【169】経済発展を日本から学ぶ【ザマン紙】【2007.06.07】

6月7日付けのザマン紙より、イブラヒム・オズトュルク氏のコラム。経済発展における日本の成功は、西欧から学び取ったものを日本独自の文化に適合させたことにあると論じています。

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過去2回に亘り、このコラムで、経済発展における長期的な展望に基づく三つの包括的な条件について書いた。三つの条件とは、正しい物価、正しいシステム、正しい文化が定着することである。物価とシステムについては既に明らかにしたので、今回は文化について触れたいと思う。

正しいシステムが築かれ、法規を定めたとしても、その背後にそれを機能させる正しい文化的なモチベーションが用意されていなかったとしたら、他所では素晴らしい効果を見せた措置を実施したところで、期待通りの結果は得られないかもしれない。そして、トルコは、もとよりこのテーマに関する壮大な実験室と言える。

例えば、自動車のことを考えて見よう。砂漠で運転する時のタイヤは、氷が張るような地域で使うものと同じではないはずだ。スノータイヤ、サンドタイヤ、そしてノーマルのタイヤがある。文化とシステムの関係も、この自動車とタイヤの関係に似ている。

つまり、システムをそっくりそのまま取り入れるわけには行かないのである。経済発展のシステムを構築する際、他国の経験を活用することは出来る。しかし、それはプレハブ住宅のように何処へでもそっくり再生できるものではない。

そこでは、その国の人々の自然な感情、思考方式、何に対してどのような反発を示すのか、そして、関係の築き方や、問題解決の為に使う或いは使えない手段が重要となって来る。

トルコにおける問題は、知識人らが、フランス式の俗で歴史の浅いやり方を、長い間異なる道を歩んで来た社会へ押し付けようとしたことにある。

共和国初期のエリートであり、知識人の先駆者だったアブドゥラー・ジェヴデットによる「我々の血には障害がある。種馬として西欧の男たちを連れて来ることで、血を清めようではないか」という提案は、その当時の文学に親しんだ人なら誰でも知っている。

ジェヴデット自身の家族において、この“清めプロジェクト”がどのくらい実践されたのかは解らない。ところが面白いことに、私が近代化の歴史を学んだ日本でも、20世紀の初頭に同じ提案をした知識人がいたのである。

しかしながら、日本はこの強迫観念から速やかに脱け出して、西欧から学び取ったものを、自分たちの独特な文化と一つに合わせてしまう。そこから“経済発展の日本モデル”、そして、偉大な成功の物語が生まれた。物真似と自前との間にある違いは斯くも単純なものだ。トルコ・モデルは、10年毎に繰り返した軍事介入により、上から押し付けようとするプロジェクトだった。

ここで、トルコから否定的な気が滅入る例を挙げる代わりに、より有益な日本の経験から肯定的な例を挙げてみよう。

例えば、日本人にとっては、過剰な利潤より継続と信頼(リスクの無い生活、仕事、計画)の方が大切である。この為、顧客に末永く満足してもらうことが重要となる。事業を進めながら決してパートナーを裏切らないこと、高くてもサプライヤーを替えないことも非常に重要だ。

また、リスクを好まないことから、個人よりも組織的な起業が優先される。損害を被った時、損失額を一人で支払おうとすれば潰れてしまうが、組織的に行なっていれば踏みとどまって継続することができる。

同様に、日本の勤労者にとっては、高給よりも職を失わないことが大切だ。トルコ人にとっては結果が何よりかもしれないが、日本人にとっては、それ以上にプロセスが大事なのである。そもそもプロセスが無ければ結果は得られない。そして、結果を得る為に全てが許されるわけではない。結果を得ようとすれば、プロセスの公正さにも留意しなければならないのである。

こういったことを文化として身につけた場合、法規はそれほど重要でもなくなる。そして、日本で事業を行なっている外国人と日本人との間の最も大きな問題はここに生じて来る。

米国の会社は、法規に見られる僅かな柔軟性までガツガツ使いこなそうとする。ところが、法規というものは、共通の目標に向かって合意が得られた時に初めて有効となる。人間の作った法規が全てを見通しているわけではない。だから、日本人は法規のアラを探したりせずに、法が全体として伝えようとしているメッセージが何であるかを見て、それに従おうとする。

この為、外国の会社は、監査を受けた際に何ら違法性が見つからなかったとしても、事業を日本人のように展開することができず、周囲を困らせるのである。

ここでとりあえず文化に纏わる話は切り上げることにしよう。しかし、このテーマをこれで終わりにするわけではない。これからも、折々、私が日本で培ったものに触れてみたいと思う。

文化とは語るものではなく、生かすものである。

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原文
http://www.zaman.com.tr/webapp-tr/yazar.do?yazino=548736


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