Diary 2006. 4
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4月15日 (土)  ボスポラス海峡の春

ウスキュダルの船着場にほど近い“フェトゥヒ・パシャの樹林”、我が家から歩いて20分ぐらいの所です。こうやって外でお茶が飲めるようになると“いよいよイスタンブールの季節だ”という気がして嬉しくなります。赤紫色の花を咲かせているのはエルグワン、辞書を引いたら“セイヨウスオウ”となっていたけれど、日本では余り見ることのない樹木でしょう。

家族連れやカップルで賑わっていますが、ウスキュダルという場所柄か、スカーフを被った敬虔な女性の姿も多いようです。しかし、“敬虔なカップル”がこの春の陽気の下で、皆静かに行儀良くお茶を飲んでいるのかと言えばそうでもなくて、中には辺りを憚らずにアツアツぶりを見せ付けている者たちもいます。『あれをタリバンが見たら腰を抜かすだろうな』とか『春の訪れを喜ぶ“恋する若者たち”の情熱には“敬虔な信仰心”も及ばないのか』などと詰まらないことを考えている私より、よっぽど彼らの方が伸び伸びと自然に生きているかもしれません。そして今年もまた、春は、野暮な私の頭上を通り過ぎて行くのでしょう。

連れもないまま一人で座っている人もいて、こういう人はさすがにボスポラス海峡を眺めながら静かにお茶を飲んでいます。ただ、その座っている時間が半端じゃありません。一時間ぐらいはなんともないようです。私もイスタンブールの景色を眺めながら一人でお茶を飲むことがあるけれど、長くてもせいぜい20分ぐらいでしょう。なかなかそれ以上は一人で座っていられません。悠然と半日も座っていられるようになれば、私のところにも春が泊まってくれますかね。

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4月16日 (日)  ウスキュダルの船着場

ウスキュダルの船着場。私は毎朝ここのスタンドで新聞を買います。後に見える船はヨーロッパ側のエミノニュへ向かうもので、所要時間は15分ぐらい、現在工事中の海底トンネルによる地下鉄が開通すれば、この船便は廃止になるかもしれません。しかし、ベシクタシュなど他のヨーロッパ側船着場への便は引き続き運航されるだろうから、この船着場がなくなることはないはずです。

思えば、私が初めてここから船に乗ったのは91年の夏でした。その年の4月に日本からトルコへやって来た時は、イスタンブールの空港に降り立つやバスターミナルへ直行し、イスタンブールを見ないまま、その日のうちにイズミルへ向かいました。それから、イズミルのトルコ語学校に通い、夏休みにアンカラを回ってイスタンブールにやって来た時、初めてこの船着場からエミノニュへ渡ったのです。

アンカラからバスでイスタンブールに入って来て、何故途中下車してウスキュダルへ出たのか、その辺の記憶はいまひとつはっきりしませんが、イスタンブールの歴史地区と言われるエミノニュの周辺に、先ずは船で乗り着けたいと思っていました。

91年の夏、時間は昼の2時か3時頃だったでしょう。その日も天気は良くて、船着場に着くと、対岸にエミノニュのイェニ・モスクやスレイマン・モスクの姿を望むことができました。

そして、船に乗ってからも、段々近づいて来るエミノニュに目を凝らしていたのです。それは実に素晴らしいもので、度々記憶を焼き直したこともあって、いつでもその光景を思い浮かべることができます。

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4月21日 (金)  13年前

先日、故オザル大統領について書かれた記事を訳してみましたが、93年の4月17日にオザル氏が亡くなってから、既に13年が過ぎたのかと思うと、今更ながら月日の経つのが早いことに驚かされます。

13年前、東京にいた私は、朝日の朝刊で「オザル大統領死去」のニュースを知りました。多分一面ではなかったかと記憶していますが、先ず見出しの“オザル大統領・・・”が目に入り、『何だろう? トルコのニュースがこんなに大きく扱われるのは珍しいな』と思いながら視線を下にずらし、“死去”の字を見届けるや、思わず心の中で『わっ!』と声を上げてしまったように感じました。直ぐに、その頃東京で働いていたトルコの友人に電話を掛けたところ、未だこのニュースを知らなかった彼は、「えっ! 本当か?」と驚きながらも、私が何か言う前に「暗殺されたのか?」と問い質したものです。

「いや、心臓麻痺だったらしい」と答えると、「うーん」と唸ってから、「でも急に死ぬなんて彼らしいよな。急ぎ足で舞台に現れて急ぎ足で去ったということか。しかし、彼が死んだらクルド人たちは困るだろうな」などと言うのですが、この友人はオザル氏と同郷のマラティヤ出身でクルド人、「そんなこと言ったって君もクルド人だろう?」とやり返したら、「僕はそういうクルド人じゃないよ」なんて言ってました。

この友人については「メルハバ通信」にも書いたけれど、そういえば、彼とも翌94年に会ったきりです。今頃どうしていることでしょう。とても懐かしい気がします。


【144】クルド問題−オザル大統領からエルドアン首相へ【ミリエト紙】【2006.04.19】

http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00144.html

「メルハバ通信」トルコのクルド語事情(3)
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/004.html#80

「メルハバ通信」イスラム異端派
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/002.html#90


4月24日 (月)  ギリシャ正教の復活祭

昨日は、“ギリシャ正教の復活祭”ということで、昨年の11月まで住んでいた旧居の大家さん一家に招待され、御馳走になって来ました。

旧居の様子
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2005&m=3

大家さん一家はトルコ国籍のギリシャ人で正教徒。詳しくは、この家の初代“日本人店子”であるフジイセツコ氏の「イスタンブールのへそのごま」を御覧になって下さい。

イスタンブールのへそのごま
http://www.ryokojin.co.jp/books/16istanbul/istanbul.html


ギリシャ正教では、復活祭前の40日間、“肉食を禁じる”等の複雑な食事制限があり、肉の解禁日でもあるこの日のメインディッシュは当然のことながら肉料理だったのですが、写真を撮った時は未だ登場しておらず、残念ながらここには写っていません。食卓に見えているのはサラダ、ほうれん草とチーズ入りのパイ、赤く染められたゆで卵、それにロードス島特産のワイン。染色されたゆで卵は“イースターエッグ”とも呼ばれ、復活祭にちなんだものです。

真ん中に写っているのはディミトリー君16歳(だったと思います)。“イスタンブールのへそのごま”には幼年時代の彼が登場しているけれど、今は背も180cm以上あって年齢よりずっと大人びて見えます。なかなか勉強家でしっかり者。学校での成績も優秀なんだそうです。

彼の両脇を固めているのはお母さんとお祖母さんで、家族の会話は殆どがギリシャ語。私と一緒にトルコ語で話している時でも、家族に向かって話す場合はギリシャ語へ切り替えることが多いくらいですが、たまに私が中に入っていなくても会話がトルコ語になっている時もあって、その辺の機微は何とも良く解りません。

家族そろってトルコの連続テレビ・ドラマを観ている時、トルコ人がよくやるように、劇中の人物へ向かって何事か語り掛けたりするけれど、この時もギリシャ語。劇中の人物はもちろんトルコ語を喋っているわけで、傍で見ているとなんだか珍妙な感じがします。

テレビはギリシャの衛星放送も入るようになっていて、この日は復活祭を祝う歌番組が延々と流されていました。

同様の歌番組は祝祭がなくても毎土曜に放送されていて、今まで何度なく観たことがありますが、その度に思うのは『ギリシャの人たちは心から歌と踊りが好きなんだな』ということ。

トルコにも歌番組は多いものの、トルコの場合は日本のそれと同じく商業主義的にかなりショーアップされた豪華なものになっている上、殆どの歌手が実際に歌っていない“口パク”で、そこには歌を歌う喜びなんて微塵も感じられないけれど、ギリシャのこの番組は構成らしきものもはっきりせず、出演者たちは勝手に飲んで歌って踊りながら楽しんでいるんじゃないかという雰囲気。

とはいえ、その歌と踊りの質は極めて高く、せつせつと心を込めた歌いっぷりはなかなか感動的でさえあります。

でも本当に、彼らはテレビの前の視聴者に向けてというよりは、ひたすら自分たちの喜びの為に歌い踊っているようで、“仕事”しているのはカメラマンだけかと思えるくらいですが、ひょっとするとカメラの後でカメラマンも踊っていたかもしれません。

以下の記事を読むと、トルコの音楽は殆どビザンチンをルーツにしていると書かれていますが、実際こうしてギリシャの歌を聴いていると、『本流はこちらにあるんだろうな』という感じがしてきます。

我々はフランス人の千倍もビザンチンの子孫である
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00105.html

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4月25日 (火)  インゲン豆

この頃、家で良くインゲン豆(クルファスリエ)を茹でて食べています。安くて健康的な感じで調理が簡単というのがセールスポイントだけれど、最初は水加減が解らなくて見事に焦げ付かせてしまいました。それに、豆を茹でる時は一晩ぐらい水に漬けてふやかしておかなければいけません。以前はそういうことも良く解っていなかったのです。

トルコでインゲン豆(クルファスリエ)と言えば、以下の“トルコ便り(4月25日)”で紹介したトマトソースで煮込んだものが有名。
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2004&m=4

これは料理の名前からして、“クルファスリエ”とずばりそのものです。でも、家では茹でてからまた手間を掛けるのは面倒なんで、大概の場合は、ペキメズという葡萄から作った糖蜜を少し掛けるか、さもなければ何も足さずにそのまま食べてしまいます。あのトマトソース味はそんなに好きじゃないので、「この方がよっぽど美味い。シンプル・イズ・ベストだ」などと下らないことを言って喜んでいました。

しかし、今日は、茹でた豆が冷たくなってから、レタス、青唐辛子、ネギ、ニンニクを刻んで混ぜ、塩少々にオリーブ油と酢をたっぷり掛けて、ピヤーズという料理の類似品を作って見たのですが、やはり少しは手間を掛けた方がよいかもしれません。豆もそのまま、野菜もそのまま食べて、「腹の中で混ざっても同じこと」なんて嘯いていたけれど、これからはもっと美味しく食べる工夫もしてみましょう。

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4月27日 (木)  玄関

写真は我が家の玄関です。私は、靴を外に脱ぎ捨てることもあれば、中まで持ってくることもあります。同じアパートで他の玄関先を見ると、皆何足かは外に置いているし、中には靴棚まで外に出している所もあるけれど、我が家の同居人たちが靴を外に置いたことは一度もありません。彼らには、なかなか几帳面なところがあるんですね。

下記の記事に出てくる中央銀行新総裁宅の玄関も同じような状況だったのでしょう。もっとも、うちとは比べものにならない高級なマンションであると思いますが。

【145】生活スタイルの衝突が起こっている【ラディカル紙】【2006.04.21】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00145.html

トルコも伝統的には家で靴を脱ぐ習慣なんですが、西欧志向の強い人たちは、これを“文明的”でないとして批判しています。しかし、イスタンブールでかなりモダンに暮らしている裕福な人たちでも、その多くは玄関で靴を脱ぎスリッパに履き替えているようです。

ところで、先日、復活祭にお邪魔した大家さん宅は、それほど裕福な暮らしでもないけれど、家で靴を脱ぎません。これは彼らがギリシャ人だからなのでしょうか。正教徒のギリシャ人は教会へ行ってももちろん靴を脱ぎませんが、ムスリムであればモスクへ入る時に必ず靴を脱ぐことになります。西欧志向派の人たちは、トルコ的な政教分離主義の立場から、靴を脱ぐことにイスラム的なものを感じてしまうのかもしれません。

しかし、私が93〜94年にかけて、旅行で訪れたアナトリア南東部のシリア正教の教会では、靴を脱いで中へ入るようになっていたところもあります。こういうのは、おそらく宗教というより地域の風俗に関わる事柄なのでしょう。それに、日本人の私に言わせてもらえれば、家の中では靴を脱ぐ方が、衛生の面からしても遥かに合理的であるように思えます。

メルハバ通信:ディヤルバクルの教会「平伏して祈る姿」
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#170

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4月29日 (土)  炉端焼き

昨日は久しぶりに“炉端焼き”の店で友人たちと美味しいケバブを食べながら一杯やってきました。こういった店をトルコでは“オジャックバシュ”と言い、これは“炉端”を意味しています。

この店は、ベイオール街の裏通りにあり、去年の今頃、一人でこの辺りをブラブラしている時に見付けました。先ずは、他の店のように、ミンチした肉を串刺しにして店頭のショーケースに並べていないのと、少々うらぶれた感じの店構えに目を引かれて入って見たところ、安くて味と雰囲気も申し分なく、以来、友人たちと一杯やる時は大概ここにしています。

この店では、注文を聞いてから、ミンチした肉を串に刺して焼き始めるのですが、他店でショーケースに並べられているものと比べて遥かに大きく肉厚。ああやって串にボッテリと肉を付けてしまうとショーケースには並べ難いのかもしれません。しかし、ケバブはこれぐらい肉厚じゃないと美味しくないでしょう。

94年頃は、この辺りにこういう“オジャックバシュ”がもっと沢山あって、私が良く行った店では“炉”の向こう側に縁台が置かれ、親爺さんはそこに胡坐をかいてケバブを焼いていました。注文が入ると、俎板の上に切り身の肉を置き、両手に包丁を持ってそれで肉を刻んでミンチにするところから始めます。日本から旅行に来た人たちを連れて行ったりすると大変喜ばれたものですが、残念ながら私が98年にトルコへ戻って来た時にはもう無くなっていました。

昨日一杯やった店は、今に残る“古き良き時代のオジャックバシュ”といったところかもしれません。昨年の秋、この店のカウンター席、つまり“炉端”に座って、『良い穴場を見つけたもんだ』と悦に入っていたら、知り合いのイスタンブール在住韓国人がひょっこり店に現れ、私の存在に気づかぬまま慣れた様子で炉端に座ると、店の人に挨拶しながら「今日は細切れの肉を少しだけ焼いて下さい。ビール一杯飲んで直ぐに帰るから」なんて言うので、『彼もここの常連なのか?』と興醒めに感じつつ声を掛けたところ、向こうもこの意外な出会いに驚いていたものの、話を聞いてみたら、彼はもう3年も前から来ているそうで、まさしく本物の常連と言えるでしょう。しかし、彼もこの店をイスタンブール在住十数年という韓国人の先輩に教えてもらったというから、それこそ上には上がいるもんです。

左の写真でケバブの後に見えるのは、“玉ねぎとニンニクの焼いたもの”“トマトと青唐辛子の串焼き”“トマトをすりつぶして唐辛子を混ぜた前菜”で、飲んでいるのは“ラク”という蒸留酒。他のテーブルや炉端を見ても飲まれているのはラクばかりでした。玉ねぎは丸ごと串に刺して、表面が黒こげになるまで焼き、こげた皮を剥いてオリーブ油をかけてありますが、玉ねぎの甘みが良く出ていてなかなか美味しいです。

それから、右の写真にある何やら赤い液体ですが、これはワインじゃなくて、シャルガムというカブから作ったものでノンアルコール。とても酸っぱくて、そんなにガブガブ飲めるもんじゃありません。酒を飲みながら、時々口直しに飲むようです。

炉端には女性客の姿もありますが、トルコの男たちは職場の連中と飲む時でも夫人同伴で現れたりするから、日本でサラリーマン族御用達の居酒屋に見られるような“男ばかりがズラリと並んでいる光景”は却って少ないかもしれません。


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