Diary 2003. 11
メニューに戻る
11月15日 (土)  シナゴークで爆発。

既に日本でも報道されていることと思いますが、今朝、イスタンブール市内のシナゴークで爆発事件があった模様です。まだ背景などは明らかになっていません。明後日にでもこちらでの反応を報告します。


11月16日 (日)  爆発で負傷された方の中に

昨日の爆発事件、新聞によると、ネベ・シャローム・シナゴークでは、10時半から「Bar Mitsva」なる儀式が行われる予定だったということであり、もしも、爆発が儀式の最中に起こっていたら死傷者がもっと増えていたに違いないと記されています。

この「Bar Mitsva」、子供が13歳に達して宗教的な責任を負えるようになったことを祝うものだそうで、昨日はコーヘン家の子供達が儀式を待っていたとのこと。

私は、98年、イスタンブールのオスマンベイで、韓国製服地の営業に携わっていたことがあります。この時に、一度訪れて商談した「アジェムオウル」という服地問屋の社長は、ナタン・コーヘンという人でした。当時はドイツ人であると聞いていたのですが、「Bar Mitsva」にまつわる記事を読んでもしやと思い、亡くなったり負傷した方々のリストに注意深く目を通していると、負傷者のほうで、何人かコーヘン姓を持つ人達が記載されていた中に、果たして「ナタン・コーヘン」という名も出ていました。トルコでは珍しい名前なので、あのナタンさんに間違いないはずです。ナタンさん、当時既に60歳ぐらいではなかったかと思いますから、「Bar Mitsva」で祝福される予定になっていたのはお孫さんだったのでしょう。どの程度の負傷なのかわかりませんが、直ってからまた儀式を受けられるようになれば良いですね。

尚、ナタン・コーヘンさんのことは「メルハバ通信」にも書いています。以下、参考までにその部分をコピーしました。

****

■オスマンベイの繊維街

 オスマンベイは繊維の街。生地問屋から、既製服の卸し、小売り店に至るまでが軒を並べている。影響力のある大きな生地問屋の経営者には、ユダヤ人やアルメニア人のトルコ国民が多く、他にも様々な外国人が事務所を構えていて、なかなかコスモポリタンな雰囲気。

 例えば、「アジェムオウル」(異邦人の息子、の意)という生地問屋の社長はナタン・コーヘンというドイツ人。この人、ドイツの生まれなのか、もともとトルコで生まれ育ったのか良く分からないが、言葉使いからその仕草に至るまで、周囲のトルコ人と何ら変わるところもなかった。

 数世代に亘ってイズミルで海運業を営むオランダ人の一族もいるそうだから、あるいはコーヘン氏も、そういう人であったのかも知れない。

全文: http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#230

****


11月26日 (水)  イスラム的な発想

イスラム過激派によるテロが相次ぎ、イスラムは恐い宗教ではないかと思われてしまいそうですが、長い歴史を振りかえって見れば、戦争を繰り返しきた西欧キリスト教世界より、イスラム世界のほうが遥かに平和的であったと言えるのではないでしょうか?

以前ご紹介した、故トゥルグト・オザル大統領の実弟コルクト・オザル氏のインタビュー記事に登場する彼らの父親の言葉、「息子よ、お前が行ったところの住民が全員盲人だったら、お前も片目をつぶっておけ。彼らと少しでも和を保たないといけないからな。それから、聞かない方が良いってこともあるんだよ」というのは、実際、イスラムの特徴を良く表しているのではないかと思います。余り理想主義的ではないと言ったら良いのか、「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」といった理想を掲げることはなく、人間のやりそうなことは殆ど最初から認められているような感じです。

4人妻などもよく非難されていますが、第二夫人を娶るためには、あくまでも第一夫人の許可が必要なわけで、私はこれを非難している文明的な男たちに、「では貴方たちは、奥さん以外の女性と全く交渉を持たなかったのですか?」と尋ねてみたい、彼らは奥さんの許可を取ったのでしょうか?

もちろん、キリスト教世界で、彼らの理想に近い生活をしている人達もいるでしょうけれど、却って、人間は余りにも理想主義的になった時のほうが恐ろしいことをしてきたようにも思えます。フランス革命やロシア革命を見ても然りです。人間、理想が高いと譲歩できなくなってしまうのかもしれません。

孔子に、弟子が最も大切な徳行を尋ねたところ、孔子は「己の欲せざるところを他人に施すことなかれ」と答えたそうですが、ある日本人の牧師さんはこれに対して、「キリスト教ではこんなネガティブなことは言わない。己の欲するところを他人に施すように勧める」と仰っていました。キリスト教の人達が、盲人の世界へ行けば、そこの住民の目を開けさせようと努力するのかもしれません。彼らはこのポジティブな態度で発展を遂げて来たのでしょう。日本人などは、盲人の世界へ行けば、皆に合わせて自分も両目をつぶってしまいそうな感じですが、そのために、片目をつぶっていたイスラム世界と同様、発展を遂げることができなかったといえそうです。しかし、世界が今後、平和・協調を考えて行く上で、この発想は見直されても良いのではないでしょうか?