【153】映画“ミッドナイト・エクスプレス”に登場したスウェーデン人【ミリエト紙】【2006.05.22】

5月21日付けのミリエト紙よりイペッキ・イエズダニ記者の記事。映画「ミッドナイト・エクスプレス」には主人公のアメリカ人がトルコの刑務所で、やはり麻薬所持のため服役しているスウェーデン人と知り合う場面があり、そのスウェーデン人のモデルとなった人物に、イエズダニ記者がインタビューしています。この人物はイスタンブールで日本人の恋人と一緒に逮捕されたそうです。

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海外におけるトルコのイメージに悪影響を及ぼしたと思われている“映画「ミッドナイト・エクスプレス」”を知らない人はいないだろう。イスタンブールで、所持していた麻薬と共に逮捕され服役したビリー・ヘイズというアメリカ人が、服役中の日々をその著書で明らかにし、これをアラン・パーカー監督が映画化した。そのトルコに関する禍々しい場面は、数十年に亘って続く怨嗟を生み出している。

この映画に登場する人物のモデルとなったスウェーデン人ベンクト・ビョルクルンが38年ぶりにイスタンブールを訪れた。1969年、彼は宿泊していたギュルハーネのホテルで30グラムの麻薬を所持していたことにより逮捕され、イスタンブールの刑務所に5年間服役している。「ミッドナイト・エクスプレス」にエーリッヒの名で現れる人物がビョルクルンである。

現在、ビョルクルンは、スウェーデンでロマ民族(ジプシー)が発行している“Romani Glinda”という雑誌の仕事に携わっていて、今回の再訪は、スウェーデンの研究機関がイスタンブールで催したロマ民族に関するシンポジウムを取材する為だった。38年前、食堂の排水溝の脇に寝かされたスルタンアフメット刑務所、今は改装されてフォーシーズンズ・ホテルとなっている建物を再び訪れたビョルクルンは、色鮮やかな花々に覆われた中庭を見て、「まるで全てが現実ではないようだ・・・」と感想をもらしている。


Q:初めてイスタンブールに来た時のことを聞かせて下さい。どういう目的で来られたのですか?

A:初めてイスタンブールに来たのは1968年のことです。その頃の私はヒッピーでした。もともとインドへ行きたかったのですが、イスタンブールでも3〜4ヶ月泊まろうと計画していました。スルタンアフメットには、ここへ来るヒッピーの皆が集まる軽食店があり、私もそこへ行って、他のヒッピーや日本人と知り合ったのです。ある日、日本人の友達が見つけてきたトルコ人の売人から、自分で飲むために30グラムの麻薬を手に入れました。イスタンブールでは日本人の女の子と仲良くなってギュルハーネのホテルに同宿していたんですが、夜中に警察の捜索を受け、30グラムの麻薬が見つかって我々は警察署に連行され、そこで「麻薬を売っているのは知っているんだ、白状しろ」と言われました。「違う」と答えると、拷問として足の裏を打ち据えられたあげく、法廷に送られ、私には12年3ヶ月、日本人の友達は8年半、ガールフレンドには2年半の懲役が言い渡されたのです。

Q:そしてスルタンアフメット刑務所に入れられたのですね?

A:そうです。最初、中へ入った時に見た光景は信じられないものでした。荒れ果てた建物に数多の服役者と兵隊、もちろん現在の状態とは大変な違いです。刑務所の中は凄まじく込み合っていた為、私は食堂の排水溝の脇にやっと寝るところを見つけたくらいです。40年経って再び訪れ、そこに“フォーシーズンズ・ホテル”を見た時は、思わず自分の目を疑いましたね、全てが現実じゃないような気がします。

Q:スルタンアフメット刑務所にはどのくらい居たんですか?

A:5ヵ月です。それからトプタシュ刑務所に移されました。そこでは、トルコの有名なマフィアであるキュルト(クルド)・イドゥリスやデュンダル・クルチと同じ部屋でした。ある日、彼らが私のところへやって来て「草やらないか?」と言うので、「ええ」と答えたら、私にも分けてくれて、一緒に飲み始めたんです。その後はバイラムパシャ刑務所に移されましたね。

Q:スウェーデンにはどうやって送還されたんですか?

A:当時のトルコの法律では、外国人が懲役刑を受けた場合、本国へ戻って服役することも可能でしたが、スウェーデンの法律がこれを認めていなかったんですね。その頃、デンマークの外交官の息子が、やはりトルコで30キロの麻薬を所持していて捕まり刑務所へ入ったのですが、デンマーク政府は、ただこれだけの為に、一年で新しい法案を通して彼をデンマークへ送還させました。スウェーデン政府が私の為に同様の法案を通すのは数年も掛かっています。5年後に、残りの刑期をスウェーデンで服役する為、インターポールの刑事に付き添われて送還されました。スウェーデンでは6ヵ月だけ服役したんですが、それはとても辛いものでした。スウェーデンの刑務所には隔離もあり、条件もトルコよりずっと悪かったのです。トルコの刑務所では、服装も自由だったし、ギターもあれば、絵の具や本もあったけれど、スウェーデンの刑務所で、これらは全て取り上げられました。

Q:服役者たちにはどういう違いがありましたか?

A:40年前、トルコの刑務所に服役していた人たちは、塀の外で会う人々とそれほど違ったところもありませんでした。様々な問題を話し合うことができる友達になれたのです。しかし、スウェーデンの刑務所に服役していたのは、厳しい犯罪者の顔を持った人たちで、いつも強盗を犯したり人を殺したりするような話ばかりしていました。もちろん私はそういったことに関心がありませんから、とても辛く感じたのです。

Q:その当時、トルコの刑務所はスウェーデンのものより条件が良かったなんて信じられない人もいるでしょう・・・

A:そうかもしれませんね。でも、これは真実なんですよ。スウェーデンの刑務所には隔離もありました。それから、刑期を終えた後、人生の中で私が生業としてきたのはトルコの刑務所で学んだことばかりです。絵画、音楽、詩・・・自由になってから多くの個展を開きました。刑務所でギターを弾きながらミュージシャンとしての腕前を上げていたから、色んなグループで演奏することができました。詩を書くことも始めましたね。出所してから詩の本を二冊上梓しています。つまり、19歳で入って24歳で出た刑務所は、私にとって大学のようなものだったのです。

Q:40年後にここを再び訪れてどのように感じていらっしゃいますか?

A:我が家に帰ったような感じですね。ここには美しい思い出や友情があったからです。先ず最初に、あの頃通っていた軽食店(ラーレ・プディング・ショップ)へ行って見たところ、なんと、同じ人が居て私のことを覚えていてくれたんです。傍らの人に私を紹介しながら、「見てこの人がトルコで最初のヒッピーだよ」と言い、それから一緒にお茶を飲みました。スルタンアフメット刑務所は本当に変わってしまいましたねえ、ホテルになってしまったのですから。あそこへ行ったら、何だか変な気持ちがしましたよ。いずれにせよ、イスタンブールへ戻ってきて、とても幸せな気分です。

Q:「ミッドナイト・エクスプレス」を書いたアメリカ人のビリー・ヘイズとは、確かバイラムパシャ刑務所で知り合ったのでしたね?

A:もちろんそうです。ビリーが刑務所へ入って来た時、私は既にそこで一年を過ごしています。彼はバイラムパシャ刑務所へ私の後から入って来ました。しかし、彼は私のように30グラムじゃなくて2キロの麻薬を所持して逮捕されたんです。その頃、バイラムパシャ刑務所は新しく建てられたばかりだったから、映画に出てきたような荒れ果てた状態ではなくて、行き届いたものでしたよ。

Q:ビリー・ヘイズとは親しかったのですか?

A:そうです。しかし、映画では二人のエロチックな風呂場のシーンがあるけれど、あれは絶対に真実じゃありません。映画に二人が出てくるシーンで、実際にあったことは、私が彼にメディテーションを教えたことだけです。後は全て事実を反映していません、特に風呂場のシーンは!(笑) 映画ができてからビリー・ヘイズに電話を掛けて話そうとしたけれど、残念ながら彼は電話に出てくれませんでした。

Q:御存知のように、あの映画は長い間トルコのイメージに悪い影響を与えてきました。映画は、貴方や他の外国人服役者が体験したことをどの程度正しく伝えているのですか?

A:先ず、私はあの映画を全く好きになれませんでした。あれは絶対に真実を伝えていません。誇張された場面に満ちていて、非常に人種差別的な映画です。映画が初めて公開された時、ストックホルムの配給会社は、私の為に特別上映してくれました。しかし、映画は実際の体験からかけ離れたものでした。シナリオを書いたオリバー・ストーンとアラン・パーカー監督には、何かトルコ人に対する個人的な敵意があるのではないかとさえ考えてしまいました。もちろん、刑務所では嫌な事件もあったけれど、あの映画はいくつかの嫌な事件を取り上げて、あたかもそれが全てであったかのように見せています。ところが実際は、良い時が殆どだったのです。私は刑務所で絵を描き、ギターを弾き、本を読んでいました。知識人や芸術家と知り合うこともできました。とても素晴らしい友情を築くことができたのです。あの話を私が語っていたら、それは全く違うものになっていたでしょう。良い人たちが沢山いて、文化的な対話が交わされ、美しい思い出がありました。もちろん、拷問の部分は除いてですよ!(笑)


ベンクト・ビョルクルンのバイラムパシャ刑務所における思い出はこればかりではない。彼は獄中結婚もしていたのである。一緒に逮捕されて裁判を受け、同じ刑務所へ入れられた日本人の恋人ヨシが妊娠していることを知った彼は彼女にプロポーズする。当時の刑務所所長は、自室でヨシとビョルクルンの結婚式を挙げさせている。式におけるビョルクルンの後見人は、スウェーデンのイスタンブール総領事だった。

ヨシはビョルクルンがクリスティーナと名づけた女子を刑務所の中で出産する。しかし、彼女は出所した後でクリスティーナをスウェーデン人のある家族へ養女として引き渡してしまう。ビョルクルンは、「私はそんなことを決して望まなかったけれど、刑務所の中にいたので防ぐことができなかった」と悔やむ。

ビョルクルンは、現在、37歳になってスウェーデンで暮らしている娘と20年前に初めて会った。次に会ったのは、11年前のことだそうである。「娘にはもう子供がいて、その子たちは私の長男より年上でしたよ」。そして、その日以来娘には会っていないと言う。

ヨシはどうなったのだろう? 「ヨシとは出所してから一度も会っていません。5年前、アメリカで癌の為に亡くなったと聞いてます」。

ビョルクルンはイスタンブールを去った後も、かなり冒険に満ちた人生を送っている。自由になってから、スウェーデン、イギリス、デンマーク、オランダ、ブラジルで暮らした。港湾労働者として働いたこともある。絵やミュージックで収入を得たりもした。デンマークで知り合ったアメリカ人女性と再婚して、ジョイアという女の子が生まれた。その後、ブラジルに渡ってから妻と別れ、ブラジルの女性と同棲し、7年後にスウェーデンへ戻った。10年前、現在の妻“Jertrude”と結婚。また子宝に恵まれたビョルクルンには合わせて5人の子供がいる。そして今の職業はジャーナリストである。

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原文
http://www.milliyet.com.tr/2006/05/21/pazar/apaz.html



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