Diary 2006. 6
メニューに戻る
6月3日 (土)  プディング・ショップ

【153】映画“ミッドナイト・エクスプレス”に登場したスウェーデン人【ミリエト紙】【2006.05.22】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00153.html

http://www.milliyet.com.tr/2006/05/21/pazar/apaz.html

この記事で紹介されているスルタンアフメットの“プディング・ショップ”です。40年ぶりにイスタンブールを訪れたスウェーデン人のことを覚えていた店の御主人ナームックさんの御好意により、秘蔵の写真を使わせて頂きました。左の写真は、“事件”のあった60年代後半のものだそうです。

記事ではヒッピーの溜り場というように紹介されているけれど、私が始めてこの辺りにやって来た91年の頃は、様々な外国人旅行者が集まる洒落たレストランという感じでした。最近はさらに高級感が増して、昔に比べると少し敷居が高くなったような気もします。煮込み料理が沢山用意されているうえ、酒類も各種そろっているところが特徴じゃないでしょうか。“敷居が高い”と言いましたが、あくまでも“昔に比べれば”という意味であり、今でも旅行者が安心して気軽に飲み食いできるレストランであることに変わりはありません。

店にはここを訪れたクリントン大統領の写真も飾られていますが、ナームックさんの話によれば、ドイツのフィッシャー元外相は、ヒッピーだった若い頃この店に来たことがあり、外相となってからは国賓として訪れ、ナームックさんとの再会を喜んだそうです。「昔ヒッピーやっていた人たちは皆立派になったねえ」とナームックさんは感慨深げに語っていました。記事に出てくる日本人男女のことは覚えていないそうですが、69年と言えば、まさに“ノルウェイの森”の世代、女性については、記事に「・・5年前、アメリカで癌の為に亡くなった・・・」と記されているけれど、男性の方はどうされていることでしょう

20060603-1.jpg 20060603-2.jpg 20060603-3.jpg



6月4日 (日)  カドゥキョイ・モダ

カドゥキョイはモダにある絶景のカフェレストラン。以前、この場所には、見晴台にテーブルと椅子を並べただけのような安い茶店があり、海沿いに通り抜けることもできたのに、現在はバー付きのモダンなカフェレストランになってしまい、表通りから門をくぐって入らなければなりません。かつてはいくらもしなかったお茶代も今や4YTL(300円ぐらい)、まあ、これは入口の門をくぐった時に想像した値段より安かったのでホッとしました。

マルマラ海に浮かぶ島々を見渡せる絶好のロケーションなんで、眺望も只というわけには行かないのでしょう。夜景を眺めながら一杯やるには良いかもしれません。

右の写真は、入口のある表通りの様子。手前の建物には洒落たバルコニーが付いていたりして南欧のような雰囲気がします。家賃を訊いて腰を抜かすような額でなければ良いですね。

4月の“トルコ便り”では、ウスキュダルにあるカフェテリアを紹介しましたが、ウスキュダルとカドゥキョイは隣接する主要なアジア側の拠点でありながら、街の趣が全く異なっています。保守的で少々イスラムの匂いが漂うウスキュダルに対し、カドゥキョイはモダンで華やか、宗教的なものを感じさせません。ただ、ウスキュダルのカフェテリアでは、ビールも飲ませてくれない代わり、眺望に価格をつけたりはしないようです。

4月の“トルコ便り”
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2006&m=4

20060604-1.jpg 20060604-2.jpg 20060604-3.jpg



6月5日 (月)  タヴラ喫茶

トルコの喫茶店では、トランプやチェス、オケーと呼ばれる麻雀に似たゲーム等の遊具を貸し出してくれるところもありますが、若者が集まるような店であれば、最も貸し出しが多いのは、やはり“タヴラ(バックギャモン)”でしょう。親爺どもがトランプやオケーに興じるクラトハーネという雀荘のような喫茶店でもタヴラは良く見られるけれど、なんといっても若者たちの間でポピュラーな遊びになっているようです。

年配の人たちはこれに興じる際、日本人が麻雀で中国語を使うのと同じように、ペルシャ語の数詞を使ったりするくらいで、一般にはイラン伝来の遊びと信じられています。ウイキペディアのトルコ語版を見たら、「知られている限りでは、1400年前、イランのシャー、ネヴシヤンの大臣であったブズル・メヒルにより10日の間で作り上げられた」と創作者の名前まで明記されていました。しかし、タヴラという言葉をトルコ語の辞書で引くと語源はイタリア語になっているし、以下のサイトによれば、発祥地はエジプトで、4〜5世紀頃、ギリシャにおいてルールが確立され、盤の形状が現在のスタイルになるのはヨーロッパへ広まった後のことだそうです。

盤すごろくの歴史
http://www.google.co.jp/url?sa=U&start=1&q=http://www.ffortune.net/play/bgame/sugoroku/ban2.htm&e=10001

それが何故、タヴラの盤がトルコの土産物になってしまうほど、トルコでポピュラーな遊びとなったのでしょうか? まあ、そんな小難しいことを考えるよりは素直にタヴラを楽しんだ方が良いかもしれません。

右写真の三人は、この喫茶店の従業員。左の親指を突き出している青年が、先ず「日本人ですか?」と親しげに声を掛けて来ました。この青年は、「我々トルコ人は日本が好きです」と盛んに日トの友好を強調。故郷を尋ねたところ、「ディヤルバクル」と言うので、「チュワニバシィ」とクルド語で挨拶してやったら、「バシィ!」と喜んで握手を求めてきたりして、エスニック的にはクルド人なんでしょうけれど、余りややこしい民族意識は持ち合わせていないらしく、あっけらかんとしています。他の二人は、真中が黒海地方カスタモヌの出身、右はカイセリ生まれのチェルケズ人なんだそうです。皆、小難しいことは考えずにイスタンブールの生活を楽しんでいるのでしょう。

20060605-1.jpg 20060605-2.jpg



6月6日 (火)  ジェヴァヒル

最近、イスタンブールはシシリーにオープンした巨大なショッピングセンター“ジェヴァヒル”。地下鉄のシシリー駅を降りると、地上へ出なくても、そのまま地階から入れるようになっています。これが“地下鉄に乗って買い物に来る中産階級”へ便宜を図ったものであるかどうか良く解らないけれど、イスタンブールの高級ショッピングセンターとして有名なアクメルケズなどに比べると、大分“庶民的”じゃないでしょうか。アクメルケズは、なんとなく“車で買い物に来るお客様”の為のショッピングセンター、という感じがします。とはいえ、トルコでは既に中産階級へも車が普及しているし、アクメルケズで買い物をしている人たちもその多くは自身を中産階級と認識しているかもしれません。

新聞には、“減らない失業率”や“貧富格差”のことが書き立てられていて、これも事実には違いないはずですが、15年前から比べると、数字的なことは解らないものの、トルコの中産階級は確実に層を増し豊かになったと思います。まあ、これは単なる生活者としての実感なんですが・・・。

20060606-1.jpg 20060606-2.jpg



6月7日 (水)  ジェヴァヒルの中華料理店

ジェヴァヒルは2フロアーが食堂街になっていて、下のフロアーは“ファーストフード”、上には少し高そうなレストランが並んでいるけれど、そのいずれにも中華料理の店が出ています。ファーストフードの中華“北京餐館”では若い中国人女性がレジにいたので、トルコ語で「故郷は北京ですか?」と訊いたら、彼女は上海の人なんだそうです。

しかし、ここ数年でイスタンブールには中華料理の店が本当に増えました。その多くは、それほど高くないファーストフード店で、“北京餐館”も「オープン・ビュッフェ8YTL」だそうだから、トルコ料理を食べるのとそれほど違いはありません。お客さんもその殆どはトルコの人たちでしょう。いよいよトルコにも“中華の味”が定着しつつあるようです。

91年にイズミルのトルコ語教室で勉強していた時のことですが、同じ教室にいたのは、ドイツ人、アメリカ人、オーストラリア人、そして、石油王のドラ息子みたいなサウジアラビアの青年。

ある日、美人講師のファトシュさんが、会話の授業で「世界一美味しいのは何処の料理か?」と順に各受講生へ質問したところ、欧米勢の答えは全て“フレンチ”。

明らかに「トルコ料理」という回答を期待していたファトシュさんは多少がっかりしたようだけれど、欧米勢がそう答えるのは想定済みと見え、それほど落胆した様子もなく、直ぐに気を取り直すと、今度は自信ありげに「マコト、君はどう思う?」。

これに私が自信を持って「中華料理!」と答えると、彼女はあからさまに嫌な顔をしたものの、次に控えているのはサウジアラビアの青年だったから、最後の期待を込めて微笑みながら「アリはどう思う?」。

するとアリが、ピクリともせずに「僕もマコトと同じ考えだよ。中華料理が一番美味しい」なんて言い退けたものだから、ファトシュさんは明らかに狼狽しながら「信じられない、本当にそう思っているの?」と食い下がったけれど、これに対してアリは、冷たく微笑んで「トルコ人は世界を知らないからな」と嘯いて見せました。

あれから15年、中華料理を食べ始めたトルコの人々は、ついに“世界を知った”ということなんでしょうか?

メルハバ通信“91年春、初めてトルコへ”
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#10

20060607-1.jpg 20060607-2.jpg 20060607-3.jpg



6月8日 (木)  ショッピングセンター激戦区

これも新しくオープンしたばかりのショッピングセンター“Kanyon(カニョン)”、つまりは英語のキャニオンだけれど、これは建物の形状に由来しているのでしょう。地下鉄レヴェント駅の近くで、駅から地下通路を伝わって行くこともできますが、“ジェヴァヒル”とは異なり、“アクメルケズ”よりも遥かに高級そうな雰囲気です。付近には、地階が地下鉄駅に直結しているショッピングセンター“メトロシティー”もあって、こちらは“ジェヴァヒル”クラス。ちょっと先にはアクメルケズもあるし、この辺はショッピングセンター激戦区といったところかもしれません。私の方は、連日のように、こういったショッピングセンターを見て回り、ほとんど“おのぼりさん”の気分でした。

“カニョン”では、レストラン街にもシックな装いが凝らされていて、マクドナルドでさえソファに腰掛けて寛げるようになっています。地階では、アイスクリームの“ハーゲンダッツ”が開店の準備をしていたけれど、なんでもここがトルコの第一号店になるそうです。イスタンブールには、マクドナルドからケンタッキー、ダンキンドーナッツ、スターバックスに至るまで何でもあるように思っていたので、これは何だか意外な感じがしました。そういえば、“ハードロックカフェ”というのもイスタンブールにあるんでしょうか? 昔、クズルック村の工場にいた頃、日本人出向者の方から同様のことを尋ねられたのですが、その時は、「えっ? あの騒々しい音楽やっているところですか?」なんてボケをかまし、「すまん、君に訊いたのが間違いだった」と呆れられてしまいました。

20060608-1.jpg 20060608-2.jpg 20060608-3.jpg



6月9日 (金)  wagamama

“カニョン”にはこんなレストランもオープンしています。本部はロンドンにあり、英国に39店舗、世界中で60店舗も展開しているそうです。

写真は“ワガママ・ラーメン”、一杯15YTL(約1200円)なり。他に、ギョーザやヤキソバ、カレーライスなど、日本の安い食堂にありそうなメニューは大概そろっていて、店の造りも、5〜6列ずらりと一直線にテーブルを配置し、隣の客と袖が触れ合うほどに所狭しと椅子を並べたところは、大衆食堂のそれと全く変わりません。しかし、値段からすればトルコじゃ高級レストランの部類でしょう。

ロンドンで流行っているという話題性の為か、昼の時間帯に行ったら長蛇の列、待っているのは、パリッとしたスーツ姿の紳士やシックに着こなした淑女ばかりです。10分ほど待ってから、紳士と淑女に挟まれた窮屈な席に案内されたのですが、テーブルの上には箸が置かれているだけで、フォークなどは用意されていません。

隣の若い紳士二人連れを見ると、器用に箸を使って、具が盛り沢山の高そうなラーメンとギョーザを食べていました。ラーメンを待っている間に枝豆も食べていた形跡が残っていたけれど、ビールは飲んでいなかったようです。一人はロンドンの店でも食べたことがあるらしく、料理について色々と薀蓄を傾けていましたが、ロンドンじゃ枝豆はコーラで食べるものなんでしょうか? 

それから、この紳士、会計する際に、女性の従業員をつかまえて、急に英語で喋りだしたので「えっ?」と思ったら、この女性は英国人で、トルコ語は解らないみたいです。私の周りにいた紳士淑女は皆トルコ語を話していたけれど、場所柄、外国人のお客さんも多いので、彼女のような従業員もいるのでしょう。あるいは管理の為にロンドンから派遣されて来たのかもしれません。

所望すればフォークぐらいは出してくれそうですが、辺りにフォークを使っている人は全く見当たらないほどで、はす向かいの淑女は“スパゲッティ・トマトソース風”の一皿を、これまた器用に箸を使って召し上がっていました。隣の淑女のところへ運ばれて来たのはカレーライス、これにはさすがにスプーンが添えられています。しかし、このカレーライス、さえない薄黄色で具の姿はほとんど見えず、日本じゃ近頃は田舎のドライブインでもなかなかお目にかかれそうにない代物でした。

さて、私が実際に食べてみた“ワガママ・ラーメン”ですが、まあ味についてとやかく言うのは差し控えましょう。丼がプラスチックだったのは御愛嬌じゃないかと思います。両脇をおハイソな方々に固められ、通常なら私のような者は萎縮してしまうところですが、この場に限っては、何だか辺りを睥睨してしまいたくなるような心持になりました。ただし、お値段の方は想像より遥かに高く、私にとっては3日分の食費に相当、今後暫くは家で具のないスパゲッティーを食べ続けるつもりです。

それから、右写真の“ワガママ・シャツ”は、他のワガママ・グッズと共にレジで売られています。話題作りのイスタンブール土産にどうでしょうか。

20060609-1.jpg 20060609-2.jpg



6月10日 (土)  ターキッシュ・タイム

数日前のこと、その日は朝9時にヨーロッパ側のハルビエで、知り合いのトルコ人と会う約束になっていました。『8時に家を出れば充分間に合うだろう』などと考えながら、その朝届いたメール等に目を通していて、ふと気が付けば、既に時計は8時を5分ほど回っています。慌てて仕度をして外に出ると、歩道の人込みをかき分けるように早足で船着場へ。船がヨーロッパ側のベシクタシュに着いた時は8時40分で、これはちょっと微妙な時間、知人は翻訳の仕事を紹介してくれるというのに、こちらが遅刻するわけには行かないから、かなり思い切ってタクシーに乗ると、ゆうゆう10分前に到着することができました。

やれやれと思いながら、彼がやって来るのを待つと、今度は向こうが9時を過ぎても現れません。『さては待ち合わせの場所を間違えたか?』と彼の携帯に掛けたら、「そこで待っていて下さい」。結局、彼が姿を見せたのは10分過ぎてからでした。「先方へは何時の約束なの?」と訊いたら、「いや、朝一番で行くと伝えただけで、何時とは言ってないんですよ」だって。それなら私にもそう言えば良いのに、なんでまた「9時までに来て下さい」なんて念を押したのでしょう。

まあ、これぐらいならトルコでは当たり前のことで、知人の到着は早い方かもしれません。こんなことで文句言ったら、トルコの友人たちから「お前、何年トルコに住んでいるんだ?」と言われてしまうはずです。


6月24日 (土)  布団屋さん

日本の布団屋さんの様子がどうにも思い浮かべられないけれど、トルコで布団屋さんを見ると、韓国の布団屋さんが思い出されてなりません。韓国の布団はもっと派手な原色だったりしているものの、布団から店の様子まで本当に良く似ています。韓国の布団屋さんは、別に韓国まで行かなくても、大阪の鶴橋や川崎の桜町あたりにもあるから、どんなものだか一度御覧になって下さい。写真の布団屋さんに面白いくらい良く似ているはずです。

トルコでも田舎へ行けば、夜、床に布団を敷いて寝て、朝起きれば畳んで部屋の隅に置いたりしている家が未だあるのではないでしょうか。15年前、デニズリ県の農村に友人の実家を訪ねた時は、そうやって寝たような記憶があります。

イスタンブールもそろそろ日中は汗ばむ陽気になってきましたが、それでも夜になるとかなり気温が下がるので、私は未だ布団を腹の上にのっけて寝ています。イスタンブールは8月の一番暑い時でも熱帯夜になることはありません。私は良く寝冷えすることがあるので、へそ出して寝ても何ともならない東京の熱帯夜が懐かしいくらいです。

20060624-1.jpg



6月25日 (日)  カドゥキョイの裏通り

カドゥキョイの裏通りです。若者向けのアクセサリーを売っていたり、“タトゥーもどき”を肌に描いてくれる所があったりして、原宿のような雰囲気。といっても、私は原宿などに足を踏み入れたことが殆どないから、これはかなり好い加減な喩えであるに違いありません。

海外旅行を楽しむようなトルコの人が東京へ行くとして、浅草あたりだったら、ある程度自信を持って御案内できるけれど、原宿とか青山は遠慮しといた方が良いでしょう。聞いたこともないブランドの名前を並べられ、うろたえてしまうのが落ちです。

イスタンブールの“原宿”たるこの辺も私が好んで徘徊するエリアじゃありませんが、二週間ほど前、この先にあるオープン・カフェへ友人が案内してくれました。

友人は典型的なトルコの左派で、昨年もカドゥキョイで待ち合わせて、「今日は君を良い所へ連れて行ってやる」というから何処へ行くのかと思っていたら、CHP(共和人民党)の支部だったことがあります。

二週間前も、この通りを進んで行き、オープン・カフェの入り口まで来ると、そこには“ナーズム・ヒクメット文化センター”という垂れ幕が掛かっていて、「さてはここへ案内するつもりだったのか」と友人の意図は直ぐ明らかになってしまいました。ナーズム・ヒクメットは50年代にソビエトで客死したトルコの有名な詩人です。友人は、「ほら、ここには君の大好きな“信心深いムスリムの方々”が集まっているから嬉しいだろ?」なんて嫌味な冗談を言いながらニヤニヤしていたけれど、実際、集まっていたのは“信心とは全く縁のない”左派の人たちばかりのようでした。

20060625-1.jpg 20060625-2.jpg 20060625-3.jpg