Diary 2007. 7
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7月11日 (水)  エトゥ・パザール(肉市場)

イスタンブールのファティフに“エトゥ・パザール(肉市場)”と呼ばれる街区があり、50mぐらいに亘って肉屋さんがずらりと軒を並べています。

数ヶ月前、ここを訪れて中ほどに位置する肉屋さんの前で写真を撮っていたところ、店の人たちが「俺たちのことも撮ってくれ」とポーズをきめるので、カメラを向けてシャッターを押すと、今度は「現像出来たら送って下さい」なんて言いながら名刺を差し出して来ました。

嫌と言うわけにもいかないから、「Eメールのアドレスはありますか? あれば直ぐに送ってあげますよ」と訊いたら、「いやあ、そういうアドレスはないねえ。普通の住所ならあるけど」と言うのですが、名刺を見たら、そこには“www・・・”とURLが記されています。

それで、「なんだ、ホームページがあるじゃないですか。それなら店のEメール・アドレスはあるんでしょう?」と念を押しても、あるとか無いとか要領を得ない返事。『まあ、店のオーナーじゃないから解らないんだろう』と思って、そこはそのまま引き上げ、うちに戻ってから、名刺のURLを良く見ると、文字の中に“i”の点が無いトルコ語特有のアルファベットがあるので、『おかしいな』とは思いながらも、それを“i”と見做してアクセスを試みてみましたが、結局のところ繋がりませんでした。

それを今日になって、近くまで行く用事が出来たから、途中で写真を現像して持って行ってあげたところ、えらく喜んでお茶まで出してくれたので、暫く雑談しながら色々尋ねてみると、店の人たちは皆親戚同士であり、特に誰がオーナーというわけでもないようです。写真を撮った時にはいなかった物分かりのよさそうな青年にURLのことを訊いたら、「いや、あれはただの飾りなんですよ。あれば良いなあと思って」という話。テレビのコマーシャルで「それでは、“www・・・”へ直ぐにアクセスして下さい!」なんて良くやっているから、名刺にURLが入っていれば格好がつくと思ったんでしょう。なかなか愛嬌があります。

「このネタ面白いから私のホームページで使ってもいい?」と頼んだら、喜んで承知した上、「店の宣伝もしといてね。うちはこの辺りじゃ一番大きくて、一番清潔で、店の名前も格好良いでしょ。どんどん事業を拡大して日本にも支店を出しますよ」と意気軒昂に語ってくれました。 

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7月22日 (日)  本日のメインエベント!

本日のメインエベント! トルコの総選挙じゃありません。日本の大相撲名古屋場所のことです。千秋楽の今日、以下の大相撲協会によるサイトから、優勝が決まった“朝青龍−白鵬”の一番を見ることができました。

http://sumo.goo.ne.jp/hon_basho/torikumi/eizo_haishin/eizo2.html

朝青龍の見事な速攻、凄まじいの一言じゃないでしょうか。厳しい立ち合いで踏み込み、低い体勢から両まわしを引き付けると、白鵬の腰が一瞬浮いたようになり、『万全の体勢だ!』と思ったのも束の間、そのまま一気に土俵際まで運んでしまいます。勝負がついた後、『あれ? 今のは“右四つ”じゃなかった?』と確認したかったけれど、このサイトの生放送には“再現”というものがありません。“右四つ”だったことを確かめられたのは、数時間後にネットのニュースを読んでからでした。

朝青龍は本来“左四つ”で、“右四つ”は白鵬充分の組み手。しかし、あの立ち合いは、どう考えても、最初から“右四つ”を狙っていたとしか思えません。同じく“右四つ”狙いの白鵬に合わせながら、一瞬早く両まわしを引き付け、一気に勝負をつけてしまうつもりだったのでしょう。気迫とその裏に隠された冷静な“読み”、正しく“勝負の鬼”というより他にありません。恐るべし朝青龍! 未だ当分の間、主役の座を明け渡すことはなさそうです。 

ところで、相撲には“ご当地力士”というのがあるけれど、今現在イスタンブールに住んでいる私にとっての“ご当地力士”は、隣国ブルガリア出身の琴欧洲関。黒海地方のトラブゾンにでも住んでいれば、グルジア出身の黒海関かもしれませんが、イスタンブールなら距離的な近さからしても、やっぱり琴欧洲でしょう。ということで、いつも応援しているけれど、最近の成績は寂しい限り。兄弟子琴光喜の大関昇進を「自分のことのように喜んでいる」ということですが、やはり優しい性格が災いして、いまひとつ“土俵の鬼”になりきれないのでしょうか? 来場所こそ頑張ってもらいたいものだと思います。


7月23日 (月)  総選挙

昨日実施されたトルコの総選挙、予想されていたように与党AKP(公正発展党)の圧勝に終りました。多くの国民が、民族主義などのイデオロギーや宗教的な主張より、経済の成長・繁栄を選択した結果ではないでしょうか。

私には、先端技術や経済運営に関する難しいことが解らないから、国際市場におけるトルコの競争力がどれほどのものであるのか良く解らないけれど、市井の人々の様子を見る限り、上昇志向があり活力に溢れているように思えます。“このままでは外国資本に食いつぶされてしまう”と主張して自由市場経済を抑制しようとしても、そしてその主張がある程度正しかったとしても、やる気になっている人々は納得しないでしょう。

私が住んでいるウスキュダルの街には信仰に篤い保守的な人々が多いけれど、近所の商店や飲食店の人たちと話してみても、もう彼らの生活感覚は我々日本人庶民のものとそれほど変わっていないような気がします。これは頭にスカーフを被っている女性であっても同じことです。もっと収入を増やしたい、事業を拡大したい、週末には家族でレジャーを楽しみたい、子供たちには良い教育を与えたい、だいたいこんなところじゃないでしょうか。

というわけで、トルコの社会も段々と日本並みに世知辛くなって来ているかもしれません。“古き良きトルコは何処へ行ってしまうのか”と嘆く声も聴かれますが、こういう“古き”の中には“悪き”も含まれていたでしょう。私は、力強くダイナミックな新しいトルコを期待したいと思います。


7月24日 (火)  AKPは南東部でも大躍進

今回の総選挙では、東部・南東部のクルド地域で与党AKP(公正発展党)がどのくらい票を伸ばすかも注目されていましたが、前回2002年の総選挙でクルド系政党が押さえた13県の内、ウードゥル、ムッシュ、ディヤルバクル、トゥンジェリ、シュルナク、ハッカリ県以外の7県をAKPが制しています。

地域の中心的な存在であるディヤルバクルでも、クルド系政党の“無所属”候補らによる42%の得票率に対して、AKPは41.2%と拮抗する値を示しました。

(無所属:政党から立候補すると、その政党が全国で10%の得票率を越さなければ議席が与えられないという制度がある為)

これは多くの地域住民が、クルド人としての民族主義的な主張より、トルコ国民としての経済的な安定を望んだからでしょう。

また、イスタンブールに住んでいるクルド系の一般の人々を見れば、その多くは郷里の文化や母語の維持などに、それほど関心を持っていないような印象があります。それよりも、他の一般市民と同様に、もっと収入を増やしたい、事業を拡大したい、週末には家族でレジャーを楽しみたい、子供たちには良い教育を与えたい、といったことを願い、それを目指して日々忙しく働いているから“文化の維持”どころではないのかもしれません。大都市においては、クルドの地方文化ばかりでなく、様々な地方のトルコ的な文化も廃れる一方じゃないでしょうか。

エスニック・ルーツの如何に関わらず、若者たちは一様に、ロックを聴き、マクドナルドのハンバーガーを食べ、スターバックスでコーヒーを飲むことが格好良いと思っているようです。

3年ほど前、イスタンブール市内の公民館で催されたクルド語によるアマチュア・ロックバンドのコンサートを観に行って、リーダーやメンバーの若者たちと雑談したことがありました。リーダーの青年は、クルド民族主義に基づく政治的な主張を繰り返していたけれど、メンバーの青年に「君ももちろんクルド語を知っているよね」と尋ねたら、困ったような顔して、「僕はイスタンブールで生まれたから、余り巧く話せません。勉強しなければとは思っているけれど・・」と言います。「それに、バンドの先輩たちを除いて、友達は殆ど普通のトルコ人ばかりだし、先輩の前では言えないけれど、イスタンブール以外の所で暮らすなんて僕には想像もできません」。髪を肩まで伸ばして如何にも現代風な若者でしたが、こんなところが偽らざる本音だったのでしょう。

私は“メルハバ通信”の「川崎の産廃屋でダンプの運転手」というエピソードで、自分たちが日本人であるとは思っていない沖縄出身の同僚について書いたけれど、あれを読んで不愉快に感じる沖縄の方も多いのではないかと恐れています。普通に日本人であると思っている方も多いはずだからです。

メルハバ通信「川崎の産廃屋でダンプの運転手」
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#200

しかし、当時、“日本人”である他の同僚は、沖縄出身の同僚たちが囲んでいる食卓を指して「こんなもの食えるかよ」などと平気で口にしていました。これを聞いても沖縄出身の彼らは笑って済ませていたけれど、自分たちの食文化が貶されるのは堪らなく嫌な気分であったに違いありません。

トルコでは、南東部へ行っても、食文化にそれほど大きな変化はなく、ケバブの類いなどは南東部の方が美味いとされています。


7月26日 (木)  パンクの若者

まあ、色んな人がいますということで。見てくれはオドロオドロしいけれど、話し掛けて見たら、愛想が好い普通のトルコの若者らしいところもありました。しかし、イヤリングみたいなものを顔の至るところへ差し込んでいるけれど、あれは痛くないもんですかね。おじさんには全く理解のできない境地であります。

大学生だそうですが、本当でしょうか? この格好でも大学の構内へ入れるのに、スカーフを被った女性が入れないのは、やはり理不尽であるような・・・。

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7月28日 (土)  キャリアウーマンの涙

イスタンブールで高層ビルが立ち並ぶレヴェントの辺りへ行くと、キャリアウーマン風の女性がビジネススーツに身を固めアタッシュケースを手に颯爽と歩いていたりします。地方都市のホテルでも、こういった女性が一人で夕食を取っている姿を見掛けたりするけれど、全国各地を営業にでも飛び回っているのでしょうか?

3年ほど前の話。地方へ出張してホテルで2日目の朝を迎え、ビュッフェに行こうとしてフロントの前を通り掛ったところ、そんなキャリアウーマン風の若い女性が泣きながらフロントの女性係員と話しているのです。

“何事か?”と思ったら、フロント係りは私を呼び止め、泣いている女性に向かって「この人です」と言いながら、私のことを指し示しました。私が驚いていると、フロント係りは「昨晩11時頃、貴方の部屋へ男性から電話が掛かって来ましたよね?」などと私に問い質そうとします。

そう、確かに前の晩11時頃、妙な電話が掛かって来ました。

そのまた前の晩、つまりホテルへ到着した晩の1時頃には、フロントから電話が掛かって来て、「違う部屋へ御案内してしまったので部屋を移動してもらえますか?」なんて戯けたことをぬかしたものだから、「ふざけるのも好い加減にしろ!」と喚き散らしてやったこともあり、他に電話が掛かってくる当てなど全くないので、『またフロントか?』と思いながら受話器を取り、ぶっきらぼうに「もしもし何の用?」と応対したところ、男の声で「そこは315号室ですか?」と訊いて来たけれど、300だか200だか良く聴き取れなかったし、部屋番号も良く覚えていなかった上、相手はフロントという思い込みもあるから、「フロントでしょ? 何の用?」と問い返せば、「フロントじゃありません。315号室ですか?」と繰り返します。

私は少々ムッとして、「多分そうでしょ。貴方どなた? 何処から掛けているの?」、そしたら、何も言わずにガチャン。『何だ今のは?』と少し考えたけれど、殆ど気にも掛けないで、そのまま寝てしまいました。

フロント係りの話によれば、電話の男は、泣き崩れている女性の婚約者であり、315号は彼女の部屋。フロントが間違って私の部屋へ繋いでしまったそうですが、このフロント係りは私に向かって「何故、315号室ではないと応えてくれなかったのですか?」などと責任転嫁を図ろうとする始末。

私は、ムッとするのを通り越して呆れてしまい、落ち着きを取り戻して私に謝ろうとした女性に「まあ、このホテルを訴えて、賠償金を要求した方が良さそうですね」と勧めて、その場を後にしました。

しかし、晩から朝にかけて、女性とその婚約者の男との間で、どういう話があったのかは知らないけれど、そんな婚約者とは破談にでもなってしまった方が良いんじゃないかと思います。私が、せっかく「貴方どなた? 何処から掛けているの?」と訊いてやったのだから、「お前こそ誰だ?」ぐらい言っても良かったでしょう。何とも情けない男であるような気がしてなりません。

昨日、友人と雑談しながらこの話を披露し、「君だったらどうする?」と訊いたら、「俺か? 俺だったら、『お前こそ誰だ。出て来い』と言い、間抜けな日本人がのこのこ出て来たら、問答無用でズドンと射殺だ。ワッハハハ」などと喜んでいました。



7月29日 (日)  古き良きトルコの思い出

前回の“キャリアウーマンの涙”という話、イズミルに近いマニサのホテルが舞台だったのですが、このマニサには大規模な工業団地があり、今月の上旬も、この団地内の工場に出張する機会を得て、あのホテルに宿泊したけれど、まあ今回はこれといったトラブルもありませんでした。

出張した工場は、欧州の規格に準じた近代的な設備を有し、エンジニアや工程で作業している人たちも意欲的にロスの軽減等に取り組んでいて、彼らとは用向き以外のことを余り話したりしない為、何度かここを訪れているものの、工場外での彼らの生活については、それほど知るところがありません。

二代目であるというオーナー社長は、未だ30代ではないかと思われる若い方で、作業員と同じユニフォームを着て良く工場内を巡回しているから、度々その姿をお見かけすることがあります。なんでも、朝はどの従業員よりも早く出社し、夜は必ず残業して一番最後に退社するそうです。トルコでも、最近は若い世代を中心にして、こういった経営者が増えているのではないでしょうか。

さて、次は、92年頃にエディルネ近郊の工場を訪れた時の思い出であり、“古き良きトルコ”を今よりもっと濃厚に感じることができた時代の話です。

その頃、91年にイズミルのアルサンジャック学生寮で一緒だった電気工学部の学生ムジャイが、実家のあるエディルネ近郊の工場で研修生として働いており、私は、やはりアルサンジャック学生寮で一緒だったムスタファと共に、ムジャイをエディルネに訪ねました。

その日は日曜日で、午前中にエディルネへ到着すると、3人でエディルネ市内を見物し、夕方、ムスタファが兄夫婦の待つルレブルガスへ帰った後、私とムジャイは、夏休みで誰もいないムジャイの親戚の家に上がり込み、次々とビールを飲み干しながら、夜遅くまで語り合いました。

その晩、ムジャイは「明日、9時までに工場へ行くことになっているから、8時には起きないといけない。お前も起こすから一緒に工場へ行こう」と話していたのに、朝起きてみたら、時計は既に9時を指しています。ムジャイも起きたばかりのようだったけれど、別段慌てる様子もなく、コーヒーを一杯飲んでから出発。途中の公衆電話で工場へ電話を掛けたムジャイは、「未だ責任者も出社していないから、慌てることはない」と言い、近くの停留所からバスに乗り込むと、10分ほどで工場に到着しました。そこはかなり大規模な紡績工場であり、工場の電気系統をチェックするのがムジャイの仕事なんだそうです。工場内のオフィスに着いたら、既に10時近かったものの、未だ責任者の姿はありませんでした。

ムジャイは、先ず朝の巡回チェックをしなければならないそうで、私を引き連れて巡回しながら、色々と工場内を案内してくれます。それからオフィスに戻ると、責任者もようやく姿を見せていて、ムジャイが私のことを紹介したら、大いに喜び、早速お茶を三つ持ってこさせ、お茶を飲みながらの雑談となりました。

責任者のエンジニアは40歳ぐらい、実に朗らかな親しみ易い人物で、雑談は日本のことや自分たちの家族のことなど取り留めない話題の上に延々と続きます。その内、私はお茶を何杯もお代わりした所為か、小便がしたくなってしまい、工程内にあるトイレの場所を教えてもらって、一人でそこへ行ったところ、そのトイレは、日本の学校や会社などでも良く見られる、大便用に仕切られている所が三つぐらい、小便用の朝顔が四つぐらい並んだものでしたが、先ずドアを開けた瞬間に、「あっ!」と驚いて立ちすくんでしまいました。

トイレの中では、ざっと10人ほどの工程作業員たちが、洗面所や朝顔の前などに陣取って煙草を吸っていたのです。どのくらいの時間、そうやって煙草を吸っていたのか、トイレの中には煙がもうもうと充満しています。私も驚いたけれど、作業員たちも突然闖入してきた東洋人に驚いたようであり、お互い会話を交わすこともなく、私は用を済ませると、さっさとそこを後にしました。

オフィスに戻り、責任者氏とムジャイにトイレで目撃したことを報告したところ、責任者氏は訝しげに「それって、トイレの中ですよね?」と確認してから、にっこり微笑み「それなら何の問題もありません。外で吸われたら、ここは紡績工場ですから困ったことになるけれど、その辺のことは作業員の人たちも皆良く知っていますからね」。

しかし、あれではサボっていることになるのではないかと申し上げたら、今度は愉快そうに笑い、「えっ? サボっているって? それじゃあ、この工場の責任者たる私は何をやっているんでしょう? 遅刻してきた上、こうしてお茶を飲みながら無駄話しているだけで、仕事らしいことなんて未だ何もしていません。ところで、この工場のオーナーは今頃何していますかね? きっと何処かで寝転んでいるに違いありません。だから私もこれ以上働く気にはなれないし、作業員の皆さんも同じことです。ワッハハハ」。

私たちは、結局、昼まで雑談を続け、私は昼を御馳走になってから工場を後にしました。


アルサンジャック学生寮
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#30

旧友ムジャイを訪ねる
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#270