【243】酒とセックスについて【ミリエト紙】【2011.01.28】

1月27日付けのミリエト紙より、ジャン・デュンダル氏のコラム。AKP政権が飲酒に対する規制を強化して、これが議論される中、国務大臣のビュレント・アルンチ氏が、「・・・人生は酒とセックスで成り立っていない・・」と発言して物議を呼んでいます。

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ビュレント・アルンチ(訳注:国務大臣−副首相)の発言である。「一部の近代的な思想の持ち主たちは、出来事を単に酒とセックスで捉えている。人生は酒とセックスで成り立っていない・・・」。

この話題については、いろいろ話されているが、これには一つ重大な側面がある。なぜなら、意図されたのは、“近代的”という言葉に、“下らない”という意味を与えることだからだ。

残念ながら、保守的な地域で、この認識はなかなか受けている。そして、何故こういった認識が作り出されようとしているのかは明白だろう。

私が考えてみたいのは、アルンチの言う「一部の近代的な思想の持ち主たち」が、この認識作りに一役買っているかどうかである。

最近、“自由の守護”が、特に酒とポルノで取り沙汰されるのは、私も不愉快に感じている。

AKPは、酒を口実にして、人々の生活スタイルに介入しようとしている。しかし、これに対して、「飲んだって、セックスしたって良いじゃないか」という理屈で抵抗しようとしたら、却って罠に落ちるようなものだろう。

アンカラで県の行政が、酒について市民投票を行おうとした時、私はその危険性を主張して反対した。一方、飲酒運転の取り締まりと罰則の強化は、酒飲みの一人として、何の不都合も感じていない。

15〜16歳の子供たちが、バーへ自由に入れるのも反対である。これについては、英国と同じくらい厳しい取締りを望んでいる。

私たちは“性の自由”と言いながら、ポルノや売春を広めようというのではない。それどころか、これを“性の搾取”と看做す私たちの認識が、充分に理解されていないのではないかと考えている。

ビルギ大学におけるポルノ卒論の問題が、“学問の自由”という意味合いで議論されているのも、この点から言って、実に不運なことだ。(訳注:ビルギ大学の学生が、卒論のためにキャンパス内でポルノを撮影して問題になっているようです)

こういった例、つまり禁酒に対して、グラスを掲げながら抗議したり、大学の自治をポルノで守ろうとしたりするのは、誤った“近代化の認識”に貢献してしまう。こういう罠に落ちてはならない。

“近代的な思想”が求めているのは“酔っ払う”ことではない。個人的な自由の領域に介入しようとする“禁止を好む思想”に注意を促すことであると説き明かさなければならない。

この為にも、“酒・セックス”の罠を乗り越え、全ての禁止事項を目標にした、より一般的な自由のキャンペーンを開き、例えば、未だに保たれているクーデターの法やその禁止、大学における抑圧、選挙の票数規制、政治犯、メディアに対する制限、明らかにされていない国家犯罪の清算を求めるべきだろう。

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原文
http://www.milliyet.com.tr/icki-ve-sekse-dair/can-dundar/guncel/yazardetayarsiv/27.01.2011/1344507/default.htm



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