【191】認識の問題【ラディカル紙】【2008.08.01】

8月1日付けのラディカル紙より、テュルケル・アルカン氏のコラム。アルカン氏は、AKP(公正発展党)の解党が求められた裁判で、憲法裁判所が解党を否定する判決を下した意味について論じています。

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たかが一票と言ってはいけない。時として一票は重要である。かつてフランスは「王政か共和制か?」という問いに、一票差で「共和制」という回答を出している。

我国でも、憲法裁判所は一票差で「AKP(公正発展党)は解党されない」と言った。この決定により、我国が如何なる衝撃、争論、法と解釈の曲芸から救われたのか解らない。

私たちを取巻く次の点から見れば「最も妥当な判決」であると思う。「“政教分離が危機にさらされている”という疑念を抱く人々は無駄に心配しているだけで全ては巧く行っている」とも言わなかったし、「本当にシャリーアの危険が国を一掃しようとしている」などとも言わなかった。

崇高なる裁判所は、司法を不当に非難し、判決を左右しようとした者たちに惑わされることなく、最も正しい判決を下した。

AKPのように大きい社会的な支持を得た政党を閉鎖して、解決が困難な政治状況を作り出すことも無ければ、AKPが始めた宗教に依拠した政治を看過することも無かった。

もちろん、この判決を誰もが自分の感覚で解釈するだろう。但し、いくつかの点は解釈の必要がないほど明確に見える。

AKPは雪のように潔白ではない。この政党に反政教分離の焦点になろうとする傾向が見られることは既に明らかである。ところが、― 多分、未だ暴力に訴える傾向が見られない為 ― 解党の罰則は与えられなかった。それでも、1対10の票決で、検察の主張は正しいとされ、金銭と警告による罰が与えられたのである。

この状況を、「全て巧く行っている」「AKPは何一つ変えることなく以前のように歩み続ければ良い」と解釈するのは正に迂闊さと短絡さの見本だろう。全く逆に、憲法裁判所の判決は、AKPに対する重大な警告であり、「バランスに注意しなさい。このままでは済まされない」という意味である。

憲法裁判所の解党を否定した判決に喝采して支持を表明した人々の全てが、正真正銘、あるいは潜在的なAKP支持者で、エルドアンの信奉者であると思い込む迂闊さに陥ってはならない。

多くの人たち(この中には私も含まれる)が解党の判決が下されることに反対した。それは、民主主義の解釈の方法が原因であったり、解党の判決がもたらすと予想された社会的・経済的な混乱を嫌ったりした為である。AKPの指導者は、憲法裁判所の判決に喝采する人たちを見て、自分たちの得点としなければ良いだろう。

憲法裁判所の判決は、AKPのこれまでの歩みに深刻な問題があり、変更しなければ今後も問題になるという意味である。

再び似たような問題を起こさない為には、AKPの指導者がこのメッセージを正しく認識して、路線の変更を行なわなければならない。

AKPにそういった兆候は見られるだろうか? 今のところ見られない。それどころか、“我々の正しさが明らかにされた”という雰囲気さえある。首相は、「今まで歩んで来た道を歩み続ける」と語っている。私たちは重大な認識の問題に直面しているのではないかと思う。

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原文
http://www.radikal.com.tr/Default.aspx?aType=YazarYazisi&ArticleID=891214&Yazar=TURKER%20ALKAN&Date=01.08.2008&CategoryID=97


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