【208】AKP、イスラムと近代化【ラディカル紙】【2008.12.22】

2007年の12月19日付けラディカル紙より。中東工科大学の哲学部教授ヤスィン・ジェイラン氏の論説。掲載されたのは1年前であり、私の手に負えない難しい論説ですが、非常に興味深い内容であると思います。ちょっと自分の頭の中を整理してみるつもりで訳して見ました。

****

80年に亘り、ライシテ(政教分離主義・世俗主義)の体制によって統治されて来たトルコで、宗教を中心にした政党が政権を担っていることは、驚くべき事態として、国の内外で多くの政治的な分析のテーマとなっている。特に、このような政権は、トルコ共和国の樹立から今日へ至るまでに、世俗的な基盤を揺ぎ無いものにした軍部、司法、大学が、体制に関して深い懸念を懐く要因となるものだ。

さらに、AKP(公正発展党)の指導層が、イスラムの信仰と生活上の実践に従いながら、一方ではEUへの加盟を目指し、リベラルな民主主義に基づいて改革を行なっていることは、この政権の思想、意図を見定める上で混乱を生じさせている。

この政権が、西欧の価値を受け入れることで、アタテュルクの世界観に共鳴していないにも拘わらず、その理想に近づきつつある中、アタテュルクの思想を代表していると主張する第一野党は、現代ヨーロッパの社会的な基準に疑いの眼差しを向け、アタテュルクの長期的な視野に基づく熱望から遠ざかってしまった。

*他の国々との相違

この光景は、トルコがイスラム的な要素において他のイスラム諸国における潮流とは異なる軌道を辿り、一方、ライシテの要素においても西欧のモデルとは、やはり異なる軌道を辿っていることを示している。

トルコのライシテ文化が、西欧のライシテ体制と並行して進んで来なかったことは、EU加盟の為に要求されている社会、文化、および経済的な改革を見れば明らかだろう。80年前、ライシテをその源である西欧から導入したトルコが、何故、未だに同じ地点に留まっているのか、何故、ライシテ文化の源である西欧における発展を学び取れなかったのか、これはまた別の研究課題である。

しかし、ここで以下のように申し上げることができる。西欧のライシテ体制は、宗教と世俗に両極化した後に勝ち取られたアンチテーゼとして受け入れられたが、我々においては新しい舶来品として紹介されたのである。

共和国が樹立した際の他の改革のように、精神的な準備は整っていなかった。宗教と対立する世界観であるはずものが、宗教と融和した理論としてもたらされたのである。ライシテの正当性の為に、イスラムのファトワ(勧告・見解・裁断)を必要としたりするのは、その誤った出発点の遺産と言える。

この国は、どうしたものか、相反するものが真っ向からぶつかり合うことを恐れてきた。外面的な融和の為に、ぶつかり合う要素の実質は隠されてしまったか、あるいは捻じ曲げられてしまった。

ライシテの世界観を受け入れる為に不可欠の条件は、批判的な思考を身につけることだ。つまり、超自然的な根源に従属した不変のドグマから解放されて、その根源が自然の範囲を超えない可変の原則へ移行するのである。これは、知性において疑問というファクターを活性化させることによって可能となる。近代性の根本には、あらゆる理論に対して疑問を懐く権利が存在しなければならない。

全ての革命において必要とされるのは、既存の共通理解を整然と批判することだが、共和国革命においては、これが充分に行なわれなかった。この為、ライシテの原則は、新しい宗教のドグマのように理解されてしまった。

神を中心とする生き方から、人間を中心とする生き方へ移行するというエキサイティングな変化は起こらなかった。ただ、既存の宗教から、未知の宗教へ移行する際の不安な精神状態を経験しただけである。

*重大な過ち

こういったわけで、トルコのライシテ主義者たちは、ライシテを概念的な力強さに欠けた、いくつかの宗教的な禁忌を破ることで成り立つものであるかのように理解し、宗教的な人たちは、それを単なる宗教と政治の分離として認識したのである。この重大な過ちは、首相閣下の「国家はライシテだが、個人は必ずしもそうではない」という言葉に良く表れている。ライシテは単に宗教と国家の運営を分離するものだというのである。それ以上の何ものでもない。その場合、ライシテの体制において、何かが個人の思考を満たし尽くしてしまうかもしれない。宗教的な世界観はその一つである。

国家の運営が宗教に依拠していない限り、その国の体制はライシテであるから、世界観が宗教的な信仰に依拠している人物が国家のトップに就くことも可能だ。これが有り得るのであれば、AKPは、その具体的な例と言える。ライシテに対して不満がないように見えるAKP政権は、ライシテの思想を気分的に空虚なシステムに引き下げ、その基本的な概念と価値を否定、あるいは捻じ曲げたのである。

さらに、野党が理論を欠いた不充分な状態である為、この課題において成功しているように見えてしまう。もちろん、ライシテの体制で信仰に篤い個人は存在し得る。その個人の信仰が主観的な形而上のファンタジーを超えるものでなければ、そして、日常生活において宗教的な承認の欲求を懐かなければ、それはライシテの体制と矛盾しない。

しかし、ライシテの体制において、ある個人の信仰がその人の全てを包み込んでしまうならば、全ての行動を宗教に合わせ、神の命令に従わなければならないと心を砕くのであれば、その人がライシテの社会に暮らすことは可能だが、それは隅に押しやられたものになるだろう。その人物が主観的な真実を客観的な真実として同輩らに広めようとするならば、それは体制の法によって罪とみなされる。こういった判決の正当性は歴史的に認められたものだ。

理想的な民主主義の自由を主張して、こういった判決を不当であると断ずることはできない。ある体制が、基本的な法の理解を争う人々の攻撃に対し、自由の名においてそれを許すならば、自らの体制を信じていないということになる。これは、新しい自由の獲得云々はさておき、既存の自由を危険にさらすだろう。

批判の正当性の基準になるのは、一つの時代において主流となった世界観の基本的な法の理解があらゆる立場から共有されることである。既存の世界観より豊かな美徳を有する新しい世界観の根本となる原則は、既存の生き方を支える原則と、当然、是非を争うことになる。その方法論は異なるし、それはこの文章のテーマではない。また、こういった新しい世界観が出現する兆しは、文明的な世界において未だ現れていない。一方、トルコで既存の体制と争っている人々は、新しい世界観を主張しているわけではない。彼らは放棄された生き方のプログラムを復活させようとしているのである。

*“穏健なイスラム”

単純なシステムと看做されてしまったライシテの体制で、AKP政権が、イスラム的な世界観を信じる者たちの政権として、国外の観察者たちから“穏健なイスラムのモデル”と呼ばれるようになると、これに対して、AKPや宗教主義者、信仰に篤い人々ばかりでなく、ライシテ主義者とされる人たちの間からも抗議の声があがった。

“穏健なイスラムのモデル”は、イスラム側から“イスラムの信仰で譲歩すること”、ライシテ側からは、“ライシテ主義で譲歩すること”であると捉えられた。双方が同調して“穏健なイスラムのモデル”を拒否したが、それは異なる要因によるものだった。双方が異なる要因からライシテの世界観を理解せずに捻じ曲げてしまったように・・・。しかしながら、双方が好まなかったとしても、AKPの統治スタイルは、いくつかの外見上の要素に拘わらず、穏健なイスラムのモデルである。

ここで“穏健なイスラムのモデル”とは何であるか分析してみよう。これはイスラムと近代性の無理な共存に与えられた名称である。これは無理な状態であるが為に、外国の観察者たち以外は、誰もこの名称を有り難がっていない。この不満の背景には、イスラムの世界観と近代的な西欧文明の基本的な価値観の間に見られる相克に対して、未だ解答が出ていない現状が横たわっている。

19世紀の末期から今日に至るまで、イスラムのウレマー(法学者)がこの相克に解決を見出せなかったように、近代性を支持する者たちも、イスラムの信仰を社会的な生活から切り離してモスクへ閉じ込めてしまうほどの優位性を示すことができなかった。

西欧における近代性の勝利は、教会のファトワ(勧告・見解・裁断)に拠らず、厳しい闘いの末に勝ち取られた。教会は、敗北という選択余地のない状況で理論的な修正を行ない、個人と社会生活のエリアから退いたのである。

イスラムの世界では、イスラムにおける神を中心とした神聖な価値観と、近代性における人間を中心にした世俗的な価値観の間に、あからさまな闘争は見られなかった。ライシテによる生き方のモデルは、トルコにおいて、新しい法律が作られ施行されたかのように単純な革新として認識された。人口の僅かな層が読み書きを知り、知識人は極めて稀な存在だった当時の状況で、本来はとてもドラマティックであるはずの革新がすんなり成り立ってしまった。しかし、教育が社会の様々な階層へ広がるにつれ、これを受け入れる者と受け入れない者たちの双方で問題が表面化したのである。

*理論と実践

ライシテの哲学は、理論的な原則と実践的な効果が一つの教育モデルとして新しい世代に受け継がれなかった為、既存のイスラムによる生き方のモデルに対し、正しい意味で競合相手とはならなかった。その為、ムスリムの国家が近代化の名において踏み出した全ての歩みに対し、イスラムによってもたらされる抵抗が見られたのである。イスラムが、ムスリムの世界において、如何なる変化にも抵抗し、甦り、あらゆる障害を乗り越え、力強い潮流となって21世紀を迎えたのは、驚くべき出来事だろう。

アーネスト・ゲルナーは、この出来事をイスラム特有の“自己”が怯むことなく時代の中で生き続けていると言い表した。イスラムのこの特性に勇気付けられたイスラム主義の思想家たちは、世俗化(見方によればライシテ)せずに近代化を達成できると主張している。アフメット・ダヴトオウル教授はその一人である。このように考えるムスリム知識人は、社会的な価値観を変えることなく、西欧に存在している科学やテクノロジーの機構に類似したものをイスラム諸国に築くことが近代化であると看做している。この主張によれば、イラン・イスラム共和国は、近年、工業と武器産業における躍進で近代化に成功した国であり、伝統的なイスラムと近代化は共存できるということになる。

こういった近代化の定義が見逃している最も重要な点は、近代化の理論となる近代性が、本来、社会的な価値観と概念における歴史的な変革だったという事実である。科学とテクノロジーの発展は、この社会的な価値観における変革の延長に過ぎない。価値観の変革において筆頭に上げられるのは、宗教的な影響からの解放である。この原則を含まない近代化はオリジナルと異なる為、そもそも真の近代化とは言えない。

現在、AKPが、基盤に近代性が横たわっているEU加盟の条件を認め、その為に一連の改革を法制化している背景にはどんな意図があるのだろうか? トルコで共和国が樹立して以来、ケマリストの改革を擁護するという名目のもとに抑圧されてきた信仰と思想の自由といったものを手に入れる為だろうか? さもなければ、ヨーロッパへ統合されることによる経済的な利益を目指しているのだろうか? しかし、我々のサイドにおける目的が何であろうとも、条件を提示するのは向こうサイドであり、この条件の一部は社会的な価値観と概念の変革から成り立っている。

改革を必要とするこの条件は、イスラムの生活スタイルと矛盾している。実際、2005年、姦通に関して制定された法律では、EU各国がトルコ議会に圧力をかけ、イスラム法に適合した法律が制定されることを妨げようとした。

一方、スカーフの問題で自由を要求して欧州人権委員会に訴えた女子学生らは、結局、失望を余儀なくされている。自由を要求できる法的な機関であると思われていた委員会の回答は、これを否定するものだった。委員会の判事らによって、ある個人が神の命令に従って服装を決めることは個人的な自由と看做されなかったのである。

スカーフを被る理由が、宗教的な課題ではなく、個人的な選択、趣味や楽しみであったならば、その自由は与えられただろうと思う。前にも明らかにしたように、今日のヨーロッパで支配的な世界観は、意識上の宗教的な権威を否定している。これは、ポストモダンの主張があるにせよ、西欧で近代性による思考方式が存続している証左である。もう一つの証左を上げるならば、執筆が進められているEU憲法の草稿において、神の名称は、カソリック教会のあらゆる努力にも拘わらず記されていない。

EUに支配的な考え方は、このように明白であるが、イスラム的なアイデンティティーを身につけたAKP指導層が、“近代的な文明(Muasir medeniyet)”へ到達する為に、EUを目指して前進するのは、容易に理解できる状況ではない。“近代的な文明(Muasir medeniyet)”は、アタテュルクが使った表現である。これは、かつての、そして今日のヨーロッパ文明に他ならない。アタテュルクには、この理想に矛盾するところがなかった。何故なら、この理想に反するアイデンティティーを持っていなかったからだ。

*AKPの躊躇い

AKP政権の為に使われ、トルコのライシテの性格に影を落とす“穏健なイスラム”という表現は、上記で明らかにした理由を見るならば、正しい定義と言える。この政権に対し、国内のライシテ主義者の一部から「ライシテへ上辺だけではなく、心から従わなければならない」といった告発を含む声があがり、AKPが秘密裏にイスラム化を目指しているのではないかという説も取り沙汰されているが、これは、西欧と中東の間を行ったり来たりして躊躇っているAKPの不安な心理状態を明らかにするものだ。

AKPの指導層が、イランや他のイスラム諸国で見られるシャリーアに基づく頑ななイスラムのモデルを受け入れているとは思わない。80年に亘って営まれ、部分的には世俗的であった文化の中で、彼らも育ったのである。イスラム世界における原理主義的な潮流の数々は、一つとして、こういったアドバンテージを有していない。しかし、彼らの頭の中にも、現代的な価値観とイスラム的な価値観の狭間で、道標となるようなプログラムは用意されていないだろう。そういった道標は、他のイスラム運動の機構にも存在していない。何故なら、申し上げたように、西欧文明とイスラムの間に見られる相克には、未だ解答が出ていないからだ。だから、彼らに国民から隠している意図がある、と私は考えていない。傾向は問題となるだろう。それが、いつ何処で、どの方向に現れてくるのか、彼ら自身も解らないはずだ。過去、5年間の政権運営では、その傾向が条件の匙加減に委ねられているのを見てきた。

****

参照:
【181】スカーフ、イスラム、ライシテ【ラディカル紙】【2008.01.24】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00181.html

原文
http://www.radikal.com.tr:80/haber.php?haberno=241994
▲トップページ
▲前の記事
▲次の記事
▲トルコの新聞記事INDEX