【172】AKPはイスラム原理主義に対する唯一の防壁である【ラディカル紙】【2007.07.19】

7月15日付けのラディカル紙よりギョカン・オズギュン氏のコラム。オズギュン氏は、AKPがムスリム社会を資本主義に準じた形へ導いていると論じています。

****

“富裕な社会”とは、良かれ悪かれ良心と分別のある全ての人々が、少なくとも紙上で反駁を試みることのない概念である。御存知のように、この概念の核心は簡単なものだ。つまり、富裕にならなければ、誰も富裕とは何であるかを完全に理解できない。

トゥルグト・オザルが、この国の歴史上、最も重要な政治家の一人であると認識される最大の理由は、おそらく“富裕”という概念を、上からであったにせよ、この国へ初めて紹介した人物であるからだ。

年配の人たちはオザル以前のことを思い出すだろう。外見上、何処にも“階級”が見られない社会で我々は暮らしていた。当時のトルコで、貿易による収入がGNPに占める割合は、多くの共産主義国家、或いは全ての共産主義国家より少なかったと思う。

つまり、共産主義国家よりもさらに閉鎖的な経済を営んでいたということだ。

その時代、“アメリカ市場”から手に入れることができたブルージーンは、今の“フェラーリ”よりもっと貴重で、もっと格好良いものだった。“フェラーリを売る賢者”はいなかったが、ブルージーンを欲しがらない賢者はいたのである。

いずれにせよ、それで済ませていた。言うなれば同じ列の上で軍隊のように頑張っていたのだ。金銭の持つ意味はあったけれど、それほど参考になるものではなかった。金銭より“プレステージ”が重要だったからである。このプレステージとは、端くれであっても支配者エリートの一部になることであり、国家官僚、博士、将校が最高の到達点だった。ご推察の如く“民族主義的ユートピア”の中で皆一緒に暮らしていたのである。

そこへオザルが登場し、有名なアメリカの言い回しで、“If you”そして“got it, fraunt it”と言った。要するに、“有ればそれを隠さず、富を消費しなさい。誇示することを躊躇わないように、財産があることを恥ずかしがらないように”。

“さあ、皆が一つの肉体を共有しているかのような誤魔化しを止めて、自分たちの階級へ移ったらどうだ”と言ったのである。社会には大きな怨嗟と疑念が生じた。オザルは、財産のある者へ“金をトルコで消費するよう、消費できるよう”勧めていた。財産のある者へ富裕を勧めて、ある人たちに言わせれば社会を分裂させてしまった。しかし、実際のところは、もともと存在していた“差”が見えるようになり、真実が明らかにされたに過ぎない。

オザル以降、“白いトルコ人たち(訳注:モダンでハイソなトルコ人を指す)”は、何とか言いながら階級を理解し、官僚・博士・将校は、かつてのプレステージを失った。

そして、少なくともブルジョワの一部は富裕を味わったが、社会の全てが富裕を味わうには程遠い状態だった。しかし、既にトルコで“富裕”は辞書に書かれているだけの言葉ではなく、生活に影響を与える本物の概念となり始めた。

その後、トルコの“保守的なムスリム”たちも財産を持つようになる。保守性を放棄しないまま財産を得ることに成功した彼らが富裕な生活を望み始めたことにより騒動が持ち上がったのである。彼らに対し、元来の富裕層“白いトルコ人”は、「貴方たちは我々と同じような富裕生活を送らなければならない。保守的なムスリムとなったり、財産を得たりすることは出来ても、その財産は我々と同じように消費しなければならない。子供達も我々と同じように教育しなければならない」と言い渡した。つまり、彼らが、“労働者階級のブルジョワ”で満足するように命じたのである。

実際、彼らは手に入れた財産を消費する段階で、“白いトルコ人”によるサービス業界を使わざるを得なかった。そのサービス業界に含まれる多くのものは“公のエリア”に入り、その先はアタテュルクに行き着くものだった。

このようにして隅へ追い詰められた“保守的なムスリム”は階級のない生活を続けるよりなく、“一つの肉体”といった状態へ導かれ、ムスリムというアイデンティティーが階級的なアイデンティティーより優先された。労働者も資本家も同様の無力感の中で同じような生活を送り、子供達への教育も同じように妨げられたならば、彼らが共闘態勢を取るのは当然のことだろう。

現在、この保守的なムスリムのブルジョワもキャピタリストとしての立場で富裕な生活を送りたいと望み、可能ならば階級的な構造も理解できるようになりたいと思っている。AKP(公正発展党)はこの方向で努力している。つまり、言わせてもらうならば、AKPは、ムスリムの人々を資本主義に相応しい形で分断し、誰もが階級を理解できるようにさせて、階級的なアイデンティティーが宗教的なアイデンティティーより優先される健全な資本主義の様相を創りあげるだろう。

ところが、一部の常識が解らない者たちは、なかなかこれを許そうとしない。どういうわけか、彼らを共闘態勢に留めておきたいようである。

この奇妙な国では、「国が分裂されてしまう」と叫ぶ者たちが整然としたやり方で国を分裂させ、国を分裂させると思われている者たちが異なるものを認めながら一つになることを模索している。この構図は、“クルド人”においてもそれほど変わらない。

この為、DTP(クルド系の政党)の中には、イスラム主義・民主主義・クルド民族主義が共存しなければならなくなってしまう。

階級的な社会が力で無階級化させた人々との闘いは非常に傷ましい結果を招来しかねない。

ブルジョワの富裕すら余計な贅沢だと考えている国が、いつの日か、貧しい人々、労働者、年金生活者にも富裕を与えるだろうと考えるならば、それは全くの夢というものである。

****

原文
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=226956


▲トップページ
▲前の記事
▲次の記事
▲トルコの新聞記事INDEX