【144】クルド問題−オザル大統領からエルドアン首相へ【ミリエト紙】【2006.04.19】

4月17日付けのミリエト紙よりジャン・デュンダル氏のコラム。故オザル大統領の13度目の命日に際して、クルド問題に示されたオザル大統領の勇気ある対応を回想しています。

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エルドアン首相は、“テーブルについて話し合う”とか“クルド問題”という言葉を口にしてしまった後から、これらの言葉をもみ消そうと躍起になっている。発言により民族主義者の票を取り逃してしまうことを恐れたのか、選挙が近づいて来たということなのか、突如として先鋭的な民族主義者になってしまった。

そして、ついにはトゥンジェリ県において、トルコ国人(訳注:トルコ人ではなく“トルコの国に住む人”の意−Turkiyeli)の代わりに改めて“トルコ人”という言葉を使い、“包括的な国民のアイデンティティーに対する二次的なエスニックのアイデンティティー”などということは口の端にも上らなかった。野党陣営は当初の発言を“粗野な勇気”と評したが、その“勇気”は終わってしまったのである。

今日はトゥルグト・オザルの13度目の命日にあたる。そこで私は、オザルが13年前に“クルド問題”を解決する為に踏み出した歴史的な一歩を振り返ってみたいと思う。エルドアンは「誰にも“私はトルコ人だ”と強制的に言わせることはできない」と語ったが、オザル大統領も1991年の3月、まさしく15年前に次のように述べている。「自ら“クルド人”と言う人に対して、『違う、君は山岳トルコ人だ』などと言ってはならない」。

1992年、57人の死亡者を出した“ネヴルーズ祭”の後からオザルは解決の糸口を探り始め、アドナン・カフヴェジ補佐官(訳注:1993年2月5日、不可解な交通事故により死去)に“クルド・レポート”をまとめさせた。そこには要約すると次のように記されていた。
「今日、クルド問題は政治的な危機の様相を帯びており、解決には勇気ある政治的な対応が必要である。これを武力によって解決した国は何処にもない。クルド人の存在、クルド人のアイデンティティー、言語を速やかに認め、クルド人に政治的な権利を与えなければならない。これはトルコの民主主義を発展させるばかりでなく、PKKのようなテロ組織に対する住民の支持を絶ちきることになる」。
このレポートは、数年を経てから展開されることになる政策の核心を成すものだった。

1992年の夏、オザルは、TRT(トルコ国営放送)のGAPチャンネルにおける“クルド語放送”とクルド語教育の自由化を主張。このように改革へ向かいながら、一方では軍事行動も続いていたが、1993年の3月になって、PKKのオジャランは休戦を宣言する。ベカー高原におけるオジャランの会見を取材した記者の中にはオザルのアドバイザーであったジェンギス・チャンダルもいた。彼は“無言の外交”のために来ていたのである。

オジャランが“ネヴルーズ祭では事件を起こさない”と約束したのに対して、オザルは“PKKを平和的な組織に変えるプラン”を用意した。休戦を恒久的なものにするため、恩赦によって組織の戦闘員たちを社会復帰させようと考えていた。殺害を犯さなかった者たちには戦闘員になる前の生活を保証し、組織の幹部に対しては5年の執行猶予を与えてその後の政治活動を認める考えだった。

当時、オザルに対しても「山賊とテーブルについてはならない」という非難の声は上がった。しかし、オザルもPKKとは直接の交渉を持たずに、国会で地域の民衆を代表しているHEP(訳注:左派クルド人の政党)の党員たちと会っていた。そして、休戦期間の終了が二週間後に迫ると、HEPの党員たちを大統領官邸に招き、「解決のためには時間が必要だ。休戦期間の延長に尽力してくれ」と伝え、「あなた方ばかりでなく私も攻撃されるだろう。しかし、この痛ましい問題を共に解決しなければならない」と言い添えたのである。

HEPの面々がベカー高原へ向かうと、オザルは中央アジア諸国の歴訪に旅立ったが、そこでも常にこの問題が頭を離れることはなく、親しい人物にその計画を明かしている。「全てを覚悟して、解決の為のフォームを公表するつもりだ。この時勢を逃してはならない」。彼は、必要とあらば、この問題を解決する為に、政治的な権限の少ない大統領の地位を投げ打って、政治の現場へ復帰する決意を固めていた。

HEP党員らはオジャランと会見し、オジャランは4月16日に“無期限の休戦”を宣言する。こうしてオザルに解決への道が開かれる。その晩、ベカー高原ではHEPの党員たちが、オザルの歴史的な発表を見ようとテレビの前に集まっていた。しかし、最初のニュースに彼らは凍り付いてしまう。アナウンサーはオザルが心臓発作で死去したことを告げていたのである。

現在のエルドアン首相が急に考え方を変えたのも無意味なことではないだろう。これは勇気が問われる仕事だ。“テーブル”は安全に持ち上げないと、頭の上に崩れ落ちてしまうかもしれない。

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原文
http://www.milliyet.com/2006/04/17/yazar/dundar.html


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