Diary 2004. 4
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4月9日 (金)  ココレッチ

下の写真は、ココレッチという羊腸の炭火焼き。このまま輪切りにしても、香ばしくて美味しいけれど、隣にある鉄板の上で刻みながら、みじん切りのトマトや玉葱を加えて炒めるメニューも注文できます。

ところで、トルコには、このココレッチが文化的ではないとして、こういった店を禁止すべきだと主張する人もいるから不思議です。概して、左派のインテリ、脱イスラムを標榜する人たちなんですが、掲げている理由は様々で、「道に面したところで調理しているのでは不衛生」「不愉快な匂いを周囲に撒き散らしている」といったものから、「羊の腸は文明的な食材ではない」などという理解に苦しむものまであります。実際に、エーゲ海地方のアイドゥンという県では、「文明的な食材ではない」という理由で、この手の店を禁止しようとしたこともあったのです。

「こういう店があったのでは、EUに入れない」という声も聞かれたけれど、最近、彼らの中には、あからさまにEUへ背を向け始めた人もいて、本当は何を望んでいたのか、なんだか良く解らなくなってしまいました。ひょっとすると、「あんなもの食べていたんじゃ、中東っぽくて、みっともない」ぐらいのことなのかもしれません。

しかし、ココレッチを不快に思う人たちが日本に来て、「焼き鳥の屋台」など見たら、やっぱり「ぞっ」とするんでしょうか? ちょっと悲しい気がします。

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4月10日 (土)  オルタキョイ

陽気が良くなり、若者の街オルタキョイも俄かに賑わって来ました。でも、これからは、また毎夕の交通渋滞に悩まされることでしょう。この街には、イスタンブールの有名なディスコクラブが二軒あって、車で訪れる人たちも多いのか、週末の夕方ともなれば隣のベシクタシュという街まで車道はびっしり埋まり、バスに乗るより歩いた方が早いのではないかという状態になってしまうのです。

右の写真で、女の子たちがパクついているのは、クムピルというジャガイモのファーストフード。ここには、同じクムピルを売る店が4〜5軒並んでいます。

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4月11日 (日)  クムピル

10日分の「便り」で、女の子たちが食べていたクムピルというファーストフードがこれです。オーブンで焼いたジャガイモに切れ目を入れ、その中に、バター、チーズ、コーン、ソーセージ、オリーブ等々を詰めて出来あがり。他にも、お好みで色々なものをトッピングできるようになっています。それにしても、日本には、こんな大きなジャガイモがあるんでしょうか?

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4月13日 (火)  Nutella

【70】ジャムを作れないイスラム主義女性
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00070.html


という記事の中に出て来た「Nutella」というイタリア製のヘーゼルナッツペーストがこれです。ただのヘーゼルナッツペーストならば、なにしろトルコは、ヘーゼルナッツの大生産地なので、トルコ製のペーストもたくさん市場に出回っていますが、これはココア風味がプラスされているところがミソなんでしょう。

ラベルには、商品の説明が6種類の言語で書かれていて、まずは英語で「COCOA SPREAD WITH HAZELNUTS」とあり、その直ぐ下には、アラビア文字、その次がトルコ語なんですが、トルコ語では「ココア入りのヘーゼルナッツクリーム(KAKAOLU FINDIK KREMASI)」となっていて、英語とは逆になってますね。これは何故なんでしょう? 

それから、キリル文字が二つ続いてますが、一方は「KAKAO」という文字が一番最後についているのに、もう一方は語頭に来ていて、これも何だか不思議です。考えられるのは、ロシア語、ウクライナ語、ブルガリア語のようなスラブ系の言語であり、それぞれ文法も余り違わないはずだから、同じ文面であれば、「KAKAO」の位置が全く違うのは妙な気もするけれど、英語とトルコ語のように文面自体が違っているのかもしれません。

その下に、グルジア文字らしきものがあり、一番最後に、またトルコ語で少し大きく「豚の油は含まれておりません」と書かれています。しかし、ヘーゼルナッツクリームに、わざわざラードを入れるところがあるんでしょうかねえ?

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4月16日 (金)  ターキッシュ・ドリーム

写真は、ムール貝の中にピラフを詰めたもの。さすがに、こういう行商ともなると、その場で加熱するわけでもないし、ちょっと衛生的にどうかと思えるような場合もありますが、この少年は、白いきれいな前掛けに、きちんとした応対ぶりで、なかなか安心できました。

東京の下町でも、私が子供の頃は、自転車で来る紙芝居屋さんが、お世辞にも衛生的とは言い難い荷台の箱で売っていた、梅ジャムやらヤキソバを、いつも食べていたのに、なんともなかったのだから、余り過敏に考える必要もないのでしょう。

「5個くれ」と言って、先に金を払い、何個目かを食べていると、この少年、きちんとしているようで、少々そそっかしいのか、「おじさん、それ何個目だっけ?」、4個目ぐらいだったとは思いながらも、「それは君が数えるんだろう。多分、3個目だよ」と惚けて見せたところ、少し考えてから「いや、4個目じゃなかった?」。それで、「しょうがねえ小僧だな」と、もう1個だけ食べて、その場を後にしました。でも、今考えてみれば、ひょっとすると、私の方が一杯食わされていたのかもしれません。

その昔、93年頃。イスタンブールから郊外へ向かう電車を、夜いつも同じ時間に利用していたのですが、決まって数人の少年が車内で菓子を売っていました。その中に、ずば抜けて賢そうな少年がいて、話して見ると、日本についての知識などは大人顔負け。中学生と言ってたけれど、ちゃんと勉強しているようだし、態度もなかなか立派でした。それで、良くこの少年から菓子を買っては、色々話を聞いたりしたのです。

当時、トルコでは、製紙会社だか何かを買収した新興財閥のオーナーが話題になっていて、なんでも、貧しかった少年時代、市バスの中で、歯ブラシや歯磨き粉を売ることから人生をスタートして、成功を収めたという話。この人物は、学歴を訊かれる度に、そのバスの番号をあげ、「オクメイダン発某番のバスを卒業しました」と答えていたそうです。

それで、電車の中で菓子を売る少年も、そのうち偉い人物になるかもしれないなんて思ったものの、暫くしてその電車を利用することもなくなり、その少年の顔を見ることもなくなりました。

その後、トルコ人の友人にこの少年の話をして、「いやあ、もう少しあの少年に恩を売って置けば良かったな。将来、財閥のオーナーになって、『この哀れな日本人には、昔、大変世話になった』と、私のことを助けてくれたりしてね」と言ったら、友人は笑いながら、「お前は、そうやって財閥に成り上がったりする奴らの特性が解っていないな。ああいう連中はな、人の恩なんて直ぐに忘れてしまうんだよ」。

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4月22日 (木)  コモティニのトルコ人街

3ヶ月のビザ無し滞在期間が切れるため、18日から20日にかけて、ギリシャとの国境を越えると最初に現れる町、アレクサンドルポリス市へ行って来ました。

今回は、イスタンブールへ戻るバス便の関係で、アレクサンドルポリスに2泊しなければならなくなったこともあり、19日には、もう一つ先にあるコモティニ市まで足をのばしてみたのですが、このコモティニには、オスマン帝国の崩壊と共に辺り一帯がギリシャ領となった後も、ギリシャ国民としてここに残ったムスリム・トルコ人がたくさん暮らしています。

さらに、もう一つ先のクサンティを含む西トラキアと呼ばれるこの地域一帯には、12万のトルコ人が住んでいると言われ、コモティニには、商店や食堂、喫茶店などでトルコ語が行き交うトルコ人街と言えるような地区もありました。

看板や食堂のメニューは、全てギリシャ文字で書かれていて、モスクがあったりする以外に、一見他のギリシャの街角と変わるところはありませんが、良く注意してみると、キオスクのような売店で、トルコの各新聞やトルコ製のお菓子が売られたりしています。そして、中でも、私の注意を引いたのが、下の写真にある光景。ギリシャの国旗とEU旗の間で翻っているのは、トルコの代表的なサッカーチーム「ガラタサライ」の旗なんですね。ここは、ガラタサライ・クラブのコモティニ支部として活動しているようでした。

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4月23日 (金)  コモティニで発行されているトルコ語の新聞

ギリシャ小旅行の続きです。

左の写真は、コモティニで発行されている週刊のトルコ語新聞。真中の写真は、記者のジェミルさん。女性のオーナーを含む他2名の記者だけで頑張っているそうです。ジェミルさんはギリシャ国籍のトルコ人、高校まではギリシャのトルコ人学校で学び、イスタンブールのマルマラ大学を卒業した後、ロンドンに留学(ギリシャ国籍ですから、マルマラ大学も留学だったはずですね)していたこともあると言います。

トルコには、ラディカル紙のヨルゴ・クルバキ氏のように、トルコのメディアで活躍するトルコ国籍のギリシャ人が何人かいるので、ギリシャにもその逆のケースがあるのかと思って、ジェミルさんに訊いてみましたが、「昔は一人いたけれど、今はいない」という返事でした。

右の写真は、やはりコモティニのトルコ人地区にあるキオスクのような売店。売られている新聞は全てトルコで発行されているもので、ラディカル紙、ミリエト紙、ヒュリエト紙などが置かれています。他にも、ユルケルというトルコの代表的な菓子メーカーの製品が並べられていたりして、ここがギリシャであることを説明する方が難しい感じ。左上に見える煙草のポスターに辛うじてギリシャ文字が記されているのを示すことができるくらいです。

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4月24日 (土)  芸者印の缶詰

ギリシャのスーパーマーケットで見つけたサーディンの缶詰。他に「ゲイシャ印のツナ缶」等もあったのですが、一番安かったサーディンを購入しました。絵柄もなかなか可愛らしいじゃありませんか。魚の種類によって、サムライ印とか、ショーグン印とか、名前を色々変えて見れば面白かったのに、ゲイシャばかりで残念です。

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4月25日 (日)  クルファスリエ

トルコの「お袋の味」クルファスリエ(白インゲン豆の煮物)。同じ白インゲン豆でも鞘付きの場合は、ターゼファスルリエ。ファスリエが白インゲン豆のことで、クルは「乾いた」、ターゼは「新鮮」という意味になります。

トルコの人たちが、海外に出て懐かしく思う故郷の味が、まさにこのクルファスリエらしいのですが、私の場合、91年、はじめてトルコにやって来て、一年暮らしたイズミルの学生寮で、連日のように、このクルファスリエとターゼファスリエを食べさせられた為、寮を出てから暫くの間は、見るのも嫌になりました。なにしろ、味噌汁みたいなものじゃなくて、このファスリエがメイン、あとは付け合せにバターライスが出て、パンが付くだけ。7割方がこのパターンのメニューで、肉料理など滅多に出なかったのです。

この学生寮は、民間の営利目的によるもので、朝と夕の食事が付いたのですが、朝も、紅茶にパンとバター、チーズぐらいしか付かないことが殆どでした。だからといって、私はそんなに文句もなかったけれど、他の寮生たちは、相当不満を持っていました。というのも、彼らは、この学生寮から送られて来たパンフレットを見て入寮を決めたのに、そのパンフレットには、「この写真、何処で撮ったんだろう?」というような、有りもしない素敵な学習室が紹介されていたり、「朝は、少なくとも4種類の食事。夕は5種類」なんてことが書かれていたりしたからです。

寮生たちは、朝食の際、「何が4種類だ。お茶とか水まで数えてんじゃないのか? パン、お茶、バター、水、確かに4種類ある。砂糖も数えれば5種類だな」と文句を言い、夕食には、「インゲン豆、ライス、パン、皆、炭水化物じゃないか。この食事は全く理に適っていないぞ」と嘆くことしきりでした。

写真は、左がトルコで普通に見られるクルファスリエで、サルチャというトマトベースの調味料が使われています。右は、この前、コモティニのトルコ人街で食べたもの。サルチャが使われていませんが、このタイプ、トルコでは見たことがありません。

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4月28日 (水)  トルコのお菓子

写真は、イスタンブールのシルケジ駅前にある「デデオウル」というお菓子屋さんで撮りました。手前の緑色した菓子が「フストゥック・エズメスィ」、ピラミッド状に積み重ねられているのは「クルバクラヴァ」。いずれも、甘さが脳天に突き抜けるほど強烈なトルコの菓子の中では、そんなにヘビーな方ではありません。

フストゥック・エズメスィは、ピスタチオをすり潰してから、糖蜜などを加えて練り固めたもので、日保ちが良いこともあって、私は、日本へ行く時の土産にしたりしています。

バクラヴァは、パイのシロップ漬けですが、クルは「乾いた」の意であり、クルバクラヴァの場合、他のバクラヴァのように、底の方がシロップでビショビショになっていないのが特徴です。

このシロップが強烈に甘いわけで、これでビショビショになったバクラヴァは、甘党の私にも堪えます。逆に、この甘さに慣れたトルコの人たちにとって、和菓子はどうにも物足りないのでしょう。日本で3ヶ月ほど滞在したことがあるというトルコ人は、友人たちに和菓子のことを、「トルコにも、ダイエット用とかいう変な菓子があるけれど、あれよりもっと酷くて、全然甘くない」と説明していました。彼は、日本に居た時、お菓子の上に砂糖をかけて食べたそうです。

私は、日本からトルコへの土産に、よく「甘栗」を買って来ます。イスタンブールならともかく、田舎の人たちは、羊羹のように正体がはっきりしていないものを敬遠しますが、甘栗なら栗であることは一目瞭然なので、問題になりません。トルコにも、マロングラッセのような菓子があったり、街頭の屋台で焼き栗を売っていたりはするものの、甘栗の甘さはまた独特なのか、なかなか受けているようでした。

昨年、東京の街角を、日本に住んでいるトルコ人の友人と歩いていたところ、甘栗屋さんから試食を薦められたのですが、彼は10年近く日本にいながら、それまで甘栗を食べたことがなかったそうで、「美味い、美味い」と喜んだあげく、1キロも買っていました。

その時、日本語の達者な友人が、甘栗屋さんに「この栗は何でこんなに甘いの?」と訊くと、「自然の甘味です」という答え。実を言うと、私は間抜けなことに「甘栗が甘いのは焼く時に蜜をかけているから」と思い込んでいた為、この答えにびっくり。「じゃあ、何で蜜をかけるわけ?」と重ねて訊けば、あれは単なる艶出しなんだそうです。良く考えて見れば、殻の上から蜜をかけたって、中身まで甘くなることはないでしょうね。

私は、それまで、土産に買ってきた甘栗の剥き方をトルコの人たちに説明する度に、「不思議でしょう? 殻の上から蜜をかけるだけなのに、ちゃんと中まで甘くなっています」と言ってきたから、大いにあせりました。しかし、私からこれを聞いたトルコの人たちも、結構「こいつ、また変なこと言ってるぞ」と聞き流してくれていたのかもしれません。

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