Diary 2004. 1
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1月20日 (火)  トルコ・ギリシャの国境。トルコのトラック野郎たち

居住許可証の期限が切れてしまったため、イスタンブールからバスでギリシャのアレクサンドロポリスに行って来て、今日、戻りました。

下の写真は、国境のトルコ側の税関です。並んでいるトラックは、多分、ギリシャを通過しアドリア海を越えてイタリアへ向かうトルコのトラックでしょう。ドイツなどに向かうトラックの多くは、ブルガリアとの国境から出て行くのではないかと思います。

昔、イズミルからイスタンブールへ向かうバスに乗ったら、そのバス会社と同系列の大手運送会社で働くトラックの運転手さんと隣り合わせになりました。彼はイズミルの港で自分のトラックをイタリアへ向かうフェリーに載せ、これからイスタンブールで用事を済ませた後、空路イタリアへ飛ぶんだそうです。私も日本で長距離トラックの運転手をしていたことがあったから、「それなら楽だね。羨ましいよ」と言ってやると、「滅多にないけれど、たまにはこうやって楽ができる」と笑ってました。

それに、EU圏内では、1日に8時間以上の運行が禁じられていて、タコメーターによって運行記録が厳しくチェックされ、違反していた場合、相当な額の罰金が課せられるのだとか。日本では、積み下ろしの時間も含めれば24時間以上動きっぱなしということもあり、『トルコの運転手さんたちは恵まれているなあ』と思ったところ、その運転手さん「でも、全部陸路で行く時は、EU圏内に入ると距離を稼げなくなるから、それまでは途中で一度僅かな仮眠を取るだけで殆どノンストップだよ」と言い、その仮眠場所とそこまでの運行時間(ちょっとはっきり覚えていません)も明らかにしてくれたのですが、『えっ、嘘だろ?』と思いたくなるような、とても信じられない場所・時間でした。

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1月21日 (水)  アレクサンドロポリスの街並みと喫茶店のお姉さん

昨日の続きです。

ギリシャとトルコは、街や人の様子も本当に良く似ています。喫茶店でお姉さんが作っているのは「ギリシャ・コーヒー」ですが、細かく砕いたコーヒー豆をドロドロに煮出した後、濾さずにそのまま上澄みを飲むようになっていて、トルコで言う「トルコ・コーヒー」と全く同じもの。お姉さんの愛想の良さも共通しているような感じです。

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1月22日 (木)  ギリシャでの食卓

またまたギリシャの続きです。

ギリシャとトルコは、食生活も良く似ていますが、トルコの方が料理のバラエティーも豊富で美味しいのではないでしょうか? トルコ語学校で知り合ったギリシャの人もそれを認めていました。ただ魚介類の料理はギリシャが勝っているような気がします。

下の写真は、ムール貝のトマト煮とタコ。タコは茹でたものを炭火で軽く炙ったうえ、オリーブ油と酢をかけてあります。トルコにも同様の料理はあるけれど、タコを細かく切ってしまったりして、こんな形で出すことはないはずです。ここではムール貝もワタを取らずに丸ごと煮こんであり、なかなか美味いと思いました。

酒はレチーナというギリシャ独特の安いワインで、こればかりはトルコじゃ見付からないでしょう。松ヤニの匂いがついていて、知らずに飲んだらギョッとするかもしれませんが、慣れればなんとも言えない味わいです。

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1月23日 (金)  ギリシャ・トルコ〜国境の駅

ギリシャ小旅行。帰りは鉄道を利用しました。

写真は、左がギリシャ側のピティオ駅(Pythionと表記されていますが私の耳にはピティオと聞こえました)、右はトルコ側のウズンキョップル駅で、なんだか良く似ています。

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1月25日 (日)  雪景色のイスタンブール

ギリシャから戻って来た後だったから良かったけれど、この週末のイスタンブールは大雪。市庁に天災対策本部が設けられたほどです。

写真左はボスポラス海峡大橋なんですが、降りしきる雪の中、おぼろげにその姿が見えます。

右の写真は、翌日雪が止んだ後にイスタンブール観光のメッカ、スルタンアフメットに出掛けて撮ったブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミー)。

イスタンブールは緯度から言えば秋田県と同じぐらい、結構寒いんです。トルコの他の地方も、海岸沿いを除いては殆どが高原地帯なので凄く寒い。首都アンカラの寒さも相当なものですが、東部のエルズルムなどは海抜二千メートル近くもあり、天気予報を見ると「マイナス30℃」などと伝えられていたりして、とても冬の間は出掛ける気になれません。94年の6月に一度エルズルムを訪れましたが、6月だというのにホテルでは未だストーブを焚いていました。

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1月30日 (金)  モンゴルからの留学生に出会う

昨日、バスの中で東洋人顔したお姉さん2人に、なんとなく韓国の人ではないかと思って声をかけたところ、なんとモンゴルからの留学生でした。

2人ともトルコに来て3年経つそうで、もちろん私たちの会話はトルコ語になります。でも、モンゴル人だと言うから、まずは「サインバインノー」と挨拶したら、大袈裟に驚きながら「なんで知っているの?」と訊いてきたので、「これくらいなら殆どの日本人が知っているはずだ」と答えておきました。

実際のところ、私がこの言葉を知っていたのは、開高健のドキュメンタリー番組を観ていたからで、この番組のビデオ版が今もって良く売れていることを考えるならば、かなりの日本人が「サインバインノー」を知っているはずだと思うのですが違うでしょうか?

逆に私のほうは、彼女たちが「朝青龍」「旭鷲山」「旭天鵬」を、その四股名通りに知っていたことに少々驚かされました。それで、先場所の朝青龍関の優勝を伝えると喜んでくれたものの、一人は「旭鷲山も昔は強かったのに」なんて言います。モンゴルでも朝青龍関の評判は今ひとつなんでしょうか? 私は、その気迫、技、スピードで相撲の素晴らしさを全て見せてくれる朝青龍関こそが、正しく日の下開山、天下の大横綱だと思っているので非常に残念でした。と、こうやって相撲の話を始めてしまうと一日中喋り続けてしまいますから、この辺でまたトルコとモンゴルに話を戻します。

彼女たちのトルコ語はなかなか見事なものでしたが、そもそもモンゴル語とトルコ語はとても良く似ているそうです。歴史を遡れば、この二つの系統の言語を話す集団は密接な関係にあったと言われ、トルコ語系の言語(突厥語)の記録としては最古のものとされている「オルホン碑文」も現在のモンゴルにあります。

トルコ人のルーツを一つに求めたがる民族主義者にとっては、この「オルホン碑文」のある所が正に民族発祥の地であるかのようです。そんなこともあって、トルコ人男性の中には、ジェンギス(チンギス)、クビライ、ティムール、トクタムシュといったようなモンゴルゆかりの名前も多く見られます。(トルコ人男性に最も多い名前は、メフメット、アリ、ムスタファといったところですが、これは全てアラビア語から来ています)

特にジェンギスは、やはりチンギス・ハンが大英雄だったことから、ごく普通に見られる名前となっていて、かなり民族意識の高いクルド人にもジェンギスという人がいました。しかし、まあこれは単なる思い込みかもしれませんが、クビライといった名前を持つ人には、宗教的な傾向が少ない民族主義的なトルコ人が多いように感じています。


1月31日 (土)  トルコのバラエティー番組

トルコのテレビ番組を見ることは余りないのですが、知人宅へ出掛けた時に放送していたものをパチリとやりました。見ていたわけではないので番組の趣向も良く解りませんが、真ん中の写真の男性は、司会を務めているメフメット・アリ・エルビルという超有名なタレントで、私でもこの人ぐらいは知っています。でも、彼と一緒に踊っている女性たちはトルコ人じゃなくて、外タレのようでした。他の写真に出ている女性たちはトルコ人のタレントさんだと思います。結構、イケてるでしょう? 番組の構成もなかなか洒落た感じでした。

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