【174】古いトルコと新しいトルコ【ラディカル紙】【2007.07.26】

7月25日付けのラディカル紙、ハールク・シャーヒン氏のコラム“古いトルコと新しいトルコ・読者への伝言”より、“古いトルコと新しいトルコ”の部分だけを訳して見ました。

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7月22日は、トルコ共和国の歴史において“古い時代”が終焉した日として伝えられるかもしれない。この日、民衆が投じた票によって“古いトルコ”に幕が引かれ、“新しいトルコ”の時代が幕を開けたのである。

ここで“古い”“新しい”という言葉に規範的な意味合いは持たせなかったことを明らかにしたい。

人々は自分自身の立場から、どちらが好ましいものであるか評価することになる。“崩壊”あるいは“復活”の原点として位置づけられるだろう。しかし、これは事の本質を変えるものではない。

古いトルコを、共和国の創立と共に始まった“特別なプロジェクト”として明らかにすることも可能だ。このプロジェクトは、非常に困難な地政学的条件のもとで、疲れ切った貧しい民衆から近代的な社会を創造する理想を掲げていた。

19世紀の実証主義から受け継いだポジティブな考え方により、“科学こそ最も正しい指標である”という思想が主としてこのプロジェクトを支えた。

“共和国の価値観”と、特に政教分離主義、そして科学へ寄せられた信頼は、前提条件であり、且つ、それ以外の結果は有り得なかった。しかし、定着には時間がかかる為、体制の創設者および守護者であるエリートらに、いつ終るとも知れない特別な任務が与えられたのである。

民族的な“古いトルコ”のプロジェクトを脇へ押し退けてしまった“新しいトルコ”は、“グローバル・プロジェクト”として計画され形作られる。

古い体制が極めて重んじた“共和国の価値観”の代わりに、世界へ開かれることを始めとして、人権、透明性、民主主義というような新しい価値観がもたらされる。この新しい体制の指標は、19世紀以来、随分と痛めつけられてしまった実証主義的な科学ではなく、グローバル資本である。

新旧トルコの闘いは、2002年にAKPが政権について以来激化した。手綱が離されてしまったことに気付いた旧エリートたちの自己防衛的な反応は、民族主義、保護主義、閉鎖主義、そして外国人への敵意という形で現れた。危機的な2007年の春には、全てのカードを使い切ってしまったが結果は得られなかった。

7月22日に民衆は、CHP(共和人民党)や中央の官僚機構ばかりでなく、古いトルコのイスラム主義を代表するエルバカンも拒否して、新しいグローバル・プロジェクトを支持した。

今のトルコは、7月22日に燃料を充填して発射されたロケットのようだ。いったいどの軌道に乗るのか見極めようではないか。

<後略>

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原文
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=227883



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