Diary 2006. 3
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3月8日 (水)  ウスキュダルのアパート

昨年の11月、それまで住んでいたイスタンブールはヨーロッパ側のジハンギルから、アジア側のウスキュダルへ引越しました。引越した当時は、日本の建設会社が進めているボスポラス海峡のトンネル工事に関わる一現場で通訳を務めていて、同じ現場で働く若いトルコ人作業員ふたりと共同でアパートを借りたのです。

左の写真に見えるビルの四階、雨戸を閉め切っている所がそれで、日本風に言えば3LDK、スチーム暖房完備。一番大きな部屋は客間になっていて、私にとっては必要ないものだけれど、トルコではサロンと呼ばれ、これが無ければ家として成り立ちません。なにしろ、入居後、私は先ず中古の洗濯機と冷蔵庫を購入したのですが、ふたりのトルコ人はその前にサロンに置くソファを大小四つも買って持ち込みました。彼らにしてみれば、先ずは家の顔を整えたかったのでしょう。

あとの二部屋は、少し大きめの部屋を彼らふたりが寝室として使い、小さい方は私が寝室兼書斎(?)として占拠しています。右の写真で御覧のように二段ベッドを置いてますが、これは下段を物置として使いながら、日本から友人でも訪ねて来た場合には宿泊も可能にする為です。しかし、先月、日本へ行って友人たちに、「いつでも遊びに来て下さい。家でも泊まれるようにしたから」と伝えたら、「イスタンブールへ行ったら、なにもお前のところを宿にせんでもホテルに泊まるだけだから良いよ」と言われてしまいました。まあ、この写真を見たら、尚のこと誰も泊まりたくはなくなるかもしれません。

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3月9日 (木)  トルコの若者恋愛事情

写真は我が家から歩いて約10分のところにある安宿二軒。トルコの安いホテルはHが抜けてオテルになってしまいます。私は昨晩、左の宿のシングル15YTL(1200円ぐらい)という部屋で一泊する羽目に陥りました。さすがに、こんな宿で泊まるくらいだったら、私の寝室兼書斎の方がよっぽどましでしょう。

さて、何故そんな事態になったかと言えば、これは一昨日のことなんですが、同居しているトルコ人青年のひとりが私の部屋にのっそりと入って来て、言い難そうな様子で「ちょっとお願いがある」と切り出します。何事かと思っていると、「明日の晩なんですが、僕の彼女がここへ来るんですよね」なんて言い出したので、もうこれだけで何をお願いされるのか解った私は、話を続けようとする彼を制して、「解ったよ、要するに出て行ってくれと、そういうことでしょ。今日は朝から風邪で寝込んでいたんだよね。そんな病人に、明日の晩、何処かへ行ってくれと、そういうことですか?」。
「まあ、もう少し僕の話を聞いて下さい。明日、相棒は夜勤でいないから良いけど、君がこの部屋にいて、僕と彼女が隣の部屋にいるというのは、やはり拙いでしょう?」。
「だから出て行ってくれと」。
「ええ、何処か近くのホテルにでも泊まってもらえれば有難いんだけれど、ちゃんとホテル代は出しますから」。
「ホテル? 五つ星じゃないと嫌だよ。150ドルぐらいはするだろうね」。
すると、これで彼はもう了解を得たと思ったらしく、笑いながら感謝します。私も、そういうまたとない機会を得た26歳の健康な青年に、それを諦めろと言うつもりは毛頭ありませんでした。

つまり、宿泊先で身分証明書の提示を求められるトルコでは、未婚のカップルが同じ部屋に泊まろうとしても、これがなかなか認められないという話。リゾート地のホテルなら問題にならないようですが、イスタンブール市内の場合、かなり高級なホテルにならないと認めてもらえません。H抜きのオテルなんていう所では絶対に無理。トルコの恋する若者たちはなかなか苦労しています。しかし、ある程度信仰の有る者たちなら、神の許しを得ないまま婚前交渉に及ぶことはないだろうから、苦労する連中も限られているのでしょう。我が家の同居人ふたりの信仰心がどの程度のものか良く解りませんが、四ヶ月にわたって一つ屋根の下で暮らしながら、彼らが礼拝している姿は未だかつて一度も見かけたことがありません。酒はよく飲んでいるし、ラマダンの断食もしていませんでした。

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3月21日 (火)  同居人はチェルケズ人

ところで、同居している二人の青年なんですが、いずれもアナトリア南部のカフラマン・マラシュ出身で高校の同級生同士。カフラマン・マラシュは、あの伸びるアイス「ドンドゥルマ」の本場としても有名でありますが、彼らはマラシュの元来の住人ではなく、コーカサス地方を故地とするチェルケズ人で、19世紀の終わり頃、曽祖父の代に移住して来て現在の村を築いたのだそうです。村では今でもチェルケズ語が話されていて、先週私を追い出してくれた青年は、小学校へ行くようになってからトルコ語を勉強したのだとか。

もう一人の彼はチェルケズ人というものの、母親の方が同じコーカサス地方から移住して来たチェチェン人であり、チェルケズ語とチェチェン語ではお互い会話が通じない為に家庭でもトルコ語を使っていたうえ、父親の仕事の関係で、中学校を終えるまでイスタンブールで育ったことから、チェルケズ語は殆ど解らないといいます。

ふたりとも信仰心はいまひとつのようだけれど、現場では一生懸命に働いていたし、常識的でなかなか感じの良い連中です。今も上記のことを、サロンでテレビを見ていた彼らにもう一度確認して部屋に引き上げたところ、少したってから、イスタンブール育ちの彼がわざわざ部屋まで入って来て、「チェルケズ人についてもっと詳しいことが知りたいのなら、この近くにもチェルケズ人の協会があるから、そこへ行って訊くと良いですよ」と親切に教えてくれました。

現大統領のセゼル氏がチェルケズ人であることは良く聞く話ですが、彼らによれば、第一野党CHPのバイカル党首や元首相のチルレル女史もチェルケズ人であり、政財界におけるチェルケズ人の活躍には目覚しいものがあるんだそうです。私もトルコの新聞で「・・・軍情報部の幹部にもチェルケズは多い・・」という記事を読んだことがあります。チェルケズ人は人口から見れば絶対的な少数派でしょうから、その活躍を彼らがことさら自慢げに並べ立てるのも無理はないかもしれません。


3月25日 (土)  チェルケズ人の情報

同居している青年たちからチェルケズ人の活躍について聞かされ、ちょっと気になってインターネットで検索してみたところ、以下のようなサイトを見つけました。カナダ在住のコーカサス地方出身者が運営しているようで、英語とトルコ語バージョンがあり、チェルケズや他のコーカサス地方の諸民族ついての情報が満載です。

http://www.circassiancanada.com/

トルコ語バージョンの中には「トルコの有名なチェルケズ人」という以下のコーナーもあります。

http://www.circassiancanada.com/tr/info/unlu_cerkesler/uc_01.htm

この「トルコの有名なチェルケズ人」を見ると、セゼル大統領の名は見えなかったものの、例のバイカル氏をはじめ、作家のオルハン・パムック氏など本当に様々な有名人が登場していました。しかし、マルディン出身でクルド人ではないかと思われる作家のムラットハン・ムンガン氏まで出てくるのはどうしたことでしょう? ムンガン氏はその自著でクルド系であることを公言していたんじゃないかと思うのですが・・・。

まあ、こういった情報は何処まで本当のことやら良く解りません。セゼル大統領をチェルケズ人としているサイトもかなりありましたが、こちらも噂の範囲を出ないでしょう。同居人の情報もまたしかりです。ただし、チェルケズ人が軍や官僚機構の上層部に多いという話は一般紙の記事にもあったから事実かもしれません。チェルケズ人の活躍を自慢していた彼らもマイノリティーという意識はさらさらないらしく、自分たちをチェルケズ人であると同時に充分過ぎるほどトルコ人であると思っているようです。あれは日本の県人会などで聞かれる自慢話みたいなものなんでしょう。