【247】原子力への固執【ヴァタン紙】【2011.03.20】

3月20日付けのヴァタン紙より、ギュンギョル・メンギ氏のコラムの一部を訳してみました。メンギ氏は、トルコが原子力から撤退すべきであると論じています。

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日本の惨状から学ぼうとしないのは、神の加護を拒否することである。
私たちはこの事業で遅れを取ったが、この遅れは、神の恵みかもしれない。
政治が、私利や無知による盲目的な固執で、この遅れがもたらしたチャンスを無駄にしてしまう道理があるだろうか?

国民は驚いている。多くの国々が、原発を新設するかどうか国民に問い掛けている中で、トルコの政権党(AKP)は、原子力じゃなくて、“納金による兵役免除”の為に、国民投票を提案している。
“発展した民主主義のAKP的な解釈”がこれならば、私たちが直面する政治的なリスクに、原発の事故も加えなければならないだろう。

日本の惨劇は、トルコにとって頭を整理する機会となった。何故なら、アックユの原発建設をロシアに発注するのは、技術や経済な考えというより、もっと政治的な思惑に基づいているからだ。
決定する際に、“もっと良いものを、もっと安くやらせる”可能性は検討されなかった。

「誰もが7セントで買える電気のために、15年間に亘ってロシアへ、何故、倍以上の金額を支払わなければならないのか?」

この問いの回答も得られていない。

日本の出来事は、私たちが酷くぼられないで済む為のチャンスである。これを活かさなくても良いのか?
そもそも、本来、このチャンスで得られる最も大きな利得は、原子力から撤退する決定を下すことだろう。
これがどうなるか未だ解らない。

しかし、どの道遅れたのだから、この際、最も正しい選択は、科学の世界が出す答えを待つことである。
AKPがこれを認めたくなければ、国民投票を“納金による兵役免除”ではなく、原発の為に実施すべきだ。

アックユからも撤退すべきなのに、「シノップとトラキアにも建設しよう」と言うのは、稼ぎだけを考える商人の理屈に違いない。

原子力へ固執するのは、発展ではなく、後進性の表れである。

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原文
http://haber.gazetevatan.com/Haber/366157/1/Gundem

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