうなんですか? トルコではあんまり安いと却って売れないですよ。ものが悪いんじゃないかと思ってしまいますからね」と愉快そうに笑っていました。

しかし、それにしてもトルコの靴や衣料品は高いです。見栄っ張りが多いから、目に付くようなものは少々高くても売れてしまうのでしょうか? 私は日本にいた頃から、3千円以上する衣料品は滅多に購入したことがないくらいで、その時々の状況に合わせた最低限の身嗜みで済ませているけれど、同居しているトルコ人の兄弟などは、なかなかお洒落な格好をして外を出歩いています。

彼らはトルコで最も貧しいと言われる中部地方の農村から出て来たばかりですが、それでもファッションには私よりずっとお金を使っているかもしれません。ジャケットやジーンズなど結構高そうなものを良く洗濯して綺麗に着こなしています。しかし、下着や靴下はあまり持っていないのか、洗濯しているところを頻繁に見ることはありません。

先月の“便り”で御紹介した“ヤプラック・ドキュム(落葉)”という小説の一節に、ある潔癖症の男が「一度脱いだ靴下は洗濯しなければ決して履かないほど綺麗好きだった」という風に描かれていたけれど、潔癖症じゃなくても靴下ぐらいはマメに洗濯しなければ臭くなってしまうでしょう。実際、同居人の弟さんなどはかなり激しく匂っています。あれは何というか、納豆の匂いそのものです。ご飯に納豆と来れば、毎日の食事が美味しくて堪りません。