Diary 2007. 6
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6月10日 (日)  40日供養−追悼ミサ

久しぶりに“トルコ便り”を更新させますが、楽しい話題ではありません。この“トルコ便り”で何度か御紹介した旧居の大家マリアさんが、去る4月29日に亡くなり、昨日はイスタンブール市内の墓地でその40日供養が営まれました。カソリックで言う“追悼ミサ”のことですが、正教では何と言うのか良く解りません。

マリアさんは今年の2月に体調を崩して病院で診察を受けたけれど、その時は原因もはっきりせず、マリアさんも直に回復した為、2月13日の“便り”にこれを少々コミックな話題として取り上げました。

2月の“トルコ便り”
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2007&m=2

思えば、あんなに腹を抱えて笑っているマリアさんを見たのはあれが最後でした。その後、2月15日にもマリアさんのところへ寄って、元気な姿をみたけれど、それから私もちょっと忙しくなってしまい、4月27日に容態が急変して担ぎ込まれた病院へ見舞いに行くまで、会うことはなかったのです。

マリアさんには、暫く暮らしたことのあるギリシャ領のロードス島で懇意にしていた医師がいて、2月に体調を崩してから度々連絡を取り合い、3月になってまた具合が悪くなった時は、ロードス島で治療を受けるよう強く勧められたものの、彼女はイスタンブールを離れることを拒んだそうです。昨日の40日供養で娘のスザンナさんは、「お母さんは、やっぱりイスタンブールに葬られたかったのかなあ」と感慨深げに語っていました。

写真は、マリアさんが眠る墓と、その墓地内にある“40日供養”が営まれた教会です。

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6月11日 (月)  目標は大西洋

先月は、イスタンブールとイズミルで靴メーカーの工場を見学する機会を得ました。

イスタンブールの靴メーカーは設備の整った工場で高級紳士靴を製造しており、西欧へも多くの製品を輸出しています。創業社長の次男という未だ若い方が工場内を案内してくれたのですが、この英語に堪能な青年の謙虚で実直そのものといった態度には、なかなか好印象を受けました。青年は応接室に戻って来てから将来の事業プランを熱っぽく語っていたけれど、その応接室には、コーランの言葉かと思われるアラビア文字が記された額がいくつも飾られていて、これまた敬虔で実直な気風が感じられます。

創業社長は如何にも朴訥な“靴職人”という雰囲気の人物ですが、次男の青年が語ったところによれば、貧しくて小学校さえ卒業することが出来ずに、子供の頃から靴工房で働きながら仕事を覚えて独立し、最初は小さなアトリエに過ぎなかった工場を現在の規模にまで育て上げたということです。そして、4人の男子も立派に育て上げ、今は長男が経理を担当、案内役を務めてくれた次男は研究開発、イタリアへ留学した三男はデザイン等を担当しているそうで、兄弟が一丸となって、さらなる躍進を図っているのでしょう。

これに先立って訪れたイズミルの靴メーカーは、少し規模の大きい“手作り工房”といった感じの工場で、高級婦人靴を製造し、やはり西欧へ製品を輸出しています。ここの創業社長も寡黙な靴職人であり、今も靴のデザインから製造の過程を陣頭指揮しているものの、会社の経営は、未だ二十代ではないかと思われる次女に任せているようです。

この工場にも、ラテン文字で記された“アラーの加護がありますように”といった標語がいくつか掲げられていたけれど、大学で経営学を修め英語にも堪能な次女は、実にモダンな垢抜けた雰囲気の女性でした。彼女の話によると、こちらは娘ばかりの4人姉妹で、彼女と三女が共に会社を経営、長女は弁護士、四女は医学部の学生なんだそうです。

私はこの二つの工場を訪れて、若いトルコのダイナミズムに触れたように思い、何とも言えず気分が高揚して来るのを感じました。それで、数日後、自宅の近所にある小さなファーストフード風の飲食店へ寄った際、この店の未だ三十歳ぐらいに見える東部地方エラズー県出身の経営者と“将来が有望な靴業界”の話をしながら、「イスタンブールにいる元からの金持ちたちは、こういう発展を知らないのかもしれない」というようなことを言ったら、横から経営者の奥さんが「ずっと気がつかないでいてもらいたいもんだね」と話に割り込んで来ました。

この店は小さいながらも、二人の従業員を使っているけれど、最初は誰が従業員で誰が経営者なのか解らなかったくらい、経営者は控え目で影の薄い男であるのに引き換え、スカーフをビシッと被った彼の奥さんは、男勝りなハッキリとした物言いで、私は始めに彼女が店のお上さんであることに気がついて、それから経営者が誰であるのか悟ったほどです。

話に割り込んで来た奥さんは、「大学を卒業したからと言って、何の苦労もしていない連中に商売のことが解るもんかね。その靴屋の社長さんも職人仕事を身につけただけじゃなくて、経営の仕方も実地で学んだからこそ会社を大きくすることができたんだよ」と持論を展開、亭主の方は“やれやれ”といった感じでニヤニヤしながら奥さんの話を聴いていました。この夫婦には4歳ぐらいの男の子がいるけれど、もちろんその子には最上の教育を与えたいと願っていることでしょう。

私は、この奥さんが、のほほんとした金持ち連中に対して“今に見ておれ”と闘志を燃やしている様子にちょっとした感慨を催しました。現在、アナトリアの様々な地方に、ご紹介した靴メーカーのような成功物語や、成功に向けて闘志を燃やす若者たちが溢れているに違いありません。最近、急速に教育水準が向上したアナトリアには、成功を可能にする潜在力があるはずです。私にはアナトリアの大地からゴーッという地鳴りが聴こえて来るような感じさえします。元来のブルジョワたちは、ぼやぼやしていたら、この荒々しく若いパワーに圧倒されてしまうでしょう。もちろん、モダンなセンスを身につけた元来のブルジョワの中にも、さらに上を目指している人たちが沢山います。救国戦線の最中にアタテュルクが発した「前進せよ! 目標は地中海!」という有名な指令があるけれど、今だったら「前進せよ! 目標は大西洋!」という号令が下されるかもしれません。



6月13日 (水)  シヴァス

中部アナトリアのシヴァスに来ています。実を言えば、一昨日の“便り”もアンカラから発信していたのですが、それまでイスタンブール以外のところから発信したことはなかったので、今回は現地からその日の内にお届けする初めての“地方便り”ということになります。

写真は、有名なセルジューク朝時代の遺跡“チフテミナーレ・メドレセ”の偉容と、シヴァス城跡の高台から眺めた景色です。

高台からの写真にも2本のミナーレを従えた“ギョク・メドレセ”の遺跡が姿を見せているけれど、カメラを向けた時は、この遺跡の名前が思い出せず、近くのベンチに腰掛けて駄弁っていた三人組の若い娘たちに訊いたら、ここを訪れる外国人ツーリストは珍しいらしく、逆に質問攻めにあってしまいました。

娘たちの二人は、Tシャツにジーパンという軽装なのに、もう一人は頭にスカーフを被り、暑いなか長袖のコートを羽織っていたけれど、一番積極的に色々訊いて来たのは、このスカーフを被った娘さんで、尋問が終ると、今度はシヴァスをアピールしようとしたのか、「シヴァスは、世界でも稀に見られる特徴を備えた美しい街なのに、訪れる観光客が少なくて残念です」と明らかにしたものの、軽装の友人から「その世界でも稀に見られる特徴って何なのよ?」と突っ込まれると、「えーと何だっけ? 何かあったはずなのよね。でも忘れちゃった」と、なかなかひょうきんなところを見せてくれました。

しかし、シヴァスが貴重な歴史遺産に恵まれた美しい街であるのは紛れも無い事実。是非とも多くの観光客に訪れてもらいたいものだと思います。

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