【201】エルズルムを愛さない者は山に登れ【ミリエト紙】【2008.10.22】

10月19日付けのミリエト紙日曜版より、カドゥリ・ギュルセル氏のコラム。ギュルセル氏は、ラマダン月に訪れた東部地方のエルズルム市の状況を伝えています。

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去るラマダン月に、政治的なツーリストとして、エルズルム市で数日過ごして来た。もちろん、ラマダン月は、トルコの田舎で旅人となるには最悪の月だが、私は特にこの月を選んだのである。目的は、濃厚に保守的な地方都市において、旅人たちの状況が如何に悪化したのか検証する為だった。AKP(公正発展党)政権が積極的に整然と推奨している過剰な保守化により、ラマダン月における地方への旅は地獄のようになっていると聞いていたのである。

エルズルムから戻り、シェケル・バイラム−砂糖祭(これで私の傾向を明らかにすることができただろう)も終った。この期間に食べた“ジャー・ケバブ”や“カダイフ・ドルマス”により、エルズルムの人々が異なる者たちへの忍耐力を高めただろうと仮定しながら、ラマダン月、あるいは他の季節にこの都市を訪れる旅人たちへ私のメッセージを伝えたい。

「エルズルムを愛さない者は山に登れ」というメッセージである。

何故なら、良く言われる“町内の圧力”(訳注:保守的な地域では周囲の人々から伝統や宗教儀礼を遵守するよう圧力を受けること)という現象が、エルズルムでは“都市の圧力”と言うべきレベルに達しているからだ。こうなると、都市の中で“よりリベラルな”街区へ行って思いを叶えることさえ不可能である。出来ることは一つしかない。都市を離れ、エルズルムの人々から別れることだ。エルズルムの人々もこれを歓迎するのではないかと思う。

この都市の街々を数日に亘って徘徊した結果得られた印象はこういったものだ。もちろん、これは間違いであるかもしれない。しかし、私は政治的なツーリストとして、その印象を書き記すことにする。

エルズルム市は標高1900mに位置している。ここを離れ戻らないつもりならば、海岸の港湾都市へ向かって下ることも可能だろう。しかし、エルズルムから遠ざかることなく、人生の喜びと幸せの為に一息つきたいのであれば、もっと上に登るのである。そう、パランドケン山へ!

私が拵えた「エルズルムを愛さない者は山に登れ」というスローガンの“山”は、つまりこのパランドケン山に他ならない。

パランドケン山は、エルズルムの人々にとって一種の“ソドム”と言える。市街地から5〜6km離れたこのリゾート地なら、ほろ酔い気分や恋にも浸れる。ラマダンの断食中に食事することも可能だ。パランドケンは“罪の山”であり、もちろん冬季スポーツの中心地である。この特色は、山へ向かう道の岐路に立つ“スキーを楽しむ若者”の像を見れば解るだろう。

リベラルな山から平地に下り、エルズルムについて、「ラマダン月における飲食の自由と民衆のこれを許す度量」という観点から評価するならば、エルズルムは「非寛容な強圧的都市」と言える。この発言に良心は全く傷まない。これから、その理由を御説明しよう。

エルズルムに着いて先ず訪ねたのはアタテュルク大学だった。私を執務室に迎え入れてくれたここの主は、「申し訳ないが、貴方にお茶も振る舞えません。というのも、ラマダン月にこの大学ではお茶を飲むことさえ叶わないのです」と言ったものだ。

大学の食堂とカフェテリアの経営者はこの地方の人である。自分たちも信仰上、それが正しいと思っている為か、あるいは『周囲の人たちは何と言うだろうか?』と気が引ける為なのか(都市の圧力)、ラマダンの間は休業している。職員を含めて4万人もいる大きな大学で、ラマダンに腹ごしらえ出来る唯一の場所は、大学病院のカフェテリアだけだ。もちろん、これに対しては宗教的な釈明がある。病人には断食が義務付けられていない為、カフェテリアは営業しており、少なくともトーストとお茶が用意されている。

人口60万に及ぶ市の中心部で、ラマダン中、恐れることなしに飲食が可能な場所は、バスターミナルのビュッフェだろう。これに対しても宗教的な釈明がある。旅人には断食が義務付けられていない。

日没前に市の全域を歩いてみた。一軒たりとも、営業しているビュッフェ、レストラン、カフェを見つけることは出来なかった。全ての店頭に“イフタル(日没後の夕食)にオープンします”“イフタルとサフル(夜明け前の食事)にオープンします”と書かれた看板が出ていた。

ララパシャ・モスクの周囲にあるティーガーデンの席には、人々がボンヤリ座っていた。彼らの前には、お茶もコーヒーもコーラも用意されていないし、煙草も吸っていないから、余計にボンヤリしているように見える。

私は2日間に亘り、市の全域で“不信心な罪人”を探したが見つけられなかった。裏通りや窓際でも、煙草を吸ったり何か噛んでいる者は目に付かなかったのである。

「全てのエルズルム市民が目に付く場所で断食を守っているのは、心から望んでのことである」などと言って私を説得しようとするのは止めてもらいたい。そんなことは社会学的にも不可能である。如何なる社会であっても100%こうなるとか、ああなるといったことは有り得ない。必ず違いが生じる。これをどのように受け入れているかによって、文明のスカラーがどの程度であるか解るだろう。そして、もちろん、本当の民主主義において欠くことのできない複数性は、異なる者への忍耐を含んでいる。エルズルムに複数性はない、あるのは多数派の圧力である。この点でも、民主主義の文化から遠く離れた都市と言える。「愛せ、さもなければ去れ」というスローガンを、土産物店で見ることが出来るのはこの為である。

それでも私は、一度、罪を犯してみようと決意した。市の中心街で、停まっている車の中で水を瓶からラッパ飲みしたのである。隣の車にいた30代ぐらいの男3人連れが嫌な目付きで私を見て、その内の一人が「殴られるぞ」と言ったのが聴こえた。

その後、腹が減ってきた。メフメット・ヤシンが“美味の停車場”という本で絶賛していたジャー・ケバブの有名店である“メシュル・トルトゥム・コチ・ジャー・ケバブ・サロン”に電話してみた。まだ日没には1時間半もある。ところが、驚いたことに「開いてますよ。どうぞ来て下さい」という声が返ってきたのである。

行ってみると、私以外に来客はいなかった。私は、逆L字型の店内の一番奥に案内された。外からは見えない隅の席に座らされたのである。嫌な顔してサービスに努めるガルソンがもって来たジャー・ケバブを4串食べた。付け合せは辛味サラダとヨーグルトである。

日没5〜10分前になり、断食明けの食事を摂る人たちで店内が一杯になった頃、18YTLの料金を支払い、ジャー・ケバブの発案者である主人のケメル・コチ氏へ、ケバブの美味しさとラマダンにも拘わらず店を営業している勇気に感謝しようと思った。

しかし、電話での応対を私は勘違いしていたのである。ケメル・コチ氏が店を営業していると思ったのは何という単純さだったことか! ジャーナリストとであることを明かしながら、「貴方の勇気を祝します」と言おうとしたら、ケメルさんは直ぐに訂正した。店を営業していたわけではなく、ラマダン期間中は、ジャー・ケバブを日没の食事までに用意する為、午後4時頃に店を開け、ケバブが用意出来た後は、旅人たちが後ろの見え難い隅で食べたりするそうである。

これも一つのどっちつかずの解決策だ。外から見れば店は営業しているように見えないものの、旅人たち(この都市では罪人に与えられた名である)は隠れて食べることが出来る。

ジャー・ケバブについて、これに関心のある人たちへ説明して置こう。ブルサのイスケンデル氏が19世紀に、ケバブを立たせて回すように発案して生まれたドネル・ケバブを再び寝かせたのがこれである。イスケンデルのドネルと違って挽肉は使わず、全て切り身の肉を使っている。

1980年以前を思い出せる人なら知っているだろう。エルズルムは民族主義活動の盛んな都市の一つであった。民族主義の伝統はエルズルムで未だ活きているが、それはAKP化し、もっとイスラム化されたものである。注意して見るならば、街々やバザールを歩きながら、たやすくこれに気がつくだろう。男たちの下がった口髭、そして頭を突き合わせる挨拶の仕方、スカーフを被った娘さんが着けている“吼える狼”をあしらったキーホルダーにそれが現れている。

この都市に複数性が根付かない原因には、様々なものが考えられるだろう。しかし、私の印象としては、民族主義の伝統とイスラム主義的な保守性が混淆して生まれた強圧的な文化が最も大きな役割を果たしているように思える。

そうでなかったら、他のどの都市で、空港の土産物店に置かれたオルトゥ石の皿に刻まれている「愛せ、さもなければ去れ」というスローガンによって来客を見送ることが当たり前に思えるだろうか?

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原文
http://www.milliyet.com.tr/Pazar/HaberDetay.aspx?aType=HaberDetay&Kategori=pazar&KategoriID=26&ArticleID=1004899&Date=19.10.2008&b=Erzurumu%20sevmeyen%20daga%20ciksin&ver=68


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