【162】アトランティック・レコーズの創設者アーメット・アーティガン氏の葬儀【ミリエト紙】【2006.12.19】

12月19日付けのミリエト紙より、アスル・オナット、シャキル・アイドゥン両記者の記事。アメリカで亡くなったアトランティック・レコーズの創設者アフメット・エルテギュン(アーメット・アーティガン)氏の葬儀は、12月18日にイスタンブールで行なわれました。記事はこの葬儀の様子を伝えています。

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アメリカで亡くなったアトランティック・レコーズの創設者アフメット・エルテギュン氏は、昨日イスタンブールで執り行われた葬儀によって見送られた。

エルテギュン氏は、ウスキュダル・スルタンテペのオズベックレル・テッケスィ(僧院)にある家族の墓地に葬られたが、その墓にはボドルムの家の庭からもたらされた4袋の土が掛けられた。葬儀には米国からも多くの著名な人々が参列している。

マルマラ大学神学部のヴァクフ・モスクで執り行われたエルテギュン氏の葬儀には大掛かりな警備体制が取られ、警察官がモスクへ入る人を一人一人チェックした。

葬儀では、ミカ・エルテギュン夫人、そしてエルテギュン氏の姪甥にあたるレイラ、リュステム、アスルの各氏、実兄故ナスヒ・エルテギュン氏のセルマ・エルテギュン未亡人へ、参列者より哀悼の意が表された。

正午の礼拝に引き続いて葬送礼拝が営まれる中、一人の職員が緑色の覆いに包まれたエルテギュン氏の棺の上にトルコ国旗を掛けた。

礼拝の後、ギュル外相が参列者へ次のような短いスピーチを行なっている。「この悲しみはとても大きなものです。アフメット・エルテギュン氏はトルコ国民へ偉大な貢献を果たしました。私たちが職務でアメリカを訪れた時は、いつでも暖かく迎えてくれたものです。トルコで埋葬されることを望んだのは、彼自身、生まれた大地へ如何に強く結び付けられていたかを示しています」。

ミカ夫人は時おりキリスト教の信仰に基づいて十字を切っていたが、葬送礼拝が営まれている時も前列に姿を見せていた。女性たちも何人か参列した葬送礼拝の後、エルテギュン氏の棺は親しかった人々の肩に担がれて霊柩車へ乗せられた。

オズベックレル・テッケスィ(僧院)に運ばれたエルテギュン氏の遺体は、遺族の希望により、棺に置かれたまま埋葬されたが、棺の蓋は少し開け放たれていた。ミカ・エルテギュン夫人は亡夫の墓へ一束の白い薔薇を投げ入れた。

*参列者の声

アブドゥラー・ギュル外相:
彼がアメリカでトルコの為に行なったことは、誰も成し得なかったものです。彼に貢献を称える賞を授与しましたが、それを渡すことはできませんでした。私が最後にアメリカを訪れた際、彼にこれを伝えたらとても喜んでくれました。

ワーナー・ミュージック社長リオ・コーエン氏:
その人生を記録に取っておけば、間違いなく完璧なものに見えたでしょう。彼がミュージック以上に愛した唯一のものはトルコでした。

ワーナー・ミュージック副社長ケヴィン・ライルス氏:
彼の意識は、歌い手のカラーではなく、その声、創り上げられた詩、音楽に向けられていました。

タルカン(訳注:トルコを代表するポップ歌手):
エルテギュン氏は一人の外交官でした。彼とは12年前から知り合っています。私に対して、父のように、そして兄のように接してくれ、とても世話になりました。非常に大切な人でした。

フォックス・テレビジョン代表デイヴ・リード氏:
彼がトルコで手に入れることを望んでいたテレビ局の件は必ず成功するでしょう。私たちはこの使命を実現しようと決意しています。

ズルフ・リヴァネリ(訳注:トルコの著名なシンガーソングライター、コラムニスト、映画監督、政治家):
アフメット・エルテギュン氏は世界のミュージック市場において、非常に重要な人物でした。私は彼と度々会っていました。彼は、トルコについて、とても大きな夢を持っていて、トルコを世界へ知らしめることに苦慮していました。

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原文
http://www.milliyet.com.tr/2006/12/19/guncel/agun.html


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