【246】“生物”と強姦【ミリエト紙】【2011.02.28】

ちょっと遅くなりましたが、2月22日付けのミリエト紙より、ヌライ・メルト氏(女性)のコラムを訳してみました。コンヤ大学神学部のオルハン・チェケル教授が、「ローブ・デコルテを着ている女性は、強姦されても文句が言えない」などと発言した問題について論じています。

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私は良い家庭に生まれたと神に感謝してきた。全ての娘さんたちに、私の父のようなお父さんがいれば良いのにと願ったものだ。父は、私をはじめ家族の女性たちの服装や振舞いに、一度たりとも干渉しなかった。

トラブゾンの娘時代、車で私を付回した不愉快な男の車のナンバーを父に伝えた時も、「どんな服装をしていたのか?」なんてことは全く考えもせずに、長い間、辛抱強く追及して、この卑劣漢を逮捕させると、私に付き添って警察署を訪れ、被害についても一緒に申告してくれた。

弟も父が育てた文明的な人間であり、私が知っている最も繊細な男性の一人である。父や母の親戚にあたる全ての男性も、女性に敬意を表す文明的で気品のある人たちだった。私の男性に対する考え方は、この環境から成り立っているため、“女性問題”に余り敏感ではなかったことを告白したい。

しかし、このような世界に生まれてしまったら、他の女性たちには同じ幸運が与えられなかったことを、失望と共に気がつかないわけには行くまい。しかも、さらに悪いことに、私たちが暮らしている社会は、段々と女性たちへこの幸運を与えようとしない方向に進んでいるのだ。

先週、神学部教授オルハン・チェケルが、強姦と“肌の露出が多い服装”との間に因果関係を示して、議論を呼んだ発言は、充分に気を滅入らせるものだった。これに追い討ちをかけたのは、アリ・ブラチが昨日のザマン紙で、“生物的な反応”と題して、この問題に言及した文章である。

アリ・ブラチは、女性たちが、挑発するような服装で出歩くことは、強姦の弁明にはならないものの、原因になっていると、近代心理学を用いて説明しようとしている。

「近代心理学は、外的刺激に対する生物的な反応を分析する学問である」としながら、男性が女性から挑発されたと言いたいらしい。

さらに、オルハン・チェケル教授を批判している保守派を、「近代的な女性の観点やフェミニズムの深い影響下にある」と非難しているが、自分自身は、人間の実態を近代心理学と言われる非常に実証主義的な視点から見ようとしていることに気がついていない。

おそらく、アリ・ブラチによれば、人間は“生物”なのである。イスラムの人間観を信じる人々が“禁忌のような性質を持っている”と考えているのだ。つまり、神はあたかも人間を生物としてこの世に放ち、この生物は敬虔な信仰を持てば行儀良くなるが、さもなければ“獣”になってしまうのだろう。

しかし、イスラムに限らず全てのアブラハムの宗教において、人間は“高貴な創造物”である。その為、行動に責任を持たなければならない。人間は高貴さを保たなければ、獣以下の存在へ投げ出されるかもしれないが、獣にはなり得ない。

「信仰がなければ、人間は獣のようになる。これは実証されている」というのであれば、この人は“高貴な創造物”の意味が解っていないだけだ。

強姦した男は、獣のようになったのではない、“虐待を犯した人間”なのである。そして、この虐待という行為は、“生物的な反応”などではない。獣は自分や他者を虐待できる能力を持ち合わせていない。

人間は、獣と同じ種から作られなかったため、性も、その一部分だけが生物学的に明らかにされるのである。人間が、禁忌を破ろうと、戒律を守ろうと、その性を明らかにするファクターは、生物学的な事実を超越してしまう。

禁忌と言われる行為は、一部の保守派が考えているように、人間が“自然”に従った為などと説明できるものではない。気質とか本性とか欲望とか言うが、それは自然の要求に従うことではない。

信仰を有する者が、信仰の無い者と異なるのは、人間が“自然”で説明し切れる存在ではないと信じる点にある。

私は、何ら宗教的な教えを受けない環境で育ったにも拘わらず、人間が“生物”から成り立っているのではないと考え、事物を異なる視点から見るようになった為、イスラムの信仰者になることを選択した。ここでも私は自分が幸運だったと思っている。

残念ながら、現代はとても陳腐な“保守主義”と、その薄っぺらい人間や性に対する理解が、イスラム信仰の表現としてまかり通っている。イスラム信仰の名において、最も憂慮しなければならないのは、これではないかと思う。

あまつさえ、こういったテーマで、これほど低俗な地平に落ちない為には、あえて信仰を持つ必要もないだろう。性と社会の関係の現実における複雑さを知るだけで充分である。

ユルドゥルム・トュルケルは、2月14日付けラディカル紙の“宦官”と題する記事で、国会に提出された“性犯罪者を化学的に去勢する”という法案に関して、性と強姦を性器の次元に引き降ろしてしまった論点の低俗さを見事に言い当てた。読んでいない方にお勧めしたい。

最後に申し上げるが、アリ・ブラチは、チェケル教授が主張した安っぽい見解を“率直に語られた敬虔な信仰”と評価している。こうして、多くの敬虔なムスリムが、同じように考えているものの、様々な理由により、率直に語っていないと仄めかしたのである。

つまり、ああいった見解は、思ったよりも広く、“敬虔な信仰の確かな表現”と看做されているらしい。これをアリ・ブラチのお陰で深い悲しみと共に教えられた。

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原文
http://www.milliyet.com.tr/-organizma-ve-tecavuz-/nuray-mert/siyaset/yazardetayarsiv/22.02.2011/1355432/default.htm

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