【178】ファズル・サイはいなくなれば良いのか?【ラディカル紙】【2007.12.17】

12月16日付けのラディカル紙より、ハールク・シャーヒン氏のコラム。有名なピアニストのファズル・サイ氏の発言について、シャーヒン氏がその見解を述べています。

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世界的に有名なピアニスト、ファズル・サイが、AKP(公正発展党)政権によるイスラム化への歩みを懸念してトルコを去ると発言したことは大きな議論を呼んでいる。ファズル・サイは正しいだろうか? 同様の立場に置かれた芸術家は何をすべきなのか?

トルコの現況と近未来を分析してみなければならないこの問題について、私の考えを以下に挙げてみたいと思う。

1)この政権に寄り添うリベラル主義者を始めとする一部の人たちは、ファズル・サイの発言を軽んじるだろうが、私は重要なことだと認識している。近代の歴史は、こういったテーマにおける芸術家たちの予感が重要なものであることを示しているからだ。感覚が鋭敏な為だろう、社会が後になってから感じるような息苦しさや閉塞感を芸術家たちは先んじて捉えてしまう。ファズル・サイは昨日開かれた記者会見でもこれを強調していた。「『芸術家は、その額で光を最初に感知する』という格言は、『芸術家は暗闇の危険性を最初に感知する』という意味にもなる」。

2)トルコの現況に関するファズル・サイの発言は部分的に正しいものだ。トルコは、7月22日の総選挙において、グローバル資本の支援と国民の票により極めて重大な一線を越えてしまった。私はあの時点で第一共和制が終焉を迎えたと思っている。

3)しかし、その後を何が引き継いだのか、あるいは引き継ぐことになるのか、これは未だはっきりしていない。私はこれを“薄明の時”であると見ている。トルコはこれまでに地図が描かれなかった地域へ足を踏み入れたと申し上げているのである。薄明は日没前と捉えることも出来るし、夜明け前と捉えることも出来る。確かなのは、一つの時代が終ってしまったということだ。ファズル・サイの「夢は終った」という発言がこれを意味するものであれば、それは正しいと言えるだろう。

4)新しい時代が何であるのか、レジェップ・ターイプ・エルドアン首相も含めて、誰かが知っていると言うことは出来ない。トルコは、さながら20世紀の初頭に似た特殊な状況に立たされている。とはいえ、トルコがイランのようなシャリーア国家になることはないだろう、その点は過ぎてしまった。また、マレーシアのようなモザイク国家にもならない。その構造、歴史、地理的な条件が異なる。しかし、最近の展開でも明らかなように、残念ながら、自由で豊かな西欧的民主国家にもならないだろう。

5)では、何になるのだろう? 甚だしい消費文化、少しイスラム、少し民主主義、いくらかばかりの伝統、かなりの世間的な圧力、そして、先っぽにハリウッドのようなものが融合しないまま混在するポストモダンなごった煮状態。都市の中に造られたシャリーア地区に居住する頭にきっちりとスカーフを被った女性たちが、女性同士の楽しみの為にストリップ・ボーイを呼んだりする国・・・。または、子供たちが腹をすかせたまま寝ようとしているのに、高級デパートでは数千ドルもするミニ・ビキニの水着が売られている国・・・。出現が予想されるこの国に、何か名前を付ける必要があるならば、私は“ウジュビスタン(訳注:面妖な国?)”を提案したい。

6)ならば、希望を捨ててこの国を去る計画を立てなければならないのか? 私の答えは「ノー」である。日没を夜明けに変えたいと望む人が周りを見渡してみれば、思ったより同志が多いことに気付くだろう。いつも喝采を受けているファズル・サイは、誰よりもこれが良く解る所にいる。

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原文
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=241767


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