【200】姦通が溢れている【ラディカル紙】【2008.10.03】

10月2日付けのラディカル紙より、テュルケル・アルカン氏のコラム。イスラムと女性の問題などが論じられています。

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「宗教の社会における位置」については長年に亘って議論が尽きない。この議論は大概の場合、お互いに関係のある二つのテーマの上で展開されている。一方はイスラムと近代化、もう一方は女性の社会における位置である。

かつて、こういった議論は、いつもの決まり文句が繰り返されて収拾を見た。「イスラム教は近代化に反するものではない。女性に自由と平等を認める。イスラム教が近代化と女性の権利に反していると主張する者は宗教の敵である」。

しかし、最近は何かが変わって来たのか、ある種の態度の変化に直面しているようで気になるところだ。去る月曜日、ネシェ・デュゼル氏が、アブドゥルラフマン・アルスラン氏(敬虔な知識人の一人である)にインタビューした記事は、この点から言って非常に興味深い。

アルスラン氏によれば、現代の日常を生きながら、尚且つ敬虔になることは不可能である。宗教は真実の源を神に求めるが、近代化はそれを知性と科学に求めるものだから、双方が折り合うことはない。イスラムは女性と男性の平等を認めない。EU加盟への改革は、女性が個人として職業に就くことを推奨するが、敬虔なムスリムたちはこれを認めない。

敬虔な人たちは、女性の立場が変わることを望んでいる。連載で新しい男女関係が謳われている。こうして、女性の社会における役割を変えさせながら、伝統的な構造へ急速に戻ろうというのである。女性が家族以外の人間と友人付き合いすることは許されない!

「それはアブドゥルラフマン・アルスラン氏の個人的な見解だから重要ではない」と言われるかもしれない。

それでは、科学を背景に従えながら語ろうとするハイレッティン・カラマン教授についてはどうだろうか? イェニ・シャファック紙(訳注:与党AKP寄りの新聞です)にコラムを持つカラマン氏によれば、ドアン・グループの新聞(訳注:このラディカル紙をはじめとし、ミリエト紙等々)をボイコットするのは義務であり、政教分離を信じる者はムスリムではなく、ムスリムたちは強制されている為に民主主義を我慢しているのである。離婚の決定権は夫にあり、人殺しを(被害者の)相続人が許すことができる。利子で成り立つ銀行から給与を得ることは禁忌である。

このカラマン教授の提言の全てが政教分離体制の法に反している。

カラマン教授によれば、この世には色んな種類の姦通があるという。目の姦通、好色な視線を向けること。手の姦通、好色な気持ちを懐いて触ること。足の姦通、悪しき意図を持って女性に向かって歩むこと。舌の姦通、関係について話すこと。口の姦通、キス・・・。

この全てを読んだら、「えーい、もうたくさんだ」と思わざるを得ない。右を見ても姦通、左を見ても姦通、目と目が合えば姦通、テレビを観たら姦通、買い物へ行くもの姦通・・・。

これでは、姦通なしに生きることが可能とも思えない。しかも、国の教授がそう言うのだから事は重大である。

このように定義された姦通から救われる最も確かな方法(私が見た限り)は、女性を見えなくすることだ。家に閉じ込め、ブルカで覆ってしまえば良い。

ここで、アルスラン氏の言葉が気になった。「EUは、女性が個人として職業に就くよう尽力している」と言う。聖ムハンマドの最初の妻ハティージャは商売を営んでいたのではなかったのか? 私の思い違いだろうか?

時代の精神に逆らう、こういった頑なな解釈は、宗教の機構と社会生活にプラスになるのかマイナスになるのか、どういった結果を招くのか、良く考えてみなければならない。

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原文
http://www.radikal.com.tr/Default.aspx?aType=YazarYazisi&ArticleID=901320&Yazar=%20&Date=03.10.2008&PAGE=

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