【182】ジュネイト・ザプスの意外な辞任【ラディカル紙】【2008.03.14】

3月9日付けのラディカル紙より、ムラット・イェトゥキン氏のコラム。首相のアドバイザーを辞任したジュネイト・ザプス氏とエルドアン首相のこれまでの関係を論じています。

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政界やメディアに広がっている紋切り型の見方によれば、ジュネイト・ザプスは“政権に癒着して利益を得た事業家”とされて来た。確かに、ザプスの国際的なヘーゼルナッツ取引における立場、そして、トルコのヘーゼルナッツ相場が結果的に政府の決定により明らかにされているといった要因は、この誤った見方を支持していた。

しかしながら、これは全く逆だったのである。ザプスは、ターイプ・エルドアン首相との関係によって富と地位を得て名を上げた事業家ではなかった。それどころか、ターイプ・エルドアンが政党を立ち上げ、首相となる過程において、内外の資本や勢力に認知される上で、ザプスは重要な役割を担った。

AKP(公正発展党)のバルガットにあった旧本部ビルで、エルドアンの執務室が置かれていた区域には、他に二つの部屋しかなかったことが知られている。その内の一つは当然のことながら秘書官長の部屋である。そして、党幹部らが秘書官の席の前を通らなければ入れなかったこの区域のもう一つの部屋はアドバイザーであるザプスのものだった。

多くの政党のリーダーやアドバイザーが羨んだ“エルドアン−ザプス”の関係は、思われているほど古いものではない。

ザプスの父方の祖は、トルコにおける初めての組織的なクルド政治運動と見なされているクルド人学生希望協会の1921年の創設者に名を連ね、サイド・ヌルスィの盟友だったアブドゥルラヒム・ザプスであり、母方の祖は、1893年戦争の後に現ブルガリアのルセからイスタンブールに渡って来たバルカン・トルコ人のウゼル家である。

長兄アズィズと設立したアズィズレル・ホールディングは、ユルケル・チョコレートにヘーゼルナッツを供給するアイデアにより、1985年から始めたビジネスで、数年の内に、サカルヤとヘンデクに世界で最も大きいヘーゼルナッツ加工所を築くに至った。

その頃、ザプス家は、コルクト・オザルとエイメン・トプバシュ(訳注:現イスタンブール市長カディル・トプバシュ氏と縁戚関係はありません)の取り成しで、ANAP(祖国党)に近い位置を占めていた。エルドアンが福祉党から1994年の地方選挙でイスタンブール市長となった時には、今までマスコミに知られてきたような貢献はなかったのである。しかし、トゥルグト・オザルが亡くなった後に、オザル家とトプバシュ家が、イスタンブールで影響力のあった資本とメディアの支持を受けることによって、希望を託していたジェム・ボイネルの新民主主義運動が1995年の総選挙で敗北すると、状況は変わり始めた。

トプバシュ家とザプス家は、1995年にBIMマーケット・チェーンで(最近、国連によるアルカイダ関連疑惑から潔白とされたヤスィン・アル・カドゥのキャラバン・グループと共に)共同経営者となった。

エルドアンには、トルコ実業家協会(TUSIAD)や国際的な企業グループ、資本や勢力といったエリート層に近づき認められなければならないという課題があった。オザル家とトプバシュ家の観測によれば、1997年2月28日の軍事介入以前から先が見えていたネジメッティン・エルバカンと軋轢を起こし始めていたこの若いダイナミックな未来のリーダーは、エリート層との距離を解消する為に、ジュネイト・ザプスの知識と地位を必要としていたのである。

ザプスはその当時からトルコ実業家協会(TUSIAD)のメンバーであり、ダボス世界経済フォーラムの役員、世界ナッツ協議会の会長でもあった。つまり、将来どうなるのか未だはっきりしていなかった若きイスタンブール市長に投資する必要などなかったのである。

実際、ザプスは、エルドアンの為、“水先案内人”の役割を必要以上に果たした。さらに、2003年3月1日にイラク戦争不参加が決定された票決を取巻く過程において、米国指導部との秘密外交で演じた役割は非難の的になっている。また、キプロス・アナン・プランの経過においても隠れた役割を果たして非難されている。そして、それにも拘わらず、エルドアンに対して影響力のある地位を失わなかったのである。

2007年の選挙前にインタビューした時は、政治に関わった為に事業家として損したが、これほどの改革を成し遂げた政党の創設者の一人であることを誇りに思っていると語っていた。また、それほど熱心には見えなかったものの、国会議員となる選択肢をあからさまに保持していた。ところが、これは実現しなかったのである。2007年7月22日の選挙以降、AKPの最高決定機関である中央執行委員会の会議には余り出席しなかった。事業に専心していると伝えられた。

それでも、スカーフ問題においてトルコ実業家協会(TUSIAD)から支持が得られなかったことで気を悪くしたエルドアンが、1月末のダボス会議へ参加しなかったことに対して、ザプスはドイツのシュレーダー元首相をイスタンブールでエルドアンに引き合わせた後、北キプロスへ案内している。この折衝により、ドイツのエネルギー企業RWEは、ナブッコ天然ガス・パイプライン・プロジェクトにおいて、仏ガスも他の仏企業も抑えて6位にくい込んだのである。

2月初めに見られたこの展開の後、ザプスに関わる次のニュースは、3月初めにAKPの中央執行委員から辞任したことであった。

ザプスは、自身が創設者に名を連ねているAKPの執行部から3月3日をもって“事業の為に”辞任したのである。これからも一兵卒として党に尽くして行くと語っているが、今後、党の決定に参画することはない。

ザプスは辞任後の会見で、「重要なことは宗教ではない。階級である。エルドアンには、エジェビットやデルビシュのような気風がない。トルコを動かすエリート層は彼を受け入れなかった」と語っているが、これは多様な読み方が可能であり、重視すべき発言だ。AKPの勢力が絶頂にある中での辞任は、注意深く記録されなければならない出来事である。

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原文
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=249649


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