Diary 2007. 8
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8月3日 (金)  アーメット・アーティガン氏の墓地

【162】アトランティック・レコーズの創設者アーメット・アーティガン氏の葬儀【ミリエト紙】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00162.html

http://www.milliyet.com.tr/2006/12/19/guncel/agun.html

昨年の12月に上記の記事を訳しました。

アーメット・アーティガン氏(トルコ語ではアフメット・エルテギュン)は、イスタンブールに生まれ、父親が駐米トルコ大使に任命されたのに伴ってアメリカへ渡り、父親の任期が終了して家族がトルコへ帰った後もアメリカに残ってアトランティック・レコーズを創設し、ジャズやロックミュージックの分野で大きな成功を収めた人物。

記事によれば、アフメット・エルテギュン氏は、私が住んでいるウスキュダル区内にあるオズベックレル・テッケスィという僧院の墓地に葬られたそうだけれど、私はこの僧院が何処にあるのかも知らずに、『ウスキュダル区といっても結構広いから、これは私が住んでいる街の話じゃないだろう』と勝手に思い込んでいたところ、6月下旬のある日、他の記事を読んでいて、僧院がアパートから歩いて10分も掛からない場所にあることを知りました。

オズベックレル・テッケスィは、18世紀に創建された僧院で、初代の僧主となった中央アジア・ブハラ出身のナクシュバンディ教団の指導者アブドゥラー・エフェンディが発展の礎を築いたと言われており、アフメット・エルテギュン氏は、このアブドゥラー・エフェンディの後裔に当たるそうです。

ある日の午後、デジカメを手にこのオズベックレル・テッケスィ僧院を訪れてみると、僧院としての機能はとうの昔に失われているものの、歴史を感じさせる木造の建物には、アブドゥラー・エフェンディの子孫、つまりアフメット・エルテギュン氏の親族に当たるという初老の紳士が娘夫婦とお住まいになっていました。

この方に案内を請うと、快く墓地の撮影を許可して下さり、「アフメット・エルテギュンについては以前から良く知っていたの?」と尋ねられたので、葬儀の報道を読むまでは何も知らなかったことを正直に申し上げたら、「いや、構いませんよ。皆さんそうですから。日本ではどれぐらい知られていたんでしょうね?」と微笑み、別段気を悪くされた風でもありません。

それで、ジャズやロックミュージックに詳しい日本人の間では良く知られていたようだけれど、アメリカ人であると思っていた人も多いのではないかと伝えたところ、「アメリカ人であると思われても良いでしょう。特にトルコ人であったことが強調される必要はありません。結局、彼は人生の大半をアメリカで過ごし、アメリカで成功を収めました。それが、亡くなってから、自分の生まれた大地に戻ってきたということですね」と淡々とお話になっていました。


アフメット・エルテギュン(アーメット・アーティガン)氏については、以下のような記事もあります。

アトランティック・レコーズ
http://wmg.jp/ahmet_ertegun/

R&B、ロックで一時代を築いた男- アーメット・アーティガン Ahmet Ertegun -
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/ahmet-ertegun.htm


また、アメリカのミュージック界で活躍したトルコ人としては、他に、2006年の6月に亡くなったアリフ・マーディン氏(トルコ語ではアリフ・マルディン)が知られています。

追悼アリフ・マーディン
http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-10014130239.html

以下の記事によれば、アリフ・マルディン氏の先祖もオスマン帝国時代、イスラム教の権威として知られ、帝国における数少ない貴族的な一族であり、なんでも預言者ムハンマドの子孫にあたる家系だったそうです。

Arif Mardin
http://www.hurriyet.com.tr/yazarlar/4721190.asp?yazarid=28

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8月4日 (土)  中央アジアからの巡礼者

前回の“便り”で御紹介したオズベックレル・テッケスィという僧院ですが、ここはオスマン帝国の時代、中央アジアから訪れたムスリムたちを迎え入れる施設としても機能していたと言われています。

中央アジアからメッカへの巡礼を目指して旅立ったムスリムたちは、先ずイスタンブールに立ち寄り、イスラム教のカリフを兼任していたオスマン帝国の皇帝に敬意を表し、メッカ巡礼の許可を得ることが慣わしとなっていたそうです。

これで思い出した話があります。

91年、初めてトルコへやって来て1年間暮らしたイズミルのアルサンジャック学生寮には、東洋人のような風貌をしたトルコ人学生が一人いました。「あの寮には日本人がいるらしい」と聞きつけ、私を目当てに訪れた他寮の学生が、食堂で雑談していたこのトルコ人学生を先に見付けてしまい、暫く観察してから「君は日本人なのに、なんてトルコ語が巧いんだ!」と驚きながら話しかけたという出来事もあったほどです。

この東洋人風の学生から聞いたところによれば、彼の祖父は、現在の中国とモンゴルの国境付近にある村で生まれ育ったカザフ人のムスリムであり、メッカへ巡礼した際に立ち寄ったイスタンブールで乙女と恋に落ち、結婚してそのまま居ついてしまったのだとか。「でも、母方はバルカン半島の出身だから、兄弟の中で東洋人風の顔しているのは僕だけで、他は皆西洋人風だよ。この東洋と西洋が混ざり合ってしまったところが如何にもトルコ人らしいだろう」と愉快そうに説明してくれました。


8月5日 (日)  オランダ貴族の女性

91年にイズミルのトルコ語教室で学んでいた頃のことです。同じ教室に、トルコ人男性と結婚しているオランダ人の若い女性がいました。何という御名前だったか忘れてしまったけれど、姓の前にヴァンデルが付くことだけは良く覚えています。というのも、彼女が自分の家族のことを話しながら、オランダで姓にヴァンデルが付くのは全て貴族であると説明していたからです。

この時私は、彼女が言ったことを正確に聴き取れないまま、「それなら、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホという画家がいたけれど、あの人も貴族だったわけ?」と訊いてみたんですが、彼女はちょっと嫌な顔をしながら、「ヴァンじゃありません。ヴァンデルです」と強調していました。

この女性が、インドネシアの話が出て来た時に、「それも私たちのもの!(オ・ダ・ビズィムキ!)」と口走ったのも驚いたけれど、「トルコは文化程度が低い」と言い、その理由として“大統領も肉屋も同じトルコ語を話している”ことを上げたのには、少なからずカルチャーショックを受けたものです。

もちろんトルコ語も、話し手の知識の度合いに従って、使用する単語や表現の方法は異なってきます。これは日本でも同じでしょう。しかし、オランダの場合、江戸時代の日本でお武家さんと町人がそれぞれ違う言葉を話していたのと同様か、もしくはそれ以上に異なる“言語”が、今でも階級によって使い分けられているようです。とはいえ、トルコもかつてはオスマン朝の宮廷で、庶民が話すトルコ語とはかなり異なる“オスマン語”が話されていたというから、何処でも似たようなものだったのかもしれません。

教室から学生寮に戻って来て、同じ部屋にいたトゥファンというドイツ帰りの学生にこの話をしたら、「オランダはそうらしいね。ドイツはヒトラーが階級をぶち壊してしまったから、それほど明確になっていない。ヒトラーは悪いことばかりやっていたんじゃないんだよ」なんて話していました。


【91】ヨーロッパに比して階級の区別が明確になっていないトルコの社会【ラディカル紙】【2004.10.15】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00091.html



8月8日 (水)  書店? 喫茶店?

イスタンブールはイスティックラル通りにある“アダ”という大型書店。暫くの間、改装工事をしていたかと思ったら、書籍の売場面積を大幅に縮小して、殆ど“喫茶店”のようになってしまいました。以前から、書籍売場の片隅に喫茶コーナーがあったけれど、経営者は算盤を弾いていて、「本を売るより、お茶を売った方がよっぽど儲かる」ことに気がついたのかもしれません。なんとも残念なことです。

2004年2月11日の“トルコ便り”には、ここが“書店”だった頃の写真を御紹介しています。
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2004&m=2

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8月9日 (木)  アクビル

イスタンブールでは、バスなどの交通機関を利用する際、日本のJR東日本による“Suica”のようなプリペイド式の“アクビル”という電子キーを使うことができます。バスだけでなく、地下鉄や路面電車、海峡を横断する船でも使えて非常に便利。地下鉄の駅や船着場、バスの起点となっている大きな停留所などで、新規アクビルの購入、プリペイド・ポイントの補充が可能になっています。

バスに乗るときは、運転席の脇にある装置のボタンを“アクビル”で押し込み、ピピッと鳴って緑のランプが点灯すればOK、ブブーと鳴って赤ランプが点いたら残念賞、ポイント切れということです。こうなった場合、車掌が乗っている民営バスであれば、現金を払って済ませることができますが、市営バスは、この“アクビル”かチケットのみが有効で現金払いを認めていません。

バスが走り始めてから、“アクビル”を押し込んで、ブブーと赤ランプが点いた時はどうするのか? その時は運転手さんが持っている“アクビル”を使わせてもらい、現金を運転手さんに払います。中にはアクビルを持っていなかったり、現金の授受を拒む運転手さんもいて、そうなると他の乗客から、余分に持っているチケットを売ってもらうか、アクビルを使わせてもらうより仕方がありません。

先日も市営バスに乗ったところ、ブブーと鳴ってしまい、運転手さんのアクビルを借りようとしたけれど、生憎現金を支払おうにも、小銭の持ち合わせがなく、その旨説明すると、「どなたか乗客の方にお願いして、その10YTLを5YTL2枚にしてもらえれば、後の釣銭は私が払えます」と運転手さん。

立っている乗客のいない空いた車内を見渡せば、運転手さんと私のやり取りを聞いて、既に数人の方が財布の中を調べていたものの、皆一様に手を広げて「無い」というジェスチャー。運転手さんに、「どなたも持ち合わせがないようですね」と伝えたら、「それなら、次乗った時に、アクビルを2回押してください」と事も無げに言って済ませようとしたんですが、ちょうどその時、中年の男性が運転席のところまで来て、にっこり笑って5YTL2枚を差し出してくれたので、なんとか無賃乗車を間逃れることができました。

写真はその便利な“アクビル”です。

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8月13日 (月)  船が沈没?

イスタンブールは暑い日が続いております。ボスポラス海峡からマルマラ海にかけて、イスタンブール周辺の海は結構水がきれいで、いくつか海水浴場もあるけれど、子供たちは所構わずそこいらの海岸から飛び込んでいるようです。

4、5年前、やはり同じように暑かったある夏の昼、アジア側のカドゥキョイから船に乗ってヨーロッパ側のエミノニュへ向かっていた時のことです。私は、二階建て構造になっている船の一階の船室に座っていました。向かいの席では、人の良さそうな、落ち着いた感じの青年が二人、先程からパソコンのプログラムについて何やら熱心に話し込んでいます。船はカドゥキョイの港湾を遮る堤防を越え、ボスポラス海峡とマルマラ海が交わる辺りへ出たところでした。

俄かに周囲が騒がしくなり、「船が沈没した!」とか「人が溺れている!」と叫ぶ声が聴こえ、船室に居た人たちも様子を見に次々と外へ出て行きます。周囲を見渡した時に向かいの青年たちと目が合ったので、「何かあったようだね」と声をかけたら、「沈没しているのは、この船だったりして、グフフフ」と笑い、二人とも落ち着いたものです。しかし、私の方は、野次馬根性をどうにも抑えることができずに外へ出て、人々が群がっている側のデッキへ行き、皆が指差す方向を注視したところ、そこには悠然と泳ぐ男の姿が・・。あまりの暑さに堤防から飛び込んでしまったのでしょうか、いずれにせよ、その泳ぎは達者なもので、溺れてしまいそうな様子は全くありません。

すると、今度はそこへ、乗務員からのアナウンスがあり、曰く、「乗客の皆さん、泳いでいる男性は自らの意志で海に入ったようです。近辺に沈没した船などは無く、こちらは心配に及びませんが、当船は皆さんが片方のデッキに寄り集まってしまった為、傾斜して危険な状態となっています。どうか船室にお戻り下さい」。

言われて見ると、確かに船は、我々が集まっている方へかなり傾いでいます。人々の間から驚きの声があがり、皆そそくさと船室へ戻り始めました。私も皆に続いて元の席へ戻ったけれど、落ち着き払った青年たちの前では、何だか気恥ずかしい思いがしたものです。


8月14日 (火)  イスタンブールのプール

クズルック村の工場で働いていた頃は、週末にイスタンブールへ出て来て、市民体育館のような施設の屋内プールで泳いだりしたこともありました。入場料は、5〜600円だったように記憶していますが、今はもっと高くなっているでしょう。ここ数年、とにかく支出を抑えることばかり考えているけれど、健康の為、たまにはプールで泳ぐのも良いかもしれません。

当時、その屋内プールへ行けば、少なくとも1500mぐらいは泳いだものです。男女別になっているプールは、ライン毎に仕切られていて、一応インストラクターのような人もいましたが、私を除いて、まともに泳いでいる人を見たことは殆どありません。皆、端っこの方でバシャバシャと水遊び程度のものを楽しんでいました。

初めてそこで泳いだ時には、25mプールを10回ほど往復した辺りで、子供たちが周りで騒いだり、ターンの際に手をかざして妨害したりしたので、プールから上がって、その辺にいた大人たちに、子供たちを注意するように頼むと、「すみませんねえ。でも、貴方がずっと泳いでいるものだから、子供たちばかりでなく、私たちも気になっています。ちょっとお話を伺えますか?」なんて言うのです。

それで暫く話して見たら、「あんなに泳いで疲れませんか?」はまだしも、「貴方が泳いでいるのを見ていると、どうやら右側に顔を出した時に呼吸しているようですが、左側に顔を出すことはありません。あれで息が続くものですか?」などという荒唐無稽な質問まで飛び出して驚かされました。その辺りでは、海でも泳げるような人たちが、こういった屋内プールを利用することはなかったのでしょう。

ある日、1500mほど泳いで、プールサイドに上がったら、一人の青年から「見事な泳ぎでした。祝福します」と言って手を差し伸べられたこともあります。そりゃ、1万5千メートルぐらい泳げば、祝福されたくもなるだろうけれど、もたもたと1500mばかし泳いだところを祝福されたって嬉しくもなんともありません。気持ち悪いだけです。

クズルック村の工場で、大卒の若いトルコ人エンジニアに、以上の見聞を話したら、「俺たちがプールや海へ行くのは、泳ぐためじゃなくて、水着の女たちを眺めるためなんだよ。しかし、そのプールは男女別なんだろ? 連中は何しにプールへ来ているんだ? 君が泳いでいるのを眺めているのか? 恐ろしすぎるぞ、そのプールは。もう二度と行くな」と笑いながら“忠告”してくれました。



8月25日 (土)  お犬様

トルコの農村で家畜を守っている牧羊犬の恐ろしさについては、以前お伝えしました。

2月の“トルコ便り”
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2007&m=2

しかし、イスタンブールの街中をうろうろしている野良犬たちは、至って大人しいもので、全く危険はないでしょう。イスタンブールでは、野良犬がやたらと目に付くし、中にはかなり大きなものもいるけれど、人に害を加えることもなければ、人のことを恐れている様子もありません。

これは野良猫についても同様で、イスタンブールの野良猫は人が近づいても逃げないどころか、逆に餌を求めて寄って来たりするほどです。ここでは犬や猫を苛めたりする人がいないからなのでしょう。気軽に餌を与えたりする人たちも沢山います。

結構な人通りがある歩道の中ほどに、ゴロンと引っくり返って寝ている犬もいて、思わず踏んづけてしまいそうになったこともありました。

保健所のような機関が、時々犬を捕獲しているものの、狂犬病の予防注射と場合によって去勢手術を施し、耳に印を着けてから、また街中に放してやるそうです。

しかし、以前住んでいた街で、未だ人気のない早朝に散歩すると、でっかい犬が5〜6匹集まってぞろぞろ歩いているところに出くわしたりして、あれは余り気持ちの良いものではありませんでした。

写真の犬、路面電車が走り、人通りも多いイスティックラル通りで撮ったものです。雑踏を前にして悠然と寝込んでいるけれど、耳には予防注射等を施された印が着けられています。

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