【225】変革のジレンマに悩む日本【ラディカル紙】【2010.01.08】

1月7日付けのラディカル紙より、コルクマズ・イルコルル氏のコラムを訳してみました。日本の経済的な停滞について論じています。

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日本のような経済大国における経済危機の問題は非常に重要だ。日本は問題を如何に解決しようとしているのか、その経験はどのようなもので、何に成功し、何が巧く行かなかったのか? これは世界が注目すべき問題であり、「我々に何の関係があるのか?」と言って看過できない重要なテーマである。

経済学やこの分野に影響力がある狭い枠組みでの数学的な各モデルが改めて問質され、これを人間と繋がりのある社会政治学の次元に転換しなければならないという声が高まっている昨今において、その重要性は、疑いもなく、尚一層、意味深いものになっている。

結論を前もって要約して置こう。日本は世界第二の経済大国であるにも拘わらず、さらなる発展の条件となっている大きな変革を成し遂げられないまま、経済の諸問題を解決できずにいる。何故なら、この変革の為に、日本が支払わなければならない社会的な犠牲は非常に大きいからだ。

この20年来、変革を論じながらも、国民が痛みを感じないように、その犠牲を長期の分割払いにすると主張した政治家や首相が何人も現れ、そして去って行った。それどころか、自民党の50年に亘る名高い一党支配さえ幕を閉じ、民主党が政権について、先ず一人の首相を危機に生贄として捧げた。ところが、危機は未だ治まっていない。

日本は民主的な国家である。しかし、時々、日本の友人たちも認めるように、この民主主義は言葉だけになってしまう。同時に、日本は自由市場経済を支持し、このシステムを適用していると言う。自由市場経済になくてはならない大切な要素は革新性である。日本には、ある面で、その革新性が見られる。特にテクノロジーにおいて。

そもそも、第二次世界大戦後から1990年代の初めにバブルがはじけるまで、日本が見せた驚異的な成功は、このテクノロジーにおける革新性に基づいていた。

1980年代以降、分けても1990年代に世界は大きく変わってしまう。結果として、日本でも、経済における革新の必要性が、テクノロジーの革新とは全く異なる次元で、感じられるようになった。革新というのは変化である。要するに問題は、経済における変化が、政治や社会、文化、伝統、人々の慣習や心理にまで重大な影響を及ぼすのではないかということだった。つまり、ある時を境にして、日本では、変化の必要性がこの次元にも迫ってきたのだ。

ここで、アメリカの経済政策とその革新性、そして日本との比較に触れてみたいと思う。アメリカは、革新性とそれがもたらした変化の観点から、自由市場経済における古典的な“シュンペーターの創造的破壊”理論の典型的な実践者であったと言って良い。この種の革新性は、短期的に見ると、大きな社会的犠牲を伴い、破壊者であるかもしれないが、長期的に見れば、社会により多くの富をもたらすと主張されている。これが正しいかどうかはここで論じない。

アメリカの歴史は、多くの国に比べれば短いものだ。その為、根を下ろした伝統や文化、慣習は比較的に少なく、これによって前述の理論の相応しい実践者に成り得たと言うことも可能だろう。

こうして見ると、日本の問題は次のようなものかもしれない。「我々は経済において、自由市場システムを支持する」と明らかにしているが、経済が行き詰っている状況で、必要な革新や変化による政治的・社会的な犠牲、根を下ろした伝統や文化への影響に直面したくないのである。

この為に、革新と変化は必要なレベルで実現していない。日本が、1990年代の初めから、極めて収益性の良くない銀行業界を再編できないのも、その結果である。金融業界に対して、スウェーデン、あるいはトルコでさえ行われたような徹底した浄化や再編が、政治的・社会的な犠牲を受け入れようとしない為に実現出来なかった。受け入れていれば、創造的破壊に類する革新をもたらして、今日の問題は少なくなっていたはずだ。(ここで、アメリカとイギリスが今度は“日本化”しているのではないか? 金融業界の浄化に伴う政治的・社会的な犠牲を受け入れたくない為に、危機から抜け出せないでいるのではないか? と問わずにはいられない)

要約すると、日本は、一つの共同体をもたらす“民主主義”と“自由市場”の双方を生かそうとして、必要な革新とそれが招来する変化による政治的・社会的な犠牲を受け入れようとしない為に行き詰ってしまった。

さて、それでは、世界が経済的な観点から、大きな望みを託している中国は、日本が直面した類いの政治的・社会的な犠牲を受け入れることが出来るだろうか? 彼らは、自ら作り出した“社会主義の中の資本主義”のモデルが、こういった犠牲をより少ないものにして、もっと巧く運営できると思っているだろうか? さもなければ、彼らも行き詰ってしまうのか?

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原文
http://www.radikal.com.tr/Default.aspx?aType=RadikalYazarYazisi&ArticleID=973149&Yazar=KORKMAZ ?LKORUR&Date=08.01.2010&CategoryID=101

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