Diary 2008. 11
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11月3日 (月)  イスタンブール・ブックフェア

昨日、11月1日より開催されている“第27回イスタンブール・ブックフェア”を見に行って来ました。会場は郊外にあって交通の便も良くないけれど、市内中央のタクシムから無料の送迎バスが出ているうえ、入場料も5YTLと高くなく(学生無料)、休日を利用した人々で大賑わいでした。『ブックフェアがあれほど盛況なのに、読書人口が一向に増えないというのは、どういうことだろう?』と首を傾げたくなります。

イスタンブール・ブックフェア
http://www.tuyap.com.tr/webpages/kitap07eng/index.php

フェアでは、毎日、著名な作家やジャーナリストによる講演会も多数企画されていて、それぞれ規模の異なる講演会場が割り与えられています。昨日のプログラムには、“メルハバ通信”で「ナターシャ」という記事を御紹介した作家のゼキ・ジョシュクンさんの名も見られ、これが小会場による講演だったので、『御本人とお話しできるチャンスがあるかもしれない』と期待しながら、会場へ赴いたところ、来場者は20名に満たないくらいで、私は一番先頭の席、ジョシュクンさんの真ん前に座ることができました。

メルハバ通信“元祖「ナターシャ」”
http://neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#130

ジョシュクンさんのコラム記事は、どこまで本気なのか解らない諧謔味に溢れたものが多く、写真を見ても、少し斜に構えた気障な青年といった感じがしたけれど、実際はかなりエネルギッシュな雰囲気の中年男で、私と同じ60年生まれでした。

講演は「1968年とそれ以降の反権力ジャーナリズム」といった内容ですが、全て正確に聞き取れたわけじゃないから、詳細は御勘弁下さい。コラムの記事と同様、ユーモアに溢れる語り口で、堅苦しい内容にも拘わらず結構楽しめました。

講演が終った後、少しお話しする機会に恵まれたので、あの「ナターシャ」という記事を読んで以来、気になっていた“ナターシャを囲った大使館員タガミ”の件について尋ねたら、あれは実際にあった事件なんだそうです。まあ、それほど突拍子もない話ではなかったかもしれませんが・・・。

ゼキ・ジョシュクンさんには以下のような記事もあります。



【85】姦通罪は欧州の要求によるものか?【ラディカル紙】【2004.09.03】
http://neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00085.html

http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=126808

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11月12日 (水)  メフメット・アリ・ギョカチト氏

91年、トルコ語を学ぶ為に初めてトルコを訪れてから、既に17年が過ぎ、その内の13年をトルコで暮らして来たことになるけれど、トルコ語を話したり聞いたりするのは、日本語にない母音や子音(例:R−L/B−V)が未だに区別できない有様でなかなか上達しません。また、以下の“メルハバ通信”でも明らかにしたように、通訳では“速く考えること”が要求されるから、なんでもワンテンポ遅れる私は、常に難しさを感じています。

http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/002.html#120

翻訳も、日本語をトルコ語に訳すのは、ちゃんとしたトルコ語が書けるわけじゃないからとても無理。いくらかでも心穏やかに進められるのは、トルコ語から日本語への翻訳です。しかし、その日本語への翻訳も、こういうお粗末な日本語を書いているようではどうにもなりません。日本語をもっと上達させなければならないでしょう。こうやってホームページに色々書いたりしているのも、自分では日本語を書く訓練だと思っています。

“トルコの新聞記事”を訳す作業などは、なかなか良い訓練であるかもしれません。これは、ホームページを始める前から、ある方に「継続してやって見なさい」と勧められ、一時期は日課のように続けていました。また、毎日、様々な新聞記事に目を通すことにより、トルコの政治的な話題などについても勉強できます。そして、記事を読みながら、筆者の考察や論点に感嘆したり首を捻ったりするわけです。

記事訳の欄で、今までに何度もそのコラムを拙訳させてもらったコラムニストの方々はもちろん、他にも記事を読んでいつも感嘆させられる方たちがいます。例えば、メフメット・アリ・ギョカチト氏。氏の記事は未だ以下の二つしか取り上げていませんが、新進気鋭の少壮学者といった雰囲気で、トルコ語の文章力にも優れていると私は感じてきました。まあ、私のトルコ語力でどのくらい感じ取れたか甚だ心もとない気もしますが・・・。

【183】AKPはナクシュバンディ派のプロジェクトである【ラディカル紙】【2008.03.26】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00183.html

【195】無認可のコーラン教室【ラディカル紙】【2008.08.11】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00195.html

ギョカチト氏は特定のコラムを持っていたわけではないから、その記事はラディカル紙の日曜版などに時々掲載される程度で、最初の記事を訳して以来、私はいつもギョカチト氏の新しい記事を心待ちにしていました。お目にかかったことはないし、記事に写真が付いていない為、どんな方であるか全く解らないけれど、何だか親しみさえ感じていたのです。

昨日、ラディカル紙を開いてみると、これまたいつも楽しみにしているヌライ・メルトさんのコラムに“メフメット・アリ・ギョカチト”という表題が付いていたので、『どれどれ、メルトさんはギョカチト氏についてどんなことを書いているんだろう?』とわくわくしながら記事を読み始めたところ、「先週、11月5日水曜日、大切な友人、先ず何よりも非常に純粋な人間であり、そして良き研究者、文筆家であったメフメット・アリ・ギョカチトが亡くなった。・・・」、思わずそこで新聞を膝の上に下ろしてしまいました。未だ45歳だったそうです。ご冥福をお祈りします。



11月13日 (木)  気鋭の女流作家エリフ・シャファックさん

イスタンブールで開催されていたブック・フェア、最終日の9日にもう一度出かけて、気鋭の女流作家エリフ・シャファックさんの講演会を見てきました。以下のシャファックさんの記事に、その時の様子が綴られていますが、実際、講演会というより“読者と触れ合う会”といった雰囲気の集まりでした。

【205】ブック・フェアの後に【ザマン紙】【2008.11.12】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00205.html

会場へ10分前に着いたら、200ぐらいはありそうな席が殆ど埋まっていて、仕方なく後ろの方で立ち見となってしまいました。他にも立ち見していた方が50人ほどいたでしょうか。大盛況と言って良いかもしれません。シャファックさんもトルコの人々が如何に小説を愛しているのか記していましたが、例えば、東京で吉本ばななさんが同様の集まりを開いたら、会場の前に行列が出来てしまうような気もします。

講演は、昨年の11月に出版された新作の小説“スィヤーストゥ(黒いミルク)”に関するものだったけれど、シャファックさんが冒頭でこの小説の最後のページを読み上げると、後は来場者の質問や感想に答えるという形で、この一風変わった講演会は進行しました。

正しく“読者と触れ合う会”で、この小説を読んでいない私には入会資格すらなかったかもしれません。シャファックさんは丁寧に解り易く話していましたが、後ろの方に立っていたので、ちょっと声が聴こえ難いところもあり、そもそも小説の内容が解っていないから、あまり良く理解できない部分がかなりありました。また、質問に立った方たちは、マイクがないまま話したりするので、何を言っているのか殆ど解らない場合もあって、がっかりでした。

しかし、会も終わりに近づいた頃、立ち上がって小説の感想を述べた若い女性の話はなかなか楽しかったと思います。未だ結婚して間もないというこの女性、スカーフをしっかり被っていたので、横からでは良く表情を窺うことも出来ませんでしたが、とにかく物怖じせずにハキハキと、しかも楽しそうに思ったことをどんどん話すのです。まあ、トルコの人たちは一般的に何処でも思ったことをはっきり話しますが、この女性は特に思い切りが良かったのではないでしょうか。シャファックさんも笑顔で女性の話に聞き入っていました。

女性は、「このような小説は結婚してから読むべきじゃないかと勝手に考えて、結婚するまで待ってしまったけれど、今から思えば、結婚する前にも読んで置けば良かった」というような話を楽しそうに、少々興奮気味に語り、「・・・えーと、夫は、まあ夫も今横に座っているんですが・・・」なんて言いながら自分で笑い出してしまい、これには場内も爆笑。彼女が話し終えたら、期せずして拍手が沸き起こり、シャファックさんもこの“スピーチ”には圧倒されてしまったのか、笑顔で「ありがとう!」と簡単に応じていました。

シャファックさんは、前出の記事に以下のように書いています。

/どのくらい読まれているのか露ほども気にしていないと言い張り、たくさん読まれている本に対し、「これは皆、ポピュラーな文学だ。ポピュラーな全てものは下らない」と鼻であしらう作家たちなんて信じられない。如何なる作家も読まれたいと望む。そして、如何なる作家も、より多くの人に読んでもらいたいと望むのである。この逆は見たこともないし経験もない。しかし、聞いたことはある。それも何度となく。聞いたけれど信じてはいない。

何故なら、いにしえより通用してきた法則があるからだ。全ての作家はその核心において語り部である。そして話を語る人は、−最も伝統的な社会から最も近代的な社会に至るまで−聞き手であり受け手でもある。つまり話し相手を求めている。さもなければ、何故、その話を言葉にして語る必要があるのか? もしも、ある話を語っているのに、聞いている人がいなければ、その言葉は思いを果たせないだろう。本を存在させているのは読者であり、作家ではない。そして、全ての作家がこれを知っている。言葉の達人は、言葉の不在を恐れる。しかし実のところ、読者の不在は、少なくともそれと同じくらい恐ろしいことだ。悪夢である。/(拙訳)

実際、シャファックさんは常に読者との対話を求めている作家じゃないかと思います。

私は昨日の“便り”で、こうやって色々書いているのは“日本語を書く訓練”だなんて言ったけれど、この駄文を読んで下さる方が一人もいらっしゃらないと解ったら、“訓練”する気も失せてしまうでしょう。しかし、未だ読んで下さる方もいるのだから、訓練だなんて言ってないで、もう少し読める話を書かなきゃいけませんね。ごめんなさい。



11月14日 (金)  無印良品

無印良品がイスタンブールにも出店しました。私は“無印良品”が最初にコンビニで売られ始めた頃、同様の商品であれば必ず無印良品の方を選んでいたくらいだから、非常に懐かしく、出店を知らせる新聞の記事を読むなり、早速出かけて見ました。

ミリエト紙の記事(原文)
http://www.milliyet.com.tr/Cumartesi/HaberDetay.aspx?aType=HaberDetay&Kategori=cumartesi&KategoriID=25&ArticleID=1010299&Date=01.11.2008&b=“Her%20sey%20var”in%20Japoncasi&ver=87

しかし、気がつかないうちに、無印良品は立派な世界的ブランドになっていたようです。イスタンブールの第一号店も、ニシャンタシュという高級ブランドの店が立ち並ぶ街の一角にあります。でも、商品は昔通りのシンプルなものだったし、店舗のデザインもシンプルで清潔な雰囲気がしました。店員の応対も感じが良かったです。当たり前かもしれませんが・・・。

日本の薄いナイロン垢すりがないかと探してみたけれど、トルコにもある厚ぼったくて仰々しい取っ手のついている垢すりしか見当たりませんでした。トルコに限らず欧州では皆ああいう垢すりなんでしょうか?

まあ、今回はほんの記念に写真のパスポートメモを購入しました。商品には日本語のラベルがそのまま貼られていて、袋にも大きく“無印良品”と記されています。

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11月15日 (土)  ス・ボレイ

2007年1月の“トルコ便り”
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2007&m=1

上記“便り”の18日の欄、“カザン・ディビ”という話の中で御紹介した“ス・ボレイ”。日本語に直訳すれば、“水パイ”といったところじゃないかと思いますが、その名のごとく、中の方が“ぐっちゃりと水っぽいまま”になっているパイで、チーズや挽肉などが入っています。

なんでも、パイ生地を一旦茹でてから、容器へ具と共に敷き詰めて焼き上げるので、中が水っぽいままになっているのだそうです。アスルというチェーン展開している店の“ス・ボレイ”が評判で、うちの近所にも、このアスルのチェーン店があります。店の人に訊いたら、各店では、本部から容器に敷き詰めて送られて来たス・ボレイを焼き上げれば済むという話でした。

こんな話を聞いてしまうと、何だか味気なく思えてしまうけれど、アスルのス・ボレイはバターがたっぷりでとても美味しいのです。他の小さな個人店では、店によって当たり外れがあるので、私もアスルのチェーン店を贔屓にしています。

アスル
http://www.asliborek.com/

右の写真はチーズ入り、切り分けて皿に盛った後、もう一度レンジで暖めてくれます。他に、挽肉入りやホウレン草入りもあります。

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11月19日 (水)  愛しの携帯電話

先週辺りからイスタンブールも愈々冷え込んで来ましたが、ここが我慢のしどころと思って、スチーム暖房を使わずにいたら、昨日、朝起きた時に、頭はガンガン、身体はゾクゾク、喉はイガイガで明らかに風邪の症状。これは先ず身体を暖めなければと、スチーム暖房をつけた上、電気ストーブまで動員し、大根の汁物に生姜を刻み入れてフーフーしながら食べ、濃いお茶を何杯も飲んだところ、症状はかなり落ち着きました。

昼からヨーロッパ側に用事があって、冷たい雨が降る中を出掛けたら、今年の3月に買った安い運動靴は底に隙間が開いたのか、雨に濡れた道を少し歩いただけで、湿っぽくなってきた為、爪先立って慎重に水溜りを避けて歩いたものの、ヨーロッパ側へ渡る船に乗り込んだ時は、既にグショグショの状態でした。

夕方、帰って来た時には、ジーパンも膝下辺りまで濡れていたので、やれやれと思いながら、脱いだジーパンをそのまま洗濯機に放り込み、他の洗濯物も入れてスタートさせたら、回る度にゴトンゴトン凄い音がするので、『何か余計なものまで突っ込んでしまったな』と気がついたけれど、その“余計なもの”が何であるのか解らなかったし、途中で止めるわけにも行かないから、そのまま続行させ、脱水が終って取り出した後、やっと“余計なもの”の正体が解りました。携帯電話でした。

もちろん、どのキーを押したところで、うんともすんとも言いません。この4年に亘って愛用してきた携帯電話も、最近は4〜5回通話すれば電源が切れてしまう有様で、殆ど携帯の役割を果たしておらず、そろそろ寿命かと思っていたので、『まあ、しゃあないか』と諦めたものの、一応、同居している友人の「バッテリーを取り出して乾かせば直るかもしれない」という勧めに従って、スチーム暖房器の上にバラしたパーツを並べ、夜は薬代わりにラク酒をグイと呷ってから寝ました。

今日、朝起きて見ると、寝る前のラク酒が効いたのか、風邪の具合は大分良くなっていたし、空も晴れ上がっていたので、またヨーロッパ側まで行って、安い携帯でも探して来ようと思いながら、試しに干してあった携帯のパーツを組み立ててキーを押してみたところ、これが何と正常に作動しました。

4年の風雪に耐え、洗濯機の試練も乗り越えた愛しの携帯電話。大したものです。身を清めて心機一転、まだまだ頑張ってくれることでしょう。

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11月20日 (木)  外貨両替商

イスタンブールはエジプシャン・バザール近くの外貨両替商。地方へ行っても、ある程度の規模の都市ならば、こういった外貨両替商が営業しているはずです。銀行よりもレートが良いし、長く待たされることもありません。観光地であれば、休日も営業している店があります。

ここを訪れたのは、11月11日のことですが、この日のレートは、100円が1.56YTL、1米ドルは1.58YTLでした。ほんの数ヶ月前まで、暫くの間、100円が1YTLぐらいというレートが続いていたので、大分得したような気がしました。経済危機の兆候とも言われているから喜んでばかりもいられませんが・・・。


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11月21日 (金)  グランド・バザール 

グランド・バザール(カパル・ チャルシュ)と言えば、なんとなく観光地化しているイメージがあるものの、その裏手には、いつも携帯を手にした男たちが群がって何やら盛り上がっている一角があります。

この男たちは相場師であり、金の相場や外貨のレートは、先ずグランド・バザールの辺りから明らかになって行くそうです。相場師たちの通信手段は今や携帯電話になっていますが、以前はトランシーバーを手にもっと騒々しくやっていました。

相場が決まるグランド・バザール周辺にある外貨両替商は、何処よりも良いレートを示すと言われ、私も外貨両替の際は、大概グランド・バザールまで足を運びます。

自国通貨を信頼していないトルコの人たちも、銀行に外貨で預金し、必要に応じて両替している場合が多いけれど、かつて外貨の保有が禁じられていた時代には、もっぱら金で貯蓄を図っていたようです。

グランド・バザールには金を扱う店が多く集まり、やはり良い値が出るから、地元イスタンブールの人たちの往来も絶えることはありません。

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11月24日 (月)  イスタンブールでボーイ・ハント?

先月、21日の“便り”で、トルコの新聞に掲載された「ノルウェイの森」の書評から、「・・・保守的で伝統を重んじる国と言えば、真っ先に思い浮かぶ日本で、しかも1968〜9年に、人々は信じられないくらい気楽に性を営んでいる」という件を御紹介したけれど、こういう話は人によって受け取られ方が異なるかもしれません。

歌舞伎や落語に出て来る人々を見る限り、江戸の庶民は結構大らかに性を楽しんでいたようであるし、東京の下町で育った私は『昔からこんなもんじゃなかったのかなあ』なんて思ってしまいますが、江戸時代もお武家さんの社会はかなり厳格にやっていただろうし、今でもそういった厳しさが残っている御家庭はあるでしょう。

クズルック村の工場にいた頃、イタリアのミラノへ長期出張していたイスタンブール出身のエンジニアの青年をつかまえて、「君はなかなかプレイボーイだから、ミラノじゃ大いに楽しんでいたんだろう?」とからかってやったら、彼は真面目な顔して「いや、行く前は俺もそんなことを考えていたけれど、ミラノの女は意外と貞操にうるさいんだ。間違いなく、イスタンブールの若い女たち以上だと思う。キスぐらいまでは直ぐなのに、その先は絶対に許さない。結構信心深いんだね。驚いたよ」と明らかにしていました。

こんな話を聞くと、性に関して宗教的なタブーのない日本は、やはりずっと大らかであるような気もします。イタリアの男たちも、トルコの男たちと同様に、自国のリゾート地へやってくるイギリスやドイツの女性を盛んに口説こうとするそうです。

そんな類いのトルコの男たちから、「なんと言っても腰が軽いのは日本とイギリスの女。イエローキャブにホワイトキャブだ」なんていう与太話も聞きました。まあ、自分たちが一方的に遊んでいるつもりでいて、遊ばれている可能性を殆ど考えていないのは、いささか間抜けな話であるかもしれません。

1991年、その年に韓国で出版された「エジプト・トルコを行く」という、若い韓国人女性が著した紀行本を紐解いたら、

「日本のガイドブックには、トルコへ日本人、特に、似たり寄ったりの少女たちが押し寄せる主な理由の一つが“ボーイ・ハント”にあると比較的率直に、そして非難を込めて書かれていた」なんていう記述があり、『おいおい?』と思いながら読み進めたところ、イスタンブールの光景として、

「派手な化粧に高価なトルコ製革コートを纏った日本の少女たちは、10人いれば10人全てがトルコ人青年の腕にもたれて街を闊歩していた」という状況が描かれ、続いて、

「視線が合ったりすると、男を連れて歩けない(?)私たちを哀れむような目付きで見るのだが、同じ韓国人であったら(韓国の女性たちが地球の反対側に来て、こういう珍妙な振る舞いするなんて考えて見たくもないが)、皆引っ張って行って海へ投げ込んでしまいたい気分だった」と感想が“比較的率直”に記されていました。

1993年に、日本からシベリア鉄道を経由してイスタンブールを訪れた、当時50代の今は亡き友人は、イスタンブールのそんな状況を評して、(“10人いれば10人全てが”というのは随分オーバーな話かもしれませんが)

「すがすがしい気分だねえ」と喜んでいました。「昔は、野郎ばかりが海外へ“女漁り”に出掛けたりして肩身の狭い思いをしたので、ホッとしたよ」と友人は話していたけれど、野郎の場合、今も昔も金払って済ませているだけだから、肩身の狭さは変わらないような気もします。

それから、さらに10年以上経った2005年だか6年、トルコを旅行中の30代後半と思しき韓国人女性に、「最近、韓国人女性の旅行者が凄く増えていますが、何か理由でもあるんですか?」と尋ねたら、「だって、トルコは美男子が多いじゃない」なんてぬけぬけと仰るものだから、思わずずっこけそうでした。韓国の女性たちにも“ボーイ・ハント”するぐらいの余裕が生じたということでしょうか。


11月25日 (火)  日本の女性は必ず貞操を守る?

メルハバ通信/キプロス島での出来事
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/004.html#50

上記の話でもお伝えしたように、2000年には、都合4回に亘って北キプロス共和国へ足を運びました。今回の話は、その4回目のことじゃなかったかと思います。

例によって、タクシーを相乗りで利用しようと、空港で同乗者を物色していたところ、如何にも田舎丸出しで人が良さそうにニコニコしている兵隊姿の青年が見つかり、早速つかまえて事情を説明したら、直ぐに了解してくれたので、今度は2人して、もう1人の同乗者を探せば、やはり兵役でキプロスに来たという青年が訳もなく見つかりました。

この青年は洒落た私服を着ていて、態度にも垢抜けたところがあり、出身地を訊いたら、イスタンブールは観光のメッカであるスルタンアフメットの近くで、家業は印刷屋なんだそうです。ちょっとシニカルな雰囲気を漂わせ、田舎丸出し青年とは対照的に殆ど笑いません。

田舎青年の出身地は詳細を忘れてしまったけれど、シヴァス県だかエルジンジャン県だか、如何にも田舎という内部アナトリアの一地方でした。とにかく、何が楽しいのかずっとニコニコしているから、ニコニコ顔のお面でも貼り付けてあるんじゃないかと可笑しくなってしまったほどです。背が高くて頑丈そうな体つきであり、背が低くて華奢なシニカル青年と並べて思い出すと、なんだか村上春樹の「雨天炎天」に出て来る朴訥とした兵隊と気障な下士官が頭に浮かんでしまいます。

田舎青年は「日本人と会えるなんて本当に嬉しいです」と大袈裟に喜んだものの、シニカル青年はスルタンアフメットで日本人を始めとする外人観光客を見慣れている所為か一つも騒がず、落ち着いて日本人観光客の印象などを語っていました。まあ、シニカルでとっつき難いものの、なかなか品の良い好青年でした。

タクシーで市内の目的地に着き、握手を交わして別れようとしたところ、田舎青年が「せっかくこうして会ったのだから、皆で昼を食べませんか?」と、例のニコニコ顔で提案。私はもちろん賛同したけれど、シニカル青年が嫌がるんじゃないかと思って振り返ったら、あっさり「それは良い」と言って微笑んだので、『やっぱりトルコ人だなあ』と妙なところに感心しました。

近くにあった適当なロカンタに入って食事を済ませ、お茶を飲んでいる時、田舎青年はニコニコしながら日本ついて色々尋ねたあげく、「日本の女性は必ず貞操を守るそうですね」なんて言い出したから、夢を壊すのは悪いと思いながらも、実態を知った時の反動を防ぐ為に、有りのままを伝えたほうが良いと考え、「残念ですが・・・」と説明したら、田舎青年の顔からニコニコが消え去り、不安そうな表情で「そ、そうなんですか?」と訊き返すので、何と言おうか躊躇っていると、シニカル青年が横合から呆れたように、「君は何にも知らないな。日本や西欧といった先進国では、セックスも女性も自由なんだよ。解るか?」と言い放ったのです。

田舎青年はかなり動揺したらしく、あのニコニコ顔からは想像も出来ない厳しい表情になったものの、これも僅かな間のことで、またニコニコ顔に戻ると、「でも、僕は日本が大好きなんです」と自分を納得させるかのように話していました。


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