【183】AKPはナクシュバンディ派のプロジェクトである【ラディカル紙】【2008.03.26】

3月23日付けのラディカル紙日曜版より、メフメット・アリ・ギョカチト氏のコラム。

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先日、「Cumhuriyetimize Dair(我々の共和国に関して)」と題して出版された本の中で、詩人のヒルミ・ヤヴズが提起した“AKPはナクシュバンディ派のプロジェクトであり、この点からして過去のあらゆる右派政党とは異なっている”という説は、注目に値するものだ。

ジャーナリストのイスマイル・キュチュックカヤが、イルベル・オクタイル、デニズ・ユルケ・アルボアン、そしてヒルミ・ヤヴズと行なった長いインタビューから構成されている本書のヒルミ・ヤヴズに関する部分は、トルコ近代化の歴史、これまでの道のりと直面している課題、そしてこれをどう乗り越えて行くかに焦点が絞られている。

このインタビューにおいて注目すべきことの一つが、AKPはナクシュバンディ派のプロジェクトであるという説だ。トゥルグト・オザルのANAP(祖国党)と比較しながら、この点においてAKPが過去のあらゆる右派政党とは異なる成り立ちと世界観を有していると論じている。トゥルグト・オザルも一時期ナクシュバンディ派の教えを受けていたが、彼は政権についてからより調和のとれた対応を見せて、政府の重要なポストへ自身の世界観に近い人物だけを置こうとせず、いくつかの微妙な不文律を守ろうと努めていたことを明らかにした上で、ターイプ・エルドアンがリスクを背負うことによって、それとはかなり異なるスタッフの構成を目指して政府の重要なポジションに自分と世界観を共にする人物を登用していると論じ、はっきりとは言わないまでも、これは前例のないことであるが為に、一群の問題を引き起こすことになるだろうと注意を促しているのである。

この問題を解り易くさせる為に、まずはトルコにおける最近の政治的な背景から始めなければならないだろう。トルコの国家体制の中枢における明確な位置により、議論の余地がない力を有しているケマリズムが、1997年以来直面している分裂は、この問題における重要な出来事となった。まず、EUに反対する官僚サイドが民族主義的な傾向を強めながら、ケマリズムにおけるEU支持のリベラル派から離脱した。軍事官僚の主導するこのグループが、西欧を手本とすべきモデルではなく、戦わなければならない敵と看做すようになったことは、イスラムサイドがその突破口としてEU支持路線に近づくきっかけとなる。

西欧の価値観を身につけた者たちが反西欧となり、かつては西欧を危険なものと見ていた者たちが西欧により近いスタンスを取るようになったが、もちろんこれは数年の内に成り立ったわけではない。

今、振り返ってみるならば、近代トルコの歴史がケマリスト国家とムスリム社会の相克の歴史として描かれようとしていた。お互いにいつも対立している二つの流れが変動する要因によって異なるポジションに着いたとしても、それは驚くべきことではない。

民衆が、命令を発して自分たちのことを上から見下ろしながら指導する国家ではなく、社会に奉仕して自分たちと共に存在する国家を望んだことが、もともとこの争いの根幹を成していた。一見すると、宗教とイデオロギーの間の争いであるように見えたとしても、その本質は、国家と社会の関係が近代的な国家の基準によって結ばれ、活かされる過程での争いだった。

こうしたなかで、トルコにおいて多数派を造り上げ、社会構造の中の新しいポジションに着こうとしているのがナクシュバンディ派である。何故なら、ナクシュバンディ派は、他の教団と異なり、その本性と構造によって単に人々の来世ばかりでなく、現世の状態にも関わっているからだ。つまり、ナクシュバンディ派は各教団の中で最も政治的で最もアクティブであるが為に、このテーマにおいて主導的な役割を果たす動きに転じたのである。そして、トルコにおける近代的なイスラム政治運動のモデルとなった。

社会的な基盤が成立した12世紀以来、商人や役人、知識人によって構成されたこの教団は、意外に農村部ではなく都市部において、いつもその存在を維持している。新たに出現した事物を、シャリーアとスンナによって監査した上で、イスラムの枠の中へ取り込み、政治的な動きの焦点であり続けた。例えば、愛国心や民族主義といった近代的な概念が取り込まれる際に重要な役割を果たしている。

こうして、ケマリストサイドがイデオロギーと政治的な理由から距離を置いていた層に影響力を及ぼし、その層へイスラムの本質を失うことなく体制に適応して行く方法を示して見せたのである。

この状況は、60年代以降、イスケンデルパシャ教団として知られるメフメット・ザヒト・コトゥク主導のナクシュバンディ派の活動において、より具体的な姿を見せ始める。当時の状況から、ケマリストのイデオロギーに対抗して力をつける為には、産業化を図って発展しなければならないことを理解して、新しいプロセスへ踏み出したのだ。このプロセスは、イスラムの伝統が時代の要請にどう応えるのかという点から実践されて行く。言うなれば、その当時までの“質素倹約”を旨とする思想にマツダの自動車が入り込んで来たのである。ムスリムの層は、自分たちの運命を支配する為に、時代の条件に応じて、テクノロジーを始めとする近代的な全ての利器を支配しなければならないことをあからさまに理想化した。

国家を中心とする構造から社会を中心とする構造へ移行する過程をスタートさせたこの展開は、同時にイスラムのアイデンティティーを世俗化させながら新たに造りあげる上で、重要な役割を果たすことになる。

トゥルグト・オザルのような初期の主導者によって、もっと個人が自立して能動的となれる可能性を見出し、90年代、そして2000年代になって出現した新しい階級の手で、より組織化され、国の議題において発言権を得ることになる。経済と社会的な意味で、その理想と共に発展したこの新しい階級は、政治的にも国の議題において積極的な役割が演じられるよう努めなければならなかった。その具体的な例は、2・28の軍事介入が引き金となって姿を現したAKP自身である。

国家中心の強固なイデオロギーを基盤とした企てにより、その危機的な状況の解決を模索する政教分離主義者の層に対して、社会を中心に民間のダイナミズムと共に展開している政治運動が、常に新たな突破口を見つけ出し、政治的なシステムの中で代表権を手にしてしまうことを認めないわけには行かないだろう。

正しくAKPは、そのルーツを数百年も遡ることができる教団が、60年代に果たした重要な転換と発展の結果として、今、我々の前に立ちはだかっている。彼らが代表している世界観を、一連の非政治的な企てによって圧倒して無力化できると考えている人々は、一度この観点から目を向けてみると良い。自分たちを日々の条件に合わせることができる政治・社会運動は、水のように流れる込むところを見つけてしまうのである。

明らかなことだが、社会の現実と民主主義に相応しくない企ては何の解決ももたらさない。それどころか新たな問題を招来してしまうだろう。

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原文
http://www.radikal.com.tr/ek_haber.php?ek=r2&haberno=8148

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