Diary 2004. 8
メニューに戻る
8月7日 (土)  トルコに紹介されている日本文学

先ずは左の写真ですが、トルコ語の表題も「キュチュック・ベイ(坊ちゃん)」となっていて、言わずと知れた夏目漱石の作品。昨年出版されたこの本は、初めて日本語から直接トルコ語へ翻訳された日本文学になるのだとか。随分前から、三島由紀夫や太宰治の作品が紹介されていますが、全て英語もしくは仏語などから翻訳されていたそうです。

真中の写真は村上春樹の作品。トルコ語の表題は「イムキャンスズン・シャルクス(不可能の歌)」であり、多分そうじゃないかとは思ったけれど、最初のページを読んで見て、やはり「ノルウェーの森」であることが解りました。仏語から訳したようですが、仏語の表題も「不可能の歌」となっていたのでしょうか? そういえば、韓国語訳も「喪失の時代(サンシレシデ)」となっていました。また、昨年訪れた韓国では、書店に村上春樹のコーナーまであるほどのブームだったけれど、先日覗いて見たイスタンブール市内の書店でも、この「イムキャンスズン・シャルクス(不可能の歌)」が新刊のコーナーに平積みで置かれていて、トルコでもそろそろ反応が出ているのかもしれません。それから、この本の左上を見ると、「ドュンヤ・エデビヤットゥ」と記されていますが、これは「世界文学」の意。トルコの書店では、未だに「世界文学」と「トルコ文学」のコーナーがあります。

右の写真は、井原西鶴の「サムライラル・アラスンダ・アシュク(侍たちの恋)」となっているものの、原題が何であるのか良く解りません。英語から訳されていて、前書きを読んで見ると、この本にある13の物語は全て男色の話から成り立っているようです。前書きは、同性愛者を自認する作家のムラットハン・ムンガン氏が思い入れたっぷりに書いています。未だ最初の物語に目を通しただけですが、情けないことに西鶴なんて原文ではとても読めないけれど、トルコ語だと読み易くて結構面白いものだと思いました。

20040807-1.jpg 20040807-2.jpg 20040807-3.jpg



8月12日 (木)  雑貨屋さん

近所の雑貨屋さん。写真の二人は従兄弟同士、アンカラに近いチャンクル県という典型的な内部アナトリアの農村地域の出身で、信仰に篤く実直なアナトリアの気風が感じられます。親族で経営にあたっているようですが、とても感じが良い人たちなので、日用品の買い物は大概ここで済ませ、近いからといって他の雑貨屋へ行くことは殆どありません。多分、そう思っているのは私だけじゃないでしょう。朝夕などはいつも混雑して、商品を手に暫く順番を待たなければならないほどです。

それに、この雑貨屋さんの優れた点は、つり銭を必ず用意してあること。そんなものは当たり前と思われるかもしれませんが、トルコではこれがなかなかそうも行かず、高額紙幣で安価なものを買おうとすると、途端に嫌な顔をされたり、「つり銭がない」と断られたりすることもあります。良心的な店でも、「くずして来ます」と言われて暫く待たされたり、「また今度小銭がある時に支払って下さい」と望みもしないのに「つけ」にされたりと、つり銭の問題はなかなか厄介です。

日本の場合、店を開ける前に、銀行で小銭を用意しておくのは当然のことであり、「何故、トルコではこれが出来ないのか」とこの雑貨屋さんに尋ねたら、「トルコの銀行は小銭の両替など受け付けてくれない」と言います。彼らは、暇を見て近所の店々を回り、小銭を用意しているのだとか。しかし、チェーン展開している大手スーパーでも、つり銭の問題などは生じていないから、その辺りのことをさらに尋ねてみたところ、「中央銀行もしくは貨幣を鋳造している所まで行けば替えてくれる」という答えが返ってきました。

チェーン店などは、本部が一括してそういった業務をこなしているのだろうけれど、トルコじゃ雑貨屋さんを営むにしてもなかなか簡単には行かないようです。

20040812-1.jpg



8月13日 (金)  miniaturk

ミニアトゥルク、ミニ・トルコとでも言ったら良いでしょうか? トルコ国内の名所旧跡からオスマン朝の残した国外の旧跡まで、100近いミニチュアが展示されているテーマパーク。昨年オープンしたのではなかったかと思いますが、家族連れなどで、なかなか盛況のようです。ミニチュアはかなり念入りに造られた精巧なもので、一部では現存していない古の姿が再現されています。

左の写真は、エディルネのセリミエ・モスク。

真中の写真で、左側に見えているのは、世界七不思議の一つとされるハリカルナス霊廟(マウソレウム)。現在は、一部のパーツがロンドンのブリティッシュ博物館に展示されているだけであり、これは復元された姿をミニチュアにしたものだそうです。

右の写真を見ると、可愛らしい機関車が走っていますが、トルコでは悲惨な列車事故が立て続けに起こったばかり。数人の中年男性は、この機関車を見つけると、「おっ、機関車も走っているよ」「でも、これは普通に走っているぞ。やっぱり、事故を起こしてくれないと本物らしく見えないよなあ」と、冗談を言い合いながら通り過ぎていきました。

20040813-1.jpg 20040813-2.jpg 20040813-3.jpg



8月14日 (土)  miniaturkの「ヒディヴ邸」

ミニアトゥルクには、下の記事に登場する「ヒディヴ邸」もあります。

【83】作家アフメット・アルタン氏とヒディヴ邸(1)
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00083.html

【84】作家アフメット・アルタン氏とヒディヴ邸(2)
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00084.html

作家アフメット・アルタン氏は、最近、実際のヒディヴ邸を訪れた時の印象を次のように記していました。

「ヒディヴ邸の庭園に入ったところ、未だ車を降りたばかりの時から、異様な雑然とした雰囲気が私たちを迎えてくれた。少し歩けば、今度はこの庭園で聴くことが似つかわしくない音楽が鳴り始める。濃厚な焼肉の匂いが漂って来て、それは辺りの木々にも染み付いてしまったかのようだ。子供たちが騒ぐ声の甲高さは教育の欠如を示し、スカーフを被った女性たちと顰めっ面をした男たちが花壇の間の小径を歩いていた。建物の前では結婚式が催されていて、男女がイスラムの法に従って別々に、しかも誰一人笑顔を見せることなく座っているのが見える。そして、あの美しい建物の内部は、正しく田舎町のクラブの状態になっていた。優雅さは粗雑な扱いを受けて消えうせてしまったかのようだ。裏切りにあったように感じ、怒りがこみ上げてきた」。

さて、このアフメット・アルタン氏が、ミニチュアのヒディヴ邸を訪れたら何と言うでしょうか? ミニアトゥルクに、焼肉の香りは漂っていませんでした。しかし、教育の欠如については解りませんが、甲高い子供の声は響いていたし、スカーフを被った女性や「顰めっ面」風の男性も多数往来。おまけに、安物のデジカメを持った変なジャポン(日本人)がうろついていて、こいつは「セリミエ・モスク」の写真を撮ろうとして芝生に膝をつき、係員から注意されるほどの不埒な間抜け野郎です。「頼むから、ミニチュアで満足して、本物の方には行かないように」と言われてしまうかもしれません。

20040814-1.jpg 20040814-2.jpg



8月15日 (日)  miniaturk・こんなのもあります。

イスタンブールのアタトュルク国際空港やアタトュルク・オリンピック・スタジアムもあります。トルコは、ちゃんとオリンピック・スタジアムを用意した上で、オリンピックを招致したのに、落選してしまって残念。なんとか2012年にはイスタンブール大会の実現といきたいものです。

20040815-1.jpg 20040815-2.jpg 20040815-3.jpg



8月16日 (月)  コチ博物館

トルコで、サバンジュと双璧を成す大財閥のコチが運営する博物館。トルコを中心に、産業の歩みが様々な展示品を通して解るようになっています。トルコ初の国産自動車であるとか、昔の工場の様子を再現したコーナーなど、なかなか見所も多いのに、館内はガラガラで、案内やサービスに努める係員の姿ばかりが目立って見えるほどです。右の写真は、サマースクール(塾のようなものだと思います)に通う8歳〜12歳の生徒たちで、何やら工作に励んでいました。

受け付けで、毎日の来場者がどのくらいになるのか訊いて見たところ、夏季シーズンは30人〜40人と言うから、本当に従業員の数と余り大差がないかもしれません。冬季には、1500人ほどが訪れるそうですが、これでは正しく財閥の慈善事業といったところでしょう。せっかく素晴らしい展示品が集められているのに、もったいないことだと思います。

20040816-1.jpg 20040816-2.jpg



8月17日 (火)  コチ博物館・皇帝の専用車両

写真の客車は、1866年に英国の鉄道敷設会社より、当時のオスマン帝国皇帝「スルタン・アブドュルアジズ・ハーン(在位:1861〜76)」へ献呈されたものであり、スルタンは、67年、この客車に乗って欧州各国を歴訪したそうです。

真中の写真はその内部、スルタン・アブドュルアジズ・ハーンを模した人形が置かれています。そして、右の写真なんですが、これは、2001年11月1日に、アブドュルアジズ・ハーンの三世代後の子孫にあたる「ネスリシャフ・スルタン(オスマン朝の皇妃・皇女に対しては『スルタン』の尊称を名前の後につけるようです)」が、娘の「プリンセス・イクバル・ミュニム」と孫娘の「プリンセス・サビハ」を伴って訪れた時に撮られたもの。「四世代が一堂に会し」と銘打ってありますが、スルタンの一族は、共和国革命に際して国外退去となり、現在もこの一族はトルコ国外での暮らしを余儀なくされているはずです。しかし、こうして見ると、この方たち、600年の長きに亘ったオスマン朝の栄光を偲ばせる気品を備えているばかりでなく、ちょっと愛嬌のある気さくな雰囲気も漂わせています。

20040817-1.jpg 20040817-2.jpg 20040817-3.jpg



8月18日 (水)  問題の猥褻個所は?

写真は、今読んでいるアフメット・アルタン氏の「スダキ・イズ(水に残る痕跡)」という小説。

出版社が記した前書によると、この小説は、85年7月に出版され、その翌年、「猥褻図書」であるという理由で回収処分を受けた後、出版社はこれを不服として、2年に及ぶ法廷闘争が繰り広げられたものの、結局、88年3月に「回収処分」を認める判決が下されます。

しかし、出版社は、一部の猥褻表現だけで本の全てが日の目を見ないのは道理に合わないと主張し、判決により「猥褻」と認定された部分を、右写真のように黒く塗りつぶして再出版。しかも、確定した判決の内容を公表するのは罪に問われないことから、再出版の際、この判決文を小説に添付しました。

判決文には、猥褻の認定を受けた個所の全文が引用されている為、読者は「黒塗り」の部分が現れたら、添付の判決文の中から「問題の部分」を探して読むだけのことです。

日本では、伊藤整氏の翻訳による「チャタレー夫人の恋人」が猥褻とされ、猥褻部分を削除した上で出版の運びとなった話が知られています。

私は中学生の頃、この「チャタレー夫人の恋人」の助平そうなところだけを血眼になって探しながら読んだ覚えがあるけれど、トルコの出版社と裁判所が見せたような「粋な計らい」さえあれば、わざわざ血眼にならなくても、読みたい部分だけを楽に読むことができたでしょう。

20040818-1.jpg 20040818-2.jpg



8月22日 (日)  1875年開通の地下鉄

左の写真は、ヨーロッパ側の新市街にあるトュネル(トンネル)という一駅区間だけのミニ地下鉄。

急斜面のトンネルを往来する一両編成の客車は、ケーブルによって巻き上げられる方式で自動運転されており、両端の駅を同時に出発する「上り」と「下り」が中間地点ですれ違うことになります。客車には、一応、運転席のようなものがついていて、運転手らしき人が座っているので、一度何をしているのか訊いてみたところ、ドアの開閉が主な業務なんだそうです。その他、走行中は前方に注意し、異変があれば客車を緊急停車させることもできると言ってましたが、トンネルの中に突如として障害物が現れるとも思えません。テレビのCMには、悪漢に追われた女性が、このトンネルを走って逃げるシーンがあったけれど、実際、そんなことは起こるはずもないでしょう。

さて、このトュネルは、1875年に開通し、ヨーロッパ大陸最古の地下鉄と言われています。そこで、右の写真に見える煙突なんですが、これは上側の駅の向かいにある建物で、かつてはここに蒸気機関があり、その動力を使って客車を引っ張り上げていたのだそうです。1875年の開通と言えば、その頃、未だ電力は利用されていなかったでしょうから、「果たして何を動力にしていたのか?」と疑問に思わなければならないのに、昨年知人に指摘されるまで、全くこれに気がついていませんでした。

20040822-1.jpg 20040822-2.jpg