【142】祈りを捧げるミッキーマウス【ミリエト紙】【2006.04.08】

4月8日付けのミリエト紙よりジャン・デュンダル氏のコラム。宗教とポピュラー・カルチャーがお互いに影響を与え合っている状況を明らかにしています。

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ベヤーズ・ショーで信じ難い光景を見た。あるスーパーマーケットの開店セレモニーで、生贄の動物が切られ、招待客らが祈りを捧げている。それから、カメラの角度が変わり、並んで祈りを捧げている人たちが映し出されると、そこにはドナルドダックの扮装をした者の姿もある。その直ぐ後ではミッキーマウスが両手を広げて祈りを捧げていた。

ベヤズット・オズテュルクはこの映像を見たあとで、「こんなことがあって良いのか? ドナルドダックが祈りを捧げるなんて」と批判した。

多くの人たちは、「宗教が生活の隅々に入り込んで来た」と心配している。そうかもしれない、例えば、「ラマダン月にバラエティー番組を観たら、断食を乱したことになるのか?」といった問いから、「公的なパーティーの場に参加する為、スカーフを被っていない“政教分離主義”的な第二夫人を娶っても良いか?」といった問いまで、既にあらゆることが聖職者に問われるようになった。

“ベヤーズ師”はその全てに答えようと頑張っている。実際、このようにして宗教が日常生活を覆いつくそうとしているのだろうか? さもなければ、宗教庁のアリ・バルダックオウル長官が警告しているように、“宗教はポピュラー・カルチャーからの危険にさらされている”のだろうか?

私はそのいずれも正しいと思う。宗教は生活の中に入り込んでいる為、ポピュラー・カルチャーの圏外に留まることができずにそこから影響を受ける。しかし、逆に影響を与えてもいるはずだ。

ラマダン月の断食は、コーラのコマーシャルにまで使われるようになった。その代わり、コーラも敬虔なムスリムの消費者を獲得している。ファッションモデルたちは、“敬虔なムスリム女性”のためのファッション・ショーでスカーフを被らされているが、これによって“スカーフを被っている敬虔なムスリム女性たち”へ“見せる文化”を教えている面もあるだろう。

“ミリエト・ポピュラー・カルチャー誌”で一緒に働いた友人のタイフン・アタイ助教授は、一時期ロンドンで、シェイフ・ナズム師とナクシベンディ教団について人間学的な調査を行なった。その結果、教団が西欧社会の中で如何に変化したか、如何に“狂信と宗教的な謙虚さ”から離れて行ったかが明らかにされている。

教団はロンドンへやって来た後、伝統的な無言の念誦に代わって、ショー的な動きの要素と発声を伴う念誦を採用し、視覚的なものが前面に現れた。その影響には大きなものがあり、あるスコットランドの女性は、師の薄紫色の法衣に心を奪われ、教団に入信してしまったほどだ。

政教分離主義者たちは、シェイフ・ナズム師らをイスラム原理主義として非難しているが、他のイスラム・グループに言わせれば、彼らは教義から外れてしまったのである。

師の法衣やら“敬虔なムスリム女性”のためのファッション・ショー、ラマダン月のコーラ、ミッキーマウスの祈り、こういった事柄は宗教に貢献するものなのか? あるいは娯楽芸能文化に利するものなのか? 宗教と現代が出会うことによって、誰が利を得て、誰が敗れるのか?

私は、この出会いに勝者も敗者もないと思う。双方とも触れ合うことによって各々を変えてしまうのである。

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原文
http://www.milliyet.com.tr/2006/04/08/yazar/dundar.html

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