【176】フェトフッラー・ギュレンの活動と新たなる冷戦【ラディカル紙】【2007.11.05】

11月1日付けのラディカル紙より、ヌライ・メルト氏のコラム。ロンドンで開かれたフェトフッラー・ギュレン氏の思想と活動に関する国際会議について、メルト氏が批判を試みています。

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先日、ロンドンでフェトフッラー・ギュレンの思想と活動に関する国際会議が開かれた。会議の印象について、ザマン紙(もちろん英字紙のToday's Zamanも含めて)を始めとする保守系紙の執筆者が記したものを読んでみたが、それによると、「ギュレンを語らずしてイスラム世界の研究は成し得ない・・・」そうであり、「ハンチントンが衝突を予想したところで、ギュレンは平和の可能性を見出そうとしている・・・」らしく、「ギュレンと平和の構築におけるその世界的な貢献は如何に重要か・・・」というようなことであるらしい。

平和と世界的な貢献? いったい何の平和で、何の貢献なのか? イスラム圏は、占領に戦争、あるいは恫喝によってなぎ倒されている。また、当の国際会議が開かれた英国では、基本的な人権や自由も、ムスリムが対象となればお預けとなってしまう状態だ。こういった全てのことを語らずして誰と如何なる対話が実現するのだろう? これでは、せいぜい、頭を砂に突っ込んだままの駝鳥の平和、駝鳥の対話といったところである。

英国の新首相ゴードン・ブラウンは、職務につくや否や、6月に行なったスピーチで新たなる冷戦を宣言し、冷戦の時代に使われたイデオロギー闘争かそれに似たメソッドが必要であると語った。フェトフッラー・ギュレンの思想と活動と言われるものは、そういった闘争にとって貴重な媒体の一つであるかもしれない。実際、ロンドンの国際会議で発表された声明には、ギュレンの平和的なメッセージが怒れるムスリムたちを宥めるだろうという見方が盛り込まれている。

ムスリムの居住地域が占領され、未だ占領されていない場合は恫喝される。それでもムスリムたちは怒らない、平和と対話という言葉に眠らされる、そういうことなのだろうか? それに、西欧が脅威と看做しているイスラム系のテロは、怒れるムスリムたちが武器を手にしたことから始まったわけではない。アフガニスタンにおけるソビエトの占領に対し、ラディカルなイスラム思想とジハードが、アメリカを始めとする連合国により支援され、大きく育てられたことによって始まったのである。

それが、ラディカルなイスラムもジハードも必要とされない時代になり、事態をコントロールし切れない状態となってしまった為、もともと問題は、イスラムやムスリムと関係があったかのように見せられ始めた。まるで、問題はイスラムに関連するものであり、穏健で平和的な見方が現れれば、問題が解決されるかのような態度を取ることにいったい何の意味があるのか?

地球規模の衝突が、対話によって解決されることを主張するためには、先んじて、問題の根本はイスラムが良く理解されていないことだと考えなければならない。ところが、問題はそれほど単純ではないのである。しかも、問題の原因はムスリムだけではない。西欧の権益に関わって、彼らと協力し合っているイスラム主義運動を批判しようにも、いったいどの西欧政治がこの方向で動いているのか問い質さなければならないのである。

アメリカの主導による西欧連合は、冷戦の間中、イスラム圏において、ソビエトと左翼勢力に対抗すべくイスラム運動とその周辺を支援していた。

この協力関係は、冷戦の最終舞台、即ちソビエトの崩壊過程で頂点に達した。この時点で、アフガニスタンのソビエト占領に対しては、ラディカルなイスラム、イラン・イスラム革命に対しては、穏健なイスラム活動を支持するという二方向の政策が取られた。そして、フェトフッラー・ギュレンの活動は、穏健なイスラムサイドの一要素として支援されたのだろう。さもなければ、世界中に学校を開いたりして活動することは、一介の民間団体が単独で成し得ることだろうか?

現在、おそらくこの活動は、似たような役割を担おうと欲しているのだろう。こういった活動に従事している人たちの多くが善意によって平和と対話を支持していることに疑いは無い。しかし、大きな構図の中で、いったいどのような役割を果たそうとしているのかが問われなければならない。さもないと、それは新たなる冷戦の先端であり続けるだろう。

平和を望むのであれば、まずはイラクの占領に対して抗議しなければならないのではないか。そして、対話を望むのであれば、イラクのレジスタンスと話すか、彼らの声に耳を傾けるべきだろう。

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原文
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=237523

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