【185】CHPと左派【ミリエト紙】【2008.07.22】

7月22日付けのミリエト紙より、タハ・アクヨル氏のコラム。アクヨル氏は、CHP(共和人民党)が立ち直らなければトルコの民主主義は健全なものになり得ないと論じています。

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CHP(共和人民党)は、もともと教育のある富裕層の政党だ。タルハン・エルデムによる2007年の調査によれば、大卒者の42%がCHPに、24%がAKP(公正発展党)に投票している。これが、小学校卒になると、CHPは14%に落ち、AKPは55%に跳ね上がる。

さらに、タルハン・エルデムの調査で明らかになったところによれば、最も富裕な“第5のグループ”から、CHPは50%、AKPは23%の票を獲得している。最も貧しい“第1のグループ”では、AKPの票が55%に伸び、CHPは8%に止まっている。これはどういうことだろうか?

CHPは教養を身につけた人々の政党であり、AKPには“あの世で天国に行ける約束”や“1トンの石炭”の為に票を売った無知蒙昧な貧困層が投票している。1950年以来の反革命とか何とか・・・。ケマリストたちに多く見られる解釈がこれだ。そして、CHPの行く手を阻んでいるのも、この解釈なのである。

ここで皆さんに、選挙民の傾向に関して1975年に行なわれた学術的な調査から一部をお伝えしたいと思う。

・1965年と1969年の選挙で、DP(民主党)の後継者であるAP(公正党)は、貧困層、スラム街、農村から票を得た。例えば、イスタンブールのスラム街でAPの票は54%だった。

・CHPは、同じ選挙で主に上流階級から票を得ていた。イスタンブールのスラム街でCHPの票は22%に過ぎなかったが、富裕層では50%を上回っていたのである。CHPは、主として知識人や役人たちの政党だった。

この学術的な調査が示した1960年代における社会の様相は、この2000年代でも同じだ。DPやAPのポジションに、AKPがいるだけである。

それでは、CHPの“社会学的な運命”は、長きに亘って野党に留まるエリートたちの政党ということだろうか?

お伝えした学術的な調査は“トルコにおける社会変革と政治参加”と言い、若き学者エルグン・オズブドゥンの著作であり、1975年にアンカラ大学法学部から出版された。選挙民の傾向が、“あの世の約束”とか“1トンの石炭”では明らかにできない、社会的なファクターに基づくプロセスであることを説き明かす最良の書に数えられる。

オズブドゥンの著作には、もう一つの様相が示されている。1973年の選挙におけるCHPの躍進である。例えば、CHPの20%に過ぎなかったスラム街の票は、1973年の選挙で48%に達した。APは最も大きな敗北をスラム街で喫している。

どうしてこうなったのか? 1930年代に戻ったわけではない。CHPにこの躍進をもたらしたのは、“中道左派”の戦略である。

CHPは、国家の政党ではないことを宣言して、自分たちをエリートの政党にしてしまった狭いイデオロギーの枠組みを乗り越え、3・12の軍事介入に反対した。エジェビットの“アタテュルクと革命”という著作が出版され、CHPは民衆の価値観や生活様式と争うことなく、民衆の様々な問題に関心を寄せる方向へ転換したのである。

そして、民衆は1977年の選挙でCHPに42%の票をもたらすことになる。

世界の何処でも、民衆は自分たちと感情的なコミュニケーションを交わせる、日常的な問題に取り組む政党に票を投じる。私たちの民衆も全ての選挙でそのように投票してきた。CHPの問題は、こういった学術的な事実を理解しようとせずに、“愚かな民衆、宗教の悪用”などというイデオロギー的な迷信で自分たちを欺いていることだ。

CHPのこの状態は、民主主義の左足に障害を及ぼし、“管理する民主主義”で弱みをもたらしている。CHPが自らを刷新して、本当の社会民主主義政党にならなければ、彼らもトルコの民主主義も健全なものにはなり得ない。

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原文
http://www.milliyet.com.tr/Default.aspx?aType=YazarDetay&ArticleID=969630&AuthorID=62&Date=22.07.2008


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