Diary 2004. 6
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6月4日 (金)  ビルの谷間のモスク

イスタンブールのオフィス街にあるモスク。日々どのくらいの人たちが礼拝に訪れるのか調べたわけでもないけれど、金曜日の集団礼拝でさえ、それほど多くの人は集まらないような気もします。しかし、個人商店が密集しているような地域のモスクなら、金曜日の礼拝時には祈りを捧げる人々で溢れんばかりとなっている所もあるでしょう。そんなモスクの軒先で、スーツを着たサラリーマン風の男性がアタッシュケースを脇に置いて礼拝している姿を見たこともあります。クズルック村の工場では、金曜日の昼休みが15分長く取られていて、男子従業員の8割ぐらいが近くのモスクへ出掛けていました。 

メルハバ通信「ムスリムの礼拝」
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/002.html#170

http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#270

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6月7日 (月)  焼き栗屋さん

写真の焼き栗屋さんは、撮影にも快く応じてくれたし、とても感じの良い人だったけれど、世の中が決して善人ばかりでないように、中には不埒な焼き栗屋がいないわけでもありません。

98年、オスマンベイで韓国製生地の営業に歩いていた時のこと。生地のサンプルを詰め込んだ車輪付きスーツケースを引きずり、ノートが入った手提げカバンを脇に抱えて得意先を回り、途中で焼き栗を買って事務所に戻ったところ、手提げカバンがないことに気がつきました。焼き栗屋で財布を出す時に、カバンを屋台の前にちょっと置いたのを覚えていたから、それほど慌てることもなく、焼き栗屋へ行って事情を説明すると、思わず耳を疑うような親爺の返事、「カバン? いや見なかったよ」。

その時の落ち着かない様子には、それが嘘であると確信に至らせるものがあったけれど、『嘘つくな』と言っても、態度が硬化するだけだろうし、どうしようかと考えた末、名刺を渡しながら、「誰かが持って行ったんでしょう。でも、中にはノートが一冊入っているだけだから、その内返しに来るかもしれない。そうしたら私に連絡して下さい」と頼み、ひとまず引き上げました。

実際、安物のカバンの中にはノートが一冊だけ、しかも書かれているのは全て日本語。何処かで覗かれた時のことを考えて得意先の名称すら日本語で書いていました。というわけで、これが無かったら仕事にならないから、私にとってはかなりの貴重品であっても、盗人にとっては何の価値もありません。これなら案外連絡して来るんじゃないかと期待したのですが、結局、その日の夜9時になっても音沙汰無し。『やっぱりダメだったか』と諦めかけた矢先、事務所の電話が鳴り、『こんな時間に誰が?』と受話器を取ったところ、「俺だ、焼き栗屋だ」の声、「あんたのものらしいカバンが出てきた。某街某所の茶店にいるから取りに来てくれ」。

これを聞いて直ぐに事務所を飛び出しました。もたもたしている間に気を変えられたら拙いと思ったからです。タクシーをつかまえようと大通りまで走り、止まったタクシーに息を切って乗り込んで行き先を告げると、「急いでいるのか?」と運転手さん、なにしろ某街某所が何処にあるのかも良く解っていなかったので、「遠い?」と訊けば、「直ぐ近くだよ」という答え。ものの10分も走らない内に、その街区へ到着し、その茶店も直ぐに見つかりました。私は、約1000円相当のトルコ紙幣を一枚胸ポケットに押し込んでから、茶店の中へ。そこは親爺どもがポーカーなどで時間を潰すクラトハーネと呼ばれる類いの茶店で、焼き栗屋も入口から程遠くない席で仲間と卓を囲んでいるところでした。

焼き栗屋は、「まあ座れ」と言って、一応私のところへも茶を持って来させてから、「いやね、あれから夕方に仕事が終わり、屋台を片付けていたら、近くのゴミ箱をあさっていたジプシーの小僧が、あんたが言ってたようなカバンを持っていたんで、俺はそいつの首根っこを抑えつけてカバンを取り返してやったのさ」と得意そうに見え透いた作り話を語ったあげく、「ところで、あんたのカバンはどんなだった? やっぱりあんたのものか確認しないと拙いだろ」なんて言い出すので、カバンの色などを説明し、「良く取り返してくれましたね。とても感謝しています」と胸ポケットの紙幣を取り出すと、親爺は「ちょっと待った。カバンの色をもう一度言ってくれないか?」と渋ったけれど、仲間の一人が「もう良いだろ。早く返してやれよ」と言ってくれて、後はすんなり。私は紙幣と引き換えにカバンを受け取ると一目散にそこを立ち去りました。

まあ、1000円で返してくれたのだから、この焼き栗屋、盗人としては極めて上出来だったかもしれません。

尚、最初に申し上げたように、写真の焼き栗屋さんは、本文の「焼き栗屋」とは何の関係もない善良な焼き栗屋さんです。

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6月12日 (土)  老舗の石鹸

愛用の石鹸。安いこともあるけれど、昔ながらの渋い形が気に入ってます。包装の仕方もなかなかです。自然な香りと謳われてますが、昔懐かしい正に石鹸の匂い。しかし、あれは何の匂いなんでしょう。

「1889年以来」と書かれていて、その当時の表記はアラビア文字だったに違いなく、こういう老舗の標章ぐらいは、アラビア文字のまま残して置いた方が良かったような気もします。シリア国境近くのハタイ県ではオリーブオイル石鹸も生産されているのに、アレッポの石鹸ほどには知られていないようです。アレッポ産は石鹸の表にアラビア文字の印が圧されているところが格好良いのかもしれません。

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6月26日 (土)  コマーシャルの撮影

夕方、買い物がてらに散歩していたら、コマーシャルの撮影風景に出くわしました。
家庭用洗剤のコマーシャルで、「主婦の皆様にお尋ねします。どちらが白くなっているでしょう?」といった趣旨のものではないかと思います。写真摂らせてもらったから、私も今度はこの製品を使って見ましょう。

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6月27日 (日)  トルコの伸びるアイスクリーム、ドンドゥルマ

これが本場の「のびるアイス/ドンドゥルマ」。MADOというチェーン展開している店の名物「ケスメ・ドンドゥルマ(Kesme Dondurma)」です。このアイスクリームは、余りに粘度が高くて固い為、ナイフフォークで切りながら食します。それで、なんでこんなに粘度が高いのかと言えば、サレップという植物の球根から取れる澱粉を加えてあるからだと聞いてますが、これはちょっと眉に唾をつけておいて下さい。このサレップと牛乳で作る温かい飲み物もあり、寒い時には日本の葛湯のように芯から体を温めてくれます。

粘度の高いドンドゥルマの本場は、南東部のカフラマン・マラシュという田舎町で、ヤシャル・パスタネという店が有名。MADOはこの店から技術の提供を受けているはずじゃなかったかと思います(これもちょっと眉唾)。また、MADOというのは、マラシュ・ドンドゥルマの略で、これは唾つけなくても大丈夫です。

私は、93年か94年、未だMADOのチェーン展開が始まる前に、わざわざカフラマン・マラシュまで行って、このヤシャル・パスタネで名物のケスメ・ドンドゥルマを食べています。この時のマラシュ滞在時間は僅か3時間ほどで、ただこのドンドゥルマを食べる為の寄り道でした。当時、本場の味はマラシュに行かないと味わえなかったのです。

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