【251】エルドアンによる政教分離の勧め【ミリエト紙】【2011.09.19】

9月15日付けのミリエト紙より、フィクレット・ビラ氏の記事を訳してみました。

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レジェップ・ターイプ・エルドアン首相がエジプトで明らかにしたメッセージに関して、引き続き述べてみたい。エルドアンは、エジプトで民主化を呼びかけると共に、政教分離の憲法を提議した。

私は、トルコが共和国を建国して以来培ってきた経験がアラブ諸国にとって手本と成り得るかについて考えていた。エルドアン首相の“政教分離憲法に基づく国家”という提議は、この点からいって重要である。もしも“アラブの春”が民主主義を目的とする運動であるならば、これには政教分離が前提となる。政教分離の体制を造れない限り、“アラブの春”が真の民主主義へ到達することも可能ではない。

−無神論ではない−

エルドアン首相が、“自分自身は政教分離ではないが、政教分離の国の首相”であると強調しながら提議したトルコのモデルを、アラブの民衆は注目すべきだ。

「トルコにおける憲法の政教分離は、国家が全ての宗教を平等に扱うことであると定義されている。政教分離は決して無神論ではない。私はレジェップ・ターイプ・エルドアンとしてムスリムではあるが政教分離ではない。しかし、政教分離国家の首相である。政教分離の体制で、人々は、敬虔な信者に成る、あるいは成らないという自由を有する」

アタテュルクの時代以来、右派が政教分離は無宗教であると主張して、CHP(共和人民党)を攻撃してきたことを考えるならば、エルドアン首相がエジプトで明らかにした言説と呼びかけは、エジプトばかりでなく、トルコにとっても意味深いものだ。

−政教分離を恐れるな−

エルドアン首相は、エジプトの人々へ「政教分離を恐れるな」と呼びかけながら、近代的な国家になる為には、政教分離の憲法が前提条件になるというメッセージを次のように伝えた。

「私はエジプトに政教分離の憲法を勧める。政教分離は宗教を敵視することではない。政教分離を恐れないでほしい。私はエジプトの新しい体制が政教分離になることを願っている。そして、この私の発表以後、エジプトの人々の政教分離への見方が変わることを願っている」

−ムスリム同胞団−

エルドアンが、政教分離ではないと強調しながら“政教分離体制”を勧めたことは、疑いもなくムスリム同胞団を不愉快にした。事実、スポークスマンらは、エルドアンの発言を内政干渉とみなし、他国(トルコ)の経験を同様にコピーしたりはしないと強調した。

エルドアン首相が、世論に公けにしながらこの呼びかけを行ったことは、“アラブの春”によって政権が転覆させられた国々で、宗教の法によって統治する新たな権威体制が造られるかもしれないという危惧の面からいっても重要だ。トルコがこのような動きを歓迎するのではないかといった期待に反して、エルドアンが政教分離−民主主義の体制を勧めたことは、トルコを代表して正鵠を射た呼びかけである。

−アタテュルク:この呼びかけの先駆者−

エルドアン首相がエジプトで提示した枠組みは、アタテュルクが単にトルコの為だけではなく、独立、自由、民主主義を求める全ての国々の為にも、注目すべき指導者であることを明らかにした。

トルコが、未だ近代的な民主主義に至っていない国々にとって道標と成るならば、それはアタテュルクの政教分離−民主主義の共和国のモデルによって成るのである。この国々は、政教分離に至らない限り、民主主義にも至ることはない。

もちろん、歴史、文化、社会および政治の異なる事実は、各国が同じ過程を経ることを妨げる。政教分離−民主主義の体制に至るまでは困難な長い道程があり、痛みを伴うだろう。全ての国が、その国の条件により、異なる過程、異なる段階、異なる危険を経験するだろう。重要なのは、目標からそれることなく、そこへ到達するために闘うことである。

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原文
http://siyaset.milliyet.com.tr/erdogan-in-laik-rejim-onerisi/siyaset/siyasetyazardetay/15.09.2011/1438585/default.htm
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