【211】ダボスの出来事について【ラディカル紙】【2009.02.01】

1月31日付けのラディカル紙よりハールク・シャーヒン氏のコラム。スイスのダボスで開催されている世界経済フォーラムの会議場で、パレスチナ自治区ガザ地区へのイスラエル軍の攻撃に関連して、エルドアン首相がイスラエルのシモン・ペレス大統領と激しくやり合った後、「私にとってダボスはもう終った」と言い残して退場した出来事について論じられています。

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エルドアン首相が席を蹴って退場した後、ワシントン・ポスト紙のコラムニストで討議の進行役を務めていたデイヴィッド・イグネイシアスとイスラエル大統領シモン・ペレスの間でどんな話が交わされたのか、私には何よりもこれが気になっている。パネルが終了してから、カメラに背を向けて握手しながら、彼らはいったい何を話したのだろうか? 彼らの表情に浮かんだ微笑を見るならば、それほど悲しんでいたとは考えられない。

おそらく、彼らもあのような結果になるとは予期していなかっただろう。しかし、私は、ペレスとイグネイシアスがエルドアンの激昂にもの凄く驚いたとは思っていない。二人ともトルコを、そしてエルドアンを良く知っているからだ。イグネイシアスのスパイ小説でトルコは主な舞台の一つになっている。二人とも性格分析の必要性を熟知し、政治の舞台で“人の性格”というファクターを駆使するほどに老獪である。この場合、次のことを問わなければならないだろう。首相の激昂し易い性格は、トルコの外交にとって武器になるのか、あるいは弱点になるのか?

私は後者であると考えているが、これが正解ならば、エルドアン首相は逸早く“怒り制御の専門家”に相談することが、トルコの国家利益になるだろう。なぜなら、この“怒りの熱気”は既に国外でも感じられるようになっている。もしも、いつの日か首相が、同じように激昂した挙句、EUの会議場から「私にとってEUはもう終った」と叫びながら退場したら・・・。

ダボスの会議は、私たちが退場した後も続いている。これを想起することは、計り知れないほど私たちの為になるだろう。トルコはもちろん重要である。しかし、世界はトルコだけで成り立っているわけではない。

AKP(公正発展党)の支持者たちは、一種の敗北とも受け取られる唐突な帰還を勝利として描きながら(あるプラカードには“ダボスの征服者”と記されていた)、彼らなりの賢明さを見せた。しかし、同時に大きなリスクを引き受けてしまったのである。深夜にも拘わらず集まって民族主義的なスローガンを叫ぶ群衆は、あらえる挑発に対して無防備になっている。怒れる群衆はダイナマイトより危険だ。如何に危険であるかについて描かれた映画(ギュズ・サンジュス“秋の疼痛”)が今イスタンブールで公開されている。

訳注:映画ギュズ・サンジュスは、1950年代にイスタンブールで、キリスト教徒など非ムスリムの人々が経営する商店等が、ムスリムの群衆に襲撃された事件を題材にしているようです。

国営放送TRT2では、深夜になってから、ダボスの一件を報道する際、画面を分け、一方の画面にガザで血だらけになっている女性や子供たちの映像を流し続けた。これはそのルーツをゲッベルスに求めることが出来る典型的なプロパガンダの手法である。国営放送に相応しいものではない。

激昂する熱血的な指導者、彼を称賛するプラカード、深夜に集まる群衆、止まるところを知らない怒りに満ちたスローガン、党員たちを乗せる為に稼働時間を延長して走る公用車、幼児の遺体の映像を繰り返して流し続ける国営放送・・・・。

ダボスから帰還した航空機は、間違いなく“中東”に降り立ったはずだ。

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原文


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