Diary 2006. 11
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11月17日 (金)  独身男たちの受難

日本で1ヵ月ほど過し、イスタンブールへ戻ってモタモタしている内に早くも二週間が過ぎようとしています。この間、何かネタを見つけて書こうとしたけれど、不愉快なことばかりが続いて、どうにも書く気になれなかったのです。もちろん、それが私にとっては不愉快な話でも、読む人には面白く感じられることもあるかもしれませんが、書く為に、また一々それを思い返すのは嫌だから止めにしました。

こうして、嫌なことや腹の立つ話をさっさと忘れてしまうから、私は“この人生、お先真っ暗でも過ぎ去りし日々は常に薔薇色”だなんて脳天気なことが言ってられるのでしょう。

不愉快な話というのは、家賃が上がったことに関わるもので、“日本人だから余計に取ろうとしているんじゃないか?”と勘ぐったりもしたけれど、実際のところは解りません。同居している二人のトルコ人青年も値上げを渋々ながら認めました。

トルコでは、私が外国人であるなしに関わらず、三人の独身男がアパートを借りようとすれば、少なからず困難がつきまといます。独身者に適したワンルームのアパートというものが殆どないから、三人でシェアするわけですが、これを一人で借りようとしても負担が増すだけで状況は変わりません。家主たちは独身の男にアパートを貸したがらないのです。

理由は、“独身の若い男たちは不道徳で困ったことをしでかす”といったものらしいけれど、それなら我々三人に関しても全く心当たりのないことじゃないから、なんとも歯切れが悪くなります。3月9日付けの本欄でも御紹介したように、一人の青年は若い女をこのアパートに連れ込むという甲斐性のある真似をしでかしてくれました。

http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2006&m=3

実を言うと、この青年は3ヵ月ほど前にも同様のことを再度しでかしています。しかもこの時は、何の予告もなく突然その日の午後になってから「今晩女が訪ねて来るんだけれど・・」などと私の退去を望んで来たので、さすがの私もムッとして「来たって構わないが俺も今日は出て行かないからな。その代わり部屋にこもってなるべく姿を見せないようにしてやるよ」と言ったら、「じゃあもう一人女を連れて来させようか?」なんて訳の分からないことを言い出す始末。私が斯様に不道徳な申し出を断わったのは言うまでもありません。

夕方、既に女を連れ込んだ後になって相棒の青年が帰って来ましたが、どうやら相棒へも事前には知らせていなかったようで、言い争いになったあげく、相棒の青年はプイと何処かへ行って翌日の晩まで戻りませんでした。後から聞いた話では、相棒にも同様の不謹慎な申し出をしたところ、彼は非常に立腹しながら出て行ったのだそうです。まあ、これが良識というものでしょう。

結局、その晩は、連れ込まれた女の顔を見ることもなく、なんだか知らないけれどビールを飲んでさっさと寝てしまいました。

翌朝、水を飲もうと台所の方へ行こうとしたら、その女が台所の方からこちらへ向かって歩いて来ます。私は慌てふためいて逆戻りしようかと思ったものの、そこがちょうどトイレの前だったので、用もないのに素早くトイレへ入り、洗面所の鏡を見ながら、“なんて間抜けな奴だ”と呆れるほかありませんでした。

ところで、女の方も、この遭遇に平静ではいられなかったそうです。なんでも、青年は彼女に「この部屋に友達がいる」と言っただけで、その友達が日本人であることは伝えていなかった為、朝になって突然出現した東洋人に彼女は驚愕してしまったのだとか。なんとも馬鹿げた話ではあります。

しかし、この青年がしでかしたことは、当事者の私にとっても、今になって思えば楽しい出来事の範疇に入るもので、どこにも不愉快な要素はありません。実際のところ、これを思い出して歯切れが悪くなったりする必要など何処にもないはずです。ただ、この国の社会では、決して許されない汚らわしい事件であり、独身男にはアパートを貸したくない家主の正当な理由となってしまうでしょう。




11月18日 (土)  もちろん愉快なことばかりではありません

昨日の“便り”でも申し上げたように、私は、なるべくなら、記憶を辿るだけで気分が良くなるような話を書きたいと思っているので、先月も“ほのぼのとしたタクシー運転手さん”の話を紹介したりしたけれど、実を言えば、タクシーに乗って不愉快な思いをすることは結構少なくありません。特に、観光名所の近くなどで客待ちをしているタクシー運転手の中には随分と悪辣な連中がうようよしています。観光目的でトルコへ来られた方が、この手の運転手ばかりに当たってしまうのは何とも残念なことです。

観光名所の近くにタクシーを停めて、前を外国人らしい人が通る度に、「タクシー、タクシー」と声を掛けている運転手がよくいるけれど、それがタクシーであることは100m先からだって解ります。タクシーに乗りたい人は、別に声を掛けられなくても、自分から呼び止めて乗り込むでしょう? まったく、タクシーの押し売りまで存在するのだから堪ったものではありません。こんなタクシーはトラブルの元、乗らないことが一番です。

また、外国人とみればボッたくろうとする輩はタクシーの運転手に限ったことではないし、詐欺師まがいの連中も好んで外国人を標的にするから、観光ばかりでなく、事業を目的にトルコへ来られる方も、こういった連中には充分気をつけなければなりません。

日本の場合、金を持っているのは、外国人より何より他ならぬ日本人なわけで、わざわざ好き好んで外国人ばかりを標的にする詐欺師もそれほどいないでしょう。なにしろ「オレオレ」とやるだけで数百万も振り込んでくれる有難い同胞がいくらでもいるのです。しかし、トルコの場合、金を持っているのは何と言っても外国人、分けても日本人と思われているみたいで、日本人の周りには「ジャポン、ジャポン」と言って近づく怪しげな連中がドッと集まってしまいます。まあ、幸いなことに、素寒貧であることが一目瞭然である私のところへ、そうやって近づいて来たのは殆どいませんでしたが・・・。



11月23日 (木)  敬虔なムスリム女性

インターネットは月額49YTL(4千円ぐらい?)で“リミット無しの使い放題”ということになっているけれど、接続用のモデムを一番安いものにしていたところ、これが簡単に故障する粗悪品で、度々接続が中断するような有様でした。

モデムには一年間の保証がついているから、故障した場合、このモデムを販売している会社まで行けば直ぐに新品と替えてはくれるものの、そこはバスを乗り継いで一時間も掛かる所にあり、不便なことこの上もありません。それが二週間ほど前、再び完全に故障して、新品と交換したのに、これまた10日ぐらいで使い物にならなくなり、さすがにうんざりです。

それで昨日、以前、設定や故障時に出張サービスに来てくれた会社に電話してみたところ、声に聞き覚えのある男が出て丁寧に対応してくれたので、他にもっとましなモデムはないものかどうか尋ねたら、その会社でもモデムを販売しているとのこと。それならば、思い切って買い換えようと決め、その旨伝えると、「6時までは会社にいます。ノートブックを持参すれば、ここで設定も済ませることができます」と言うから、住所を教えてもらって、その会社を訪れてみたのですが、雑居ビルの中の小さな事務所には、頭にスカーフをきちっと被った若い女性が二人いるだけでした。

入口の所で「電話で話した男性はいないのですか?」と訊くと、窓側のデスクに座っていた女性が歩み寄って来て、「出張サービスに出ていて、今日は直帰になると思います。モデムをお買い求めになるんでしたよね。設定は私でも出来ますからどうぞおかけになって下さい」と言います。それから、もう一人の女の子に指示して、モデムを持って来させ、箱を開け、付属品などの説明をしながら取り出し、私がノートブックを机の上に置くと、手際良く配線等の準備を整え、まあ途中、順序を電話で問い合わせていたりはしたけれど、滞りなく設定まで済ませてくれました。

この女性、なかなか美人なうえに愛想も良く、スカーフを含めた着こなしにも品があります。そもそもスカーフを被っているのは信仰のある敬虔な女性だから、品があって当然、余り下品なのは少ないんじゃないかと思われるかもしれないけれど、これがどうしてそうでもありません。

敬虔なムスリムは、その殆どが地方から出て来た庶民であり、裕福な人たちも最近になって財を成した所謂“成金”が多く、その奥方たちも、頭のスカーフと丈の長いスカートなどを見落とせば、思わず水商売の方かと勘違いしそうな、金ピカでド派手なファッションに身を包んでいたりするのです。

それでも彼女たちはそれなりに金をかけているから、まあ有閑マダム風に見えなくもないけれど、庶民的なウスキュダルの街を闊歩する“敬虔”な若い女性たちを見ると、その長いスカートが日本の70年代の“スケ番”を連想させてしまうような娘も少なくありません。そんな娘たちが街角に何人か集まり、どぎつく化粧した顔に下卑た笑みを浮かべて、何事か語り合っていたりするのを見かけることもありますが、どうせ碌でもない噂話をしているのでしょう。

しかし、考えて見れば、宗教という強力なタガで押さえているから、彼女たちが本当の“スケ番”になってしまうこともないわけで、このタガを外してしまった場合、ウスキュダルの街は、不良とスケ番に酔っ払いの親爺どもがうろうろして、それこそ危なっかしくてのんびり歩いていられないような街になってしまうかもしれません。

まあ、ひと昔前だったら、「不良と酔っ払いのいない街なんて、却って不健全なんだよ」と言いのけてしまうところですが、近頃の“家庭崩壊”やら“学級崩壊”なんていう日本の話題を聞いていると、そう言い切れる自信もなくなってしまいます。



11月25日 (土)  ラマダン期間中の出来事

トルコでは、ここ数年の間にスカーフを被った女性が著しく増えたように言われており、ウスキュダルの街を歩いたりすると、実際そんな風に思えないこともありません。ところが、統計によれば、女性のスカーフ着用率は年々減る傾向にあって、増えたように感じられるのは、スカーフを被った女性たちが社会進出を果たしたことにより、その姿が目立つようになっただけであるとか。もちろんこれは、統計の数字が正しいことを前提とした説なんですが・・・。

女性のスカーフに限らず、イスラム的な傾向は、2002年にAKPが政権を取って以来、統計の結果がにわかに信じられないほど顕著になって来たような気もします。

例えば、先月のラマダン期間中、イズミル在住の韓国人チェさんとイスタンブール市内にある会社を訪れた時のこと。2003年に設立され、本部は米国にあるというその会社は、市内の高層ビルにモダンなオフィスを構え、手広く事業を展開しているようでした。

会議室に通され、パンフレットなどを読んでいると、担当の男性社員が入って来て型通りの挨拶を済ませた後、彼は私たちに向かってこう言ったのです。「ラマダンの期間中であり、全ての社員が断食を実践している為、貴方たちにお茶やコーヒーを用意することもできません。ご了承下さい」。

これには驚きました。私はトルコ在住11年になりますが、ラマダンの期間中だからと言ってお茶を出してもらえなかったことは未だかつて記憶にありません。グランドバザールの顎鬚をたくわえた敬虔そうな老店主でさえ、来客には茶を勧めてくれます。

その社員は、チェさんが韓国の会社を代表して訪れたことを知ると、「我々は韓国にとても好意を持っています。極東と言えば、先ずは韓国。中国にも注目していますが、一番素晴らしいのは何と言っても韓国です」等々、盛んに韓国を称賛するのですが、日本のことは全く話題にしようともしません。おそらく、“韓国人は日本が嫌いである”といったような予備知識でも頭にあるのでしょう。ひたすら、韓国と中国だけを話題にしていました。

それが、話も終わり席を立つ段になって、チェさんが「ところで、彼は日本人なんだけどね」と明らかにしたところ、一瞬、驚愕の色を露わにしたものの、直ぐに冷静さを取り戻し、何事もなかったかのように「実を言えば、私は日本が大好きでして、日本の技術は本当に素晴らしいと思っています」云々と、平気な顔して“日本称賛”にシフトチェンジ。

これがその社員の個性によるものなのか、会社全体の傾向であるのか、その辺のところは何とも解りませんが、とにかく徹底して相手に媚びないと気がすまないようです。

話の中で、会社がAKP政権と密接な関係にあるようなことも仄めかしていたけれど、“ラマダンにはお茶すら出さない”というのも、政権党に対する精一杯の“媚び”だったのではないでしょうか。

ですから、この社員がどれくらい敬虔なムスリムであるのか、それさえ疑わしいわけで、“トルコがイスラム化しつつある”と大袈裟に考えるほどのことではないかもしれません。

ちなみに、この会社の受付に座っていた女性はスカーフを被っていませんでした。


11月30日 (木)  スカーフは何を象徴しているのか?

【160】スカーフは何を象徴しているのか?【ラディカル紙】【2006.11.30】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00160.html

“新聞記事訳”の欄を久しぶりに更新しました。この記事の中で、筆者のトュルケル・アルカンさんは、「スカーフを被った者も被っていない者も、結局は同じ社会の人間たちであることが忘れられている。行動スタイルとその価値観には一般に考えられているほどの、そして、そう見られるように望まれているほどの大きな違いはない」という意見を述べられています。

いつだったかテレビでトルコの映画を観ていたら、髪の毛を真っ赤に染めた不良っぽいトルコ人のオネーチャンが同様の蓮っ葉な友達に「私、処女なのよね」と言い、友達が「私も」と返すシーンが出て来て、『日本だったら、こんなシーンにリアリティーは感じられないだろう』なんて思ったりしたけれど、トルコの“スケ番”風はせいぜいこんなところであり、スカーフを被っていながら男といちゃついている娘たちとの間に、それほど価値観等の違いは存在してないのかもしれません。

数年前、イスタンブール大学に留学していたイラン人の友人が店番している所へ立ち寄った時のこと。友人は、その店で私も何回か顔を合わせたことのあるモダンな若いトルコ人女性について次のように話していました。「彼女と雑談していると、『私は処女じゃないの』って良く言うんだ。欧米や日本で、わざわざそんなこと言う女がいる? 僕に何が言いたいのか解らないけれど、相当無理しているんじゃないのかな」。

その女性は、いつも『私をそこらにいる古臭いトルコ人とは一緒にしないで欲しい』という感じで気取っていましたが、友人が言うように“無理している”だけで、本質的なところはそれほど違っていなかったのではないでしょうか。