Diary 2007. 11
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11月10日 (土)  若者よ恐れるな

久しぶりにモーツァルトの魔笛を聴きました。と言っても、“夜の女王”のアリアを2曲とフィナーレを聴いただけです。そもそも今までに購入した魔笛のレコード・CDは全てハイライト盤で、全曲を聴いたことは一度もありません。高校の時に初めて聴いて、以来四半世紀が過ぎているのに何ということでしょう。“夜の女王”に叱られてしまうかもしれません。

それにしても、“夜の女王”のアリア「若者よ恐れるな」は素晴らしいです。気合を入れたい時などに良く聴いています。手元にあるCDを見ると、歌っているのはロバータ・ピータースという方のようですが、どういう方なのか全く知りません。しかし、華麗にして気品に溢れる中年過ぎの女性じゃないでしょうか? しかも、太っていてはいけません。あくまでも痩せてスラリとしていなければ、“夜の女王”のイメージがぶち壊しです。

ここ数年、そういうイメージの方として良く頭に思い浮かぶのは、前の駐日トルコ大使さん。もちろん女性の方で、華麗にして気品が溢れていました。私はこの方と思わぬ場所で遭遇してしまったので、尚更、印象に焼きついているのです。

一時帰国していた2003年のことでした。犠牲祭の時じゃなかったかと思いますが、東京に住んでいるトルコ人の知り合いに誘われて、代々木上原にある東京ジャーミー(モスク)へ出掛けたのです。このトルコ人の知り合いはざっくばらんな性質で、礼拝が終ると、「何か腹ごしらえしよう」と言い、礼拝堂の下にあるモスクのキッチンへ私を引っ張って行きます。「勝手にキッチンへ入り込んでも良いの?」と訊いても、「構やしないよ。皆ここにいるんだ」と取り合いません。実際、中へ入ると、そこには8〜9名のトルコ人が既にもぐり込んでいて、めいめい勝手に茶を沸かしたり、トーストなどを作ったりしていました。

彼らに茶を勧められて飲みながら話してみたところ、その殆どが建設現場などで働く荒くれ者のようであり、大きな声を出して威勢良く振る舞っていたけれど、皆、人は悪くなさそうです。私も直ぐに打ち解けて彼らと冗談を言い合っていました。

すると、そこへ突然、当時の駐日大使、華麗にして気品に溢れるあの女性大使が姿を現したのです。本当に、警備係が人払いするようなこともなく、いきなり入って来られました。堂々と足早にザッザッと、まるでザラストロ一味の館を急襲する“夜の女王”のように華麗な登場の仕方でした。

それから、「やあ、皆さん。こんなところに隠れていたんですか? バイラムおめでとう」と張りのある声で挨拶されました。現場の猛者たちは、突然の出来事に先ほどまでの威勢は何処へやら、悪戯を見つかった子供のようにシュンとなって、直立不動の姿勢を取ったけれど、もっと焦ったのはこの私です。大使さんは、端の方から猛者たち一人一人の手を取って言葉を交わしながら、私の方へ近づいて来ます。

私のトルコ語では、二言三言話せば直ぐにトルコ人じゃないことが解ってしまうから、『どっ、どおしたら良いのだあ??』と思いながら、なるべく目立たないように壁の方を向き、じっとしていることにしました。私が立っていたのはちょうど少し奥まった所で、『これなら何とかやり過ごせそうだ』と横目で近づいて来る大使さんの動きを見ながらドキドキしていたのです。

まあ、結果から申し上げれば、無事にやり過ごすことができました。大使さんは私の少し前をそのまますっと通り過ぎて行かれました。今から考えれば、『あの時、大使さんと何か話しておけば良かったのに』と残念な気持ちもしますが、舌がもつれて巧く話せなかったかもしれません。「若者よ恐れるな」ですかね、今日の話の落ちは・・・。



11月12日 (月)  東京ジャーミー

東京ジャーミーのキッチンに私を引っ張り込んだトルコ人、当時、既に滞日10年ぐらいじゃなかったかと思うけれど、彼は別の日に、また東京ジャーミーへ私を引っ張って行ったことがあります。なんでも、ジャーミー(モスク)のイマームさんに折り入って頼みがあるとのことでした。

イマームというのは、モスクにおける礼拝等の宗教行事を司り、言わばお寺の住職さんや教会の神父さんのような存在ですが、イスラム教では聖職者階級が認められていないこともあり、日本語には“導師”と訳されたりしています。

トルコにおける各モスクのイマームは、原則的に宗教庁の職員であり、公務員のようなものだから、必ずスーツにネクタイ姿で勤務していて、顎鬚をモジャモジャと蓄えている方もいません。礼拝等は、その上から法衣を纏って執り行い、政教分離に基づいた説教を行なうことになっています。東京ジャーミーのイマームさんも、やはりトルコの宗教庁から派遣された方でした。

ジャーミーでイマームさんの部屋に通されると、知人は以下のような要望をイマームさんに伝えました。

トルコ人の友人が日本人の奥さんとの間に男の子を儲けた後に他界してしまい、男の子は日本でお母さんに育てられているけれど、何らイスラム教徒としての教育が与えられていないばかりか、このままでは年頃になったのに割礼も施されないようだから、何とかしてもらいたいというのです。

イマームさんは静かに知人の話を聞いた後で、まず、その男の子が今後も日本で生活して行くことを確認してから、次のように答えました。

「その子は日本人として育つことになるんですね。それを私たちが無理してムスリムにさせることが、その子の幸せになりますか? 良くお考えになって下さい。私たちは遠くからその子の成長を見守ってあげれば良いのではないでしょうか?」。穏やかに知人の理解を求めるような口調でした。

まあ、海外へ派遣されるくらいだから、そもそもが極めて見識の高いイマームさんではあったのだろうけれど、その誠実な対応に私は甚く感動しました。


11月13日 (火)  信仰の自由

昨日の“便り”に出て来た“割礼”ですが、要するに包茎手術のようなもので、トルコではムスリムの男の子が5歳〜10歳ぐらいまでの間に施します。イスラムの教義からすると、必ずしも義務とはされていないそうですが、トルコでは最も実践率の高い宗教的な儀式じゃないでしょうか? トルコのイスラム教徒の中には、教義の上で義務とされている礼拝や断食は全く行なわず、禁忌とされてる飲酒と豚肉の摂取は平然と行なっているような人がいるけれど、そんなイスラム教徒も男性ならば、まずその殆どが一応“割礼”だけは施されているし、自分の子供にも施しているようです。

しかし、私の友人には強固な政教分離主義者のトルコ人がいて、彼はこう主張しています。「政教分離主義では、信仰の自由が保障されていなければならない。子供も親から宗教を強制されることなく、成人してから本人の意志によって、何らかの宗教に入信するか、あるいは無宗教者となるべきである」。

そういう彼はもちろん無宗教者であるけれど、子供の頃に割礼は施されてしまったそうです。だから、自分の子供にはそんな理不尽なことがあってはならないと言い、長男が年頃になっても割礼を施そうとしませんでした。ところが、長男の方が「学校で級友たちから割礼について訊かれた時に返答できない」と訴えた為、少し遅くなったものの、結局は施しています。やはり強固な政教分離主義者であり、イタリア語に堪能な彼の奥さんは、もともとそこまで割礼に反対していたわけではなかったから、「全く不信心なイタリア人だって洗礼ぐらいは受けているわよ」と話していました。

日本人である私には、こういう宗教の問題がなかなか理解できません。私は日本で「何か宗教入ってますか?」と訊かれれば、「別に何もやってません」と答えます。でも、子供の頃に神社で七五三のお祝いはしてもらっているし、家の墓は浅草のお寺の中にあって、ここが菩提寺ということになります。真宗の大谷派ですが、大谷派であることは父親の葬儀の時に初めて知りました。かなり好い加減なものだけれど、日本ではそれほど珍しいケースでもないでしょう。却って、自分の信仰が何であるのか突き詰めて考えている人の方が少ないかもしれません。

どうやら、日本ほど信仰の自由が保障されている国も余りないようです。新しい宗教を創始したり、布教したりするのも自由だから、色んな新興宗教があるし、中には“新興宗教オタク”と呼ばれている人たちもいて、色んな宗教に入っては辞めて他の宗教へ移ったりしているそうです。殆どサークル活動のようなノリなのかもしれません。これは、日本の宗派の殆どが入信も退信も自由になっているからなのでしょう。というより、そもそも退信・棄教の自由が各宗派で認められていなければ、布教の自由を認められては困るような気もします。

“ご入信おめでとう。退信は馬鹿野郎”ぐらいなら愛嬌で済まされるけれど、布教して入信させたが最後、“絶対に退信は認めません”というのであれば、そんな宗教の布教を認めても良いのかということになってしまうからです。

イスラム教は、表向き布教活動をしないことになっていますが、その代わり棄教も認めていません。トルコでイスタンブールのような都市部ならば、前述の友人のように棄教して無宗教者であることを宣言している元ムスリムもいれば、改宗してクリスチャンになってしまった元ムスリムもいます。しかし、トルコでも地方へ行けばムスリムが棄教してしまう自由は未だ殆ど認められていないのではないでしょうか。

この辺が、トルコにおける信仰の自由と政教分離の難しいところじゃないかと思います。

スカーフの問題にしてもそうです。信仰上、スカーフを被りたい女性が、大学の構内でスカーフを外さなければならないというのは、信仰の自由から見ると、甚だ理不尽であるように思えるけれど、そうやって信仰の為にスカーフを被る自由を認めるのであれば、スカーフを外したり、棄教したりする自由も保障してもらわなければ困ると主張する人たちがいるのは当然のことでしょう。

9月14日の“トルコ便り”に、嫁ぎ先の要求に従ってスカーフを被るようになってしまった女性の話を紹介しましたが、農村を含めたトルコの全域で考えるならば、“スカーフを被りたいのに被れない女性”より、“被りたくないのに被らされている女性”の方がまだまだ多いかもしれません。

9月の“トルコ便り”
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2007&m=9

メルハバ通信「信仰の自由」
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/004.html#10


11月15日 (木)  イデッシュの歌、ギリシャの歌

2004年頃のことです。イスタンブール市内にあるハイヤット・ホテルのロビーで日本人の友人と話していたところ、ロビーの一隅にあるピアノを中年のトルコ人男性が奏でていました。途中、耳に覚えのある哀愁を帯びたメロディーが現れたのですが、何処で聴いた曲なのかさっぱり思い出せません。日本人の友人は、トルコの某銀行のテレビコマーシャルにBGMとして使われていた曲だと言います。思い切って、ピアノを弾いている男性に尋ねたら、「さあ、私も詳しいことは知らないけれど、なんでもユダヤの人たちの曲であるという話ですね」と答えてくれました。

それから、市内の方々のCD屋に出掛けては「某銀行のテレビコマーシャルのBGMでユダヤ人の曲」というキーワードからこの曲を探し求めると、5軒目ぐらいで、店員さんが「多分、このCDに収められている曲だと思います」と言って、“Best of Yiddish Songs and Klezmer Music”というCDを差し出してくれたのです。買い求めて、早速聴いてみたところ、4曲目の“Der Rebbe Elimeylech”が正にその曲でした。

Best of Yiddish Songs and Klezmer Music
http://ja.israel-music.com/various/best_of_yiddish_songs_and_klezmer_music/

昨晩もこの曲を聴いてから寝たけれど、その哀愁の漂う曲調はなかなか病み付きになります。

昨晩は、マノス・ロイゾスというギリシャの作曲家の歌も何曲か聴きましたが、こちらは、ロイゾスの大ファンという日本人の友人が選曲してCDに落としてくれたもので、どれが何という曲なのか未だに解っていません。いずれも、ギリシャの民族楽器のみの伴奏によって歌われる、これまた何処と無く郷愁を誘うメロディですが、歌詞はもちろんギリシャ語で、これも何を言ってるのか未だに解りません。

ロイゾスの曲は、トルコの“Yeni Turku”というグループの“Akdeniz Akdeniz”というアルバムでも、トルコ語の訳詩により“Telli Telli”“Maskeli Balo”として歌われています。訳詩はいずれも作家のムラットハン・ムンガン氏による見事なもので、“Maskeli Balo”などは、余り詩心の解らない私でも感動してしまうほどです。

もう随分前のことになりますが、イスタンブールのイスティックラル通りを歩いていたら、アクセサリー屋の店先でこの“Maskeli Balo”が流れていたので、耳を傾けてみると、それはギリシャ語によるものでした。店主らしき人は、神妙な顔して耳を傾けていた私に微笑みかけて、「ほら、ギリシャ語だよ」とちょっと自慢そうに話していました。

トルコには、ギリシャの曲が好きな人が多いのか、イスティックラル通りを歩いていて、同様にギリシャの歌を聴かない日はないくらいです。