Diary 2007. 9
メニューに戻る
9月2日 (日)  ハタイ県からの便り

“トルコ便り”1月14日〜
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2007&m=1

今日、1月24日付けの“トルコ便り”「ギリシャ語を話すトラブゾンの人々」で御紹介した“ギリシャ語を話す村”出身の美術教師アフメットさんから電話がありました。

私は、先週、アフメットさんとイスタンブール市内で会った時に、彼が9月の新学期から、シリアとの国境に接するハタイ県の学校へ赴任することになっていると聞いていたので、いささか驚いて、先ず「ハタイからですか?」と尋ねたところ、正にそうだという話。わざわざハタイから電話してきて、いったい何事かと一瞬身構えたけれど、話の続きを聞いたら、なんとも微笑ましい気分になってしまいました。

なんでも、鉤のある大きな虫がハタイにいて、「これを日本では子供たちが闘わせたりするだろう」と言うのです。最初は『カブトムシかな?』と思ったけれど、ひょっとするとクワガタムシのことかもしれません。それにしても、如何に博識なアフメットさんとは言え、そんな日本の風俗を何処で知ったのでしょう?

しかし、アフメットさんが「今度イスタンブールへ行く時は、この虫を生きたまま持って行って、君に見せてあげるよ」と言うので、「先生、いつ頃来るんですか?」と訊いたら、「2月」という答え。果たして、カブトムシやらクワガタムシが、2月のイスタンブールの寒さに耐えられるものなのか心配です。その前に、私の方からハタイを訪れて見るべきじゃないかと思いました。


9月3日 (月)  ゴキブリ

昨日の“トルコ便り”で御紹介した“ハタイに生息する大きな虫”の話。アフメットさんは、それまで余り大きな虫を見たことがなかったから、南国ハタイへ赴任早々、そのカブトムシだかクワガタムシのようなものを見て驚いてしまったのかもしれません。

イスタンブールにはゴキブリのような虫もいるけれど、私が今までに遭遇したのは小さな可愛らしいものばかりでした。寒さに弱いゴキブリは、日本でも北海道へ行ったら見当たらないと言われ、北海道の方が東京へ出て来て、台所ででっかいゴキブリを見るとびっくりするそうです。ささいなことでも大袈裟に泣き喚くイスタンブールの娘さんたちに、あの立派に黒光りした日本のゴキブリを見せてやったら、それこそ腰を抜かしてしまうのではないでしょうか。

ところで、余り立派なゴキブリが生息していないイスタンブールで市販されているスプレー式殺虫剤の威力は“凄まじい”の一言。台所の隅をのそのそ歩いている可愛らしいゴキブリに噴射してやると、その場で直ぐにまいってしまいます。まさにイチコロ即死状態。飛んでいるハエや蚊に噴射を命中させれば、コマーシャルでやっているみたいに、ストンと落ちて来るかもしれません。おそらく日本の立派なゴキブリにも通用するでしょう。小さな鼠ぐらいなら殺してしまうのではないかと思えるほどです。


9月5日 (水)  キプロスの思い出

今日、以下の記事を訳しながら、2000年頃に北キプロスへ出掛けた時の体験を思い出してしまいました。

【175】トルコ航空のカウンターで起こった喧嘩【ザマン紙】【2007.09.05】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00175.html

トルコから北キプロスの空港に降り立つと、市内までタクシー以外に交通の便がない為、空港で同乗者を探し、相乗りで市内へ向かうことにしていたのは、“メルハバ通信”でもお伝えした通りです。

メルハバ通信/キプロス島での出来事
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/004.html#50

さて、次に市内から空港へ向かう時はどうするのかと言えば、実は市内から空港の前を通って近在の村まで行くバスがあります。しかし、このバスは便数が少なく、フライトに間に合わせようとすれば、フライトの3時間ぐらい前に空港へ着くことになってしまうバスへ乗るより他にありません。それでも私は、観光にキプロスへ出掛けていたわけじゃなかったから、空港で暇をつぶすための読み本などを用意して、いつもこのバスを利用していました。

このバスに初めて乗った時のことです。

市内のバス乗り場を一時間ほど前から下見し、出発時間の5分ぐらい前に戻ってくると、既にバスが来ていて、車内の席も大分埋まっている様子でした。バスの前に立っている係員へ運賃を支払って席のことを訊くと、「何処でも好きな席に座って下さい」と言います。

軍服を着た若い男に続いてバスに乗り込んだところ、最前列の席が二つ空いている以外は、後の方まで行かないと空いている席は無さそうです。軍服の男がこれを見て、躊躇わずに最前列窓際の席へ着いたので、私もその隣に腰を下ろしました。

それから、先程の係員がバスの中へ入って来たのですが、係員は最前列に座っている私たちに対して、「あのう、その席は止した方が良いですよ」なんてことを言い出します。隣の軍服男を見ると、彼は私に向かって『こんな係員は相手にしなくて良い』という風に目配せしてから、係員へ『俺の知ったことか』とでも言うように肩をすくめて見せたので、私も同様に肩をすくめて見せたところ、係員はニヤニヤ笑いながら出て行ってしまいました。

出発時間になり、運転手が乗り込んできてバスのエンジンを掛けると、それまでバス乗り場の椅子に腰掛けていた初老の女性二人がよっこらしょと立ち上がり、こちらへ向かって来ます。いずれもでっぷり太っていて、モンペのようなものを穿き、田舎風のスカーフを被った農家のお上さんで、なかなかの貫禄。このお上さん二人がゆっくりとバスのステップを上って、最前列の前に立つや、険しい表情で私たちの顔を睨みつけ、田舎訛りで何事か怒鳴り散らしたのです。多分、“席を立て!”というようなことを怒鳴ったのだろうと思いながら、隣の軍服男の方をチラッと見たら、彼はもう半分腰を上げた状態で、『なにをモタモタしているんだ! 早く立て!』というように目で合図します。私も慌てて立ち上がり、二人して小さくなって後の席へ向かうと、周りの席では皆がクスクス笑っていました。


9月10日 (月)  図々しい“おばさん”

先日、市の中心部から空港へ向かう電車に乗った時のことです。

私は始発駅で乗車し、4人掛け席の通路側に座りました。車内は始発駅からほぼ満席。私の向かいに座った男は、口髭が少し白くなっていて、おそらく40歳ぐらいだったでしょう。

いくつかの駅を過ぎると車内はさらに込み合ってきて、通路も立っている乗客で一杯になりました。そこへ、5歳ぐらいの女の子を連れて乗り込んで来た若いお母さんは、未だ30歳になるかならないかといったところで、小太り十人並み。運動靴にジーンズという出立でスカーフは被っていませんでした。

このお母さん、戸口付近の人込みを掻き分けるように、私の向かいに座った男の横まで来ると、ほんの少し様子を窺っただけで、何の躊躇いも無く、自分の膝頭を座っている男の膝頭へグイと押し付けたのです。それは『座りたいから立ってくれ』という、あからさまな意志表示だったように思います。一瞬嫌な顔をした男が、直ぐに立ち上がって席を譲ったら、お母さんは礼も言わずに素早く腰掛けて、女の子を片膝の上に座らせました。

まあ、これだけのことです。こういった図々しい“おばさん”は、何処にでもいるだろうけれど、男があっさりと席を譲ってしまったところは、なかなか印象的でした。


9月13日 (木)  クナ・ゲジェスィ

先週、以下の“トルコ便り”や“メルハバ通信”でも御紹介した家族の娘さんの“結婚前夜祭”に参加して来ました。

トルコ人の家庭に下宿(1)「祖父母の秘密」
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#90

トルコ人の家庭に下宿(2)「イスタンブールのライブハウス」
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#100

2006年5月の“トルコ便り”−5月15日「ガラタサライ優勝!」
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2006&m=5


私は、94年にこの家族のところで半年ほど下宿していました。このたび結婚したのは、当時高校生だった娘のベルクスさんです。

この家族では、もう随分前に亡くなったお祖父さんが政教分離主義の守護者たる軍人だったこともあり、お祖父さんの後を追うようにして亡くなったお祖母さんもスカーフを被っていなかったし、お母さんのジャビデさんはラマダンになると断食しているものの、普段はアルコールも嗜むくらいで、その辺は如何にも“イスタンブールのイスラム教徒”らしいかもしれません。

ところが、ベルクスさんは祖父母が相次いで亡くなると、一時期、かなり信仰を深め、スカーフこそ被らなかったけれど、私が訪ねて行っても宗教の話ばかりするようになったことがあります。ジャビデさんはこれに対して、娘が婚期を逃してしまうのではないかと心配していたようです。私も、そのままでは彼女が「狭き門」のアリサのようになりはしないかと気にしていたところ、去年辺りから元の明るさを取り戻し、この度、めでたくゴールインとなりました。

“結婚前夜祭”と申し上げましたが、これは“クナ・ゲジェスィ(ヘンナの夜)”と言われるもので、結婚式を前にして、花嫁の近親者や友人など女性ばかりが集まり、ダンスなどを楽しんだ後、伝統衣装に身を包んだ花嫁の周りを参加者の女性たちが蝋燭を手にしながら囲み、花嫁の手にヘンナという染料を施すというイスラムの伝統儀式であるようです。かつては、女性だけが参加できる“儀式”であり、現在でも男性は招待しない場合があると聞いていますが、この夜は男性の招待客も多く、中には女性たちと一緒にダンスを楽しむ人もいました。

写真は、“儀式”が始まる前にダンスを楽しんでいる花嫁とお母さん。それから、いよいよ伝統衣装に身を包んで手に染料が施されるのを待つ花嫁。この時、「花嫁は泣いているか?」という声がかかり、花嫁の顔を覗き込もうとしている女性がいます。最後の写真は、“儀式”が終わり、花嫁とお母さんが抱擁する場面。昔はここで花嫁が皆泣いたものらしいけれど、この花嫁は明るい笑顔を振りまいていました。

20070913-1.jpg 20070913-2.jpg 20070913-3.jpg



9月14日 (金)  続・クナ・ゲジェスィ

昨日の“トルコ便り”で御紹介した“クナ・ゲジェスィ”には、遠方から訪れた親族や友人の姿も見られました。

嫁ぎ先のデュズジェ県から、4歳の男の子を連れて駆けつけた花嫁の高校の同級生もいて、彼女とは、7年前に彼女がデュズジェへ嫁いでしまうまで度々顔を合わせていたのに、向こうから「マコト!」と声を掛けられるまで全く気がつきませんでした。というのも、花嫁以上に現代っ子風だった彼女が、スカーフを被り長袖のコートを羽織るという非常に保守的な身なりをしていたからです。

嫁ぎ先の要求に従って彼女がスカーフを被るようになったという話は聞いていたけれど、声を掛けられても直ぐには誰だか解らず戸惑ってしまいました。しかし、彼女は、高校の同級生といった旧知の男性が現れると、その保守的な身なりのまま昔と同じように頬を摺り寄せ合いながら挨拶するので、傍から見ていて何とも奇妙な感じがしたものです。

さて、この“クナ・ゲジェスィ”に最も遠方から馳せ参じたのは、花嫁の兄、この家族の次男坊であるクバンチでしょう。3年ほど前にドイツのベルリンへ移住してしまったこのクバンチとの再会を私も楽しみにしていました。

クバンチは奥さんも連れて来ていたけれど、奥さんと会うのは今回が初めて。彼らがイズミルで結婚してから、その新居を訪ねたこともありましたが、この時奥さんはドイツに住む両親のもとへ出掛けていて不在でした。

現在、クバンチは、奥さんや義兄とベルリンで広告代理店を運営していて、仕事も順調に行っているそうです。まあ、クバンチなら何処へ行っても大丈夫。昔からどんな世間でも渡っていけそうな感じがしていました。


9月19日 (水)  黒頭巾姿の女性たち

9月17日付けのミリエト紙
http://www.milliyet.com.tr/2007/09/17/magazin/amag.html

9月17日のミリエト紙に、英国のサーミ・ユスフという歌手がイスタンブールで開いたコンサートの模様が報道されていました。サーミ・ユスフはイラン生まれのアゼリー人であり、現在は英国を拠点に活動し、タイム誌では“イスラム世界最大のロック・スター”と紹介されたそうです。良く解りませんが、イスラムのメッセージが込められたロックでも歌っているのでしょう。そんなロック・スターがいたなんて、このミリエト紙の報道を読むまで全く知りませんでした。

Sami Yusuf - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Sami_Yusuf

イスタンブール・コンサートの模様(YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=Agr1zZ5WbW4

イスタンブールのコンサートはラマダンを祝して無料で開かれ、5万人もの聴衆を集めたそうです。ミリエト紙に掲載された写真を見ると、聴衆の中には、黒い布を頭からすっぽり被った若い女性たちの姿も見られ、この女性たちは黒頭巾に“Yusuf”と記された帯を巻きつけたりしています。そんな様子には、普通のロック・コンサートに集まるミーハーな娘たちと共通したものが感じられるけれど、彼女たちの信仰心とはいったいどういうものなんでしょうか?

先日の“クナ・ゲジェスィ”という“便り”でも御紹介した家族のところに下宿していた1994年の夏、近所に住んでいるという若夫婦が、家族を訪ねて来たことがあります。若夫婦は至ってモダンな身なりをしていて、少し話してみた限りでは、それほど宗教的な傾向も感じられませんでした。ところが、後でジャビデさんの話を聞いたら、この若夫婦は以前、奥さんは黒頭巾姿、亭主は顎鬚にダブダブのズボンというタリバンスタイルで出歩いていたそうです。
「それが、離婚するとか何とか大騒ぎしていたかと思ったら、突然、二人ともモダンな身なりになって元のさやに納まってしまったんだよ。何だかああいう人たちは良く解らないね」とジャビデさんは苦々しげに話していました。

クズルック村では、工場のコンピューターを管理していたエンジニアのアブドゥラーさんの奥さんがそういった黒頭巾姿だったけれど、アブドゥラーさんはアメリカに留学した教養のある敬虔なムスリムであり、黒頭巾のまま車を運転していた奥さんも教養の感じられる女性でした。彼らには彼らなりの信仰があるに違いなく、上記のような若夫婦や女性たちとは一緒にできないでしょう。

ところで、ある日、工場の昼休みに駐車場の脇で、他のトルコ人エンジニアと女性に関する与太話を楽しんでいたところ、アブドゥラーさんが通り掛ったので、二人ともぎくりとして口を閉ざしたら、アブドゥラーさんはにこやかに私たちを振り返り、「貴方たちは恋愛の話をしていましたね。それなのに私が来たら、何故、話を止めてしまうのですか? 私には恋愛が解らないとでも思っているのですか?」と問いかけて来ました。これには、私もトルコ人エンジニアも返答に困って気まずそうにしていたんですが、アブドゥラーさんは構わずに話を続けます。「私も恋をしますよ。私は妻に恋して結婚しました。妻と初めて出会った時のことをお話ししましょうか? そうですねえ、あの車が駐車している辺りまでの距離(15mぐらいあったと思います)だったでしょう。そのぐらいの距離で、近づいて来る彼女の姿を見た時、私はもう彼女に恋してしまったのです」。アブドゥラーさんはこれだけ言うと、この話に何と応じて良いものやら思案している私たちを残して立ち去ってしまいました。

写真は、ミリエト紙(9月17日)の紙面を写したもので、サーミ・ユスフと黒頭巾を被った聴衆の姿が見られます。

20070919-1.jpg