Diary 2006. 12
メニューに戻る
12月6日 (水)  ローマ法王で大混雑

先週はローマ法王がイスタンブールを訪れ、警備の為に、市内のあちこちが通行止めとなったから、通れる道は何処でも大渋滞。その中、イズミルへ帰る韓国人のチェさんを路面電車のカバタシュ駅まで送り、空港行きの電車に何処で乗り換えるのか説明して別れました。この時、カバタシュ駅は凄まじい混み方だったけれど、路面電車は殆ど専用軌道を走るので、渋滞に影響されることもなく、空港までスムーズに行けただろうと思っていたところ、今週またイスタンブールへ出て来たチェさん曰く、「いやー、この前は空港まで3時間も掛かって偉い目に遭ったよ」。

どうやら専用軌道まで割り込んで来る車が原因で、路面電車は遅々として進まず、すし詰めの車内では女性や子供が悲鳴を上げて地獄のような有様だったそうです。

確かにあの日は相当なすし詰め状態だったから、それが2時間以上も続いたら、悲鳴の一つも上げたくなるでしょう。しかし、普段のイスタンブールでは、満員電車と言っても、東京のラッシュアワーみたいに身動きも取れないほど混むことは殆どありません。まず、向かい合わせに座る4人掛けの席を並べた構造からして、乗員数が制限されてしまう上、先に乗った人たちがなかなか奥の方へ詰めてくれないので、いつもドア付近ばかりが超満員となり、それ以上は入れなくなってしまうのです。

昔、日本のテレビ番組か何かで“一つの車両に何人乗れるのか”という実験をしたところ、見ず知らずの人たちが最初に乗り込んだ時が最高の数値を示し、同じメンバーで実験を繰り返すと、数値はどんどん下がってしまったという話を聞いたことがあります。なんでも、同じメンバーで繰り返した場合、メンバー同士が段々と親しみを感じるようになって、前の人を無慈悲に押すことが躊躇われてしまうのだそうです。

この伝で行けば、見ず知らずの人にも親しげに声を掛けることが多いトルコ人の場合、“親しみが災いして余り押し込むことができなくなってしまうのか”と言いたいところだけれど、乗ろうとしている人がいるのに知らん顔して全く詰めてくれない輩を見たりすると、これは何だか違うような気がしてきます。おそらく、我慢や辛抱が流行らないトルコでは、すし詰め状態になるまで頑張ろうなんて誰も思わないからなのでしょう。トルコの人が朝出勤する際、東京並みのラッシュを見たら、乗るのを諦めて平気で遅刻して来るかもしれません。

バスも同様です。運転席の横から乗車口のところまで人が溢れ、あれでは運転手がどうやってサイドミラーを見ているのか心配になってしまうような状態で走っている市バスがあるけれど、これも奥の方はそれ程混んでいなかったりします。運転手が「皆さんもっと奥へ詰めて下さい!」と叫んだところで一向に効き目はありません。

ところで、乗客が溢れていなかったとして、トルコのバス運転手はどのくらいサイドミラーに注意しているものなんでしょうか?

未だ暑かった頃、ニシャンタシュという品の良い街の停留所で6名ぐらいの人たちとバスを待っていたところ、来たバスが一瞬止まっただけで直ぐに発進してしまった為、急いでいた私は、混んでいる道をゆっくり走り始めたこのバスを追いかけて50メートルぐらい並走したんですが、運転手は全く気がつかずにそのまま走り去ってしまいました。サイドミラーを少しでも見ていれば、並走している私に絶対気がついたはずです。

仕方なく息をはずませながら停留所へ戻ってくると、初老の紳士から「運転手は気がつかないのかな? 酷いもんだねえ」と親しげに声を掛けてもらったので、「いや何、ちょっとスポーツしてきただけですよ」と答えたら、その紳士を初め、停留所にいた人たちが皆で笑ってくれて、なんとなくその場が和やかな雰囲気になりました。まあ、確かにあんな雰囲気になったら、なかなか無慈悲に押し合うこともできないでしょう。



12月17日 (日)  喫煙の害

写真は同居しているトルコ人の青年たちが吸っている煙草。左の“2000”というトルコの銘柄は、12年前まで喫煙していた私も愛用していました。

煙草の包装紙には、日本と同じように、煙草の害を明らかにした文言が大きく印刷されていますが、これは何パターンかあって、全てが同じ文面にはなっていません。

まず、右の煙草には「喫煙は皮膚が早く老化する原因となります」と記されていて、これはどうやら女性の喫煙者に向かって呼びかけているようです。

次に左ですが、これはなかなか傑作。「喫煙は精子に害を及ぼし、生殖能力を減退させます」。

他に、ずばり「性的能力を減退させる」というのがあったように思いますが、こちらは確認できていません。いずれにせよ、こういった文面が、トルコの男性陣には効果的なんでしょうか?

20061217-1.jpg



12月18日 (月)  英語教育は小学校から始めるべきじゃないでしょうか

トルコ語の文法は日本語と良く似ていて、疑問文には“ム”という疑問詞が文末についたりします。例えば、「日本人か?」だったら「ジャポン・ム?」とすれば良いわけです。しかし、“何・誰・何処”といった代名詞が使われる文であればその限りではなく、名前を尋ねる場合には、「スィズィン(貴方の)・アドゥヌズ(名前)・ネ(何)?」と言えば良く、疑問詞をつける必要はありません。

91年に初めてイスタンブールへやって来て、ある安宿に泊まった時のこと。安宿の主人は35歳ぐらいの男で、「俺は英語が良く分かる。君も英語を知っていれば、英語で話せたのに」と残念そうに話していました。ところが、そこへ欧米のツーリストが現れると、彼は、そのぐらいなら私でも喋れそうな簡単な英語で宿の料金等を説明したのち、「アンダースタンド・ム?」とのたまわったのです。まあ、日本語で言えば「“アンダースタンド”か?」といったところでしょう。その後も恥じ入る様子すらなく、『どうだ、俺の英語は大したもんだろう』とでも言うかのようにふんぞり返っていました。

もっと凄かったのは、「英語が分かる」と自己紹介したオスマンという男。外国人ツーリストを前にして、「マイ・ネーム・イズ・オスマン。スィズィン(貴方の)“マイネームイズ”ネ(何)?」とやらかしたものです。

とはいえ、トルコ人の英会話能力は全般的に日本人より上じゃないでしょうか? 観光地の土産物店などでは、中学校ぐらいしか出ていない店員さんであっても、上記のような積極性で瞬く間に簡単な英会話を習得してしまう程で、高等教育を受けた人たちは、それこそ流暢な英語を駆使しています。

しかし、イスタンブール在住で英語に堪能な韓国人のキムさんによれば、「韓国人とトルコ人が英語で交渉するのは考えものだ。いずれも“見栄っ張り”だから、“解らない”の一言が言えずに、とんでもない間違いが生じてしまう可能性がある」のだそうです。「相手の英語力に不安を感じた場合は、私がトルコ語で話すようにしていますよ。これなら何かの間違いがあれば、向こうが指摘してくれますからね」。

スペイン語もある程度分かるキムさんは、「英語の難点は、発音が難しいところです。スペイン語は少し慣れれば、音が明確に聞き取れるようになります。名詞に性別があったりするから難しいなんていう人もいるけれど、性別を間違えたところで話は通じます。これが英語の場合、発音を間違えたら話が通じなくなってしまうこともあるでしょう」と明らかにしていました。

http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#240

母音は五つだけ、子音の数もさして多くない日本語を母語とする私にとっては、トルコ語の発音すら難しいくらいで、英語などは“悪魔の作った言語”じゃないかと思えてしまいます。私は、韓国語もトルコ語も“耳から学ぶ”ということが全くできませんでした。先ずは文字と文法から入って読みながら勉強したのです。日本語を殆ど読めないまま、器用に日本語を勉強して行くトルコ人がいるけれど、あれはどういうことなのか全く不思議で仕方がありません。

日本語にあってトルコ語に無い発音というのは、おそらく“つ”ぐらいなものだから、トルコ人が日本語を聞き取るのは、さほど難しいことじゃないのでしょう。トルコ語は母音が八つあり、“R”と“L”や“V”と“B”の区別もあるから、トルコ人にとっては英語の発音も、日本人よりは遥かに楽なのかもしれません。

あるトルコ人の友人は、「日本人の“V”の発音には笑っちゃうよな」と言います。「一生懸命、大袈裟に下唇を噛んで発音しているのに、出て来る音は“B”なんだよ。トルコ語の場合だったら、無理して“V”の発音をしようとせずに、“W”で言ってみた方がよっぽど通じる。例えば、ヴァン(Van)だったら、ワンと言えば良いんだ。ヴァンと言おうとすれば、バン(Ban)になってしまって、余計何のことだか解らなくなってしまう」。

最近、日本では、英語教育を小学校から始めるべきかどうかが議論になっているそうだけれど、耳が固まってしまう中学生になってからでは絶対に遅い、出来れば小学校の一年から英語教育を始めるべきじゃないかと私は思います。それも、発音の怪しい日本人教師には一切喋らせずに、ネイティブの英語をテープでどんどん聴かせた方が良いでしょう。

私が中学校の時に、英語を担当していた先生は、“Th”の発音を教えるのに、歯と歯の間から舌をニュッと突き出しながら“ザッ”とやるので、『あんなことしたら舌を噛んでしまう』と恐れたたけれど、実際のところ、あれも“Th”の発音にはなっていなかったかもしれません。


12月19日 (火)  アイヴァ・タトゥルス

秋に収穫されるアイヴァ(マルメロ)という林檎に似た果実を甘く煮た菓子が、10月の中旬から軽食店のメニューへ上るようになります。生だと酸っぱくて渋いアイヴァですが、甘く煮ると程よい酸味が残り、その爽やかな香りがなんとも言えません。翌年の4月ぐらいまでメニューに載っているけれど、これはやはり季節ものなので、例年出始めの頃に一度は味わってみることにしています。しかし今年は少し遅くて、先月の末にやっと味わうことができました。

上に乗っている白いものは、カイマックと呼ばれる生クリーム。液状のものを泡立てるのではなくて、最初から固形で売られており、クリームとバターの中間のような濃度です。砂糖は含まれていませんから、お菓子の甘さをこれで中和させることができます。小倉餡の上に乗せて食べたらさぞかし美味いだろうと常々考えているのですが、未だに実現していません。

20061219-1.jpg



12月26日 (火)  ムスタファ・サルギュル氏のサイン入りワイン?

昨日、イズミルからイスタンブールへ戻って来ると、そのまま旧居の大家マリアさんのところへ直行しました。彼らギリシャ正教徒にとって重要な祝祭である“12月25日の聖誕祭”に招待されていたからです。しかし、ギリシャ正教徒の場合、クリスマスツリーのもとでプレゼントを渡すのは大晦日のことであり、大晦日には新年の祝いも兼ねて、より盛大な晩餐会を催します。

昨日は私の他にもう一人来客がありました。この家族の30年来の友人であり、数年前までは近所に住んでいたというそのムスリム女性は、マリアさんたちとお互いの宗教行事を祝い合う仲だそうです。「私はムスリムだけれど祈っている神は同じですからね」と言い、この日は朝から、マリアさんそして娘のスザンナさんと連れ立って教会にも出掛けて来たというくらいで、なんだか親戚のおばさんみたいな感じさえします。

彼女たちが出掛けた教会はシシリー区内にあり、聖誕祭を祝して区長のムスタファ・サルギュル氏も教会を訪れたそうで、彼女たちは大喜びでした。サルギュル氏は、昨年、CHP(共和人民党)党首の座をバイカル氏と争って注目された若手の政治家。なかなか男前で、女性の有権者たちからも支持を集めているようです。

この日、娘のスザンナさんは、教会の中で突然サルギュル氏から抱き寄せられ、頬にキスされたとかで、もう有頂天。「サルギュルさんは奥さん同伴だったの?」と訊いたら、「いなかったわよ。何しろ熱烈抱擁だったからね。居たら離婚騒動になったかもしれないよ。ギャハハハ」と笑い転げていました。

サルギュル氏は参列者に赤ワインのハーフボトルまで配ったそうで、スザンナさんが「サルギュルのサイン入りよ」などと言うから、直筆のサインでも入っているのかと思って、『しかし、サルギュル氏もマメな人だなあ』と感心しながら見せてもらったら、何のことは無い、ラベルに普通の活字で、“新年が皆様にとって良い年であることを祈ります。シシリー区長ムスタファ・サルギュル”といったような挨拶が印刷されているだけでした。

サルギュル氏には、“パフォーマンス過剰”という批判もあるけれど、ムスリムの政治家として、クリスチャンの市民からこれだけ喜んでもらえれば、各宗教の平和共存もアピール出来て、万々歳じゃないでしょうか?

20061226-1.jpg