【220】トルコとアルメニアの関係改善を支援するロシア【ラディカル紙】【2009.10.19】

10月18日付けのラディカル紙より、モスクワ駐在のスアト・タシュプナル氏のコラムを訳して見ました。

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1994年のことだった。アシガバートの悲惨なホテルの一室で、暑い日曜日の午後、何とか暇を潰そうとしていた。そもそも幾つもチャンネルがない古いテレビの霜降り画面の中から、一つを選択するのは難しくなかった。鮮明な映像を伝えるロシア国営放送のチャンネルを選んだ。まず、BGMの調べが気に入った。それは、私たちトルコの民謡に似ているどころではなく、そのものだった。それで、一言も聴き取れないその画面を注意深く見守ったのである。

最初は東部アナトリアの田舎町じゃないかと思った。人々や家々の様子、食卓と料理の数々、そして音楽・・・全て見慣れたものだった。終わりに近づいてから、ようやくこれがアルメニアを紹介する番組であることが解った。しかし、これが解ったことで、何か印象が変わったわけでもない。最後まで、私たちトルコを紹介する番組であるかのような印象を拭い去ることが出来なかった。そこでは見慣れた料理が作られていた。私たちの太鼓や笛のリズムに合わせて民謡の歌い手たちが、これまた見慣れた様子で興に乗っていた。刺繍から絨毯のモチーフに至るまで、全てが“他人じゃありませんよ”と囁いていた。

数年後、コチャリャンが政権に就いた大統領選を取材するため、初めてエリヴァンを訪れた際、またあの番組を思い出した。自分が外国人とは看做されない国へ来たように感じたからだ。

案内人が「君の国へ連れて行ってあげよう」と言い、エリヴァンのマラティヤ街を案内してくれた時が、まず初めの驚きだった。アナトリアの街から移民してきた人々が、その街を心の中に留めていること、そして、それぞれのガジアンテップ、カフラマンマラシュ、ハルプト街があることを、その時、初めて知った。

最も美味しい家庭風のバクラヴァを、そういった街々の一角にある、壊れかけたテーブルが二つ並んだだけの菓子店で食べた。

そして、これだけ共通しているところがあるならば、人々の心の中にある相互の不信、怒り、恐れ、緊張は、難しくても溶かすことが可能な氷塊であると、初めて理解した。

今、歴史の歯車は、少し早く回り始めている。“アルメニア展開”と言われるプロセスに入ったのである。誰もが、痛みや過ちと向かい合い、そこから新しい幕開けへ辿り着くためには、希望という長いトンネルを通らなければならないだろう。しかし、如何に長い道程であっても、それは一歩踏み出すことによって始まるはずだ。

アンカラとエリヴァンの間に掛かる橋が新たに築かれようとしている現在、ロシアの肯定的な働きかけも見逃せない。モスクワはアンカラの動きを喝采しており、ナゴルノ・カラバフ問題の解決においても存在感を見せ始めている。ロシアは何を狙っているのだろうか?

まず、最も基本的な要因は、ロシアのトルコに対する見方が明確に変わったことである。プーチンは、この前のアンカラ訪問において、“戦略的共同”のために、冷静な姿勢を示した。ロシアは、エネルギー資源ルートの交差点にあるトルコを、信頼できるトランジット・パートナーとして認めたのである。既に、“敵側トルコに対するコーカサスの前線基地アルメニア”という見方、そして潜在的な敵意は過去のものになった。そもそも、エネルギーから産業構造に至るまで、アルメニア経済の命運はロシアが握っており、同国の軍事基地には、誰も手を触れようとしていないのだ。

しかし、一方で、ますます力を増しながら、遅かれ早かれ、平和的に或いは武力により領土を奪回しようとするアゼルバイジャンとロシアは、何とかその均衡を保つ必要がある。

ヨーロッパへ送られるロシア産天然ガスの独占的な地位を脅かすナブッコ・パイプラインの最大の希望は、アゼルバイジャンの天然ガスだが、ロシアは今週、アゼルバイジャンから天然ガスを購入するための契約を行い、1対0で一歩前に出た。

ロシアがエネルギー政策において、アゼルバイジャンを自分の側に引き寄せようとするならば、その前提条件は、コーカサスの和平になるだろう。こういった権謀術数の駆け引きにおいては、何が起こるか解らない。「アゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフと引き換えにナブッコを放棄するかもしれない」という説まである。

また、トルコとアルメニアの国境が開かれれば、グルジアが重要性を失うため、これも間接的にロシアの利益になる。

この地域で、アルメニアの置かれた状況は悲惨なものだ。エネルギー・プロジェクトから疎外され、世界の中で孤立している。大統領がトルコのブルサへ旅立つのを呆然と眺める以外に打つ手のない、困窮にのた打ち回りながら、ディアスポラの政治的な行き詰まりと国内の反発を何とか抑えようと懸命な、疲れ果てた国である。アゼルバイジャン領土の20%とナゴルノ・カラバフを手中にしていることなど、“ピュロスの勝利”より、もっと割に合わないだろう。最も平和を必要としているのは彼らなのである。

ところで、今日、トルコとアルメニアの平和を静かに支援している“強大な国”は、1915年の血塗られた歴史が明らかにされる時、自分たちの罪も、どのように白日の下に曝されるのか良く解っている。何故なら、1915年に、オスマン帝国が一方でチャナッカレにおいて、もう一方ではサルカムシュで必死に戦っている最中、アルメニア人を、そしてオスマン帝国を、あの悲惨な結末に、あの悲痛な虐殺に追い立てたのは何者であったのか、それは歴史の記録に残っているからだ。

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原文
http://www.radikal.com.tr/Default.aspx?aType=RadikalYazarYazisi&ArticleID=959788&Yazar=SUAT TA?PINAR&Date=19.10.2009&CategoryID=100


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