Diary 2007. 12
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12月14日 (金)  飽食の時代

あまり同居人への文句をここに書き連ねたくはないけれど、このアパートに同居しているトルコ人兄弟は驚くほど食べ物を粗末にします。何の躊躇いもなく平気で食べ物をゴミ袋へ放り投げるから、彼らの代わりに私が神へ祈りを捧げなければならないのではないかと思ってしまうほどです。

今朝も台所のゴミ袋に、パンが丸ごと一本突っ込まれていました。取り出して見たら、少々固くなっているのと、僅かながらカビが生えているぐらいで、火を通せば食べれそうなパンではあったものの、一緒に捨てたらしいスパゲッティのトマトソースがべっとりと付着していて気持ちが悪いから、さすがに敢えて食べようとはしませんでした。

文化の違いってわけじゃないでしょう。以前に同居していたトルコ人の彼らは決してそんなことをしなかったからです。日本でも食べ物を粗末にする輩は沢山いますからね。世界的に飽食の時代であるということでしょうか? しかし、私も飽食の時代に育った一人ではあるけれど、多少は気が咎めてあそこまで食べ物を粗末にはできません。

皮肉なことに、この兄弟が食べ物を粗末にする度合いは、ラマダン月にピークへ達しました。日没後の食事をたっぷり摂りたいということなのか、毎日、日没前になると二人では食べきれない量のパンを購入してきて、残りは台所の隅に放って置くのです。それが、あの頃は未だ陽気が暖かかったから、パンは直ぐに青カビだらけになってしまいます。トルコのパンには防腐剤など入っていないのか、直ぐにカビが生えてしまいます。私はトルコに来てから、なかなかカビが生えない日本のパンを恐ろしいと思うようになりました。

兄弟は、僅かにカビが生えただけでも躊躇いなくパンを捨ててしまうくらいなので、カビだらけになったパンのことなどは全く忘れてしまうのか、ゴミ袋へ投げることもなく、パンは真っ青になるまで台所の隅に置かれたままでした。私はこの兄弟が秘密裏にペニシリンの研究でもしているんじゃないかと疑ってしまったくらいです。

いつだったか、一度、兄貴の方に「食べられる分だけパンを買って来たらどうなんだ?」と訊いてみたら、すました顔して「残ったら猫にやりますから」と答えます。私は内心、『えーっ? 猫が何処にいるんだ? さては秘密裏に猫まで引っ張り込んでいたのか?』と呆れ返るより他にありませんでした。

しかし、私が時々、台所の隅に置かれて固くなったパンの中から、カビの生えていないものを選んで、フライパンで焼いて食べていたのは周知の事実だから、“猫”というのは暗に私のことを指していたのかもしれません。まあ、パンは食べるけれど鼠は捕らない困った日本猫ですね。


12月20日 (木)  犠牲祭

今年も犠牲祭を迎えました、と言いたいところだけれど、イスラム暦により毎年11日ずつ到来が早まる犠牲祭は、今年の正月にも祝っているから、これは本年2度目の犠牲祭ということになります。

トルコでは、街中の道路など公共の場所で生贄を切ることは禁止されており、庭がない所に住んでいる人たちは指定された空地まで行って切らなければなりません。ですから、犠牲祭の日にイスタンブールの街中を歩いても、そうそう生贄を切っている場面に出くわすことはないわけです。私もこれまでに住んだことのあるジハンギルやウスキュダルの街角で生贄が切られているところは殆ど見たことがありませんでした。

しかし、このエサットパシャの街は、農村から出て来た人たちも多い極庶民的な街であるし、かつては郊外と言っても良かった地域だから、一部のアパートは敷地に余裕を持って建てられていて、庭や空地が付いている為、そういったところではアパートの住人たちが集まって盛大に何頭も切っていました。

おすそ分けをもらったのか、小さめの金盥のような容器に肉をテンコ盛りにして運んでいる人たちの姿も見かけたけれど、数日の間は美味しい肉料理の数々が彼らの食卓を飾るのかもしれません。日本の正月に御節や餅をたらふく食べられるのと同じことなんでしょう。肉を運ぶ大人の後ろを子供たちが嬉しそうに歩いていました。

日本へ帰ると、「トルコでは肉が安いから主食として食べているのか?」なんて訊かれたこともありますが、日本に比べれば安い程度で、こちらの庶民的な感覚からしたら決して安いものじゃありません。私たちは、ひたすらパンやスパゲティのような穀類でお腹を一杯にさせています。この御近所の皆さんも、いつもはそんなものでしょう。だからこそ、犠牲祭を迎えて、神に祈りを捧げて生贄を切り、思う存分肉を味わうことは、実に有難く喜ばしいものであるはずです。

前回の“便り”でも紹介した同居人兄弟は、犠牲祭を親元で祝う為、昨日、郷里である中部アナトリアのチョルムへ帰ってしまったけれど、兄弟が使っている台所のテーブルには、半分ぐらいずつ食べたパンが三つ、別々の袋の中に残されたままでした。例によって、この家の猫である私が食べてしまうつもりですが、一つは既にカビだらけとなっていて、とても食べられたものではありません。まったく彼らは、生贄どころか貴いパンの犠牲も解っていないようだから、この犠牲祭には、神に祈りを捧げてパンでも切ってもらいたいものだと思いました。



12月28日 (金)  トルコの新人類?

今日の夕方6時半頃、タクシムから我が家へ帰るためにバス乗り場へ行くと、既に30人ぐらい並んでいたけれど、バスはここで折り返し始発となるから、これなら確実に座れます。“良いタイミングだったなあ”と喜んだものの、肝心のバスは夕方一番混む時間帯とあってなかなかやって来ません。ちょっとしてから振り返って見たら、並んでいる人の列はもうずっと後ろの方まで続いていました。

さて、この列は私の3人ほど前のところで、他の列とぶつからないように大きく折れ曲がっていたのですが、ちょうどそこへ、後から二十歳ぐらいの女性がすっと入り込んで来ました。モダンな可愛らしい感じの女性で、本人もその辺を充分に意識しているのかニコニコと笑顔を振りまいています。

しかし、並んでいた中年の女性や初老の男性は直ぐに反応を見せました。口々に「順番を守りなさい」と言いながら列の終わりの方を指差します。この女性は列の続きに気がついていなかったのか、驚いたように「ハディヤー!」と声をあげたのですが、この“ハディヤー”っていうのはこんな場面で使って良いものなんでしょうか。「あれまあ!」ぐらいの意味で使ったのかもしれないけれど、あまり年上の人に言ってはいけないような気がします。さらに彼女は、“ハディヤー”の後に謝るわけでもなく、笑いながら「オッケー(OK)!」と言い放ってその場を退いたので、これにはびっくりしました。注意した中年と初老の男女も「なんだあれは?」というような顔して彼女の後姿を見守っていました。

“オッケー(OK)”はトルコでも若い人たちが良く使います。特に、チャットをやっている連中は、「了解!」をトルコ語で「タマム!」と記すより、“OK”の方が字数が少なくて済むため、常習的に使っているようです。しかし、一般社会における会話を「ハディヤー! オッケー!」で済ませて良いのか疑問です。この女性は“トルコ流の新人類”といったものなのかもしれません。

バスが来ると、私は最後尾の席に座り、直ぐ前の二人掛けの席には、今の流行なのか髪の毛を鶏のトサカみたいにした二人連れの青年が座って何やら楽しそうに話し始めました。出発してからどのくらい経ったか、ふと気がつくと、先ほどの“新人類女性”が疲れた顔して青年たちの直ぐ横に立っています。

暫くして、青年の一人が彼女に「アブラジューム」と声をかけたけれど、この“アブラジューム”もなかなか驚きでした。“アブラ”は姉の意、“アブラジューム”で“お姉ちゃん”といったところですが、トルコでもこんな風に使えるものなのかどうか良く解りません。青年は「お姉ちゃん、疲れたでしょ」と言いながら、自分が立って席を譲ろうというのではなく、窓際の相棒の方へぴったり寄って席を半分だけ空けると、そこへ彼女を座らせようとします。彼女、今度は“オッケー”と言わなかったものの、躊躇うことなく嬉しそうな顔して青年の方へぴったり寄りながら腰掛ました。もちろん、彼らが初対面であったのは、前後の様子からして間違いありません。それから、彼女も仲間に加わって楽しそうに話し始め、お互いの携帯などを見せ合ったりしていました。私は途中で降りてしまったけれど、この若者たちはこの後どうしたことでしょう。

まあ、こうやって若者たちの恋は芽生えるのかもしれません。最初に「お姉ちゃん」と声をかけるのが良いのか悪いのか、私はそもそもそうやって女性に接近したことがないから全く解らないのです。