Diary 2004. 3
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3月5日 (金)  卓袱台囲んで家族団欒

写真は、イスタンブールの知人宅で御馳走になっている時のもの。服装からも明らかなように、撮影されたのは去年の夏です。食卓には、ヤプラックドルマスという葡萄の葉でピラフを巻いたもの、ヨーグルト、サラダといった家庭料理が並んでいます。

しかし、イスタンブールでは、こういう卓袱台を使った食事風景もなかなか見られなくなりました。この家族は地中海地方のウスパルタ出身なんですが、あの辺りではどうなんでしょうか?

トルコも伝統的には、このスタイルであり、絨毯の必要性もこういったところから生じたのではないかと思います。ところが、西欧化が進められる中で、テーブルを使って椅子に座るスタイルが都市部では主流となりつつあるようです。

しかし考えて見れば、日本でもこういう卓袱台はもちろんのこと、座敷で食卓を囲む家庭さえ既に少数派かもしれません。お父さん達は、腹が立っても、漫画のように「でえーい」とばかり卓袱台をひっくり返せなくなりました。日本では、家庭から卓袱台が消えたことにより、お父さんの権威も失われてしまったようです。そこで提案、「お父さんの権威復活には先ず卓袱台の復活を!」というのはどうでしょう。

では、それなら、ここに写っているトルコの男性陣は、やはりそれなりの権威をもっているのか、いざとなれば「でえーい」と卓袱台をひっくり返してしまうのか、ということになるんですが、残念ながら、奥さんを差し置いて自分が卓袱台の仕度をすることはあっても、ひっくり返してしまうことなど想像もつきません。

先日、このお宅に伺った際、一応「こんな感じでHPに書いてもいい?」と訊いたら、別に御主人からは異議もなく、奥さんは「その通りだ」と喜んでいました。ただ、20歳になる倅だけは、「俺はそんな尻に敷かれるような男じゃない」と息巻いていたけれど、どうなるものだか、将来が楽しみです。

ところで、日本の男も一人写っていますが、こいつはどうなんでしょうか? まあ、こいつは論外ですね。40歳過ぎて未だに独り者。一人で「でえーい」とひっくり返して、一人で片付けるんでしょう。

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3月14日 (日)  交通怪獣

先日、イスタンブールでフリーメーソンの集会所が襲撃された事件は、日本でも大きく報道されたようですが、幸い死傷者も少なく、こちらではそれほど話題になっていません。

昨年11月の連続爆破事件の衝撃は、確かに大きかったものの、この時でさえ、私には事件の2週間後に報道された或る事実の方が恐ろしく感じられました。

ちょうどラマダン明けの休暇による帰省ラッシュがあったその週、トルコ各地で発生した交通事故による死者の数が99人に達したという事実がそれで、この数字は連続爆破事件における57名を遥かに上回っています。

日本では交通戦争なんて言われていますが、トルコではトラフィック・ジャナバル、交通怪獣であり、この怪獣によるテロ行為は未だいくらでも続きがありそうです。

特に長距離バスの事故が恐ろしい。一遍に10名〜20名の犠牲者を出してしまいます。

5年ほど前、夜中に、自分でハンドルを握って、イスタンブールからイズミル(500km以上あると思います)へ向かったことがあるけれど、夜の長距離はこの時だけで懲りました。

なにしろ、国道には街灯も殆どなくて真っ暗。前を行く車があれば、そのテールランプを目印に走れますが、幹線道路であっても夜中の交通量は少なく、しばしば暗闇に目を凝らしながら速度を落とさなければなりません。それでも、自分としては恐怖を感じるほどのスピードを出しているつもりなんですが、ときおり長距離バスが私たちの車を凄い勢いで抜き去り、慌ててその後をついて行こうとしても、ほどなく視界から消えてしまったりしたのです。

果たしてあのバスを運転している人たちは何を目印にしているのでしょう。鍛えぬかれた特殊な視力でも持ち合わせているんでしょうか? もちろん、そんな猫みたいな目を持っているわけがありません。事故が後を絶たないのも当然のことじゃないかと思います。

南東部のウルファというところを拠点としているバス会社に「ウルファ・ジェスル」というのがあって、その意味は「ウルファの勇気」。これには思わず、「やめてー、お願いだから勇気だけは出さないで」と叫びたくなりました。

それで、肝っ玉の小さい私は、極めてケチであるにも拘わらず、バス代だけは渋りません。長距離には、ヴァラン、ウルソイといった高級バス会社を利用します。バスの整備状況が良いし、勇気を出したり猫目を使ったりする怪獣運転手もいないからです。


下の写真は、本文とそれほど関係もありませんが、イスタンブールのボスポラス海峡に掛かる第一大橋。朝夕もの凄い渋滞となることもありますが、深夜になるとガラガラです。日本じゃ夜の高速は爆走するトラックで凄いことになっているんですが、トルコの物流量は日本と比べれば僅かなものなんでしょう。

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3月15日 (月)  地方選挙戦

イスタンブールはエミノニュの船着場付近に小船を浮べて、そこで鯖を焼き、パンに挟んで売る「鯖サンド船」。この「鯖サンド船」が歴史的な景観を壊しているとして、記念碑委員会なるところからクレームをつけられているという話は、以前にもお伝えしました。

【鯖サンド危うし!150年に亘る鯖サンド船の歴史に幕
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00009.html

この記事の中に、鯖サンド船を守ろうと尽力するエミノニュ区長リュトゥフィ・キビルオウルという人物が登場していますが、下の写真で不敵な笑みを浮べているおじさんがそのキビルオウル氏です。

トルコは今、3月28日の投票日を前に、地方選挙戦の真っ只中。現職のキビルオウル氏も再選を目指しています。しかし、この写真に写っているのは、選挙用の掲示板ではなく、区の広報に使われているもので、もう随分前から、区内の至るところに出ていました。

まあ、区長からの御挨拶ということなんでしょうけれど、エミノニュ区内に住む友人のところへ、このキビルオウル区長の顔写真付き壁時計が届けられたこともあります。去年の夏のことですが、友人は「これ、区内の商工業者全てに配っているのかな? こんなの配る前に何か他にやることあるだろうに」と呆れながら、顔写真を外した上で壁に掛けていました。「このおじさんの顔は見たくないけど、時計は使わないとね」。

キビルオウル氏、SP(幸福党)というイスラム守旧派政党の公認で、政権党AKPから出ている候補の知名度が低い為、再選される可能性が高いのだとか。選挙運動中にも「鯖サンド船を私が守ってみせます」なんて訴えているかもしれません。

しかし、この脂ぎった不敵な笑み。鯖サンド船はともかく、こちらの方が景観を壊していることはないでしょうか?

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3月16日 (火)  イスタンブールの名誉市民モハメッド・アリ

写真は言わずと知れたモハメッド・アリ。バス停に掲げられたアディダスのコマーシャルです。テレビでは、娘のレイラ・アリも出演しているバージョンが放映されていますが、こういうものは全世界で一律の展開なんでしょうか? トルコには、モハメッド・アリの崇拝者が多いから、抜群の効果に違いありません。

かくいう私も崇拝者の一人で、この写真は説明がなくても何時の場面であるか分かります。1965年にソニー・リストンを第一ラウンドでノックアウトした時のものです。

92年だか93年には、イスタンブールの街角に出ていた露天の古本市場で、モハメッド・アリの伝記を見つけました。この本、アリの顔が表紙になっていて、何気なく前を通り過ぎただけなのに、崇拝者の目はこれを逃さなかったのです。早速購入したものの、中身の方は前書きしか読んでいません。

しかし、その前書きによると、1974年、アリがアフリカのキンシャサでジョージ・フォアマンとの歴史的な一戦を迎えた際には、トルコの至るところで、人々は生贄の羊を切って祈りを捧げ、試合を生中継で見ようと、夜明け前からテレビの前に集まったということです。

この話は、クズルック村の工場で働いていた時、極めて敬虔なムスリムであるトルコ人のチーフ(今はもっと出世しています)マサルさんからも聞いたことがあります。最初に私が「マサルさん、ボクシングには興味ありませんか?」と尋ねたところ、彼は顔を顰めて「私は、それがたとえスポーツであっても、暴力的なことは好みません」と答えたのですが、続けて「では、モハメッド・アリも?」と尋ねると、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにさせながら「アリはもちろん特別。私たちの偉大なヒーローです」と言い、子供の頃、夜明け前からテレビの前に集まった思い出を語ってくれました。

アリのライバルだったジョー・フレイジャーは、「アリのことを黒人の代表だなんて思っちゃいけない。あれはイスラムの代表なんだ」と評していたそうですが、図星だったかもしれません。中学か高校の頃読んだボクシングの雑誌には、イスタンブールを訪れたアリが、広場に集まったもの凄い群衆から大歓迎を受けている場面の写真が載っていました。アリはその時、イスタンブール市長から、名誉市民証を授けられたはずです。

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3月23日 (火)  隔世遺伝?

御近所さんが飼っているオス・メス2匹の犬。近頃、メスの様子が変だな、と思っていたら、7匹もの子犬を産み落としました。飼い主の方によれば、父犬はシベリア・ハスキー、母犬はアラスカ・ハスキーということですが、生まれて来た7匹の内の1匹は、親犬と似ても似つかぬ茶色の子犬。これは一体どうしたことでしょう? 親犬のどちらかに茶色い犬の血が混ざっていたということでしょうか? それとも、突然変異なんでしょうか? 

1970年代、アメリカにダニー・ロペスというボクシングの名チャンピオンがいたのですが、インディヤンの出身であるということで、いつもインディヤンの羽根飾りを被ってリングへ登場していました。

しかし、このダニー・ロペス選手の顔は、どう見ても普通の白人で、インディヤンらしいところは全くなかったから、「本当にインディヤンなのかな?」と思っていたところ、この人の実兄で、やはりボクシングをしていたアーニー・ロペス選手の顔が雑誌に掲載され、それを見ると、こちらは如何にもインディヤンという風貌なので驚いたことがあります。なんでも一族の中で白人顔をしているのはダニー・ロペス選手だけであり、生まれた時は村中でお祝いをしたのだそうです。「この子は蔑視されなくて済む」と言って。

要するに、隔世遺伝ということなんでしょうけれど、トルコでは犬に限らず、人間の間でもこれは至極当たり前なことで、別に騒ぐほどのことでもありません。

先月、タクシーに乗った際、かなり色の黒い運転手さん(パウエル国務長官のような感じ)から、「国はどちら?」と訊かれたので、私も興味津々に問い返したところ、「セラニク(ギリシャのテッサロニキ)」という意外な答え。運転手さんは、私が意外に感じるだろうと充分承知していたらしく、「そうは見えないでしょ?」と笑いながら付け足し、次のような話をしてくれました。「不思議だけれど、私の娘は日本人のような顔をしているんですよ。それで『お前なら、日本へ行っても直ぐに溶け込めるな』と言ってからかうと、娘の方も『お父さんの場合はアフリカね』と言い返すから可笑しくなりますよ」。




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3月24日 (水)  春到来

先週辺りから大分暖かくなりました。なんだか知らない白い花も咲き、いよいよ春の到来。しかし、これは何という花でしょうか? 私は日本にいても、梅と桜の区別がつかないくらいで、花は花であるとしか言いようがないのです。

サクランボがあるくらいだから、桜も咲くんじゃないかと思いますが、それらしきものが沢山咲いているのは見たことがありません。トルコの人たちも陽気が良くなって来ると、家族や友人同士で、弁当もって近くの山や公園に繰り出したりするけれど、お花見とは少し趣が違うでしょう。でも、皆で歌ったり踊ったりします。ただ、酒も飲まずに素面でやるんですね、大概の場合。

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3月29日 (月)  ギリシャのテッサロニキは、オスマン帝国の時代、ユダヤ人の街だった?

先日の「隔世遺伝」という話で、ギリシャのサロニカ(トルコ語ではセラニク。現在のテッサロニキ)出身というタクシーの運転手さんを話題にしました。

このサロニカ、昨年11月23日付けザマン紙の記事によれば、オスマン帝国の時代には、ユダヤ人の街として知られていたそうです。

記事には、1900年の国勢調査の記録が資料として示されていて、当時の人口17万3千人の内分けは、ユダヤ教徒が8万人、ムスリム6万人、キリスト教徒は3万人となっています。

キリスト教徒は、ギリシャ人、スラブ人、アルメニア人であり、ムスリムもトルコ人、ボスニア人、アルバニア人、アラブ人と色々で、ユダヤ教からの改宗者も少なくなかったそうです。

ユダヤ教からの改宗者というのは、17世紀に神秘主義の影響を受けたシャブタイ・ツヴィなるユダヤ人がメシア運動を起こすと、ユダヤ社会の分裂・内紛を憂慮したオスマン政府がこれに介入し、このグループをムスリムへ改宗させてしまったことによるものであり、トルコのイスマイル・ジェム元外相はこの子孫であると言われています。

さらに、ジェム元外相ばかりでなく、サロニカ出身だったアタトュルクも、このシャブタイ派の子孫だったのではないかという説が、何度かマスコミに登場したことさえあったらしいのです。

先月、アタトュルクの養女であったサビハ・ギョクチェン女史がアルメニア人の出自という話が騒がれた際、「アタトュルクのシャブタイ派説はそんなに反発を受けなかったのに、今回はどうしたことだろう?」と書いていたコラムニストもいました。

【49】トルコの少数民族とトルコ人の定義
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00049.html

アタトュルクの出自については巷で様々な憶測が飛び交っているようで、公にはトルコ系のタタール人ということになっているのですが、マケドニア人であるとか、アルバニア人であるとか、色々な話を聞いたことがあります。結構、自分がアルバニア人であったりすると勝手にアタトュルクのこともアルバニア人にしてしまう人がいるのかもしれません。

メルハバ通信「トルコ人と言える者は幸せである」
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/001.html#20


3月30日 (火)  市バス車内のアベック

昨日、イスタンブールで市バスに乗っていた時のこと。

中混みの車内に立っていたところ、斜め向かいの席に座っているアベックの様子が、どうも目について仕方がありません。大学生同士と思しきこのアベック、何だか舌足らずに喋り出しそうな感じのオネーサンと、股をおっ広げて座っている気取った兄貴なんですが、お互いの腹などを撫で合ったりしてアツアツぶりを見せつけているかと思ったら、ついには衆人環視の中、「ブチュー」と接吻行為にまで及ぶ始末。

周囲の反応を見ようと、私が立っている側の座席に目をやると、ちょうどアベックの対面にキッチリとスカーフを被った高校生ぐらいの女の子が二人座っています。彼女たち、アベックの行為に気がついているのかいないのか、顔を寄せ合って何か話していたのですが、そのうち各々が自分のカバンから本を取り出し、膝の上に置いて読み始めました。その開かれたページをチラッと覗いたところ、アラビア文字が沢山書かれていて、どうやら宗教関係の本であるようです。

再び向かい側のアベックに目をやれば、こちらは相変わらず「いちゃいちゃ」してから「ブチュー」を繰り返しています。その対面で、女の子たちは宗教書に没頭。これは、汚らわしい行いを前にして、アラーの御言葉で心を清めようということなのか? 向こうが「ブチューと接吻」すれば、こちらは「アラーよ、神よ」。

さて、他の人たちの様子を観察してみると、私から3人ぐらい置いて、やはりアベックの斜め向かいに立っている50代ぐらいの男。この人がまた元横綱の曙に良く似ていて、あの土俵上で相手力士を睨み付ける時の形相で、アベックの方をずっと凝視しているから、辺りにはなかなか殺気が漂います。

アベックは、そんな殺気には全く気づかずに自分たちだけの世界に浸っているはずだと思っていたら、突然、股おっ広げ兄貴がすくっと立ちあがり、曙の形相おじさんの肩に軽く手をやってから、ぶっきらぼうな感じで「どうぞ、座って下さい」。

曙おじさんは顔をそむけて「いや、座らない」。

兄貴はヘラヘラ笑いながら「なんだ、ずっと僕らのことを見ているから、座りたいのかと思ったんですよ」。

それから、近くに立っていた初老の男性に席を薦めて座らせると、彼女の横がちょうど座席の切れ目になっていたので、そこに立ち、彼女へ覆い被さるようにして、また自分たちだけの世界に戻って行きました。

まあ、これだけのことなんですが、考えて見ると、イスタンブールの若者達は、ここ10年ぐらいの間に、年配者へ席を譲ることが、めっきり少なくなったようです。以前は老人が入って来ると、一遍に何人も席を立ったものでした。だから、今もって老人たちの方には期待があるのか、車内に入いると適当な所で立ち止まらずに、何か物欲しげな様子で最後尾まで歩いて行き、首を傾げてため息をついていたりする人もいます。

しかし現在でも、さすがに、よぼよぼのお年寄り、妊婦、子供を抱いたお母さん等が入って来た場合、必ず誰かが席を譲ることには変わりがありません。この辺は、まだまだ日本より遥かに良いはずです。


3月31日 (水)  ロマ(ジプシー)の人々

3月28日のラディカル紙によると、トルコでは、1986年より、各地域の人々を遺伝学的に調べるプロジェクトが進められており、その中間報告を見るならば、トルコ人の中には、日本人やロシア人、さらには、ドイツ人、アフリカ人と血縁関係のある者が存在しているのだそうです。さすがは民族の十字路、東西南北から様々な血が流れ込んでいることが窺えます。

また、アナトリア中部のエルビスタン地方に居住する一部の人たちの血には、インドのパンジャブ地方の人々と同じ特徴のあることが検証されたのだとか。インドでムガール帝国を築いたのがトルコ系の人たちであった史実を考えれば、これは、それほど突拍子もない話じゃないけれど、インドのパンジャブ地方というから、ふと「この話はロマ民族(ジプシー)と関係があるのかな?」なんてことを考えてしまいました。ロマ民族は、千年ほど前にパンジャブ地方から流浪の旅へ出たという話を聞いた覚えがあったからです。

しかし、そのエルビスタン地方の人たちが、ロマ民族と関係があるのかどうかも解らないし、ロマ民族自体はトルコの至る所に住んでいます。

トルコ語では、ジプシーのことを「チンゲネ」と言い、かなり侮蔑的な響きの言葉であることは間違いありません。実際、ロマの人たちの多くは、トルコでも社会の枠の外にいるような感じで、流しの楽団(といっても、笛や太鼓、バイオリン等からなる簡単な構成ですが)であるとか、ゴミ拾いのような仕事をして生活の糧を得ているようです。

野外で結婚式とかピクニックが催されていると、呼びもしないのに何処からともなく現れ、「ピーヒャラ、ピーヒャラ」とやってお金をせびり、渋れば、笛を耳のところまで近づけて、財布の紐をゆるめるまで「ピーヒャラ、ピーヒャラ」を止めようとしません。

今でも固有の言語を維持している人たちが残っているくらいで、余り他の民族とは交わらない所為か、殆どのロマ人が、アラブやアフリカ系等とは違う独特な浅黒い顔をしています。

ただ、ロマの人たちは、社会から疎外されているというより、彼らの方が社会を拒んでいるような感じです。一目でそれと解る数人連れに道を尋ねたところ、向こうから「俺たちはロマなんだ」と名乗り、嬉しそうな様子でロマ語まで披露してくれたこともありました。自分たちの文化に独特な誇りを持っているのでしょう。それだけに、ロマに生まれた人が、その集団を離れて社会に入っていくのは容易なことじゃないかもしれません。

トルコでは、民族的(エスニック的)な差別感が少なく、クルド人であろうと何であろうと、その出自を隠すようなことはないけれど、ロマ人は例外であるらしく、次のような話を聞いたことがあります。

ある市の助役のような地位にまで出世した人が、死ぬ間際になってから、妻へ「すまない、お前にずっと隠していたことがある」と言い、「実をいうと、私はジプシーだったのだ」と打ち明けたというのです。

これは、逆に、ロマの人が進んで社会に入ろうとすれば、就職や昇進で差別を受けることはない、という意味になるのかもしれないけれど、それでも、やはり悲哀を感じさせる話ではあります。

イズミルの学生寮で賄いの仕事をしていたアイシェというおばさんは、独特な浅黒い風貌で、私も「ひょっとするとロマではないのか?」と思っていたくらいなのですが、このアイシェさんは、なかなかの喧し屋で、部屋を散らかしたままにしている寮生をこっぴどく怒鳴りつけたりすることもありました。

ある日、アイシェさんが例の如く寮生の一人に集中砲火を浴びせてから部屋を後にすると、それまで黙って砲火が過ぎるのを待っていたこの寮生、忌々しそうに「なんだあの婆、あの顔見ろよ、ジプシーじゃねえのか」と言い放ったのです。

しかし、一度このアイシェさんの娘さんが、「近くまで来たから」と言って、寮を訪ねて来たことがあり、この時、私は随分と驚かされました。娘さんは真っ白い肌にブロンズの髪で純西洋風の顔立ち、おまけになかなか品の良い身なりの美人だったからです。アイシェさんも朝出勤して来る時は、それなりの服装でしたが、仕事中はいつも田舎くさいモンペみたいなものを着ていたから、一層ジプシーっぽく見えてしまっていたのかもしれません。